017.「トンボ返りしました」
とある深い森の奥に、ひとりの少年がいる。
そこは見渡す限り、だだっ広く生い茂った緑の続く景観のなかだ。
他に人の気配はなく、そもそも誰かが通りがかるような地点でもないのだが。目印のようにぽつりと残された切り株に腰かけ、彼はそこにいた。
ちなみに片腕は白いギプスで固められ、布で首から吊り下げられている。動かそうと思えば動かせなくもないが、そのたびに鈍い痛みが走るもので。
「痛てぇ……」
どんなものかと軽くトライしては低く漏らし、顔を顰めた。
やはり余計なことをしないのが一番かと肩の力を抜きつつ、そのままそっとしておく。
そして、ため息をひとつ。
「なんでこうなったかねぇ……」
肩を撫で下ろすように、そうと独りごちるのだった。
さて、少年は名をシンヤ・レメンディスという。
たぶん世にも珍しい壊れ物の魔眼を持つ――ついでに、ついこの間まで近くの街で住み込みの下働きとか雑務に明け暮れていた、最底辺のテイマーである。
◆
ちなみにシンヤが初めてこの森に足を踏み入れたのは、もう半月以上も前のことだ。
話すとちょっと長いので端折るが、一度は無事に森を出られたのだ。
ちゃんと生きて、帰してもらった。
魔獣に襲われかけていたところを、その飼い主である魔獣使い――ハーメルンと呼ばれる少女に救われ、ケガをさせてしまったことの保証やら賠償やらというテイで手厚い看病まで受けたうえで。
そうして十日あまりが過ぎ去る。
もう二度と、ここに来ることもないだろう。
そう思っていたからこそ、前日にも日課のリハビリ散歩でここに来たとき、見納めのつもりでのんびりしていた。とくにやることもないまま、時間だけ潰していたのだ。
さらに当日には見送りまでしてもらう。
『さ、着きましたよ。ここまで来れば、あとはもう一人で帰れますか?』
『あぁ十分だよ、助かった』
『本当に気を付けて帰ってくださいね』
『わかってるって』
それから少ししんみりした空気になって、今日までお世話になりましたとか、お粗末様でしたとか、別れの挨拶まで交わしたうえで。
『もう来ちゃダメですからねーっ!』
まるでケガをした野生動物を森に還すみたいに(実際にはそのまったく逆パターン)、最後には遠くからその呼びかけに振り返り、「またなー!」と返したいのをぐっと堪えて「ありがとー!」とこちらも手を振り返して応じたのだ。
もう会えないのかと名残惜しさはあれど、円満の別れだったと言える。
そのはずなのに……。
またこうして戻ってきてしまったわけだ。
申し訳が立たないほどのトンボ返りをかました。
何故かと言えば、その帰り道でこれまた色々あったからなのだが。
ひとまず、あのあとの話から始めていければと思う。
シンヤが目を覚ましたとき、視界にあったのは今やすっかり見慣れてしまった土壁の天井だ。
「…………」
ぼんやりした重たい頭で記憶を辿る。
断片が繋がり、やがてはっきりと思い出した。
「そっか、俺は……」
帰り道の途中で、まさか待ち伏せていたあの男――ライツ・ハッカーに襲われたのだと。
そしてまた、助けられてしまった。
実はまだ名前すら知らず、いろいろあってゴンさんと呼ばせてもらっているあの魔獣使いの少女に。
「つまり、あれは……」
夢ではなかった、ということだ。
どうやって少女がこちらの窮地を察知し、駆けつけてくれたのかは定かでないにしろ、紛れもない現実で。
――けれど。
(今度ばかりは……)
ずしりと、重苦しい感情が胸を満たした直後だ。
スッと部屋の外から近づいてくる、やけに控え目な足取りを気取ったのは。
きっと彼女のことだ。
まだこちらが寝ているかもと思って、起こさないよう気を遣ってくれているのだろう。
そして思った通り。
しばらくそちらに視線を向けていれば、やがてそっと覗くように、その整った顔立ちを少女がちょいと覗かせてくる。
「あ……」
目が合うと共に、小さく声を漏らして。
その懐には例によって、湯を入れた桶やらタオルやらの看護セットが抱えられていた。
「よかった……。もう起きて、たんですね……」
ふり返れば初めて出会ったときも、そんな言葉からだったと思う。
でも今、その声はどこか力ない。
それはそうだろう。
あんな物騒な場面を目撃させてしまったのだから。
たぶん彼女はまだ知らないはずだ。
なぜあんなことになっていたのか。
とても気になっていて、でもどう切り出せばいいかもわからないから、そんな浮かない顔付きでいる。そんな表情をさせてしまっている。
でも、もうシンヤの腹は決まっていた。
この期に及んで逃げる気はないし、誤魔化すつもりもない。
だってもう二度目だ。
二度も命を救われておいて、まだウソを重ねるなんてできない。
したくなかった。
だから今度こそ、すべてを話そうと思う。
せめてもの誠意をもって、本当は彼女に何の非もなかったことを。
そして、それを知りながら自分が今日まで黙秘し続けてきたのは――その善意に付け込むためと、そう取られたとしても仕方がないことを。
まず間違いなく、失望される。
責められて、落胆されて、もうこれまでのような関係にも戻れないかもしれない。
だとしても――。
そうする義務が自分にはあると思ったから。
「あの……」
意を決して、口を開こうとしたのだが。
「ごめんなさい……!」
「えっ……?」
思いもよらず、先に頭を下げてきたのが少女の方だった。
それも深々と、ただのお辞儀なんかよりずっと長く。
「ちょっと待ってくれ、なんでゴンさんが……!? やめてくれ、頼むから……!」
慌てて頭をあげさせる。
でもいくら止めても頑なに謝罪をやめようとしないから、仕方なく訳を聞けばこういうことだった。
少女が真っ先にシンヤに詫び入れようとした理由、それは――。
早い話が、シンヤの手首に付けた術式のことだ。
彼女は深く悔いていたのである。
「私がこんなものをあなたに付けたから……」
シンヤは少女のことについて何も明かせなかった。
明かせなかったから、それで逆上したライツが、シンヤをあんな目に。
あんなにも痛ぶりつけ、挙句には無理やり情報を引き出すため、拷問まで始めようとしたのだと。
でも――。
「違う……。違うんだ、そうじゃない……」
シンヤはゆるゆると首を横に振ってそれを否定する。
たしかに少女の言ったことは部分的にしろ事実を言い当てている。
でも完全な真相というわけではない。ほど遠い。
なにせ少女のなかで、シンヤは見知らぬ男にいきなり襲われたという話になっているからだ。一番肝心なところが抜け落ちている。だから――。
「ごめんなさい……。本当にごめんなさい。私のせいで、またこんな大怪我を……」
あんまり申し訳なさそうに、消え入るような謝罪ばかりを繰り返す少女に、いよいよシンヤの方が耐えきれなくなってしまったのだ。
「ぜんぜん勘違いしてるんだよ。ゴンさんは何も悪くない。なにひとつ、悪くないんだ……」
「……え?」
「だって俺はアイツとあそこで初めて会ったわけじゃない。顔見知りだったんだから」
「知り合いって……どういうことですか? だったらなんで、あんな……?」
そうしてやっと、思わぬ形で逸れてしまった話題が戻ってくる。
だから――。
「聞いてくれ。ちゃんと全部、話すから……」
訥々とでも、シンヤは少女にすべての真相を話して聞かせたのだ。




