004.「山姥ではありません」
少女は、シンヤを襲わせた張本人ではなかった。むしろ制御を失った魔獣たちから、間一髪で助け出してくれたのだ。理解が追いつくと共に、朧げながら蘇る記憶、そして声があった。
(そっか、あのとき……)
『安心してください。もう大丈夫ですよ、心配しないで』
彼女は優しく声をかけてくれていた。必死に助けを求めて伸ばしたシンヤの手を取り。
『私がちゃんと、助けますからね』
しっかりと握り返すようにして、励ましてくれていたのだ。
「そういうことだったのか……」
それが裏付けとなって、不思議なほどすんなり胸に落ちる。もはや少女の言葉に疑いを挟む余地はなくなっていた。そしてもうひとつ、ある舞台裏が明かされる。きっかけはシンヤが口にした謝罪だった。
「それはなんていうか、その……ごめん」
シンヤにも、頭を下げるべきことがあった。
「どうしてあなたが謝るんですか。先ほども言った通り、悪いのは私で……」
「俺が逃げ回ってる間に、何匹か巻き込まれた魔獣がいたんだ。ほとんどがあの、一番デカいやつに踏み潰されて……」
必死だったとはいえ、自分のせいで蹴散らされた魔獣がいる。少女が誠実に謝ってくれた以上、黙ったままでいるのは居心地が悪かった。ところが――。
「あぁなんだ、そのことですか。たぶん一番大きいのというのはゴズのことだと思いますが、大丈夫です。そこは全然気にしなくていいですよ」
思いのほかあっさりと返され、拍子抜けする。あの場にいた魔獣のすべてが、少女のペットだったわけではないらしい。野生の個体もかなり混ざっていた。
「さっきちゃんと確認しましたけど、私が普段関わっている子たちで居なくなったり、ケガした子はいませんでした。みんな無事だったので、その点はご安心ください」
それを聞いて心底ホッとする。
「そっか、ならよかった」
胸を撫で下ろすとともに「にしても、よくみんな無事だったな」とも零した。
「あれだけ無茶苦茶に暴れ狂ってたのに」
そこで少女は、陰で動いていた功労者の存在を明かした。
「それはこの子のおかげなんです」
少女がふっと視線を上へ向ける。つられて見上げた先で、胸を張るようにポヨンと弾んだのは彼女の頭の上に乗っていた桜色のスライムだ。
「私が駆けつけるまで、この子があなたの後を追いかけながら周りに被害が及ばないよう守ってくれていたんです。正確にはもう一体いますが、その子と一緒に」
「もう一体……?」
「だから私の周りの子たちはみんな無事で済みました。ただその分、あなたの対応が最後になってしまったことは、申し訳なく思っていますが……」
そのもう一体とやらはここにいないみたいだが、少女の言葉が本当なら、あれはシンヤを呑み込もうとしていたのではない。
「俺を、助けようとしてくれてたのか……」
少女の頭から弾むように飛び降り、人懐っこく寄ってきてくれたスライムに手を伸ばす。労いと感謝を込めて、その滑らかな表面を優しく撫でるシンヤだった。
「ありがとな」
ただし、話は戻って魔獣たちが突如として制御不能になった理由は、少女にもわからないという。
「たしかにゴズにはちょっと気難しいところがあります。そもそも人間のことがあまり好きではないですし、そう簡単には打ち解けてくれません。でも、あそこまで言うことを聞いてくれなかったのも初めてで……。一応尋ねますけれど、何か心当たりとかってあります?」
「……いや」
「ですよね。何かできるとも思ってないので、そこは疑ってませんが」
いずれにせよ、シンヤを傷つけた責任は自分にある。それが、少女の言い分だった。
「それで手当てしてくれて、そのうえ食事の世話までしてくれてるってことか?」
「ええ、そうなりますね。まぁさっきも言った通り、こんなところに一人で来たあなたもあなたとは思いますけど」
「…………」
「それでも、私にも落ち度はありますから。実際にケガまでさせてしまいましたし」
そういうことらしかった。沈黙が流れる。
「どうしたんですか? 浮かない顔して」
「ああ、いや……安心してるっていうか……。とりあえず命までは取られなそうでよかったなって」
「命って、取りませんよ。私のことをなんだと思ってるんですか。山姥じゃあるまいし」
「だってほら、さっきだって……」
場を取り繕うように、シンヤが持ち出したのはついさっきのことだ。
『……あんたが魔獣使い、ハーメルンか?』
恐る恐ると口にしたその問いかけに、彼女は明確な答えを残さないまま部屋を後にしてしまったから。
「なにか怒らせちゃったのかなって」
「あー、あれですか」
すると彼女は思い出したように続ける。
「別にそんなつもりもなかったですが、あれは何とも答えづらいからスルーしただけです」
「答えづらい?」
「だってそのハーメルンって、私が自分で名乗ったものではないんですもん。たしかにそう呼ばれているらしいことは把握していますが、だからって素直に頷くのも釈然としないものがあります」
「あぁ……」
わからなくもなくて「なるほど」と呟く。
「なので否定も肯定もしませんでした。もし怖がらせてしまったのなら、すみません」
そういうことだったのかと腑に落ちたりもした。
ともあれ、ハーメルンと呼ばれている当人には違いなかったらしかった。
魔獣使いの少女が部屋を後にしたのは、それから程なくのことだ。
「ともかく、そういうことですから。相応のお詫びはさせてください。あなたにまったく非がないとは言いませんが、過失の割合でいえばこちらの方が大きいですから。しばらくはお世話させてもらうつもりですが……」
その直前、「ところで」とシンヤの身の上や都合についても聞かれる。というのも。
「こんなことになった補償はきちんとさせてもらいたいのですが、それはこちらの都合に過ぎませんし……。あまり長いこと引き止めても、かえってご迷惑でしょうか? ご家族や友人も心配しますよね」
どうもその辺りを気にしてくれてのことみたいだが……。うぐりとなる。ちょっと回答に困った。心配してくれる相手なんていない、なんて……正直に答えるのはさすがに惨めだ。
そんな逡巡があって、咄嗟に嘘をついてしまう。実は自分はつい最近この街に来たばかりで、知り合いとかもまだそんなにいないのだと。
「街に来たばかり……? 知り合いもいないのに、たったひとりでこんなところまで来たんですか?」
「えっと……そこはまぁいろいろあったというか」
「いろいろですか。まぁあまり深くは聞きませんけれど。ともかく、それならとくに問題ないということですね。わかりました。では私は私の納得のいくように対応させてもらいますので」
やや不審がられつつ、そういうことにして難を逃れる。
「では、他に気になるところがなければ、今日のところはこれで失礼しようと思いますが」
「あぁ、大丈夫だ」
「……きっとお疲れでしょうから、今夜はゆっくり休んでください」
返した踵を、ふと止めて。
「あっ、お手洗いは通路を出て左です。ナースコールはこの糸を引けばわかりますので、何かあれば呼んでください」
それだけを思い出したように告げて。
「では今日からしばらく、よろしくお願いしますね。被補償者さん」
今度こそ行ってしまった。シンヤはひとり、取り残される。
「被補償者さんって……」
ふう、と小さく息を吐く。その嘆息はまず、率直な驚きによるものだ。まさか巷で噂のハーメルンが。
(あんな女の子だったなんてな……)
それも自分とさほど年頃も変わらなそうに見えた。下手したら年下か。てっきり中年のくたびれた男か老婆をイメージしていただけに、拍子抜けにも似た感覚。つくづく世の広さというものを思い知らされてのことだが……。
それだけではないのだ。
――実のところ。
シンヤはひとつ、とても大きな嘘をついている。本当は知っていたことがあった。でも、知らないフリをしてやり過ごしたのだ。
だってもし本当のことを口にしてしまえば――過失割合はちっとも七対三なんかでは収まらない。ゼロ対十にひっくり返ってしまうから。バレないほうが都合がよくて、あえて触れずにおいてしまって……。
(今からでも……)
本当のことを話すべきだろうか。迷い、さっき少女が示した天井からぶら下がっている蜘蛛糸らしきを見やる。でも勇気は出なかった。まぶたは重く、頭もろくに働いていない。
(ひとまず、今日のところは……)
もう休もう。どうするかは、明日になってから考えればいい。
そう自分に言い聞かせ、シンヤは寝台に身を横たえる。すぐにも微睡みが訪れ、やがて意識は深い眠りの底へと沈んでいくのだった。




