第48話: 日本陸上戦の勝利――それでも、誰もが幸せになったわけではなかった
はじめまして、または再びこんにちは。今回もお付き合いいただきありがとうございます。
P.1000の敗北によって、PANDEMONIUM軍は次第に統制を失い始めていた。
大半の部隊が前線から後退していく。
一部の兵士たちは車両を放棄し、いまだ占領下にある地域へ逃走を始めていた。
日本軍とロシア軍は、PANDEMONIUMに占領されていた地域を次々と奪還していく。
しかし、その勝利には大きな代償が伴っていた。
多くの都市が、すでに瓦礫と化している。
道路には放棄された車両が残されていた。
かつて人々の暮らしで満ちていた建物も、今では壊れた壁だけを残している。
そして、長い戦いの中で初めて――。
ヒカルは、戦争のことを考えなくてもよくなった。
もう設計図を作る必要もない。
新型車両の報告書もない。
前線から新しい兵器を要求されることもない。
「もっと早く新技術を完成させろ」と迫ってくる政府関係者の声も、もう聞こえない。
日本の陸上戦は、ようやく終わりを迎えようとしていた。
ヒカルは、ようやく自由になった。
「……やっと終わったか」
ヒカルは長いため息を吐いた。
久しぶりに、彼は単純なことをすることができた。
自転車に乗ること。
ヒカルは自分の自転車を取り出し、街の中を走り始めた。
最初のうちは、穏やかな表情をしていた。
会議もない。
仕事もない。
戦争もない。
そこにあるのは、自分と自転車、そして日本の街並みだけだった。
「はぁ……設計図を作らなくていい生活って、こんなに楽だったんだな」
ヒカルは小さく笑った。
しかし、その笑顔は少しずつ消えていった。
走れば走るほど、目に入ってくるのは戦争の爪痕だった。
かつて賑わっていた店は、今では瓦礫になっている。
子供たちの声で満ちていた公園も、静まり返っていた。
いくつもの家が壁を失い、道路には大量の瓦礫が残されている。
ヒカルは自転車の速度を落とした。
「……」
しばらくの間、彼は何も言わなかった。
胸が締め付けられるようだった。
先ほどまで嬉しかった勝利が、突然違うものに感じられた。
「これが……勝利の代償なのか」
ヒカルは周囲を見渡した。
「戦争が終わって嬉しい」
「日本が勝って嬉しい」
「でも……どうしてだろう」
「何かがおかしい気がする」
ヒカルが再びペダルを踏み始めた、その時――。
どこからか、泣き声が聞こえてきた。
「……ひっく……」
ヒカルはすぐに自転車を止めた。
道の先で、一人の子供が雨の中を走っていた。
その子は泣きながら、どこかへ向かっている。
「待て……!」
ヒカルは自転車を降りた。
そして、何も考えずにその子を追いかけた。
雨は次第に強くなっていく。
それでも、子供は走り続けていた。
ヒカルも、その後を追う。
「おい! ちょっと待ってくれ!」
子供は振り返らなかった。
数分後――。
子供は、ある墓地の前で立ち止まった。
ヒカルも足を止める。
子供は一つの墓へ向かって歩いていく。
そして、その前に膝をついた。
ヒカルは数メートル離れた場所から、その様子を見つめていた。
「……ママ」
子供の声が震える。
「ママ……また来たよ」
ヒカルは黙って見つめていた。
子供は小さな手で墓石をそっと撫でる。
「僕、ちゃんと頑張ったよ」
「でも……お腹が空いた」
「もう何日も、ご飯を食べてないんだ」
ヒカルはゆっくりと拳を握った。
「お水だけ飲んでる……」
子供は俯いた。
「ちょっと汚い水だけど……他にないんだ」
「お腹が痛いよ、ママ……」
泣き声が、雨音の中に混ざっていく。
「ママが一番、僕のことを分かってくれるから……」
「パパも、まだ帰ってこない」
「任務に行ったって言ってた……」
子供は震える声で続ける。
「でも……パパは帰ってこなかった」
「僕……ママに会いたい……」
ヒカルは俯いた。
胸の奥に、何かが突き刺さったような感覚があった。
何を言えばいいのか分からない。
子供は、まるで母親がまだそこにいるかのように、墓へ向かって話し続けていた。
「ママ……僕、大きくなったら……いい人になるから」
「もう戦争なんて、嫌だよ」
「僕はただ……ママとパパと一緒に暮らしたかった」
ヒカルはゆっくりと近づいていく。
「……坊や」
返事はない。
ヒカルは歩く速度を上げた。
「おい……大丈夫か?」
子供は動かなかった。
ヒカルは、その隣に膝をつく。
「ほら……まずは家に帰ろう」
返事はなかった。
ヒカルは慎重に、その肩へ手を伸ばす。
「……坊や?」
小さな身体から、返事は返ってこなかった。
ヒカルは言葉を失った。
雨だけが、静かに降り続いている。
その顔には、小さな笑みが残っていた。
まるで、ようやく安心できる場所を見つけて眠ったかのように。
ヒカルは、その場でしばらく動けなかった。
「……」
目の前の墓を見る。
そして、もう一度その子を見る。
その時、ヒカルはようやく理解した。
この子は、もう家へ帰ることができない。
ヒカルは俯いた。
拳を握り締めたまま、身体を震わせる。
「……どうしてだよ」
返事はない。
聞こえるのは、ただ雨の音だけだった。
ヒカルはゆっくりと立ち上がった。
そして通信機を取り出す。
数秒後、通信が繋がった。
「はい、ヒカル様」
ヒカルは一瞬だけ黙った。
その声は、いつもの彼よりもずっと重かった。
「……棺を一つ用意してくれ」
「できる限り、立派なものを」
「それから……一番綺麗な花を用意してくれ」
通信の向こうが静かになる。
「ヒカル様……?」
「墓地で、一人の子供を見つけた」
ヒカルは目の前の墓を見る。
「きちんと弔ってやってくれ」
「それと、もう一つ」
「この子の両親について調べてくれ」
「父親がどこで任務に就いていたのかも調べろ」
「どうしてこの子が、こんな場所で一人になったのか……俺は知りたい」
「了解しました」
ヒカルは通信を切った。
そのまま雨の中に立ち尽くす。
しばらくの間、彼はただ墓を見つめていた。
そして――。
頭の中に、いくつもの疑問が浮かび始める。
「……Greed」
「強欲」
ヒカルは遠くの瓦礫と化した街を見る。
「もっと欲しいという欲望……そのためなら、何を犠牲にしても構わないという心」
ヒカルはゆっくり息を吐いた。
「Pride」
「傲慢」
「自分のほうが優れていると思い込み……他人の命まで、価値のないものとして扱う心」
ヒカルは拳を握る。
「Wrath」
「憤怒」
「自分の思い通りにならないだけで怒り……その怒りに世界まで巻き込んでしまう心」
雨がヒカルの顔を濡らす。
「Envy」
「嫉妬」
「他人が持っているものを見て……自分にないのなら、相手から奪ってしまえばいいと思う心」
ヒカルは長い間、黙り込んだ。
そして、再び子供へ視線を向ける。
「そして……Gluttony」
「暴食」
「すでに十分持っているはずなのに……それでも、さらに奪い続けようとする欲望」
ヒカルは目を閉じた。
「Greed」
「Pride」
「Wrath」
「Envy」
「Gluttony」
「人間の七つの大罪のうち……五つ」
ヒカルの声は、次第に小さくなっていく。
「だけど……」
「どうして、その罪の代償を払うのが……何もしていない人たちなんだ?」
ヒカルは墓を見つめた。
「子供たちは戦争なんて望んでいない」
「民間人だって、自分たちの家を壊してほしいなんて思っていない」
「誰かに武器を持って、自分たちの土地へ来てほしいなんて……誰も願っていない」
ヒカルは深く息を吸った。
「ただ、生きたかっただけだ」
「食べたかった」
「家に帰りたかった」
「家族に会いたかった」
「そして次の日も、何も失わずに目を覚ましたかっただけなんだ」
ヒカルは、雨雲に覆われた空を見上げる。
「だったら……この世界は、誰にとって公平なんだ?」
答えはない。
「戦争に勝つって……本当に勝つってことなのか?」
「戦争を選んでもいない人たちまで、その代償を払わなきゃならないのに……」
ヒカルは、もう一度墓を見つめた。
「……俺には分からない」
戦争が始まって以来、初めてだった。
武器を作ることが、必ずしも誰かを救うことにはならないと感じたのは。
戦争は、勝利という形で終わることがある。
それでも――。
勝利する機会すら与えられなかった人々を、残していく。
---
数日後――。
ヒカルの部下は、ついにその子供の家族についての情報を見つけた。
父親は、任務中に戦死した兵士だった。
母親は、戦争が終わる前に亡くなっていた。
そして、その子供は……最後に残された家族だった。
もう、誰も残っていなかった。
ヒカルは報告書を黙って読み終える。
「……そうだったのか」
ヒカルは書類を閉じた。
そして、一つの命令を下した。
「家族の墓を作ってくれ」
「父親と母親と……この子を、同じ場所に眠らせてやってくれ」
部下は静かに敬礼する。
「了解しました」
それからしばらくして――。
家族の墓は、新しく整えられた。
三つの墓が、静かに並んでいる。
派手ではない。
だが、丁寧に整えられた、美しい墓だった。
それぞれの前には花が置かれている。
周囲も綺麗に整備され、もう忘れ去られた場所には見えなかった。
ヒカルは、一人でその場所を訪れた。
そして、三つの墓の前に立つ。
しばらく何も言わなかった。
やがて、ほんの少しだけ笑う。
「これで……もう一人じゃないな」
風が静かに吹き抜ける。
墓前の花が、風に合わせて揺れた。
ヒカルは静かに背を向ける。
戦争には勝った。
しかし――。
彼にとって、その勝利が以前と同じ意味を持つことは、もうなかった。
なぜなら、彼は一つのことを知ってしまったからだ。
**戦争には勝者と敗者がいる。**
**それでも、ただ静かに生きたかった人々にとって――勝利など存在しないことがある。**
――次回へ続く。
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