18.魔性
「――長谷くんの番は、Ωの特徴が分かりやすく出てて可愛いね」
天野先輩は、揺さぶられているがびくともしない自分の腕を、無機質な瞳でじっと見下ろしながら優しい口調で言葉を紡いだ。
「弱い子は好きだよ。守らなきゃいけないって思えるからね」
そう言って天野先輩は僕に回していた腕を解いて、距離を取った。
まるで駄々をこねている子供にしょうがないね、と譲歩しているようだ。
藤山くんは手を離すと警戒するように彼を見据えたまま僕の隣に来て、ふんっと鼻を鳴らした。
そんな藤山くんを天野先輩は興味深そうに見つめ、口元に笑みを浮かべている。
「生存本能が人間を進化させた結果、子供を産むことに特化した、力のないΩが生まれたのかもしれない――なんてね」
天野先輩は軽口を叩くような言い方で肩をすくめて自己完結すると、壁に背を預けて腕組みをして笑った。
「優秀な遺伝子を残したいから誘惑するのもαだけなんて、狡猾で面白いよね」
笑顔の裏に隠れた悪意を感じて、僕は顔をしかめた。
「当てつけはやめてもらえませんか?」
「ああ。気を悪くしたかい? ごめんよ。別に藤山くんを下げようとしたわけじゃなくて、Ω性に対しての自説を交えた客観的な意見だ。気にしないでくれ。それに僕だってΩと付き合っているんだから、差別的な発言ではないことは分かってくれるよね?」
「……」
天野先輩がΩに親切なことは周知の事実であるから、疑うのは失礼だと理解している。
大事なのは表の部分で、根っこの方は実害がなければ追及する必要はない。
ただ空気に敵意を滲ませられると血がふつふつと滾るようで落ち着かない。
冷静になろうと目を閉じた顔を片手で覆い、静かに深呼吸する。
「出来れば長谷くんには、いつものままでいてほしいな。αの嫌なところが出るのは、君には似合わないよ」
「――それなら、天野先輩が態度を改めるべきです」
「そうだね。いつもなら取り繕えるのに……何のせいだろうね?」
困ったように苦笑している言葉には、暗に藤山くんのことを示している白々しさが混じっていた。
無意識に目元に力が入り、声音に棘が乗る。
「疲れてるんじゃないですか?」
「――ああ。そうだね。受験のプレッシャー、かな?」
「それなら休まれたほうがいいですよ。僕も先輩には、いつもの天野先輩でいてほしいですから」
忠告のように諌めると、天野先輩はわずかに目を見開いて、張り付いていた笑みを崩した。
それを視界に捉えて、少し溜飲が下がった僕は隣にいる藤山くんに優しく声をかけた。
「帰ろうか、藤山くん」
藤山くんは険しい顔つきで先輩を見つめたまま、喉の奥で低く唸るように「ん」と声を出し、頷いた。
「それではまた」
先輩に簡素な挨拶をすると、彼はため息を吐いて顔を横に逸らした。
僕も視線を外し、先に歩き始める藤山くんに腕を引っ張られ、出入り口に向かった。
「――僕は誰かに感情を乱されたくないだけなんだよ。自分で自分がコントロールできなくなるなんて、考えただけでも吐き気がする」
憂鬱そうに何かを毒づいたのが聞こえて、思わず足を止めて振り返れば、天野先輩は数秒おいてからこちらを向いた。
いつも通り、愛想のいい表情で僕に微笑んだ。
「長谷くん、Ωは魔性だからこれから先、君のα性が心を掻き乱しても、それは君のせいじゃない。運命の番なら、尚更かもね」
温情が籠っている、穏やかな口調だった。
先ほどの刺々しさが一転して、僕のことを慮っていることが伝わってくる。
掛けられた内容を少し訝しく感じながらも『魔性』という言葉を心の中で反芻し、視線は自ずと藤山くんに向く。
足を止めたことで、つられて立ち止まった藤山くんは、気に食わなそうに再び先輩を睨んでいる。
――もしも先輩の示唆していることが、発情期のことだったとしても、以前発情期になった子を介抱した経験があるので特に不安はない。
それに運命の番だからといって、発情期に違いがあるとも思えない。
だけど――藤山くんのことを可愛いと思う気持ちが、魔性によるものだとすれば、先輩の言い分もあながち間違いではないのかもしれない。
とはいえ、心を掻き乱すというよりは、今のところ癒されているだけなので、僕にとっては悪い意味ではなさそうだ。
そんな事を考えていると、藤山くんが顔を上げて目が合い、どきりと胸が跳ねる。
「帰るぞ颯汰!」
「う、うん」
「そうそう。藤山くん、長谷くんのうなじは噛んでないから安心していいよ」
「……」
藤山くんは不機嫌な表情で、天野先輩をチラリと見ただけで何も言わずに歩を進めた。
生徒会室を出る前に振り返ると、天野先輩が人の良さそうな笑顔で手を振っているのが見えて、毒気を抜かれたような、狐につままれたような奇妙な気持ちになった。
生徒会室を出て少し歩いてから、前を歩いていた藤山くんは足を止めて振り返り、僕と向き合った。
「本当にあいつに噛まれてないんだろうな?」
唸るように威嚇され、睨まれる。
「うん。口で覆われただけだよ」
「……証拠は?」
詰め寄られて、実際に見てもらうほうが早いだろうと思い、背を向けて屈むと顔を伏せてうなじを見せた。
「ほら、噛まれてないでしょ?」
「……」
顔だけ振り返り藤山くんを窺えば、眉間に皺を寄せ、顎に拳を当ててうなじをまじまじと注視していた。
僕の言葉を信用していないのか、納得することなく集中して観察を続けている。
疑り深いなぁと可笑しくなってクスリと笑う。
藤山くんの気が済むまで付き合ってあげよう。
そう決めて、心穏やかな気持ちで正面の床をじっと眺めていれば、突如、うなじの皮膚をぎゅっと硬い何かに挟みこまれた。
熱い痛みが走り、反射で体が反り返った。
「いっ、たぁぁ!!」
思わず叫べば、痛みを感じている箇所がビクリと震えてから圧がなくなり、僕はすかさず片手でうなじを覆った。
「何するの藤山くん!?」
目尻に涙が浮かび、振り返って何をしたか藤山くんに問いただそうとすれば、藤山くんは真っ青で怯えた顔をしていたが、ぎこちない動きで回れ右をすると、脱兎のごとくぴゅーっと廊下を駆け抜けていった。
あまりの逃げ足の速さに、取り残された僕はぽかんと呆気に取られて、彼が去っていった方向を見つめたままその場に佇んだ。




