007.「キャラメルとカラメル」
でも結局、少女がどこかから監視しているような気配は、最後まで微塵も感じられなかった。
「リップル、お待たせ。そろそろ帰るよ」
それからほどなくして、シンヤは再びスライムのリップルに抱え上げられ、そのまま地下へと運ばれていったわけだが。
「あら、お帰りなさい。思ったより長かったですね」
「そうか?」
「はい。どうせ空気なんてどこで吸っても同じだーとか言って、すぐ戻ってくると思っていましたから。正直、意外でした」
「……まぁ、久々だったからな」
「否定はしないんですね。まぁいいですけど、少しはリフレッシュできました?」
「ああ、気分転換くらいにはなったよ。それより……なんだ、この甘い匂い?」
見事に言い当てられていることはさておき、何やらとても甘い香りがしたからだ。焦がした砂糖の、どこか香ばしくて懐かしい匂い。これは……。
「キャラメル?」
「残念。たしかにちょっと似てるかもですけど、違います。答えは」
実際に見にいくことになって、案内されたのはキッチンにあたるスペースだった。そこにはナゾに冷蔵庫らしき家電が据えてあるのだが。扉が開かれ、そこからトレーごと引き出されたのは、ラップに包まれた小さな器の列。
そのひとつひとつで、やわらかな黄味色のものが静かに揺れている。
「何に見えますか?」
「これって……プリン?」
「正解です」
つまり、さっき漂っていたあの香ばしい匂いは、それに添えるためのカラメルだったようだ。と言っても、さっきシンヤはまさにこれをイメージしてキャラメルと答えたのだが。
キャラメルとカラメルって……。
「違うのか?」
「違いますよ」
軽い気持ちで口にした疑問は、即座に切り捨てられる。大差ないと思っていたシンヤの認識は、どうやらだいぶ雑だったらしい。
「てっきりカラメルを冷やして固めたのがキャラメルくらいに思ってたんだが」
「全然違います。工程からして別物です。それだとキャラメルじゃなくて、ただの苦い塊になっちゃいますよ」
「そうなのか?」
「そうなのです」
妙に誇らしげな返しとともに、フフンと鼻を鳴らされた。
「そんな変わらない気がするけどなぁ……」
ほぼ正解だったろうと未練が、つい口をついて出てしまったりもしたが。
「ではせっかくですし、試してみますか?」
「え、試すって何を?」
「それは勿論、今夜のデザートにお出しするはずだったあなたのプリンにはカラメルではなく溶かしたキャラメルをたっぷりかけるんですよ。ああ、それだけでは比べられませんね。せっかくですし、これを冷やして固めた『あなた定義のキャラメル』も添えて差し上げましょう」
「すみませんでした」
そんな提案をにこやかにされようものなら、もはや即座に頭を垂れるしかない。
「プリンの上に乗っている甘いのは?」
「カラメルです」
「それを冷やして固めたら?」
「……ただの苦い塊です」
「よろしい」
過ちを認めたシンヤに満足したか、少女は小さく頷く。ケホと、そのとき咳が出た。
「はい、今日はもう動きすぎですね。だいぶ良くなってきてはいますが、まだ完治ではないのですから。ちゃんと休まないといけませんよ」
「別にこのくらい……」
「無理は禁物です。ここでぶり返したら大変ですから。せっかく作ったプリンもお預けになっちゃいますよ? さぁ」
ウニュリと伸びてきたスライムが足元をすくうように絡みつき、そのままひょいと持ち上げられる。
「お部屋に戻りますよー、患者さん」
有無を言わせぬまま、キッチンから運び出されていった。
◆
キッチンエリアを出てから、いつもの部屋へ向かう道すがら。
「プリンって簡単そうに見えて、実はとても奥が深いんですよ。さっきも話した通り、カラメルは油断してると焦げちゃいますし、本体の蒸し加減もとてもシビアです。火が強いとボソボソ、弱いと固まらず、食感が崩れてしまいます。ほんの少しの差で出来が変わるので、ずっと気を張っていないといけないんですよね」
少女が得意げにレクチャーを始めたのはプリン作りの極意についてだ。
だが残念なことに、シンヤは料理に明るくない。住み込みになる前に一人暮らしをしていた経験こそあるが、腕前なんてたかが知れている。せいぜい火は扱える程度だ。作れるのは手間を省いた簡単なものばかり――つまりは男飯の域にしっかり収まっていた。
そんな自分に、プリンのウンチクを並べられても、どうにも持て余してしまう。
「そうなのか」
「そうなのですよ」
気の利いた返しなどできるはずもなく、それで終わりだった。
「もう少し何かないんですか?」
「何かって言われてもな……」
案の定、物足りなかったみたいで聞き返されたが。やっぱり何も出てこないので、ひとまずそんな自分の乏しい料理歴とかスキルについて語ってみる。
「だから料理のことはさっぱりなんだよ。そんなやつに『プリンって簡単そうに見えて〜』なんて振って、まともな感想が出ると思うか?」
「そこをなんとか捻出するのが男の甲斐性というものでしょう」
「無茶言うなって」
そんなものを発揮できる男がどれだけいるというのか。どう考えても少数派なもので、シンヤは小さくため息をつく。
何にせよ。
「プリンが簡単そうに見えたことがない」
それがシンヤ側の投げやりな結論だった。とはいえ、こればかりは世の男性陣――いや、女性陣も含めて多くの賛同が得られる自信もあって、ピシャリと言い切る。
「もう、男の人ってどうしてそうなんでしょうね。空気なんてどこで吸っても一緒、ご飯もお腹に入れちゃえば全部同じって」
「そこまでは言ってないだろ。さっきも言った通り、俺だって料理くらい……」
「そんな拗ねたことばかり言ってると、今日のご飯とプリンもどうなるかわかりませんよ。全部ぐちゃぐちゃに混ざって出てくるかもしれません」
「言ってないんだけどなぁ……」
「とまぁ、冗談はさておき。着きましたよ」
部屋に戻り、ベッドへと身を移したところで、また軽くケホリと咳き込んだ。
「早く治してくださいね。じゃないと、いつまで経ってもしっかりしたご飯はお預けになっちゃいますから」
「そればっかりは善処するくらいしか言えないな」
「そうですね。では、善処してください」
「へいー」
気のない返事を返しながら、明日も体調がよければ少し外に出ましょうか、との提案にも同じように受け応える。そして――。
「もし今日のプリンの出来が良かったら、明日も作りましょうかね」
そんな少女の呟きへの返しには、たぶん今までのやり取りで一番素っ気なく。
「……そっか」
そうとだけ、シンヤは応じたのだった。
こうして、シンヤの警戒は盛大に肩透かしを食らった。自分が逃げる可能性を疑っていた間、少女は呑気にプリンを作っていたらしい。
しかもご丁寧に「ずっと気を張っていないといけない」などと言っている。料理のことはよくわからないけれど、お菓子作りはタイミングが命だということくらい耳覚えはあった。
つまり――。あの少女は本当に、自分のことを監視などしていなかったのだろう。その証拠と言ってはなんだが、今夜のデザートに出された自家製プリンは絶品だ。めちゃくちゃ美味しい。
おまけに明日も作ろうかな、なんて。もしシンヤに本気で逃げ出す意志があれば、そんなの聞き逃せない絶好のチャンスとなってしまうではないか。何と言うか……。
「もうちょっと用心しろよな……」
そう思う。いや有り難い話には違いないし、それでも今後やっぱり少女の気が変わる可能性まで捨てきることはないのだが。とはいえ、これではあれこれ洞察していた昼間の自分がバカみたいだし、せっかく思い残しのないようにしてきた覚悟や緊張感も台無しだ。
その呑気さや不用心さには、さすがにいくらか物申したい気持ちにもなったもので。
「こっちの気も知らないで……」
恨めしげに呟きつつ、パクリ。シンヤはまた一口、つついたスプーンを口元に運ぶのだった。




