024.「暴れないでお客さん」
どうやら本気で嫌われているわけではなかったらしい。少女の正体が本当は『魔獣寄せ』や『人寄せ』だったことがわかり、シンヤは無事に心の平穏を取り戻していた。あとはせっかく目を覚ましたので、その間に寝床を移してしまいたい。というのも。
「ここより、いつも使ってるところの方が落ち着くよな」
「そうですね。それに私がここを占領してしまうと、あなたの寝る場所がなくなってしまいますし」
少女の顔色には、まだはっきりと疲労の色が見て取れたからだ。でもそこはきっと、わざわざ自分で動かずとも魔獣の手を借りればなんとかなるのだろうと、そう思ったのだが。
「では、たいへんお手数をおかけしました」
そう言うや否や、少女はするりと身を前へと滑らせる。そのまま、当然のように自分で立ち上がろうとして。
「え、ちょ……」
咄嗟にシンヤは手を伸ばし、それを遮っていた。
「はい?」
「いや、だって……わざわざ自分で起き上がらなくてもさ、そこは魔獣に――ほら、リップルとかに頼めばいいんじゃないかって」
「あー、えっとその……そこは少し事情というものがありまして。できれば避けておいた方がいいんですよね」
「事情?」
すると少女は口ごもり、何やら考え込む素振り。
「そうですね……。これはあくまで、私の知人にいる魔獣寄せの方の話なのですが」
「ち、知人……?」
聞き返すシンヤに、そんな前置きを挟みつつ続けた。
「その人は普段、自分のそういう特性を意識的に抑えるようにしています。なので魔獣たちと程よい……?距離感を保ててまして、えっと……まぁ例えるならアレですね。不思議と動物に懐かれやすい人っているじゃないですか。魔獣寄せというのはつまりその魔獣版のことでして、中にはそんなわた……知人に懐いて、善意で言うことを聞いてくれる子もいたりするのですが」
「お、おう」
ところどころボロも出ているが、だいぶワタワタしてて一生懸命そうなのでいったん流すことにしつつ。
「今みたく体調を崩しているときは、どうしてもその制御が緩んでしまうんですよ。それでちょっと魔獣たちが本能的になってしまうこともありまして。ですから、仮にその話を私にも当てはめると」
「今のゴンさんにも、あまり魔獣を近づけさせない方がいいってことか?」
「そういうことです」
「なるほど、それで……」
ひとつ腑に落ちた。それでさっきリップルは動かなかったのかと。少女を抱えているときも、ただ遠慮がちに後ろを付いてくるだけだった。あれはたぶん、今の少女には近づかない方がいいことを当人も理解していたからで。
「あくまで知人の話ですからね! 決して私のことではないですから!」
「まぁそれは分かったけどさ」
たぶん少しでも情報の共有を避けたい意図でそんな体裁を保ちたいのだろうが、果たして意味があるのか。
(ないだろうな……)
正直そんな予感はしつつ、そうとなれば。
「ほら」
シンヤは少女に背を向けて片膝を付いた。
「え、なんです?」
「部屋まで負んぶしてくよ。案内してくれ」
そう思ったのだが。
「そんな、とんでもありません!」
言うが早いか、少女は立ち上がってしまう。
「お気持ちは有難いです。でもさっきも話した通り……いえ、話してないですけど。私はあなたに何も打ち明けたりしてないですけど……!」
「わかったって」
またも慌ててそんな予防線を張ってから、わずかに目を伏せ。
「今の私には、あまり近づかない方がいいでしょうから……」
どこか寂しそうに、そんなことを。
「でも、顔だってまだ赤いし。それにさっきだって大丈夫だったんだから平気じゃないか? ほら、またいろいろ言ってくれて構わないからさ。嫌いとか、気持ち悪いとか」
「気持ち悪いだなんて、そんなこと言ってません!」
「いや、言ってくれていいって話で……たとえばだよ」
「言いません! とにかく、大丈夫です! この通り、今はもうひとりでまったく問題なく歩けますから!」
その言葉通り、少女はスタスタと歩いていってしまう。
「では、今日は本当にお手間をおかけしてすみませんでした。本当に……あなたが無事でよかったです。また明日からいつも通りでお願いしますね。おやすみなさい」
そのままペコリとお辞儀とともに部屋を後にして。見送りつつ、
「いや……」
と繰り返す。
「俺の方がよっぽど手間かけさせてきたんだけどな」
その日はそれで終わったのだが。――やっぱり、そのまま順調に具合が持ち直したわけでもなかったのだろう。翌朝。朝食はリップルが運んできてくれたが、昨日と同じく少女は姿を見せない。
これは怪しいぞとは思ったのだが、この入り組んだ地下構造のどこに少女の私室があるのかもシンヤは知らなかった。なので仕方なくお昼時、キッチンに張り込むことにする。
「人ん家で何やってんだ、俺……」
本当に我ながらなんてことをしているのかと思う。厄介になっている人さまのお宅の隅っこにしゃがみ込み、家主を待ち伏せるなんて。冷静に考えてどうかしているし、これでもし取り越し苦労だったらどうするのか。ただドン引きされるだけの地獄が待っているかもしれない。
でも、よかった。
結果として、その判断は間違っていなかったらしい。
しばらくして少女もキッチンに入ってきたが。その足取りはフラフラと覚束ないし、マスク越しにもわかるほどその顔は赤らみ、熱を帯びていたからだ。ゴホゴホと咳き込みながら、手にしたエプロンをゆるく身につけ始めたところでシンヤは出ていく。
「ゴンさん」
「え……? ちょっと、なんであなたがここに……!?」
「ごめん、ここで待ち伏せてたんだ」
「待ち伏せ……!?」
本当に人さまのお宅で言うセリフではないのだが、事情が事情なので仕方なくその経緯を打ち明ける。すると少女ははっと顔色を変え、慌てたようにシンヤの心配を否定した。
「大丈夫……本当に大丈夫です! こんなの、ただの鼻風邪ですから! ちょっと拗らせてるだけで……」
「鼻風邪って……さっきから見てたけど、ぜんぜんそんな感じじゃなかったじゃないかよ。すごいしんどそうだったぞ」
「気のせいです、とにかく戻ってください! あなたはまだ療養中なんですから。私のせいでそうなったんですから、なにも気負わずお世話されていればいいのです! されててください!」
「俺が療養中ならゴンさんは立派な病人だ。それに後半のセリフは、俺の立場からでもそっくりそのまま返せる」
「屁理屈はいいのです!」
「なにも屁理屈じゃないんだけどな……。じゃあわかった。本当に大丈夫だっていうなら、それを証明してくれ」
「証明……?」
「これで熱を測る」
言いながらシンヤがポケットに手をいれ、スッと取り出したのは体温計だ。それは少女が自分を看病するため、部屋に置いてあったもの。
じりじりと間合いを詰める動きに、少女の顔がひきつる。なんだか傍目からだと、悪漢が取り出した果物ナイフか何かで、か弱い少女を追い詰めているような絵面にもなってそうだが。
今さらたじろぎはしない。少女がそんな反応を示す理由はひとつしかないからだ。
「わかりました。わかりましたから、それ以上近づかないでください!」
それは彼女が魔獣寄せであり、弱っている今、その影響がシンヤにも及ばないとも言い切れないため。だからシンヤはそれを逆手に取る。自分自身を人質に、少女の思いやりに付け込む形で逃れようのない認否確認を行った。
「まだ治ってないのは認める?」
「それは……」
「ちゃんと治ってるなら、俺が近づいたところで問題ないはずだろ。それに、どうしても嫌なら術式で命じればいい。俺を遠ざけるくらい、簡単にできるはずだからな」
昨夜のほぼ再上映に、少女は口をつぐんだまま何も言わない。またシンヤとしても、もうこれ以上、恩人を困らせるようなことはしたくなかった。
「ゴンさん、これ以上はもうお互いのためにならないだろ。お願いだから、休んでくれよ」
諭すように促す。それで、ようやくだ。
しばらくの沈黙を介してから、ようやく――。
「わかり、ました……」
彼女はそう言って、小さく首を縦に振ってくれた。
「よかった」
シンヤとしても一安心で、ほぅと安堵の息を漏らしたわけだが。
さて、ここでちょっと軽い裏切りだ。今しがた近づかない代わりにと話を収めたばかりだが、シンヤはそのまま一歩を踏み出す。
「……えっ?」
意表を突かれて少女が戸惑っている、その隙に。
「え、ちょっと……!?」
シンヤはテクテクと歩み寄って。そしてそのまま昨夜と同じように、足元からすくい上げるようにして少女を抱き上げた。
「ひゃっ!?」
別に気取った真似がしたかったわけではない。ただ負ぶろうとするのではまた昨日と同じであっさり流されるだけだろうと教訓に加え、逃げられるまえにもうひとつ果たしたい別の目的があったからだ。それ即ち――。
「ちょっと、何して……!?」
「このままゴンさんを部屋に連れてく。昼と夜はあとで俺が作って持っていくから、ゴンさんの部屋がどこにあるのか教えてくれ」
この入り組んだ地下構造のどこに少女の一室があるのか、今後のためにもそれを把握しておくこと。決行するまえから決めてあったことだ。たぶんもう待ち伏せは通用しないだろうから。といっても、案の定。
「ダメですよ、そんなの……! それに話が違うじゃないですか! ちゃんと認める代わりに近づかないって」
すぐには教えてくれなかった。
「それはそうなんだけど、たぶん大丈夫だよ。今のゴンさん、昨日よりはまだ元気そうだし」
「だとしても、お断りします! それにさっきから言ってるでしょう、これはあなたが気にすることでは」
「気にするよ。っていうか気になるんだ。それはもうコッチの問題だろ?」
「そういうことを言ってるんじゃありません! いいから下ろしてください」
「断る」
「下ろしてくださいー!」
「暴れないでお客さん」
だいぶバタバタされたが。
「仕方ない。教えてくれないなら、また俺が使わせてもらっている部屋に連れてくよ。俺はほかに居場所もないから、そこにいるしかない。同じ部屋でゴンさんとずっと一緒だ」
「なっ……!?」
「イヤなら白状してくれ」
「イヤとかじゃなくて……! 困るんですよ、そんなことしたら風邪が移ります! 何より危険です!」
「だったら尚さら早くしてもらわないと。こうして触れてる間も危ないんだろ?」
「……っ」
そんなこんなで、ようやく観念してくれたみたいだ。
「あっち、です……」
ちょいと通路の奥が指し示される。
「ちなみに、遠い?」
「いえ、そんなには……ウソです! 滅茶苦茶遠いですよ!」
「へい。では、いきますか」
そんなに遠くもなさそうだったので、このままいけるだろうと見込みで歩き出す。
「……あの、自分で歩きますから」
「被疑者には逃走の恐れがあるため拘束を緩めることができません」
「では、せめて負んぶに……」
「昨日スルーされてなければそれも考えたんだけどな」
「だって、こんな……」
なんか今さら恥ずかしそうだ。でもそれはこちらだって同じこと。
「お客様、車内での私語はお控えください。ほかのお客様のご迷惑となります」
「……なんですか、その役」
「さぁ、なんだろうな。いつだか乗り遅れるなとか言われたのを思い出して、なんとなくやってみてるだけだよ。おっと、ここでまた分かれ道です」
「…………」
「どちらへ向かえばよろしいでしょうか、お客様」
「……こっち、です」
そうしてなんとか、部屋まで無事に送り届けることができた。




