第五話: 自然へ
はじめまして、または再びこんにちは。今回もお付き合いいただきありがとうございます。
翌朝、私は優しく名前を呼ぶ小さな声と、肩に触れる柔らかな感触で目を覚ました。
「ヒカル……起きて。もうすぐ出発よ」
ゆっくりと目を開けると、目の前にはホタルの顔があった。
小さな微笑みを浮かべながら、私が完全に目を覚ますのを待っている。
私は驚いて飛び起き、慌てて上半身を起こした。
顔が熱くなる――なぜか、まだ半分眠っているところを誰かに見られるのが恥ずかしかった。
「ご、ごめんなさい……寝過ごしちゃって」
掠れた声で呟くと、ホタルは小さく笑った。
その笑顔は、初めて彼女の声を聞いた時と同じくらい優しかった。
「大丈夫だよ。ほら、みんな下で待ってるから」
そう言って、ホタルが手を差し伸べる。
私は少しだけ躊躇してから、その手を握った。
そのまま彼女に引っ張ってもらい、ベッドから立ち上がる。
玄関へ降りると、そこにいたみんなが、まるで別人のように見えた。
スズランはシンプルながらも上品な夏服を着ていて、リンドウはスポーツウェア姿で大きなリュックを背負っている。
いつものように真剣な表情をしている影郎でさえ、今日は少しラフな服装で、髪も適当に結んでいた。
それなのに、なぜか妙にきちんとして見える。
みんな、とても格好よくて、生き生きとしていた。
それに引き換え、しわくちゃのパジャマに寝癖だらけの私は、どう見ても場違いな存在だった。
「さあ、先にお風呂に入りなさい」
エツコがどこからともなく現れ、清潔なタオルを手に、いつもの温かな笑顔で言った。
私は素直に頷いた。
ほどなくして風呂を済ませると、部屋に戻った私は、エツコに新しい服を着せてもらっていた。
薄いクリーム色のシャツと、履き心地のいい半ズボン。
これまで身体を包んでいたぼろ布とは、まるで違うものだった。
全員の準備が整うと、私たちは玄関を出て前庭へ向かった。
そこには、大きな車が一台待っていた。
昨日までの黒いフォーマルな車とは違い、明るいグレーの車体で、後ろには大きな荷物スペースがある。
どこかくつろいだ雰囲気の車だった。
私は車に乗り込み、リンドウとホタルの間に座った。
スズランと影郎は前の席に座り、今日の運転を担当するのはアラリック自身だった。
やがて車が動き出し、私たちは白銀家の大きな門を後にした。
しばらくの間、車内には静かな空気が流れていた。
けれど、やがて好奇心が恥ずかしさに勝った。
私は隣に座るリンドウへ、ゆっくりと顔を向ける。
「……どこに行くの?」
ほとんど囁くような声で尋ねると、リンドウが振り返った。
まるで最初からその質問を待っていたかのように、彼はニヤリと笑う。
「まだ秘密」
いたずらっぽく言われ、私は困惑して眉を寄せた。
「リンドウ」
前の席から、スズランが振り返らずにたしなめる。
「いつまでも困らせないで」
リンドウはクスクスと笑い、結局観念したように私の肩を軽く叩いた。
「オーケー、オーケー。山に行くんだ」
「小さな湖があってさ。空気がすごく涼しいんだよ」
「父さんがそこに別荘を持ってて――街の喧騒から逃げたくなった時によく行くんだ」
「山……」
私は小さく呟き、その場所を想像しようとした。
生まれてこのかた、私は山を間近で見たことがなかった。
遠い場所から、街の建物に遮られてぼんやりと見える山しか知らない。
「きっと気に入るよ」
反対側からホタルが小さな声で答える。
彼女は恥ずかしそうに微笑んでいたが、その瞳は嬉しそうに輝いていた。
「水がすごく澄んでるの。釣りもできるし、水遊びもできるよ」
「それか、別荘の裏にある小さな丘まで競争して走るとか!」
リンドウが再び熱を帯びた声で付け加える。
「僕、まだ負けたことないんだぞ!」
「それはお前が先にスタートするからだろう」
前の席から、平坦な声が飛んできた。
――影郎だ。
振り返りもしない。
それでも、その声の奥には微かな面白さが滲んでいた。
リンドウは大きく笑った。
そして、その指摘をまったく否定しなかった。
私は窓の外を見つめながら、彼らが語る景色を想像していた。
湖。
山。
涼しい空気。
これまで、それらは誰かから聞く話でしかなかった。
自分が実際に体験できるものだなんて、一度も想像したことがなかった。
旅は続き、窓の外の景色が少しずつ変わっていく。
私たちは広く滑らかな高速道路を走っていた。
道路の両側には、高層ビルがいくつもそびえ立っている。
ガラス張りの壁面が朝日を反射し、まるで巨大なダイヤモンドのようにキラキラと輝いていた。
私は窓ガラスに顔を押しつけ、瞬きをすることさえ惜しくなるほど、その光景を見つめ続けた。
これまで私が知っていた街は、狭い路地とゴミだらけの歩道ばかりだった。
そんな街が、こんなにも壮大な一面を持っていたなんて。
しかも今の私は、家族と呼ぶようになった人たちに囲まれ、快適な車の中からその景色を眺めている。
そんな未来が自分に訪れるなんて、以前の私は夢にも思わなかった。
「……休暇って、いいな」
ほとんど無意識に呟いた。
誰かに向けた言葉というより、自分自身に言い聞かせるような呟きだった。
それを聞いたリンドウが、大きく微笑む。
そして、いつものように気軽に私の肩を抱いた。
「着いてからが本番だぞ」
「これはまだ、始まりにすぎない」
私はただ、頷くことしかできなかった。
胸の中が、今まで知らなかった不思議な温かさで満たされていく。
この感情に名前をつけるのなら――それはきっと、本当の「幸福」というものなのかもしれない。
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