009.「半分くらいは、ですけど」
少女を疑い続けるには、その世話はあまりにも献身的だった。最初の数日は高熱もあり、悪い方へ考えすぎていたのもあるだろう。思えばそうだ。
飼い主としてケガをさせた責任を取る、と。
少女がシンヤを助けた理由は最初からはっきりしていたし、だいたい気が変わったり見捨てるつもりなら、もうとっくにそうしているはずではないか。
少なくとも、何らかの兆候くらいは現れているだろう。
料理の手を抜かれるとか、それこそシンヤの世話を魔獣任せにしてしまうとか。
でも今のところ、そういった不穏な気配は欠片も見当たらない。
少女の明るい振る舞いは相変わらずだ。
食事も最近はずいぶんとしっかりしてきて、並ぶ皿はどれも彩り豊かだった。よくもまあ、これだけのレパートリーがあるものだと感心させられてばかり。おまけにこの頃はプリンだけではない、さらに手の込んでそうなパンケーキまで付いてくるようになって――。
「実は、ちょっとスイーツ好きな子がいるんですよ」
「スイーツ好き? 魔獣がか?」
「はい。ちょっと事情のある子でして。まぁ、私も作るのは好きですし、あなたのぶんはついでだったりします。よかったですね、御相伴にあずかれて」
そんな裏事情があったらしいことを差し引いても。
(すげーいい奥さんになりそう……)
ふとそんなことを思ってしまった自分に我ながら引くし。
「なんです?」
「いや、なんでも……」
どう考えてもセクハラ発言に該当しそうなので、とても口にはできなかったけれど。ここまでくれば、疑い続ける方が難しい。シンヤはもうほぼほぼ確信している。
少女が自分を助けようとしてくれているのはきっと本心からのことで、その行動や気持ちにきっと嘘はないのだろうと。そしてそれは、この生活が始まって一週間たった今も変わっていない。
完全に安心しきったわけではない。それでも、ここまでされて今さら気が変わったと言われたら――。
(さすがにショックかもな……)
そう思う程度には、もう少女へ気を許してしまっていた。こういうすぐに人を信じてしまう甘さが、今回の原因だとわかってはいるのだが。
「…………」
最悪の可能性を捨てたわけではない。でも裏切られたときの痛みまで引き受ける覚悟があるなら、信じたって帳尻は合うはずだ。そう自分に言い聞かせた。
「ま、いいか」
そのときはそのときだ――と、シンヤは半ば投げやりに割り切り、ボフと今夜もベッドに身を倒すのだった。そんなわけで、このところは比較的ポジティブに物事を捉えられるようになっている。けれどその一方で。
「…………」
シンヤの胸の奥には、いつも小さな引っかかりが残っていた。それは罪悪感とも言い換えられる類のもの。
確かにもう、明日をも知れないような状況だなんて戦々恐々とする必要はかなり薄れているのかもしれない。でもそれは、シンヤが本当は言わなければならないことを今なお黙ったままでいたからだ。
本当なら、もっと早く話すべきだった。それを今日まで先延ばしにしたのは、結局のところ我が身可愛さにほかならない。
考えてみれば、ひどく身勝手な話だった。シンヤは少女に裏切られる展開ばかりを心配し、ビクビクしていたくせに――実は真っ先にあの少女を手ひどく裏切っているのは、自分の方なのだから。
(もし、本当のことを知ったら……)
あの少女はどう思うだろう。ずっと嘘をついていたんですねとシンヤに失望し、無慈悲に魔獣のエサにしてしまうだろうか。
でもやっぱり心のどこかで希望的観測を抱いてしまう。あるいはシンヤが必死に釈明すれば、話くらいは聞いてもらえるのではないかと。過失割合がゼロ対十だと知られ、怒られるかもしれない。そのときは土下座でも肉体労働でも、できる限りの形で償おう。
――なんて。
「いくら何でも甘すぎかな」
それでも、魔獣の餌にされる可能性を捨てきれないまま、残りの日々は過ぎていった。そしてついに最後まで、それを口にする勇気を出せないまま、退院の日を迎えることになる。
◆
魔獣の森に足を踏み入れてから、ちょうど十日目の昼下がり。シンヤはひとり、静かに森を下りていた。人の気配のない山道を、とぼとぼと進む。
(こうしてると……)
なんだかすべてが嘘だったような気さえしてくる。現実味が薄いというか、夢か幻でも見ていたんじゃないかと。ついさっきまで竜宮城にいた浦島太郎も、きっとこんな心境だったのではと想像した。
だが、断言できる。あれは夢でも幻でもなかった。現実にあったことなのだと。手首に刻まれた不思議な紋様の術式が、それをはっきり証明している。シンヤは静かにそれに目をやり、どこか懐かしむように口元を緩めるのだった。
――さすがに面食らったものだ。
『突然ですみませんが、今夜くらいからボチボチあなたのことを調教させてもらいます』
と、少女が突然そんなことを言い出したときは。直前まではいたっていつも通り、普通の会話をしていただけだったというのに。
『だいぶ良くなってきましたね。この調子ならあと数日のうちに帰れますよ』
『……そっか』
ようやく慣れてきたここでの生活も終わりが近いことを告げられ、少しだけ胸が静まる。しんみりとしていた矢先、いきなりそんな発言が投げ込まれたのだから。それもまるで気を取り直すような軽い調子で。
聞き違えたのかと思った。まったく意味を介せずハテナハテナハテナで、なのに少女側にはちっとも冗談めいた様子なんてないまま。
『聞き取れなかったのなら、もう一度。ようやく元気になってきたので、今夜からあなたをみっちり調教させてもらいます』
あろうことか、リピートされる。まさか少女がそういう少しばかり特殊な嗜好の持ち主で、ここにきてカミングアウトされたのかとも思いかけたけれど。
『えっと、あの……えっ……?』
どういうことでしょうね?と目線でお伺い立てると、少女はそこでクスリと小さく吹き出すように笑ったのだ。
『ごめんなさい。ちょっと揶揄ってみました。冗談ですよ』
『……な、なんだ。冗談か。驚かせないでくれよ。いきなり何を言い出すのかと』
これでひと安心かと、そう思いきや。
『半分くらいは、ですけど』
『……えっ?』
今度は何のフォローもなく、少女はそうと言い切る。シンヤはただ目をぱちぱちと瞬かせるばかりだった。




