021.「大っ嫌い……」
それから程なくのこと。
シンヤはベッドを抜け出し、部屋を出ていた。
リップルを抱えたまま、通路の奥へと踏み出す。
なんだかんだで初めてのことだ。
シンヤがひとりで、このアリの巣構造になっている横穴を奥へと進むのは。成り行きでルームツアーされたことのある区画もあるにはあるが、それもほんの一部に過ぎない。
「こっち、なのか……?」
リップルに指し示されるままいくつか分岐を抜ければ、すぐにもシンヤの踏み入ったことのないエリアに差し掛かった。
呵責はある。
居候させてもらっている身の上で、家主の許可もなく無断で奥に踏み込んでいるのだ。後ろめたさも少なからず過ぎったが……でも、それ以上に心配だった。
何事もなければ、それでいい。
あとで叱られるなら、そのときは甘んじて受け入れよう。
どうせ何を見聞きしたところで、術式がある限り自分は一切それを他言できないのだ。だからさしたる問題ではない。たぶん……。
もしそれでも彼女の気が収まらなければ、そのときは土下座でも肉体労働でも何でもしてあとで埋め合わせよう。幸い……というよりはおかげ様で体もようやくまともに動くようにはなってきた。
どうとでもなるし、どうにかする。
そんな言い訳を自分に言い聞かせながら進んだ。
でも、予感は的中だった。
足探りに進んでいった先、ぽっかりと開けたドーム上の広い空間に出る。
目を凝らせば、その奥に倒れ伏している一人の少女を見つけて。
「ゴンさん……!?」
慌てて駆け寄り、抱き起こすとともに異常を察した。
服越しに伝わる熱、体温が明らかに高い。
ひどい発熱だ。
「ゴンさん、どうしたんだ!? 大丈夫か!?」
呼びかけながら、やっぱりと思う。昨日の雨だ。
自分の薬草を取りにいくために外に出て、雨に打たれたことが祟ったに違いない。
少女の額には汗が浮かび、髪が頬に貼りついていた。
息は熱を帯び、浅くて荒い。
そのとき――。
「……っ? あなた……。どうして、ここに……?」
シンヤの呼びかけで引き戻されたか、少女の瞼がわずかに持ち上がる。
ぼんやりとした視線が、こちらを捉えきれずに揺れて。
「こうなってる予感がしたから探しに来たんだ。ごめんゴンさん、俺のせいで……」
少女はすぐには答えなかった。
しばらく黙ったまま、息を整えることに意識を向け、ふぅとひと呼吸。
やがて重たそうに上体を持ち上げ、力なく身を起こす。
「……はて、なんのことを言っているのかわかりませんね。私はただ、ここで休んでいただけですが」
「休んでたって、何言ってるんだ。倒れてたじゃないかよ。体だってこんなに……」
「これが私の平熱なんですよ。いいですから、早く戻ってください。あなたは怪我人なんですから、部屋で安静にしてないと……」
そんなことを言いながら、フラフラと立ち上がるではないか。
本当に何を言っているのか。
足元はおぼつかず、今にも崩れそう。
安静にしているべきなのはどう見ても彼女の方なのに。
ただ、そのとき。
「…………」
ふと、ある考えが浮かんだ。
賭けにはなるが、遅かれ早かれだ。
ならば――いま試してみることにする。
「さぁ、早く……」
「それは、命令か?」
問いかけに、少女は一瞬言葉を失った。
「……戻ってください」
「質問に答えてくれ」
「意図がわかりません。その確認に何の意味があるんですか」
「意味ならあるだろ。ゴンさんならわかるはずだ。俺がなにを確かめようとしてるか。それを証明してくれ」
「必要ありません」
「……ゴンさん」
「必要ありません!」
様子からして彼女も気付いてはいる。
でも一か八かになるから、踏み切れずにいるのだ。
そして――。
「もう、いいですから……。早く戻ってください。これ以上は迷惑です」
「断るよ。俺は戻らない。ここにいる」
「戻って……」
「どうしても従わせたいのなら、簡単だろ? ちゃんと命令すればいい。いつもゴンさんが言ってる力づくで、無理やり俺に言うことを聞かせれば済む話だ」
「……っ」
「やらないなら、悪いけど……俺が力づくでゴンさんを連れてくよ」
ついにシンヤが一歩を踏み出しかけたところで、耐えかねたか。
先に痺れを切らしたのが少女の方だった。
実際にはそうするより他に手がなかったのだろうが。
逡巡するように視線を揺らし、唇を噛んで。
「そうです……。そうですよ、これは命令です! 早く戻って……!」
鋭く放たれた声が、広い空間を震わせる。
「今すぐ、来た道を引き返しなさい!!!」
ビンと張り詰めた音が反響し、空気が揺れた気がした。
――だが、思った通りだ。
シンヤの足はピクリとも動かない。
いや正確には、わずかに動きかけたが、どうにか踏みとどまることができた。
つまりそれだけ、いまの彼女は弱っているということ。
回れ右して、来た道を戻れ――従えているはずの下僕に、そんな単純な命令すらも押し通せないほどに。体力、気力ともにひどく消耗してしまっている。
少女はいま、自らそれを証明してしまったのだ。
それどころか無理に押し通そうとしたせいで、残っていた力すらもすべて使い果たしてしまったのだろう。だからいまガクリと、支えを失ったように足腰から崩れ落ちている。
(賭けは、こっちの勝ちだな……)
ホッと一息。
胸を撫で下ろすとともに、シンヤは足を前へと進めた。
少なくとも今の少女に自分を縛るだけの力は残っていないのだと、いちばん分かりやすい形で裏付けとするために。けれど、その足がふと止まったのは――。
「来ないでくださいッ!!」
強い拒絶の言葉が、再び空気を震わせたからだ。
さっきのような意地や強がりによるものだけではない。
はっきりとした忌避と拒絶の意志を含んだ、悲鳴にも近い叫び。
まるで何かを恐れているような。
あるいは怯えているかのような――。
にこにことあどけなく笑ったり、筋が通ってるようで通っていない理屈をドヤ顔で披露してはあれこれと世話を焼いてくれたり。そんな彼女の普段の様子を知っているし、誰より近くで触れ、救われてきたからこそ――いま、シンヤはたじろいでしまう。
「ゴンさん、なんで……俺だ。俺だよ? 何もしない、ゴンさんを困らせるようなことなんて絶対、ひとつもしないから……」
彼女がそんなにも、何に怯えているのかがわからなくて、 足が止まる。
まさか命令が効かないのをいいことに、自分が何かするとでも思っているのか。
しない。そんなこと、するわけがない。
そう信じてもらえるくらいの関係は、すでに築いてきたつもりだ。
いや、築いてくれた。ほかでもない、彼女が。
それとも、さっき力づくとか言ったせいで怖がらせている……?
「ただ、放っておけないから……。そのままにしておけないから、ちゃんとしたところで休んでほしくて。そこまで俺が付き添うから。それ以外は本当に、何もしないから……」
ただ安心してほしかった。
何もしない。怯えなくていい。
それを伝えたくて、シンヤは必死に言葉を重ねる。
どうにか伝えようとする。
だけど――。
「ダメ……。ダメなんです、来ないで……」
少女はただ、それを繰り返すばかりだった。
「お願いですから……」
切羽詰まった声で、何度も。
でもだからと言って、このまま置き去るわけにはいかないのだ。
リップルに任せるべきかとも思ったが、シンヤと違って命令が効いているのか動こうとしない。運ぶなら、自分でやるしかない。
「……ごめん、ゴンさん。気持ち悪いかもだけど……ちょっとだけ、我慢してくれ」
だからせめてもの詫びを添え、下からそっと腕を差し入れる。
その体を支えようとする。
「やだ……。触ら、ないで……」
直前、か細い声で懇願もあった。
今にも泣き出しそうなくらい、震えてしまっている声音に手が止まりかける。
でも聞き入れるわけにはいかないのだ。
だからそれを無視して、見た目どおりに軽い、その小柄な身体を姫抱きに抱えあげて。
「行こう。すぐだから」
「嫌いです……あなたのことなんて……」
「……うん、ごめん」
謝るしかなかった。
付き添っているあいだ、繰り返される拒絶の言葉に。
「大っ嫌い……」
うん、ごめんと。
ただシンヤは静かに頷き続けたのだ。




