023.「魔獣寄せ」
――魔獣寄せ。
その言葉について、シンヤも深く理解しているわけではない。ただ聞きかじったことくらいはある。
魔獣を従え、意のままに操る『魔獣使い』。
魔獣を敵と見なし、排して狩る『魔獣狩り』。
魔獣に関わる系譜は大きく、その二つに大別されるが。
そこに収まりきらない異質の枠がもうひとつある。ただそこにいるだけで、無意識に魔獣を引き寄せてしまう存在、特性。それが魔獣寄せだ。
「……どうして」
「え?」
「どうして私がその……魔獣寄せだと、思うんですか……?」
静かに問われ、シンヤは慎重に言葉を探す。
そして、ひとつずつ解を示していった。
――そう。
(まさか、この子……!)
シンヤがその可能性に思い至ったのは、彼女の腕をまくり上げたときだ。白く細い腕に、びっしりと書き込まれた術式を目にしたことで、その仮説に至る。
ちなみに術式についても大きく二種類に大別される。自身の力を底上げする補助的なものと、対象から力を奪い、縛るためのものだ。
「ゴンさんの腕にあったのは、明らかに後者だった。だから最初は、誰かに無理やり書き込まれたものかとも思ったけど……」
――違う。
その可能性はすぐにも打ち消された。なにせその術式には、とても見覚えのある手クセや綻びが随所に見て取れたからだ。
閉じ切るべきところが閉じ切っておらず、あちこち歪んでいるし、筆圧もまばら。ふにゃふにゃとした線は不自然に途切れ、また妙なところで繋がっている。加えて。
「左右の腕で仕上がりにもかなり差があった」
「…………」
「わざわざ別人がやったとは考えづらいし、誰か一人がやったならここまで不均等にもならないはずなんだよ」
では何故、左右の腕でそこまで出来栄えに差が出たのか。考えられる理由はひとつしかない。
「ゴンさんは自分で自分にそれを書き込んだんだ。とくに片方の腕は利き手じゃないほうの手で書くしかないから、どうしても上手くできなかった。それで精度に差が出たんじゃないかって」
だとすれば、残る疑問はひとつだ。
なんでそんなことをする必要があったのか。
「普通はやらないだろ。自分で自分の力を抑えるなんて。でも……」
答えはすぐに出た。ひとつしかない。
「自分でも自分の力を制御できないんだとしたら、話はまったく変わってくる」
「…………」
「少しでも周りに出る影響を抑えるために、苦肉の策でそんなものを……」
だとすれば、あらゆるものの見方が変わるのだ。彼女がこの森にいたのは――魔獣使いハーメルンとして在り続けてきた理由は、決して無闇に人々を脅かすためなどではない。
ただ、帰れなかったのだ。自分が人の暮らしの中に戻れば、すぐにも魔獣たちがその特性に引き寄せられ、集まってしまう。最悪、群れとなって一挙に押し寄せ、街を壊滅させる事態すら招きかねないから。
本来、魔獣使いの支援に回るか、魔獣狩りの庇護下に入るなどして厳重に管理されるはずの魔獣寄せがなぜひとりきりでいるのか。その経緯まで推し量るには、まだ確信が足らないにしろ。
「いったんこれで全部だ。ほとんど推測だけど……もしかしたらゴンさんが本当は魔獣寄せなんじゃないかって、俺がそう思った理由」
それがシンヤの考え。
魔獣使いハーメルンの真相であり、彼女がひとりこの森に留まり続けなくてはならなかった事情。それら根拠を一つずつ並べたうえで、シンヤは静かに問いかける。
「あた、ってるか……?」
少女の瞳がわずかに揺れた。答えはない。
視線を落としたまま、沈黙が続く。
「それは……」
そうして、しばしの間が置かれたあと。
「否定も、肯定もしません……」
それが彼女の答えだった。
でも、終わりではない。答えにはまだ続きがあった。
「できないんです。もしその質問に私が答えれば……その分だけあなたは、私のことを深く知ることになる。関係が深まってしまいます」
「…………」
「それはとても……とても危ないことなんです」
十分だ。
これもまた伝え聞く程度の話だが、魔獣寄せの中でもとりわけ作用の強いものになると、その影響力は魔獣だけにとどまらない。
「人寄せ……」
そう呼ばれる次の脅威に変貌する。
互いの情報を共有すればするほど関係が深まり、やがてはその心さえも変えてしまうのだ。意のままに動く傀儡へとなり果てて。
だから少女はこれまで頑なに自身のことについて何も明かさず、シンヤのことを知ろうともしなかったのだろう。すべてはシンヤを、守るために。
「……そっか」
長い沈黙があってから、短く応じる。確かめたかったことは確かめられたし、いったん今日のところはこれで話はおしまいだと思った。
きっと彼女はもうなにも聞かれたくないし、何も明かしたくはないだろう。何より、休ませなくてはならない。いつも休んでいる部屋はどこなのか。それだけ聞いたらそこに連れて行こうと、そう思ったのだが。
「ごめん、やっぱり……もうひとつだけいいかな」
思わずそうと切り出してしまったのは――。最後にもうひとつだけ、どうしても確かめておきたいことが思い当たったからだ。
できれば今夜のうちに確かめないと落ち着かない。
安眠できそうもない、とても大事なことが。
「その……さっきの、嫌いって言われたやつ。あれは本心じゃないってことで、いいのかな……?」
正確には「大っ嫌い」だったけど。
もしここまでのシンヤの推測がすべて正しいのなら……。たぶんあのとき、彼女は恐れていたのだと思う。
体調を崩したことで、普段はどうにか抑え込んでいた『人寄せ』の力が漏れ出ていた。その影響が僅かでもシンヤに及んでしまうことを。
だからシンヤが触れることはおろか、近づくことさえあんなにも拒んだのではないだろうか。嫌いだと言い続けていたのも、あれはシンヤに向けた言葉ではなく、自分自身に言い聞かせていたもの。
シンヤを意図せず、自分の持ち駒としてしまわないように。希望的観測もいいところだし、もしハズレていたら居たたまれないなんてものではないので、そこまで根拠を並べ立てはしなかったが。今夜の安眠に関わるので、聞いてしまった。
もし仮に答えがノー……「本心ですよ」なら、やることはひとつ。既定路線に戻すだけだ。彼女がちゃんと回復するのを待って、できるだけのことをしたら、すぐにでも出ていこう。
だけど、もし。もし、そうでないのなら……。いや――。
「……い、ます」
「え?」
「違います、決して……。決してあなたを傷つけたい意図ではなかったんです……。あれはただ……私が、私に……」
どうやらその心配は無用なものとみていいらしい。
「ごめんなさい……」
ぽつりと零れたその一言と。
「ごめん、なさい……」
震え混じりに上ずる声が、すべてを物語っていた。




