08.騒動
これまで僕は藤山くんを訪ねて、数回程彼の教室に出向いていたが、それが起因してしまったのか、ちょっとした騒動が起きてしまった。
そこに居合わせることが出来たのは本当に偶々で、本の返却をしに図書室に向かう途中だった。
廊下の先から、血相を変え酷く動揺して顔を彷徨わせて何かを探している、藤山くんのクラスメイトの男の子がいたので、不思議に思い声を掛けようとすれば、目が合った。
血の気が引き、恐怖に歪んだ顔面に釘付けになり言葉を発するのを忘れれば、悲痛に満ちた哀願の声音が耳に響いた。
「長谷先輩助けてくださいっ!」
「……え?」
第一声に戸惑うも、焦りきった息遣いで口早に紡がれた訴えを耳にして、僕は男の子を置き去りにして藤山くんの教室に走った。
着いた教室を見渡せば、物々しい空気が漂っていた。
張り詰めた空間に、誰もが存在感をなくそうと身を縮こませ、息を潜めて緊張した面持ちで俯いている。
その中心には二人の一年の男子生徒が立っていた。
確か――α性の高木くんと岸くんだ。
接点はなかったが、αのクラスは一学年に二組ずつしかないので、全員の顔と名前は把握している。
そして、その二人の側で僕の運命の番が床に後ろ手をついて尻餅をついている。
僕は藤山くんから視線を外すと、毅然とした態度で二人のもとに歩み寄り、声を掛けた。
「高木くんと岸くんだよね? そこで何をしているの?」
岸くんは高木くんの背後で青白い顔をして、藤山くんを見下ろしていた視線を僕に移した。
高木くんは狼狽えることなく、尊大な態度で片手を腰に当てて僕を見据えると、素知らぬ顔で問いに答えた。
「運命の番を探しに来たんですよ。校内のΩの子と会える機会なんて、殆どありませんから、運命の番がいるなら、自分から探しに行かないとって思ったんですよ」
「それなら教室内にまで入る必要はなかったんじゃないのかな?」
「俺が歩いてるだけで皆顔を逸らすんで、それだと分からないから近づいてみたんですよ。ただ机と机の間を歩いてみただけ。何か悪いことでもありますか?」
「倒れてる子がいるみたいだけど? それも関係ない?」
淡々と問いただしていけば、高木くんは無表情で閉口し、起き上がった藤山くんをチラリと視認してから、やれやれとため息を吐いた。
「正当防衛ですよ。そいつが急に腕を掴んで引っ張ってきたから、吃驚してちょっと押したら勝手に倒れたんです。男なのに弱いですね」
「高木っ! その人、先輩の運命の番だって……!」
岸くんが焦ったように小声で教えているが、僕が怒っているのは藤山くんが関係しているからではなく、こんな軽率な行動を起こしているαに対しての腹立たしさからだ。
しかし、冷静さを保つために苛つく感情を抑えながらも、僕は胸を張り、顎を引くと先輩として高木くんと向き合った。
「運命の番を探しに来たって言ってたけど、こんな狭い空間にいて何も感じないなら、君の運命の番はここにはいないよ。徒に皆を怖がらせるのは、やめてくれないかな?」
僕の言葉に、今まで余裕な態度を崩さなかった高木くんの顔色に赤みが差した。
不愉快そうに顔を歪ませた後、不敵に笑い嘲る口調で僕に敵意を剥き出した。
「自分は運命の番が居るからって、Ωに会いたい放題出来て良いですよね〜。というか、どうして貴方の番だけ特別扱いされてるんですか?」
「お、おい、やめとけって……」
岸くんが罰が悪そうな顔で高木くんの背後から弱々しく諌めるが、聞く耳を持たないのか、知ったことではないという驕り高ぶった態度で僕を煽り見ている。
「αの棟にΩが入ってきて、先輩方は誰一人として偏見の目で見ていない。それどころか寧ろ、歓迎されているくらいだ。――おかしくありません?」
何一つとしておかしいことがないことに、彼は気づいていない。
僕の体は嫌悪感にじわじわと支配され、意図せず冷たい口調で言い返していた。
「君は、僕の友達をなんだと思ってるんだ? 差別主義者だとでも思っているのか? だとしたら、見当違いだ。妬み嫉みが混じった物の見方は自分を陥れかねないから、少し頭を冷やしたほうがいい」
言ってて気づく。
――そうか。物事をαとΩの観点からしか見ていないから、彼は人としての配慮を忘れてしまっているのか。
高木くんが言い返そうとしてたじろいだのを感じ取ったが、それより先に僕は言葉を続けた。
「αもΩも結局は集団でしか生きていけない生物なんだから、α性で優位に立っているつもりなら、それは誤りだよ。集団から排他されれば、誰もがただの人でしかないことを覚えておくといい」
体から形容し難い何かが放出されている違和感を無視し、眼鏡越しに睨めば、高木くんの瞳が揺らぎ固唾を飲む。目の奥には明らかな怯えが見えた。
まるで群れを追われることを危惧しているような姿に、僕はふと気が抜けたように全身の力が抜けた。
何故憤りが湧いていたのが不思議なくらい穏やかな気持ちになり、気づけば友達に笑いかけるように笑みを浮かべていた。
「因みに。僕は君の番がαの棟に入ってきたとしても、僕の友達と一緒の気持ちで歓迎するよ」
高木くんに困惑した表情を向けられると同時に「何の騒ぎだ!?」と厳かで強い怒号が響いた。
入り口を見れば、体格のいい男性教員が険しい顔つきで僕たちに注視している。
「長谷と……一年か。事情はある程度聞いてはいるが、改めて関係者に聴取するから、呼び出すまで教室で待機しておけ」
「はい。騒ぎを起こしてしまって、すみませんでした」
僕は申し訳なく思い、頭を下げた。高木くんと岸くんはきまり悪そうに顔を俯かせている。
僕は二人に優しく声をかける。
「先生の言う通りに、取り敢えず教室に戻ろうか」
二人の背中を押して教室を出るように促せば、岸くんは頷き、高木くんは先生の登場で牙を抜かれてしまったのか、おずおずと従った。
そのまま僕も続こうとすれば、最初に僕に声を掛けてくれた男の子が慌てた様子で近づいてきた。
「長谷先輩! その……巻き込んでしまって、すみませんでした……」
顔色を伺うように上目遣いで申し訳なさそうに謝るので、僕は労るように彼の肩に手を置くと、屈んで視線を身長の低い彼に合わせた。
「謝るのは僕の方だよ。もとはといえば僕が、このクラスに頻繁に出入りしていたことが原因だからね」
Ωはαが苦手ということを失念していて、僕が気軽に訪れていたから、高木くんたちも良いのだと気を緩めてしまったのだろう。
つまり、一番軽率なのは僕だったっということだ。うーん。ブーメラン。
自分の失態に自責の念に駆られつつも、クラスの子たちに頭を下げた。
「皆も、怖い思いをさせて悪かったね。これからはこの棟には入らないようにするから安心してね」
見回して目を配っていると、藤山くんと目が合った。
彼は頼りなく「あ……」と発すると、不安げに眉を下げたので、気遣うことを忘れていたのを思い出し、慌てて駆け寄った。
「藤山くんもごめんね。押されて怪我はしてない?」
泣き出しそうな表情を浮かべて、開いた唇を震わせながら首をふるふると横に振る。
ほっと安堵する。
「それなら良かった。念の為保健室で見てもらってね。それじゃあ、僕は教室に戻るね」
「……うん」
なにか話したそうに口をはくはくさせていたが、俯くと頷き渋々引き下がった。
先生の目もあり状況的に長居が出来ないので、つむじが見える金色の頭を手のひらでぽんと優しく触れた。
ゆっくりと顔を上げて目を見張る藤山くんに、微笑んでから手を引っ込め踵を返した。
藤山くんの教室を後にすれば、騒ぎを聞きつけたのか人集りが出来ていて、先生が怒鳴って散らすように退かしていた。
本を返すことも忘れ、教室に戻れば、謙介が横座りをして机に頬杖ついて僕を待ち構えていたように、見上げて声をかけてきた。
「本を返しに行っただけなのに、とんだ災難だったな?」
からかうような口調で悪戯っぽくニヤリと笑われる。
騒ぎは瞬く間に校内に広がったようだ。
僕は息をつき、椅子を引いて席に座った。
「僕と言うよりは、藤山くんたちが災難だったかな。僕の心情としては、一刻も早く反省文を書きたい気分だよ」
「原稿用紙何枚分だろうな」
歯を見せて楽しそうに謙介は笑った。
確か遅刻が三枚くらいだったから、それ以上かも?
ある程度構成は考えといた方がいいかもしれない。
顎に手を当てうーんっと悩んでいると、謙介は「で」と話題を変える一声を口から零すと、首を傾げた。
「その一年はなんて名前なんだ?」
感情の籠もらない声音。口元に笑みを浮かべてはいるが、瞳の奥は冷たく、報復を目論もうとしている仄暗い影を感じ取る。
教室内は異様に静かで、僕たちの会話に耳をそばだてている空気が纏う。
不穏な雰囲気を肌で感じた僕は、謙介の逸る気持ちを抑えるように両手を出して宥める。
「判断は先生たちに任せよう! 校内で起きた揉め事は、先生たちの指示に従うのが原則だからね!」
「先生ねぇ……」
天井を見上げ、不服そうにぼやかれる。
愛想笑い浮かべて、深刻さとは無縁であることを働きかければ「まあ、颯汰が言うならしょーがないか」と納得してくれた。




