17.α同士の
放課後。待ち合わせ場所の生徒会室前に着いたが、藤山くんはまだ来ていなかった。
生徒会の人達も不在だったので廊下で待っていれば、先に現れたのは生徒会長だった。
「あれ? 長谷くんじゃないか」
天野先輩は颯爽と歩いてきて、朗らかに笑った。
彼は容姿端麗で人当たりが良く、文武両道の優秀なαと定評がある男子生徒だ。
相変わらず愛想のいい雰囲気を纏う先輩に、僕は和やかな気持ちで応じた。
「天野先輩お久しぶりです。今日は、お礼を言いに来ました」
「お礼?」
「はい。Ωの生徒が学校の設備を使いやすくなるように取り計らってくれて、ありがとうございました」
「なんだ。そんなことか。生徒会長として当然のことをしたまでだよ。それより今日は時間はある? 珈琲、飲んでいかないかい?」
天野先輩は軽やかな手つきでポケットから鍵を取り出すと、生徒会室の扉を解錠した。
扉を引き開けると僕を振り返り微笑み、中へ促すように薄暗い室内を手で指し示した。
僕は廊下の左右に顔を向けて、藤山くんの姿がないか視認したが、見当たらなかったので、ひとまず誘いをやんわりと断った。
「時間はありますけど――これから一年のΩの子も来るので、ここで待ってます」
「一年?」
「はい。藤山くんっていう男子生徒です」
「ああ。長谷くんの番の子か。待つ、と言っても、いつ来るかは分からないんだろう? ずっと立って待つのは足に負担がかかるし、生徒会に用があるのなら中を覗くと思うから、先に入ってても大丈夫だよ」
天野先輩の言う通り、扉には縦スリッド窓が付いていて、一目で中の様子が確認できるようになっている。
先輩は眉を下げ、困った表情を浮かべた。
「それに、こんなところで立っていたら、僕が周りから長谷くんを立たせていると思われてしまうよ」
そんなことは万が一にもないと思うが、通りがかった人が僕のことを気になってしまうのはあり得る。
少し迷ったが、生徒会室にいることをメッセージで伝えればいいかと考え至り、申し出を受け入れることにした。
メッセージを送信しスマホを仕舞うと、ドアマンのように控えている天野先輩の横を通り過ぎ、室内に足を踏み入れた。
生徒会室は遮光カーテンが完全に閉まりきっていて、暗がりの中、会議用の白い長テーブルが中央に鎮座している。
夏の籠もった熱気を肌に感じれば、不意に、天井に設置されている業務用クーラーが動き出し、音を立てて風を送り始めた。
思わず見上げるが、照明はまだ点灯していない。
不思議に思って振り返る。
「電気つけない――」
が、阻まれるように後ろから抱きつかれた。
首だけ向けると瞳が捉えたのは、愉しげに目と口元が弧を描いている天野先輩だった。
「わざわざお礼を言いに来てくれるなんて、もしかしてあの件、考え直してくれたのかい?」
「え?」
予想外の問いかけに、間の抜けた声が出た。
肩に顎を乗せられて、頬に触れるか触れないかまで顔の距離が近づく。
「今回の議題の出どころが長谷くんだと聞いて、いつも以上に尽力したんだよ。頼りになるだろう?」
耳元でワントーン低くなった声音で誘うように囁かれる。
声の振動をくすぐったく感じながらも、事前に友達から聞いていたことを口にした。
「えーっと、先導してたのは副会長って聞きましたけど」
天野先輩は一拍置いてから、少し落胆するように小さく溜息を吐いた。
「なんだ。知っていたのか。彼女は最近オメガの制限された環境に関心を抱いているようだったから、率先して奔走してくれてね。おかげで口を挟む隙すらなかったよ」
つぶさに語る間も、回された腕が解かれることはなかった。
室内の気温は徐々に下がっているものの、背中を包むように密着している胸板は、熱を帯びていて存在を強調しているみたいだ。
「だけど僕も先生たちに掛け合ったんだよ。少しくらいお礼をもらっても、バチは当たらないと思うんだけど」
そう言いながら、天野先輩は顔を左右に揺らし首筋に鼻を押しあててから、滑るように唇でうなじに触れた。
柔らかな感触に戸惑いつつも、前に言っていたことと話が違うことが気になり、尋ねる。
「もしかして、噛もうとしてます?」
「……卒業まで半年を切ったからね。本当は君に噛んでほしかったけど――このままだと叶いそうにないから、僕の方から噛んでしまおうかなって思ってね」
優しげな口調の中に悪戯っぽい含みがあるので、本気ではないと認識した。
――天野先輩と最初に出会ったのは、入学して間もない頃だ。
校舎の配置を早く覚えたくて放課後に探索していれば、偶然にも空き教室で天野先輩がαの生徒のうなじを秘密裏に噛んでいる場面を目撃し、目が合ったことが交流のきっかけだ。
その時、彼がうなじを噛んでいた理由は素行の悪いαを抑制させるためだった。
Ωがうなじを噛まれた時のような、直接的に身体に及ぼす強制力はないが、αは支配欲があるので自身のうなじを噛まれることは屈辱を植え付けられるようなもの。
それは気性の荒さの制圧に繋がるため、天野先輩は噛んでいたということだ。(まあ、個人的な趣味も混じっているみたいだけど……)
しかし、αのうなじを噛むのは他の意味合いもある。
αが自らうなじを他のαに差し出す場合は、忠誠を誓う行為になる。
とは言っても、これも身体的な影響はなく、あくまでも気持ちの、精神的な繋がりを表しているだけだ。
こちらは武士の衆道や、極道の盃を交わすことに近いだろう。
そして今僕が迫られているのは後者の方で、α特有の支配欲がなく、一緒にいてβみたいで安心するからという不思議な理由からだ。
それならβの人と、と思うが、ただでさえαにうなじを噛まれるのは嫌なのに、その他の性に噛まれたくないと拒否されてしまった。
こればかりは本人の意思が絡んでくるので、仕方がない。
忠誠を交わすほどではないが、αは親しいα同士で戯れることがある。
首を撫でたり、頬ずりをするようなスキンシップだ。
そちらなら求められれば応えるのだけど、うなじを噛むのはなぁ……。
気が進まず頭を悩ませ、うーんと唸っていれば首筋に顔を埋めたまま黙り込んでいた天野先輩が、甘く囁くように妥協案を出した。
「それじゃあ、お互いにうなじを噛み合うふりならいい?」
「それならいいですよ」
許容範囲内に収まっていたので頷けば、彼の開いた口唇が微かに生温かい息を吐きかけてうなじを覆い隠した。
瞬間、静寂を切り裂くようにバンッと音がした。
心臓が飛び出そうなくらい驚き、反射的に音の方に顔を向けると、開け放たれた扉の敷居の前で藤山くんが顔面蒼白で呆然と佇み、僕たちを見て「う、うわき……」と零した。
藤山くんの姿を目にして、ちゃんと来てくれたことにほっとすれば、我に返ったのかムッと表情を顰めてずかずかと歩み寄ってきた。
「なんで浮気してるんだよ!? しかもうなじを噛ませるなんて――颯汰はαだろ!?」
抱擁されたままの僕に、吠えるように詰め寄ってきた。
あれ? もしかして藤山くん、α同士の遊戯を知らない?
確かに生徒会長にはΩの恋人がいるが、藤山くんは何か誤解をしているみたいなので弁解する。
「違うんだよ藤山くん。これは、戯れみたいなもので――」
「たわむれって遊びってことだろ!? 浮気じゃん!」
「え!? あ、えーっと、遊びじゃなくて……これは衆道のα版みたいなもので、恋愛というよりは精神的な結びつきが目的で――」
「しゅ、しゅどう……? しゅ、しゅどうじゃなくて、浮気だろ!」
「衆道は浮気じゃなくて文化だよ」
「浮気は文化じゃない!」
僕が諭そうとすれば藤山くんは目を吊り上げて怒鳴りつけた。
αの習性を知らない藤山くんは、初めて目にした触れ合いに憤りを感じているようだ。
興奮しきっているので、何を言っても聞く耳を持たないだろう。
こういう時は藤山くんの意見を一旦肯定してあげたほうがいいのかもしれないが、浮気という言葉を認めると誤解を解くことが難しくなりそうなので選択肢から外すことにした。
どうすればいいか苦慮していれば、藤山くんは唇を尖らせてボソリと呟いた。
「し、しかもこんな暗いところで……」
言葉を切った藤山くんは、そわそわした様子で室内をキョロキョロと見回すと「え、えっちなこともしてたんだろ!?」と凄んだ。
想定外の発言に僕は虚を突かれ、仰け反って狼狽える。
「し、してないよ……!」
「じゃあなんで電気つけてないんだよ!?」
「ああ。そういえば、点け忘れていたね」
天野先輩が動揺することなく、のんびりとした口調で思い出したように口を挟んだ。
藤山くんの矛先が僕から天野先輩に移った。
「颯汰から離れろ!! α同士が噛んでも番えないのに、噛む必要ないだろ!?」
「番うことが目的じゃなくて、主従関係の証、つまり契りを結ぶという意味で噛むんだよ。支配者同士であるが故に衝突し合うが、それを越えて互いを認め合い、噛み跡をつけてくれた相手を生涯唯一の主として身を捧げる――ある意味、αとΩが番うことよりも尊く高潔な繋がりと言ってもいいだろう」
「だから離れろよ!!」
天野先輩が僕を抱きしめたまま会話をするので、痺れを切らした藤山くんが、彼の片腕を両手で掴んで引き剥がそうと揺さぶり始めた。




