第58話: まだ燃えていない炎
はじめまして、または再びこんにちは。今回もお付き合いいただきありがとうございます。
俺を乗せた車は、ついにカリマンタンの深い森の中にある巨大な岩壁の前で停車した。
一見すると、そこはただの自然豊かな場所にしか見えない。
しかし、俺をここまで連れてきた若者の一人が、茂みの奥に隠されていた小さなパネルへ手を伸ばした。
「……何をしてるんだ?」
彼がパネルを操作した直後――。
ゴゴゴゴゴ……。
足元の大地が、ゆっくりと震え始めた。
そして、目の前にあった巨大な岩壁が左右に開いていく。
そこに現れたのは、岩壁に完全に偽装された巨大な鋼鉄製の扉だった。
扉の向こうには、明るい照明に照らされた長い通路が続いている。
「……。」
俺は思わず息を呑んだ。
施設の中から漂ってくる空気。
遠くから聞こえる機械の低い駆動音。
そのすべてに、どこか懐かしさを感じた。
――まるで、かつて日本で見た父さんの基地と同じだった。
俺が一歩、施設の中へ足を踏み入れる。
すると、通路の両側には数十人もの武装した警備兵と、白衣を着た科学者たちが整然と並んでいた。
彼らは一斉に俺へ視線を向ける。
その表情には、驚きと……そして期待が入り混じっていた。
やがて、一人の中年女性の研究員が前へ歩み出る。
彼女は俺の顔をじっと見つめた後、深々と頭を下げた。
「我々の生体認証システムが、アラリック・シロガネ博士の遺伝情報との完全な一致を確認しました。」
女性の声は、感極まったように僅かに震えていた。
「あなたは……本当に、博士の後継者なのですね。」
その瞬間――。
通路いっぱいに、大きな拍手と歓声が響き渡った。
まるで、俺がここへ来たことそのものが、彼らが長い間待ち続けていた答えだったかのように。
「本日をもって、あなたは正式にこの基地の指導者となります。」
女性は続けた。
「お父上に代わり、この基地を率いていただきます。」
「……え?」
俺はその場で固まった。
突然、あまりにも大きな責任を背負わされた気がした。
けれど――。
なぜか胸の奥に、奇妙な感覚があった。
もしかすると、父さん……アラリックの血が、自分の中にも流れているからなのかもしれない。
俺は自分でも驚くほど自然に、背筋を伸ばした。
「だったら……。」
俺はできるだけ威厳のある声を出そうとした。
「すぐに首都への奇襲作戦を立てよう。敵が態勢を整える前に――」
「ちょっと待ってくれ。」
俺をここまで連れてきた若者が、一歩前へ出た。
彼は礼儀正しく手を上げながらも、はっきりとした口調で言った。
「まず自己紹介をさせてくれ。俺の名前はバガス。」
彼は俺を真っ直ぐ見つめる。
「独立青年団のリーダーをしている。」
「……独立青年団?」
「そうだ。」
バガスは真剣な表情を浮かべた。
「さっき君が言った、直接攻撃するという計画は、俺たちが考えているものとは違う。」
俺は眉をひそめた。
「じゃあ、どうするんだ?」
バガスは静かに説明を始めた。
「今の俺たちの首都は、ここカリマンタンにある。」
「そして、これから俺たちが動く本当の目的は、単純に敵の戦力を破壊することじゃない。」
彼は俺を見つめた。
「インドネシア全土の人々の怒りと力を呼び起こすことだ。」
「……。」
「自分たちが置かれている状況を知ってもらい、俺たちと一緒に立ち上がってもらう。」
バガスは、さらに言葉を続ける。
「そのためには、君の力が必要だ。」
「俺の?」
「ああ。」
「全国各地へ小型ドローンを飛ばしてほしい。」
「PANDEMONIUMに攻撃された地域だけじゃない。まだ被害を受けていない地域にもだ。」
彼は拳を握りしめる。
「そして、現地で何が起きているのかを、人々自身の目で見てもらう。」
俺は少し考えてから尋ねた。
「……どうしてドローンなんだ?」
バガスは迷うことなく答えた。
「信頼のためだ。」
「これまで広まっていた情報は、混乱していて、何が本当なのか分からないものばかりだった。」
「しかも、簡単に誰かによって操作されてしまう。」
バガスは真っ直ぐ俺を見つめる。
「だからこそ、実際の映像をリアルタイムで見てもらう。」
「PANDEMONIUMによって何が起きているのか。」
「そして――まだ戦っている人間がいるという事実を。」
彼の声に、強い意志が込められていた。
「それを知れば、人々の士気はきっと戻る。」
「俺たちへの信頼も、自分たち自身への信頼も強くなる。」
俺はしばらく黙り込んだ。
その言葉を、ゆっくりと頭の中で整理する。
これは、俺が軍事訓練で学んだこととは違う。
父さんの科学から学んだこととも違う。
武器の設計図でもない。
戦術でもない。
――人の心の問題だ。
そして、人間の心というものは、どんな設計図よりも複雑だった。
「……分かった。」
俺はゆっくりと頷いた。
「ドローン部隊の準備を始めよう。」
こうして――。
作戦は正式に始動した。
---
二日後。
数百機もの小型ドローンが、インドネシア各地へと展開された。
攻撃を受けた地域。
そして、まだ安全ではあるものの、いつ自分たちの番が来るのかと不安を抱えている地域。
ドローンは各地の状況を記録し、その映像をリアルタイムで届けていった。
これで、人々は真実を知ることができる。
俺たちは、そう考えていた。
――だが。
現実は、俺たちの予想とは大きく違っていた。
---
首都では、たちまち各地で混乱が発生した。
パニックに陥った人々が街へ集まり、次々と抗議活動を始めたのだ。
「政府は情報を隠している!」
「本当のことを説明しろ!」
一方では、別の声も上がっていた。
「このドローン映像だって、政府や反政府勢力が作った偽情報じゃないのか!?」
「俺たちを混乱させるためのプロパガンダだ!」
情報が広がるほど、人々の混乱も大きくなっていった。
さらに、混乱の最中に複数の地域で突然の空襲が発生したとの報告まで入ってくる。
政府中枢は対応に追われ、街では人々同士の疑念と衝突まで広がり始めていた。
「落ち着いてください!」
「話を聞いてくれ!」
しかし、誰もが恐怖に支配されていた。
---
その頃。
バガスは、最も大きな群衆の一つの中にいた。
彼は道路脇に停められていた荷台付きの車の上へと乗り、持ってきた携帯式の拡声器を手に取る。
「えーっと……みんな、聞いてくれ!」
彼は声を張り上げた。
「煽られちゃ駄目だ!」
「これは俺たちの政府がやっていることじゃない! PANDEMONIUMによる攻撃なんだ!」
群衆の一部が、足を止めた。
何人かが、疑うような目でバガスを見上げる。
「奴らは、俺たちを内側から分断しようとしている!」
「互いに疑い合っている場合じゃない!」
だが――。
大半の群衆は、なおも騒ぎ続けていた。
互いを責める声が、あちこちから飛び交う。
「嘘だ!」
「お前たちこそPANDEMONIUMの仲間じゃないのか!」
「違う!」
混乱は、なかなか収まらなかった。
---
別の地域からも、同じような報告が次々と届いていた。
独立青年団のメンバーたちは各地で人々を落ち着かせようとした。
しかし、その結果はほとんど同じだった。
人々は恐怖と混乱に支配され、彼らの言葉を聞く余裕すら失っていた。
それでも――。
すべてが無駄だったわけではない。
群衆の中には、ほんの少しずつだが、叫ぶことをやめる人々が現れ始めていた。
彼らは耳を傾ける。
そして、問い始める。
「……本当に、PANDEMONIUMがやったのか?」
「じゃあ……まだ戦っている人たちがいるってこと?」
少しずつ。
ほんの少しずつ。
人々の目に、変化が現れ始めていた。
まだ、意識の炎は大きく燃え上がってはいない。
けれど――。
確かに、その炎は小さく瞬き始めていた。
――次回へ続く。
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