008.「選んでください」
でもそうやって少女と過ごす日々が重なるにつれ、シンヤの警戒は少しずつ形を変えていった。
最初は、眠るたびに思った。これが人生で最後に見る景色になるかもしれない、と。けれど朝になれば、決まった時間に少女が食事を運んでくる。昼と夜にも顔を出し、体温を測り、傷の具合を確かめてくれる。
そんな日々が一週間近く続けば、さすがのシンヤも最初ほど身構えてはいられない。むしろ少女があまりに無警戒なので、今度はシンヤの方が彼女のために余計な情報を得ないよう気を遣い始めていた。
「だいぶ体調も戻ってきましたし、今日は少し足を伸ばしてみますか? リハビリも兼ねて。どんなところがいいとかリクエストがあれば、近場で考えてみますけど」
「いや、大丈夫。今日は大人しくここで過ごすよ」
そのように応じたのは、これ以上自分に余計な位置情報を与えさせないためだ。それが少女のためであり、自分を守ることにもなる。そう考えて、あえて断ったのだが。
「え、もしかしてまた体調がよくないんですか?」
話はあらぬ方向に。
「いや、そういうわけじゃないけど」
「では、ほかに理由が?」
「理由っていうか……。なんとなく、そういう気分じゃないみたいな……?」
「それはよくありませんね。ただでさえ一週間近くもほとんど寝たきりだったんですから、動けるならちゃんと動いておいたほうがいいです」
「いや、でも」
「だめです。体調に問題がないなら行ってきてください。仕方ありませんね、では私が適当に見繕いますから。あっ、そういえばありますよ。こないだ見つけたお勧めスポットがあるので、そこに」
「わかった、行く。行くから、こないだと同じところにしてくれ」
「え、構いませんけど。あそこって特別、何かありましたっけ? せっかくなら別の場所に――」
「いいから! あそこがいいんだ! あそこに行きたい!」
「……はあ」
これといった見どころもない場所をやけに強く推すシンヤを、少女は不思議そうに見つめた。
(しまった……!)
かえって不審感を与えてしまったかと、内心でヒヤリともしたが。
「まあそこまで言うのなら、私は構いませんけれど」
特に疑う様子もなく、少女はあっさりと頷く。
「ふぅ、なんとかやり過ごせた……」
またあの切り株に腰かけ、どっと肩の力を抜くのだった。
◆
そして夜、決まった時間になると少女は必ずシンヤのところを訪れた。包帯の取り替えや、体を拭く世話をするためだ。それがここで看病を受けるようになってから、一日として欠かされたことのない、静かな日課となっている。
最初は、どうにも気恥ずかしかった。身体を拭くから服を脱ぐようにと促されても、二つ返事で「はい、お願いします」とはいかない。自分の身体を誰かに拭かせるなんて汚いし、居た堪れないし、何より申し訳なさが先に立つからだ。
『いいよ、自分でやるから』
捨てる予定の古いタオルでいい。なんなら雑巾だろうと、提供してもらえるだけ御の字だ。それだけ置いておいてくれれば、あとはどうにかすると、そう言って断ったのだが。
『なに言ってるんですか。そんな体でできるわけないでしょうに』
その頃にはもう、これまで経験がないほどの高熱に見舞われていた。全身汗びっしょりで、自分でもはっきりと自身の体温の高さを感じ取れるくらいに。まったくもうとフンスされる。
『お世話されるのが申し訳ないとか、そういう気持ちはわからなくもないですが。昨日も言った通り、今回の件は私にも責任があります。過失の割合でいえば、私の方がずっと大きいんです。ですから、私にはあなたを介助する義務があります。そして、あなたにはそれを受ける権利があるのです。そんなところで、いかがですか?』
『権利っていうなら、使うかどうか俺が選べなくちゃおかしいだろ……』
『あら。それはご尤もですね。でも実際のところは、あなたの意志がどうあれ私の義務は消えません。なので、これはあなたの権利や選択に関係なく発生する強制イベントということになります』
『……この一瞬で俺の権利が消えたんだが』
それはもうイリュージョンのように、息を吸って吐くあいだに。
『おかしいだろ、それ』
『何もおかしくなんてありません。私は私の納得のいく形で対応させてもらう――最初にきちんとそう取り決めてあったはずですから。すでに成立した契約を今さら覆すことはできませんよ。さぁ、わかったら準備を』
『それはここに何日いるかってだけの話だったはずだが……』
『いいですからもう、早く脱いでください! 大丈夫です、プライバシーにはちゃんと配慮しますから!』
そんな理屈ではあまり納得もいかなかったが。結局、自分でやるとしたシンヤの主張が聞き入れられることはなかった。
『わかりました。では間をとって、こうしましょう。あなたには別の権利を差し上げます』
『別の権利……?』
『はい、選択権です。どちらか好きな方を選んでくださいね』
なんの間を取ったのかわからないし、まったくいい予感なんてしないでいたら、案の定。
『このまま大人しく自分で脱ぐか、はたまた私に力付くで脱がされるかの二択です。ちなみに今のあなたにくらいなら、私だけでも十分制圧できると見込んでいますよ』
ニコニコ笑顔でそんなことを。何をいうか、シンヤにも男としての意地はある。さすがにその細腕には今のコンディションだろうと負けはしないとか言い返したいところだが……。
それで打ち負かしたとて、力自慢の魔獣たちが後に控えてるだけなことくらい容易に想像がつく。どう考えても負け戦だ。
『さぁどうぞ選んでください! 選ばないなら有無を言わさず強制執行に踏み切りますよ!』
『おかしいって……』
『世の中はそういうことだらけです。強く生きましょう』
恨めしげに最後の一言をこぼしつつ、その元凶から謎にエールももらいつつ、もはや如何なる抵抗も無意味と悟る。
『お世話になります』
『はい、お世話させていただきます』
観念したシンヤは、借り物のシャツへとおもむろに手をかけるのだった。とまぁ、そんなやり取りから、気付けばもう一週間近くが経とうとしている。今夜も少女は身体を拭きに来てくれたが――さすがにもう、そこまで世話を焼かれる必要はない。
「いいって。もう普通に動けるし、自分でやる」
軽く言えば通ると思ったのだが。
「いいですよ。前はともかく、背中までは手が届かないでしょう」
「そんなの、タオルでゴシゴシ擦ればどうにでも……」
「そんなことして傷口に触れたらどうするんですか。せっかく治りかけてるんですし、どうせ包帯も取り替えるんですから。ほら、私に任せてじっとしててください。今さらでしょう」
そんな理屈で押しきられ、結局は世話を焼かれることになる。ヤキモキもしたが。
「…………」
気づけばシンヤは、少女に世話を焼かれることを、以前ほど拒まなくなっていた。張り詰めていたものが、少しずつ、しかし確実に緩み始めていた。




