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――カ、コンッ。
音を立てて、ドアノブが跳ねあがる。水平になったドアノブが、扉をこじ開ける勢いで、わずかな幅を上下することはなくなった。
分かってくれたのか? と安堵したのもつかの間。
ぬちゃ。
ぐちゅ。
くちゃ、くちゃ、くちゃ。
水っぽい、それでいて、どこか粘っこい音か、扉の向こうから聞こえてくる。
母さんが、まだそこにいるのは明白で、油断はできない。
それにしても、何の音だろうか。妙に規則性があるような――と、考えたところで、ふと、気が付く。
もしかして――咀嚼音じゃないか?
あの、黒い手の持ち主のような、人間のなりそこないが、手づかみで親子丼を食べている姿を想像してしまった。箸を親子丼に突っ込むよりも、手で直接、がばっと親子丼の一部を持ち上げたときのほうの音に、近そうで。
扉を隔てていて、その向こう側で何が行われているのか、正確には分からない。咀嚼音に聞こえるが、本物の母さんなら、この場で食べて確認するとは思えない。
でも、僕が母さんのことを疑っているかどうかを試すための罠にも思えて、言及することはできなくて。ただ、僕は、ひたすらに、その音がやむのを待った。
音自体は、比較的すぐにやんだ。
「――あら、本当ね。みりんとお酢、間違えちゃったのかしら。ごめんなさいね」
聞こえてきた母さんの声は、歪んでいるものではなく、前と変わらないものに戻っていた。
先ほどまで声が歪み、ドアノブを何度も下げようとしていた人間とは思えないほど、平静を保った声。急に感情がなくなったかのような様子に、僕は言い返せなくなってしまった。
みりんと酢なんて、間違えるわけがない。
大体、あの、酢の味しかしないような親子丼を食べたら、普通の人間はむせる。
僕の想像とは違い、実際には食べておらず、ただ音を出して、確認したパフォーマンスを取っただけか。
それとも――母さんの偽物は、酢でむせるようなものではないのか。
「あ、ああ、あと、あの、も、模様替え! そう、模様替えの途中だから、カラーボックスとか、なんか、いろいろ動かしてて、それに引っ掛かって、扉が開かないのかも……。で、でもどうせ、母さんは開けないんだから、関係ないだろ」
ついでに、扉が開かない理由もでっち上げておく。模様替えなんてする人間じゃなくて、掃除や片付けだって、ほとんどしないが、言い訳として、このくらいしか思いつかなかった。
「か、勝手に入ってこようとすんなよ」
僕がそう言うと、母さんは納得したのか「それもそうね」と言った。
それで納得するのか。
まだ、この偽物を騙せているのか、自信はないが――それ以上、母さんが何も言ってこなかったあたり、大丈夫、なのかもしれない。
今のところは。




