002.「魔獣使いハーメルン」
シンヤは、ゆっくりと目を開けた。
「……生きてる?」
最初に浮かんだのは、そんな疑問だった。目覚めた場所は、見知らぬ寝台の上。周囲は土壁に囲まれ、窓も見当たらない。どうやら地下にある部屋らしい。身体のあちこちには包帯や絆創膏が貼られ、丁寧な手当てが施されていた。
「なんで……」
魔獣に取り囲まれ、最後にはスライムに呑み込まれた。助かるはずなどなかったのに。戸惑っていると、扉の向こうから足音が近づいてきた。
「あら。もう起きていたんですね」
部屋へ入ってきたのは、見知らぬ少女だ。年の頃は、シンヤとそれほど変わらない。華奢な身体に、きれいな麦色の髪。整った顔立ちにはどこか浮世離れした雰囲気があり、こちらの様子を窺う瞳は不思議なほど穏やかだった。
「お加減はいかがですか?」
ひょっとして、この少女が助けてくれたのだろうか。そう考えかけ、すぐに疑問が浮かぶ。
――どうやって?
あの場には、数えきれないほどの魔獣がいたはずだ。それなのに、意識を失う寸前に見た人影は、魔獣から襲われる様子もなくシンヤの前に立っていた。背格好も、髪の色も、思えば目の前にいる少女と一致している。
しかも今、その頭の上には――。ぽよん、と小さなスライムが乗っていた。桃色がかった半透明の身体。意識を失う寸前、自分を呑み込んでいたものと同じ色だった。
近ごろ、森の魔獣を集めていると噂される、無認可の魔獣使い。
人々が恐れを込めて呼ぶ、その名前が頭を過る。
「……あんたが、魔獣使いハーメルンか?」
口にした瞬間、部屋の温度が下がったような気がした。たしかに傷の手当てはされている。だが、それがただの善意だとは限らない。助けられたのではなく、生け捕りにされたのかもしれない。
「私が魔獣使いハーメルンかどうか。その問いについては、否定も肯定もしませんが……そうですね」
否定されなかった。シンヤは生唾を呑み込んだ。
「少し、そのまま待っていてください。すぐに戻りますので」
そう告げると、少女は部屋から出ていった。
(何を取りに行ったんだ……?)
拷問の道具か。それとも、エサが起きたと魔獣に報せに行ったのか。仮に少女が噂どおりのハーメルンなら、なぜ自分を生かしているのだろう。人質にするためか。情報を引き出すためか。
だが、どちらにしても困ったことがある。シンヤには、その価値がない。冒険者ですらない下働きが、有益な情報など持っているはずもない。家族にも見放され、友人と呼べる相手すらいないのだから、人質にしたところで誰も困らない。
もし、それを知られたら。利用価値がないと知られたあと、自分がどうなるのか。考えたくもない末路ばかりが、頭に浮かんでくる。逃げるなら、拘束されていない今しかないのかもしれない。
けれど部屋を出たところで、地上へ繋がる道すらわからない。怪我を負った身体で魔獣の森へ飛び出しても、逃げきれるとは思えなかった。シンヤは寝台の上で身を強張らせる。どうして、こんなことになったのか。
話は、少し前まで遡る。
◆
世には、魔獣使いという特別な地位がある。生まれながらに才を授かった者だけが、魔獣と主従関係を結び、自在に従えることを許されるのだ。一方、シンヤのような調教師は、その裏方だ。魔獣使いが従えた魔獣を躾け、命令を理解させ、扱いやすい状態へ整える。
より多くの魔獣を従えるため、魔獣使いにとって調教師は必要不可欠な存在だ。だが一方で下僕や召使いのように扱われることも珍しくない。そして、能力の低い調教師には、それなりの主人しかつかない。
「おい、小僧! どこだ!? いるなら返事をしろ!」
シンヤの雇い主も、まさしくその類だった。三流の魔獣使い、バルター・アドレイ。シンヤは彼の屋敷へ住み込み、わずかな賃金で使い倒される日々を送っていた。
「仕事だ! こいつを今週末までにテイムしろ!」
鎖に繋がれて連れてこられたのは、背中へ岩板のような突起を並べた地龍。
「この地竜を週末までに……?」
無茶な話だ。魔獣使いだからといって、どんな魔獣でも好き勝手に従えていいわけではない。本人の力量に応じ、扱える魔獣の強さと数が定められている。その基準でいえば、地龍はバルターが辛うじて扱える限界の魔獣だ。
この一体を従えるなら、ほかの魔獣は手放さなければならない。だが、バルターは規律を守る気などサラサラなかった。
「協会の老害どもめ。貴様らごときに、この私の力量が測れるとでも思っているのか」
つい先日届いた警告書も、一瞥しただけで放り捨てる。以前にも、限界に近い魔獣を制御できず、逃がしたばかりだというのに。
「こんな紙切れを送りつけている暇があるならまともに仕事をしろというのだ、バカ共が。時代遅れのルールを放置していることの方がよほど問題だということに早く気付け」
(馬鹿はどっちだよ……)
声に出してやりたかった。でも、できなかった。自分には、帰る家も行く当てもない。生きていくには、どれほど条件が悪くても、ここで働くしかなかった。
「……わかった。引き受けるよ」
無力であることを言い訳にして、ただ従う。シンヤはバルターを軽蔑していた。だが、それ以上に――こんな相手へ縋るしかなく、その境遇を受け入れている自分自身が嫌いだった。
「よし、必ず今週末までに仕上げておけ! いいな、遅れは許さんぞ!?」
バルターが去ったあと、シンヤは残された地龍へ近づく。
「ごめんな。でも、よかったな。おまえ、運がいいぞ」
怯えさせないよう、その身体へそっと手を触れる。
「たぶん今週末には、自由になれるからさ。もう少しだけ辛抱してくれよ」
そして案の定、その言葉どおりになった。
◆
丁寧ではあるが、遅い。シンヤの仕事ぶりを一言で表すなら、おおむねそうなる。時間をかけて向き合えば、大抵の魔獣を手懐けることは可能だ。不良品の魔眼と術式の助けを借りつつ、根気強く向き合えば、桁外れの大型種を除いた大抵の魔獣は整えられる。その自信はあった。
だが如何せん、コストがかかり過ぎるのだ。時間さえあればできる、なんてシンヤに限った話ではないし、そこに費やす手間と労力を思えば、とても割に合うものでもない。
速さと効率を求められる世界では、それだけで評価を落とす理由になった。加えて、ちょっと自己流なところがある。それでシンヤは、いつまでも底辺テイマーの枠組みから抜け出せずにいた。
そんなある日、森に『ハーメルン』と呼ばれる無認可の魔獣使いが現れた、という噂が広まる。近隣の屋敷から魔獣が次々と逃げ出し、引き寄せられるように同じ森へ消えていくのだ。
「ふん、くだらん。何がハーメルンだ。まともに躾もできん三流と、この私を一緒にするな」
バルターは、被害に遭った魔獣使いたちを散々嘲笑っていた。だが、ほどなくして自分の屋敷からも、何体もの魔獣が姿を消す。
「貴様がまともに管理していれば、こんな事態にはならなかったのだ! よくも……よくもこの私の顔に泥を塗ってくれたな!? 恥をかかせおって!」
その責任を、バルターはすべてシンヤへ押しつけた。もちろんシンヤは下働きで、一介の調教師に過ぎない。責任の大半は、雇い主であるバルターが負うべきものだが。
前回の失態も踏まえればもはや降格は免れないと焦りに加えて、散々バカにし、嘲った他の魔獣使いと同様に自分までハーメルンに出し抜かれたという事実を認めたくなかったのだろう。
「まさか貴様、そういうことか!? この私を陥れるために、わざと……!?」
バルターは頑なにそう言い張った。どこまで本気なのかもわからない濡れ衣を、シンヤに着せようとして。
「冗談じゃない、そんなことするわけないだろう!?」
こればかりはシンヤも言い返さないわけにもいかない。そうして互いの主張は噛み合わないまま、いつまでも平行線を辿り――その末にある命令が下されたのだ。
「おまえが逃がした魔獣を連れ戻してこい。そうすれば今回の件は不問にしてやろう」
「なっ……!?」
言葉を失う。何を言っているのか。無理難題もいいところだ。シンヤは冒険者ではない。魔獣と戦った経験もない。だがバルターは、腕利きの冒険者をひとり同行させるから問題ないと言い張った。
「断るなら、それでも構わん。だが、ここを出てどうする? 貴様のような役立たずを雇う酔狂が、ほかにいるとでも思うのか」
選択肢などなかった。そうしてシンヤは、紹介された冒険者ライツ・ハッカーとともに、魔獣のひしめく森へ足を踏み入れることになる。途中までは順調だった。
「おまえさんも、つくづくツいてねぇよなぁ。あんな間抜けな主人に当たるなんてよ」
ライツは口こそ軽かったが、仕事の手際はよかった。
「ここに罠を仕掛けよう。かかったら俺が押さえるから、その間におまえさんがちょちょっとテイムだ。そんなとこでどうだ?」
このままなら、無事に終えられる。シンヤも、そう思いかけていた。だがその矢先、思いもよらない事態が起きる。気づけばシンヤは、たったひとりで魔獣たちに追われていた。そして最後には、スライムに呑み込まれて――。
そのとき、シンヤの意識が現在へと引き戻されたのは。
「お待たせしました」
少女が部屋へ戻ってきたからだ。その手には、盆が載せられている。いったい何を持ってきたのか。寝台の上で身構えるシンヤの前へ、少女は盆を置いた。ことり、と小さな音が鳴る。
「……うん?」
シンヤは目を瞬いた。盆の上にあったのは、拷問器具でも、怪しげな薬でもない。白い湯気を立ち上らせる、一膳のお粥だった。
「まずは、何か食べた方がいいと思いまして」




