019.「ゴンさんの由来」
そんなわけで。
せっかくケガが治って森を出たはずなのに、またすぐにトンボ返り――なんならそれ以上の大怪我をして帰ってきたシンヤと、シンヤがそうなった責任は自分にもあるのだとまたしても言い張って一歩も譲らない魔獣使いの少女。
看護する側とされる側の関係はそのままに、二人の共同生活はまさかの仕切り直し。外部要因による強制リセットを受けつつ、思ってもみなかったパート2を迎えることになる。
と言っても、過ごし方や生活サイクルで言えばさして変わらない。最初のときとほぼ同じだ。
「おはようございます。お加減はいかがですか~」
そんなアナウンスとともに、朝昼晩と毎日決まった時間に少女が食事を運んできてくれる。とくに夜はたいへん有難いことにデザート付きだ。そして寝る直前には包帯も変えてもらうわけだが、そのまえに体を拭かれるのはやっぱり今も慣れない。
「いいよ、自分でやるから」
再三に渡ってご遠慮願おうとはしているのだが。
「ですから前はともかく、背中はそうもいかないでしょう」
前回と同じで、やっぱり少女は捨て置いてくれなかった。
「だから、そこはタオルでゴシゴシ……」
「そんなことしたら傷に障りますって。いいですから、ほら。任せてください」
「でもさ……」
「もう仕方ないですね。ではこうしましょう」
すると少女はコホンと咳払い。何かと思えば、いきなり。
「背中は私に任せろ!」
やけに気合の入ったトーンとガッツポーズでそんなことを言ってくるではないか。
「……っ?」
「背中は私に任せろ!」
「……どうしたんだ、いきなり?」
リピートされてもイマイチ意図が掴めず、やはり反応に困っていたのだが。
「もう、そこはあれでしょう。『そうだな、おまえになら安心して任せられる』とか『背中はおまえに預けたぜ、相棒』とか、素直にそう返すところじゃないんですか?」
「……あぁ」
ようやく合点がいく。
「つまり、そういう勢いとかノリで俺を乗っからせたかったってことか?」
「皆まで言わせないでください。せっかく一肌脱いだのに、これじゃ私の機転が台無しじゃないですか」
「難易度高いって……」
本当に急発進過ぎて掴まる暇もなかった。
「男の子は好きでしょう? そういうの」
「偏見だって」
「好みじゃありませんでした?」
「そういうわけじゃないけど」
「ほら」
言い淀むと、なぜか得意げに胸を反らされる。
「次は乗り遅れないでくださいね? 車掌さん」
「もう少しゆっくり発車してくれたら頑張るよ」
なんて軽口を交わしたものの、それで誤魔化されてもくれないらしい。
「まぁ何でもいいですけど」
と振り出しに戻される。
「せっかくですから、この埋め合わせも込みということで早めに観念してください。今さらじゃないですか。もう一度や二度のことじゃないんですから」
「だからって慣れるもんじゃないんだよ」
「私は慣れました。それにあんまり往生際が悪いと、強制執行に踏み切っちゃいますからね? 私にはそうできる力も権限もあるんですから、どの道あなたに逆らう術はないのです」
腕っぷしはともかくとしても、術式のことを持ち出されると結局シンヤに抵抗の術はない。
「それとも無理やり脱がされる方がお好みの、困った趣向の持ち主さんなのでしょうか?」
「心外だよ……」
「では?」
「お世話になります」
「いえいえ。有り難く、お世話させていただきます」
観念して脱衣。大人しくフキフキされるしかなかった。
それからある程度良くなってくると、例によって外へも誘われた。
「だんだん良くなってきましたね。どうです、また外に出てみます?」
そのニコニコ笑顔から、断っても無駄そうなのは何となく察しつつ。
「ダメだろ。だって禁固刑なんだし」
「問題ありませんよ。一時出所ということで許可しますから」
「緩すぎないか……」
「署長である私がいいと言ったらいいのです。従ってください、模範囚さん?」
「へいへい」
言われるまま、ベッドから起き出す。
「リクエストはありますか?」
「前と同じところで頼む」
「またですか? 前から思ってるんですけど、あそこって何かあります?」
「何もないのがいいんだ。いま自分の居る場所がどこなのかもまったくわからなくて最高だよ」
「変わった人ですね。まぁいいですけれど」
「頼むから、もう少し警戒心持ってくれよ……」
「え、何か言いました?」
「いや、なんも」
そんな感じの日々を送っていた。
◆
さて、ここで少し話は脇に逸れる。ところでの話になるが――。
実を言うとシンヤは、いまだ少女のことをほとんど何も知らない。気づけばここでの暮らしも、もうすぐひと月を迎えようというところだ。同じ屋根の下、というにはだいぶ語弊があるにせよ、それだけの時間を一緒に過ごしている。
だというのに。シンヤは少女の身の上はおろか、本名すらも知らないままだった。ひとまず呼び名で言えば「ゴンさん」だ。そう呼ばせてもらっている。
というのも、ここでの生活が始まった最初の朝。まだ高熱にうなされるまえの元気だったときに、少女に釘を刺されているからだ。
『いいですか。今からここで生活するうえでとても大切なルールを説明しますから、よく聞いてくださいね』
と改まったうえで。――必要以上に互いのことを詮索しないこと、と。
それはきっと、お互いのための不可侵条約のようなものだったのだと思う。成り行きとか本人の責任感からシンヤの世話を焼くハメになったのはやむを得ないとしても、それ以上踏み込むつもりはないし、踏み込まれたくもない。
少女は被害を与えた側――つまりは加害者としてすべき務めを果たすだけだし、シンヤも被害者として被った被害に見合うだけのものをきちんと受け取る。つまりはそういう、一定の距離感を保つための線引きだ。
伝えるべき真相を伏せていた後ろめたさもあって、シンヤからその決定に異を唱えることはなかった。仮に唱えたところで魔獣のエサにされておしまいだ、なんて卑屈めいたこともそのときは考える。だから――。
「私はあなたのことについて何も問いません。どこの誰なのか、何故ここに来たのかも一切尋ねませんし、あなたから明かしてもなりません。その代わり、あなたも私のことについては何も聞かないでください。名前、過去、出身地――どれも例外なく禁じます。いいですか?」
その決定に、黙って頷く。
「わかった。俺は何も話さないし、そっちのことも何も聞かないよ」
その場では素直に了承もしたのだ。だが、これが思いのほか不便だった。
最初のうちは高熱にうなされてそれどころではなかったが、体調が回復してくるとそうもいかない。ここの家主が少女であり、シンヤが居候させてもらっている身である以上、どうしても声をかけなければならない場面が出てくる。
その度に「なぁ」とか「ちょっと」ではどうにも収まりが悪かった。そこで思い切って尋ねてみたのだ。ここで過ごす間は、どう呼べばいいか教えてほしいと。
「え、呼び方ですか?」
「うん。何もないと不便でさ。これだけ世話になってる相手にアンタ呼ばわりもしたくないし」
「律儀ですねぇ。加害者は私なんですから、呼び方くらい好きにしていただいて構いませんよ? 私もそうしてますし」
「そうはいってもキッカケがないんだよ。名前も知らないし」
「本当に何でも構わないのですが……。ああ、それならいっそあなたが決めてみます?」
「えぇ……」
すると思わぬ無茶ぶりが飛んできた。
「なんというか、気持ち的にイヤなんですよね。自分で呼び名を指定すると、そう呼ばれたい人みたいで気恥ずかしいじゃないですか」
「なんだそれ」
「どうしてもというなら、『加害者さん』とかでもいいですが」
「それはヤだなぁ。なんかそっちが悪いって言ってるみたいで気が引ける」
「『補償者さん』、『債務者さん』などもありますが」
「俺の言ったこと聞いてたか。ベクトルを変えてくれ」
「そう言われましても」
うーんと悩むが、結局妙案も思いつかなかったのだろう。
「やっぱりご自身で決めてください。さぁどうぞ。命名の儀です」
両手を広げるように促されてしまう。でもシンヤもめっぽう、ネーミングセンスに自信なんてなかった。なんとかひねり出した挙句にセンスを疑われるのも御免なもので。
「ハーメルンからもじって、ハルさんとか……?」
無難なところから探ってみたのだが。
「悪くはないですが……。残念ながら由来となったその呼び方自体、私が認可しているものではありませんので却下です」
秒で棄却された。仮にそれが本名だったとしても、少女の顔立ちや雰囲気的にそんなに違和感はない。むしろしっくり来ていたもので、それ以上を求められてももう思いつく気がしなかった。
「……降参だ。やっぱりそっちで決めてくれ」
「えー、なんでもいいって言ってるじゃないですか。男ならビシッと決めちゃってくださいよ」
「ビシッと投了だ。……あっ、棟梁なんてどうだ?」
「思い付きにもほどがあるでしょう。発想はキライじゃありませんが」
「じゃあ、親方?」
「方向性が完全に現場仕事っぽくなっちゃいましたね」
「大将?」
「今度は料亭ですか」
「大統領!」
「一周回っていきなり国家元首に……」
「国を背負ってくれ」
「いやです、お断りしますよ」
そんなやり取りの末――。
「まったくもう、仕方ないですね。さて、どうしましょうか。そうですねぇ……」
と少女は頭を悩ませる。そして。
「……ごんべえ」
「えっ?」
ぽつりと差し出されたのがその呼び名だった。
どう見てもゴンベエという顔ではないのだが、どこからそうなったのかと思えば。
「ご、ごんべえ……? なんで?」
「名無しの権兵衛から取って、それでいいかなって」
そういうことらしかった。
「思い付きにもほどがないか」
「お互い様でしょう」
「まぁそうだけど……」
それを言われたら何も言えない。
「じゃ、じゃあとりあえず……ゴンさんでいいかな?」
「はい。ではそれでお願いします」
そんな落としどころとなったわけだが、ともかく。
なので事ここに至ってもシンヤは少女のことを何も知らないのである。彼女が何者で、どこから来たのか。なぜこの森で魔獣たちの主として暮らしているのか。
何も知らないし、知ろうとしてもいけない。それがここで生活させてもらう上でのルールだからだ。その約束に背くことのないよう、今日まで徹底して過ごしてきた。
そういえばと、ふと思う。少女は頑なに名前も教えてくれないくせに、シンヤのことはあっさり外に出している。それも見張りもなしに……。
果たして警戒心が薄いのか強いのかも、ここに来てよく分からない。
「情報規制するにしても、やけにムラがあるような」
それとも、他になにか理由が……?
――魔獣使い、ハーメルン。本当に今さらのことだが。
「何者なんだろうな……」
ぼんやりと天井を見つめたまま、ポツリとシンヤは呟くのだった。




