005.「だから言ったじゃないですか」
翌朝。
目が覚めても現実味なんてまるでなかった。肉食系や大型魔獣に追われる夢から飛び起き、胸を押さえながら乱れた呼吸をどうにか鎮める。
「……っ!?」
そこでようやく、今の光景が悪夢だったと気づいた。同時に、ここが見慣れた自室ではないことも思い出す。
「そっか、俺は……」
森で魔獣に襲われ、八つ裂きにあいかけていたところを危機一髪で助けられたのだ。その主人である魔獣使い、ハーメルンとも呼ばれている少女に。そのまま怪我の療養を名目に、一時保護されることになって……。
時計が示す時刻を見て、思う。ちょうど一日前の今ごろ、自分は街を出発したはずだ。
『そう暗い顔すんな、なるようになるって』
シンヤの境遇に同情したか、そう気さくに肩を組んできた冒険者、ライツ・ハッカーと共に。
『よっぽどヘマでもやらかさねぇ限り、とりあえず命くらいは拾って帰れるだろ。でもって、ヒットアンドアウェイでいけば魔獣の一匹や二匹くらい、どうとでもなるさ』
『……そうなのか?』
『ああ任せろ。ただし、俺の言う通りに動けば、だけどな。ま、そういうことだからよ』
その言葉をどれほど頼もしく、また心強く思ったことか知れない。
『気楽にいこーぜ、相棒』
『いや、相棒って……』
『そうだろ。ひとまずこの仕事が終わるまでは、だけどな』
こんな底辺の自分にも分け隔てなく、明るく接してくれる彼の人柄に惹かれた。
『その、なんていうかさ……』
『うん?』
『ありがとな、ライツ』
『……はっ、なんだよいきなり。クセぇっての!』
パチンと肩を叩かれ、吹き出すように二人で笑ったのだ。知り合ってたった小一時間なのに、まるで本当の友だちになれたみたいに。あんなふうに笑ったのは、本当に久しぶりのことだった。
だった、のに……。
イヤな気持ちになりかけて、シーツをギュッと握りしめる。
(もう、やめよう。考えるのは……)
思考ごと、今となっては嫌悪感すらある記憶を振り払おうとしたときだった。コンコンとふいのノックが室内に響く。返事をすれば、入ってきたのは言わずもがな、家主の少女だ。
「あら、もう起きてたんですね。おはようございます」
昨日とほぼ同じ挨拶をすると、腰まで届く綺麗な麦色の髪がふわりと揺れた。いや、どうやら同じなのはそれだけではないらしい。
「お加減はいかがですか? よく眠れました?」
手にしたお盆からはホクホクと湯気が立ちのぼり、たまらなく食欲を誘ういい匂いを漂わせていた。昨日いただいたお粥があまりに美味しかったもので、今朝の献立は何だろうと期待に胸が膨らんだ。
つい唾液も口の中で溢れたが。あからさまではしたなく映ってしまっても良くない……とそんな葛藤がありつつ。
「ああ、おかげさまでよく……」
眠れた、と。あくまで平静を装いつつ応じようとしたところ……。ぐぅ。なんと勝手に鳴った腹の虫が代わりに返事をしてしまうではないか。
「あら。たいへん宜しいようで何よりです」
からかうような声音に、シンヤは「ほっとけ」と小さく毒づいた。
本当に昨日の今ごろは、まさか丸一日後にこんなことになっているとは夢にも思っていなかった。なんてことをしてくれたのかと恨めしく腹を押さえながら、くすりと笑う視線から逃げるように顔を背ける。
◆
シンヤが魔獣に襲われ負傷したのは、飼い主である自分の監督不行き届き。ゆえに賠償責任は自分にある、と。
そんな理屈のもと、シンヤはしばらくのあいだ少女――ハーメルンとも呼ばれる魔獣使いのもとで自宅療養生活を送ることになる。とくに初日は胸のあたりに疼くような鈍痛が居座っていた。原因はどう考えてもアレだろう。
ゴズと呼ばれているらしい大型魔獣の一撃を避けきれず、胸を掠めた指先だけで弾き飛ばされた。幸い、骨に深刻な損傷はなかったようだが。
「まだ痛みますか?」
「まぁ、少し……?」
その少しが完全に消えるまでには、まだもう何日かかかりそうだった。ほかには、枝で切った顔や手足の擦り傷くらい。どれも放っておけば治る程度だった。
(むしろこの程度のケガで三食お世話になる方が図々しくないか……?)
そう思っていたのだが、どうも見えない場所に深傷を負っていたらしい。
「わぁ……やっぱりとても痛そうですね。大丈夫ですか……?」
それは二日目の夜、ベッドの上でのこと。
少女は、うつ伏せになったシンヤの背中から湿布を慎重に剥がした。身体を拭くついでに、包帯や絆創膏を取り替えることになったのだ。
「え、そんなに酷いのか?」
シンヤとしてはいまいちピンと来なかった。たしかに逃げるとき、たぶん番犬型の魔獣からザシュと背中を引っ掻かれたのは覚えているが。
「ええ、これは……お世辞にもあまり良い状態とは言えなそうです」
「そうなのか。痛みはそんなにないんだけどな。もし姿見とかあれば、自分でも確かめたいんだけど……?」
「ありますけど、まだ立ち上がらない方がいいですよ。そしたら……ちょっと待っててくださいね」
立ち上がる代わりに、うつ伏せのまま少女と一枚ずつ手鏡を持ち、角度を合わせて背中を確かめる。少女の言う通り、傷は思ったより深くて大きい。負傷から一日以上経つのに、まだ血が滲んでいた。
「おおっ……?」
想像を軽く上回る惨状に、ちょっとコメントが見つからなくなる。
「思ったよりだいぶ酷いな、これ……」
まさかこんなことになってるとは思わず、他人ごとのように呟くしかなかった。
「血が止まりにくく、さらに痛みもないとなれば……その魔獣が何かしら毒を持っていた可能性が高いです」
「え、毒? 番犬型がか?」
「いえ、それは違うと思います。基本的にワンちゃんタイプは毒なんて持ってないはずですから……。あの、もう一度確認しますが、この傷を付けたのは本当にワンちゃんタイプでしたか? 姿も見ました?」
「いや、見てはないけど……あのときは本当に逃げるのに必死で、背中からいきなりだったし」
「ということは、おそらく……」
そんなシンヤの証言から、少女の見立てはこうだ。おそらくこの傷を付けたのは、グリフォンに近い鳥獣型の魔獣だろうと。
「毒そのものは強い部類ではないのですが……これがなかなか厄介でして。遅効性で、時間をかけてじわじわ効いてくるんですよ」
「そうなのか? 今のところなんともないけどなぁ」
「それがこの毒の恐ろしいところなんです。私も小さい頃に経験しているのでわかります。それに、もしそうだとしたら時間的にもそろそろ……」
思い出すように神妙な面持ちで呟いたあと、少女はふっと表情を引き締め、静かに立ち上がった。
「どうしたんだ?」
「ちょっと色々準備してきます。今夜はひょっとすると荒れるかもしれませんので」
「え、荒れるってどういう……ちょ……っ!」
「覚悟はしておいてくださいね!」
詳細を確かめる間もなく、少女は足早に行ってしまう。
「覚悟って、んな大袈裟な……」
実際、今はどこにも異常がない。昔から、身体の丈夫さだけはシンヤが唯一胸を張れる取り柄だった。だが、その認識は今夜のうちに覆されることになる。時間をかけて、じっくり思い知らされるのだ。
髪までひとつに結び、足早に出ていった少女の言葉や立ち振る舞いが大袈裟ではなく、一切誇張もなかったことを。今夜どころでは済まない。
「ほら、だから言ったじゃないですか」
「うぅう……」
丸々、三日三晩をかけて。




