003.「まずは、お粥をどうぞ」
「……これは?」
「見てのとおり、お粥ですけど?」
「いや、それは見ればわかるけど……」
「量が足りませんか?」
「そうじゃなくて」
シンヤは、目の前に置かれた膳と少女の顔を交互に見た。つい先ほどまで、お腹を空かせた魔獣をつれてくるか、拷問の道具を取りに行ったのではないかと本気で疑っていたのだ。それが、なぜお粥なのか。混乱しているシンヤをよそに、鼻をくすぐる米の香りへ、空っぽだった腹が正直な音を立てる。
少女の視線が腹の辺りへ落ちたため、シンヤは何もなかったふりをして、そっと毛布を引き上げた。
「素人判断ではありますが、傷はそれほど深くないように見えました。呼吸も脈も落ち着いていましたし、内臓まで達している様子もありません」
少女は、いたって真面目な顔で説明する。
「そうはいっても、念のため消化のいいものを用意しました。何か問題でも?」
「問題っていうか……」
いったい、どういうつもりなのか。ますますわからない。
「なるほど。この調子なら、ひとまず大丈夫そうですね」
「大丈夫って、何が?」
「いえ。こちらの話ですので、気にしないでください」
少女はシンヤの顔を覗き込み、しばらく何かを確かめていた。それから、困ったように眉を寄せる。
「とりあえず、そうですね。あなたに、何をどこまでお話ししたものか迷っているところなのですが……」
「……?」
「ひとまず、それを食べながらにしましょう。せっかく作ったのに、冷めてしまったらもったいないですから」
◆
「まずは、謝罪をしなければなりません」
シンヤが匙を手に取ると、少女は寝台の前で深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
「えっ?」
「今回、あなたに怪我を負わせてしまったのは、紛れもなく私の不行き届きによるものです。責任は私にあります」
あまりにも丁寧な謝罪に、シンヤは目を瞬いた。魔獣使いハーメルンと恐れられている人物が、なぜ自分へ頭を下げているのか。何ひとつ理解できない。かと思えば。
「ですが、こちらにも言い分はありますよ」
少女は顔を上げ、そんなことを続けた。
「たしかに私の責任ではありますが……こんな森の奥へ足を踏み入れたあなたにも、まったく非がないとは言えないのではないでしょうか?」
「うん?」
「そこで、これはあくまで提案なのですが」
少女は片方の手へ二本、もう片方へ三本の指を立てた。
「過失割合、七対三。そんなところでいかがでしょうか?」
いかがでしょうか、とか言われても困る。
シンヤは答えられないまま、少女が立てた指を見つめた。
◆
少女の説明をまとめると、つまりあれは事故だったらしい。
「事故?」
「はい。もちろん軽々しく、その一言で済ませるつもりはありません。ただ少なくとも、私が故意にあなたを襲わせたわけではないことだけは、誤解のないようにしておきたいと思ってます」
言葉の終わりに、少女は目の前の膳を示した。
「あ、どうぞ。食べながら聞いてください」
「い、いただきます……?」
「どうして疑問形なんです?」
「いや、だって……」
さっきまで、拷問されるのではないかと考えていた。今もまだ、完全に警戒を解けたわけではない。白く柔らかに炊かれた粥からは、米の甘い香りが漂っている。見たところ、おかしなものが入っている様子はなさそうだが――。
「念のため言っておきますけど、毒なんて入っていませんからね?」
「別に、そんなことは……」
「そもそも、私があなたへ毒を盛る意味がありません」
少女は淡々と言った。
「今のあなたは十分に弱っています。必要なら力ずくで押さえられますし、毒を飲ませたいのなら、わざわざ食事へ混ぜるまでもありません。口をこじ開けて、直接流し込めば済む話でしょう?」
ぐうの音も出ないほど、正論だった。
「ですから大丈夫です。余計なことは考えず、どうぞ」
これ以上警戒を見せて、少女の機嫌を損ねる方が危険かもしれない。シンヤは意を決し、粥を口へ運んだ。もぐもぐ。
「……美味しい」
「お口に合ったなら、よかったです」
それはお世辞でも、恐怖に押されて出た言葉でもない。思わず口をついて出た、素直な感想だった。
「それで……事故って、どういうことなんだ?」
問い返すと、少女は自分でも状況を確かめるように、順を追って語り始めた。これまでにも、この森へ踏み込んでくる者は少なからずいたらしい。その大半は、ハーメルンを狙って自主的にやって来た冒険者だ。
少女はそのたびに、魔獣たちを使って追い払っていた。ただし、決して命までは奪わないよう、きちんと言い聞かせたうえで。
「命は奪わないって、どうして?」
「どうしてって、当たり前じゃないですか」
少女は、むしろ不思議そうに首を傾げた。
「たとえば飼っている猫が、ネズミや蝉を狩って、知らないところで食べていたらどう思います? まして、それを家まで持ち帰ってきたら。どう考えても、喜ぶ飼い主は少数派でしょう」
「俺はネズミとか蝉なのか」
「この子たちからすれば、似たようなものでは?」
「…………」
不服そうなシンヤを見て、少女がくすりと笑った。けれど、すぐに咳払いをし、元の澄ました顔へ戻る。その一瞬だけ見えたのは、噂に聞く怪人の顔ではない。年相応の、ごく普通の少女の笑顔だった。
「ともかく、普段は軽く脅かすだけで退くように命じてあります。なるべく怪我もさせないよう、きちんと言い含めていますし……もしものときには、私が止めに入ります」
「だったら、今回は?」
そこで、少女の言葉が止まった。
「……わからないんです」
初めて、その表情に不安らしいものが浮かぶ。
「突然、魔獣たちが命令を聞かなくなりました。私が直接止めようとしても、まるで通じなくて……」
「…………」
「言い訳に聞こえることはわかっています。そんな説明で納得できないことも。でも、本当に、あんなことをするつもりではなかったんです」
その言葉を聞き、シンヤの中で、あの場面の見え方が変わった。自分は、生け捕りにされたのだと思っていた。魔獣に襲わせ、抵抗できないほど弱らせてから、満を持して少女が姿を現したのだと。だが、彼女の言葉が本当なら。
意識を失う直前、あの場に現れた理由はひとつしかない。
「じゃあ、あのとき……」
恐る恐る問いかける。
「俺を、助けに来てくれたのか?」
少女は、わずかに視線を伏せた。それからこくりと、小さく頷いた。ほんの少し遅れて、頭の上のスライムも真似をするように身体を縦へ揺らす。




