国王陛下の話
少年は、馬車に揺られながら外を見ていた。
つまらない日常。つまらない話。
少年は辟易としていた。夜会だ茶会だ、と御託を並べても、所詮は大人同士の腹の探り合いでしかない。特殊な力のせいで全てが見えてしまう少年にとって、それは退屈以外の何物でもなかった。
少年は陰鬱そうな面持ちを隠さないまま外を見つめ続ける。とは言ったものの、外とてさして代わり映えのしない風景しか映っていない。
しかし。
『……っ、少し、馬車を止めて』
少年の言葉に、従者は戸惑いながらも馬車を止めた。馬車がしっかりと止まる前に、少年は外へと飛び出す。呆気に取られたのは従者だった。しかし逃げ出すと言うような愚かな真似を、少年がするとも思えない。
従者はおとなしく待つことにした。
そんな従者の気持ちなど露知らず、少年は一目散にある場所に駆ける。
そこには、一人の少女がいた。
その瞳だけが、暗闇の中でもなお紅く光って見える。
それは、人の手に慣れていない子猫のような少女だった。
『どうしたの?』
少年が気配を殺してそう問いかければ、少女は俯かせていた顔を持ち上げる。薄汚れていることを除けば、絶世と言えるほどの美しさを持つ少女だ。きっと年を重ねれば、さぞ美しい娘になるであろう。
彼女は少年の見目と服装を見て、僅かばかり顔色を変えた。僅かにチリチリと、殺意のようなものが煌めく。
どうやら警戒しているらしい。
そのことに気付いた少年は、人当たりのいい笑みを浮かべて少女に問いかけた。
『お金がないのかい?』
少女はなんとも言えないような、そんな顔をした後、諦めたような顔を浮かべた。
それを言ったところでどうなるのだ、ということならしい。確かにこのままでいれば、彼女の命など風のように消えてしまうだろう。
しかし少年は、それが嫌だった。そんなことになるくらいなら、とさえ思った。
だからこそ彼は、どこまでも歪んでいて愚かな願いを込めたのだ。
『なら、これをあげるよ。これを売って、お金にすればいい』
『……なに、それ』
だから少年は選択する。己の欲望を埋めるために。
少年は差し出したネックレスと同色の金の瞳を光らせ、笑った。
「……随分と懐かしいものが見れたね」
リーズブルクは小さくそうぼやいた。恐らくその夢を自分が見たのは。
「……ね? マリアージュ?」
その逞しい腕に、美しい乙女が寝入っていたせいだ、とリーズブルクは思った。
やっと、やっとだ。やっとのことで手に入れた。
リーズブルクは慈しむように、マリアージュの髪を一房弄る。すると抱き締められていたマリアージュが、くすぐったそうに身をよじらせた。
そして瞼が、ゆっくりゆっくりと開かれていく。
「……おはよう、マリアージュ」
「……は、え?」
ゆらゆらと揺れる紅色と瞳。
その瞳の焦点がリーズブルク自身に向いた瞬間、マリアージュは可愛らしくも抜けた声で自身の状況を確認した。
するとリーズブルクは声を上げた。
「どうしたんだい、マリアージュ。もしかして、わたしに嫁いだことすら忘れてしまったのかい?」
「とつ、いだ……? ……あ」
マリアージュは暫しの間考え抜いた後、ハッとした表情をして目を見開く。そして居心地悪そうに、リーズブルクの顔色をうかがった。
「さ、左様にございました……わたくしとしたことが、忘れてしまうなんて」
「いや、構わないよ。どちらにしたって、マリアージュは今、わたしの妻なのだからね」
「はい……」
嬉しそうに頬を摺り寄せるマリアージュを見て、リーズブルクは微笑む。そして優しくその頭を撫でれば、マリアージュは少しばかり頬を赤らめた。
本当に、本当に上手くいった。
リーズブルクは、この世で一番欲しかったものを手にすることが叶い、内心では狂喜乱舞していた。実際にこの手で触れてみて、その欲望は深すぎる愛情へと変わる。マリアージュは、リーズブルクにとっての癒しそのものだった。
それならば直ぐにでも手にすれば良かった、とも思うが、しかしそれはいけない。
リーズブルクがこれほどの時間を費やしてまで成し遂げたことは、全てが緻密な計算の上で決められたことだったからだ。
――その名を『箱庭政策』。
この政策を知る者は、小さい頃からリーズブルクの本性を知っていた、片手で足りるほどの者たちだけ。
リーズブルクがこれを始めようと思った大きな理由はマリアージュだったが、他の者たちは違った。
それこそ、『全ての人々が決められた王の元で、至極平和に過ごせる世の中を作る』と言ったものだった。
遥か昔『魔法』と呼ばれる技術が栄えていた頃、それはどの国でも頻繁に行われていた。
王のための国。
王のために働く民。
王という統率者が主柱に立ち、動く世の中。
そんな世の中を可能にした技術こそ『魔法』だ。
そしてリーズブルクはどんな因果か、『魔法』と呼ばれる技術を先天的に持ち、この世に生まれ落ちたのだ。
リーズブルクが得意としている魔法は、相手を意のままに操るための誘導魔法や、相手の意識をそのまま塗り替える洗脳魔法があげられる。
つまり、リーズブルクは古来の王が持ち合わせていた技術を、余すところなく持ち合わせていたのだ。
その箱庭が完成したのが昨夜。そう、マリアージュが断頭台に立った、あの瞬間だ。
リーズブルクは魔法式の完成を、マリアージュがあそこに立つこと、と記していたのだ。
それにより、『黒薔薇姫』は死んだ。
代わりに『マリアージュ』という美しい乙女が、王妃としてその地位につくことになったのだ。
恐らく自分についていた彼らにとっての一番の誤算は、リーズブルクが洗脳する対象に、彼ら自身が入っていたことだろう。そうリーズブルクは思う。
そしてマリアージュに関してのみ限定的に、リーズブルクはごく一部の記憶を改ざん、また捏造するだけにしたのだ。
故にこの国は箱庭。リーズブルクとマリアージュのためだけに創られた、美しくも空っぽな箱庭だ。
リーズブルクはマリアージュを抱き上げる。
「さぁ、マリアージュ。式典の準備をしなくてはね。誰か、いるかい?」
「……はい、こちらにおります。陛下、王妃様」
リーズブルクが軽く声をかければ、まるであらかじめそこにいろと命じていたかのように侍女が現れる。
侍女に連れられたマリアージュを見送り、リーズブルクは執事を呼びつけた。
「わたしもそろそろ着替えよう。式典の準備は?」
「つつがなく。全ては陛下のご意向のままに進んでおります」
「そうかい。なら構わない」
リーズブルクは執事に手伝わせ、自身も新郎服に着替える。普段なら鬱陶しく感じる着替えだが、今はそれすら楽しく感じた。
数時間して、ようやく侍女が支度が済んだと告げにくる。
そうして会いに行ったマリアージュは、まるで妖精のように美しかった。
胸元は大胆に開かれながらも、レースの重ねられた美しい作りになっており、言うほど下品ではない。
キュッと締められたウエストから下はフリルとレースが重ねられ、動くたびにふわふわと揺れている。
そして何より、そのデザインをなんてことはない顔で着てしまうマリアージュ自身にこそ、人間離れした美しさがあった。
マリアージュの体に合わせて、わざわざ作らせた甲斐があった。
リーズブルクは一人ほくそ笑む。そして楽しむように、それをじっくりと、穴があくのではないかという勢いで眺めた。
そんなリーズブルクの視線を感じて、マリアージュは頬を真っ赤に染める。多少頬紅で色をつけていたが、それを差し引いても酷く赤くなっていた。
「とても綺麗だよ、マリアージュ……」
「……は、恥ずかしいので、あまり見つめないでくださいませ……」
しりすぼみになっていく語尾。
みるみるうちに耳まで赤くなったマリアージュにそっと歩み寄り、リーズブルクは耳元でそっと囁く。
「そんな君と結婚できるわたしは、本当に幸せ者だね……」
「……う、リ、リーズブルク様だって、とても素敵ですわっ……!」
せめてもの仕返し、とばかりに吐き出された言葉。
しかしそれは、嗜虐心を存分にくすぐられているリーズブルクには効くはずもない。
寧ろ今まで以上にあおられたリーズブルクは、そのままさらって襲ってしまおうかとさえ思った。
しかし今は、式典の成功が先決だ。
リーズブルクは自制を働かせる。
そうしてにっこりと、リーズブルクはマリアージュの手を取る。昔から彼は、隠すことには慣れていた。
そんなリーズブルクを見て、マリアージュは首を傾げる。そしてまるで白薔薇を思わせる柔らかな笑みを浮かべ、その手を取った。
「参りましょうか、リーズブルク様」
***
婚約の式は、つつがなく終了した。
多少のハプニング――たとえるならばマリアージュが誓いの接吻をする際に逃げ出しそうになったことや、その美しさのために倒れる貴族たちが続出したこと――などはあったものの、そこはご愛嬌というものだ。
男にだけ愛されていた魔性の『黒薔薇姫』は、誰にでも愛される癒しの『白薔薇姫』へと変化したのだ。
その後、顔が見えるように屋根が開かれた馬車に引かれ、二人は市街を練り歩く。その度に民から白薔薇の花びらが注がれ、二人は終始笑顔をたたえていた。
リーズブルクがマリアージュの悪評をそのままにした理由は、これだ。
リーズブルクはマリアージュに対する認識のみ固定して、ある一部に関して逆になるように仕向けたのだ。
黒は白に。
男にだけ愛される嫌われ者は、全ての人々に愛される麗しの姫に。
マリアージュが嫌われる世界など、リーズブルクは認めていない。
それを覆すために始めた箱庭政策は、二人にとっては楽園そのものだった。
あれよあれよと言う間に日は暮れ、夜会が開かれ、そうして待ち望んでいた二人だけの時間がくる。
リーズブルクは今朝と同じように、マリアージュを自分の寝室に引き込んだ。
「マリアージュ」
「は……は、い……」
当のマリアージュはというと、顔を真っ赤に染めて項垂れている。しかし意を決したように、彼女は顔を上げた。
「子はどれくらいがいいかな」
「こ、こどもですか……!?」
しかし不意打ちを喰らい、彼女はさらに顔を赤く染める。
慌てふためくマリアージュを見て、リーズブルクはくすくすと面白おかしそうに笑った。胸にじんわりと、温もりのような甘い温かさが広がっていく。
「今日はやめておこうか」
「そ、そうしていただけますと嬉しいです……」
「ふふ。マリアージュは本当に可愛らしいらしいね……」
既に隔てるものなど何もなく、立ち塞がる敵もいない。
リーズブルクはマリアージュを抱き締め、そっと口づけを落とした。
「おやすみ、マリアージュ。いい夢を……」
***
それから十年もの間に、マリアージュは五人もの子を産んだ。どの子どもも二人の血を継いだためか美しく聡明で、それでいて優しく育つ。
それは、マリアージュの教育の賜物でもあった。
「おとうさま!」
「リーズブルク様」
「……おや、来たのかい?」
私室で書き物をしていたリーズブルクは、愛おしい妻と末の娘の登場にほくそ笑む。するとマリアージュは、少しばかり申し訳なさそうに首を傾けた。
「申し訳ありません。何か急ぎの書類でしたか?」
「いいや。家族団欒の時間を削るほど、大切なことではないよ」
「そうでしたか」
微笑み合う両親を見て、娘は笑う。
「おとうさま、ご本よんで!」
「もちろん。今日はどんなものを持ってきたんだい?」
「今日はねーこれー!」
娘が差し出してきた本を手に取り、リーズブルクは目を見開く。そしてマリアージュと顔を見合わせ、微笑んだ。
「『白薔薇姫』のお話ね……」
「よんでよんでー!」
可愛い娘の願いを叶えるために、リーズブルクとマリアージュはともに寝室に入る。すると娘は父親の言葉に聞き入り、そして眠ってしまった。
そんな娘を寝室に寝かせるように執事に頼み、リーズブルクとマリアージュは二人きりになる。
「マリアージュ」
「……なんでしょうか? リーズブルク様」
「……いいや、君と結婚をして、本当に幸せだったな、と思って、ね……」
「……それはわたくしも同じです」
マリアージュは本当に幸せそうに、リーズブルクの腕の中で瞼を閉じている。心身ともに許し身を預けてくれている愛しい妻を、リーズブルクは優しく抱き締めた。
「これからも、ずっと一緒におりましょうね……」
「もちろんだよ」
二人は顔を見合わせ、幸せそうに微笑んだ。
昔々あるところに、『白薔薇姫』と呼ばれる美しい乙女がおりました。
美しく波打つ金色の髪。
蕾の綻びのように色付いた唇。
薔薇色に染まった頬。
そして何より、艶やかな薔薇のような色をした、紅い紅い瞳。
人々は慈悲深く聡明で美しい乙女を愛し、そして慈しみます。
『白薔薇姫』がひとたび微笑めば花が咲き乱れ、渇いた土地が潤うとまで言われておりました。
彼女が涙を零せば雨が降り、微笑めば晴れる。
『白薔薇姫』はまさしく、神の子のような乙女でした。
そんなお姫様はとうとう、『平等王』と名高い王様の元へ嫁ぐことになります。
国王陛下もまた、『白薔薇姫』に相応しく思慮深く賢い方でした。
お似合いの二人に、人々は諸手を挙げて祝福の言葉を捧げます。
するとなんということでしょう。二人は幼き日にただの一度だけ会い、そしてお互いに想いあっていたと言うのです。
このことを聞いた民らは、その愛情の深さに歓喜の声と感動の涙を零します。
そうして二人は夫婦となりました。
この二人が夫婦になってからと言うものの、この国に不幸は訪れません。
人々は二人を『幸福の運び手』と崇め、奉り、そうしてとうとう神殿まで立ち上げてしまいました。
それは他国にも広がり、二人は一躍注目を集めます。
そうして二人は幸せに、国も安泰のまま、世界は幸せに包まれたのです。
おしまい。
『白薔薇姫』の話より