016.「魔獣使いの天敵」
(……待てよ?)
そのときだ。ふとライツの脳裏をある可能性が過ぎったのは。
魔獣使い、ハーメルン。ライツ自身は半ば与太話だと切り捨てていたが――その正体が、恐ろしく見目の整った少女だという噂には耳覚えがある。
そして、シンヤの身体に残っていた手当ての痕跡。どこからともなく目の前に現れた魔獣使いらしき少女。散らばっていた断片が、そこで薄い輪郭を描く。そしてその可能性はすぐにも、ライツのなかで一本の仮定シナリオへと繋がって。
――まさか。
「まさかおまえさんが……ハーメルン、なのか……?」
少女は何も答えない。ただ黙したまま、明確な敵意に満ちた視線をライツへと向けるのみ。だが、それで十分だった。
「はは……マジかよ……!?」
胸の内で何かが弾ける。
「ついてる……やっぱ俺は、最高についてるぜ!」
たちまち抑えきれない高揚が込み上げ、口元を歪ませると共にライツは叫んでいた。
「おい、おまえらぁッ! 全員出て来い! 一匹残らずだ、早くしろォ!!!」
呼び付けるとともに地を割り現れたのは追加のゴーレムたちだ。同時に上空には、何体もの鳥獣型の魔獣が群れを成し、旋回を始める。普段であれば、もっと慎重に行くだろう。こんな露骨に手の内は晒さないし、奥の手だってギリギリまで取っておく。
だが、どうにも興奮を抑えきれなかったのは――。もしこの少女が本当にハーメルンだというなら、もはや一攫千金どころの話ではないからだ。
なにせ彼女一人を手籠めにすれば、それだけで最強クラスの魔獣がいくつも、芋づる式に手に入るという。だからこそいま、冒険者や魔獣使いの多くが血眼になってハーメルンの獲得に動いているわけで。
問題はそのテリトリーであるこの森からどうハーメルンを引き出すかだった。でもいま目の前に彼女がいて、持ち駒もやや大ぶりのスライムが一体のみときている。だったら――。
(勝てる……!)
なにせここは山のかなり麓の方。付近に魔獣なんてほとんどいないし、手駒の現地調達はほぼ見込めないだろう。上空、地下からの気配も入念に探ったところだが、引っかかるものは何もない。増援もしばらくはないと見ていい。
これ以上ない好条件、最高のシチュエーションが揃っている。
多勢に無勢だ。これでどう転べばしくじるというのか。
「まさかハーメルンの正体がおまえさんみたいなガキだったとはな!? 大人しく俺に飼われるんなら、無駄に痛い目はみなくて済むぜ!?」
そう勧告しても、少女は敵意を解かなかった。
「……はて、どちらが多勢に無勢でしょうね?」
「あ?」
強がっているのか。はぁと軽くあたりを見回し、眺める仕草で余裕しゃくしゃくそうにしている。
「ちなみに、魔獣使いの天敵ってなにか知っていますか?」
おまけによく分からない謎かけも飛んできた。手駒を呼ぶまでの時間を稼ぐつもりなのか知らないが。
「はっ、そうかよ」
そうはさせない。付き合わない。やることは1つだ。今まで他の魔獣をテイムしてきたときと同じ。
「死なない程度にあのガキを啄め! 動けなくなるまで揉んでやれ! 徹底的に痛めつけろォ!!!」
声高々にそう号令を飛ばしたの、だが――。
「……あ?」
従わない。動かないのだ。手駒の魔獣たちが、どれ一体として。
「おい、おまえら何してる!? さっさとやれ、早くしろッ!」
怒鳴りつけるように、もう一度命じる。たかがスライム一匹にビビってんじゃねぇ、数でかかれば一瞬だろうがと声を荒らげる。
だが、やはり応じない。ピクリとも動かなくて。
「なんでだ……!? 一体、どうなって……!?」
でもその答えを、彼女だけは知っていた。
「さて、私がハーメルンかどうか。その問いかけについては否定も肯定もしませんが――お気の毒ですね」
そのとき動揺するライツに向けて、ふわりと微笑みかけたのは少女である。
「こんなにたくさんいるのに、どの子からも見向きもしてもらえないなんて。普段からきちんと信頼関係を築いておかないから、そういうことになるんじゃないですか?」
「……なっ!?」
そのときライツが驚愕に目を見開いたのは、あり得ないはずの場所に羽音が降りたからだ。飛来してきた鳥型の魔獣の一体がバサリと、少女の曲げた腕へと迷いなく止まり、クルルと甘えるように身を寄せる。
「ねぇ?」
にこやかに少女が声掛けし、指でくすぐるように撫でれば、魔獣も嬉しそうに顔を擦り付けた。まるでもう何年も一緒に過ごしてきたかのような、あまりにも自然な懐きよう。すでにそこに深い信頼関係があり、根付いているかのような触れあいにライツは言葉を失うばかりだった。
――そう、たしかに男の指摘通りだ。なにぶん急いで引き返してきたもので、いま一緒なのはリップルのみ。しかもそれすら、シンヤの守りに回している。
多勢に無勢もいいところだ。もしこれだけの数に一斉に襲い掛かられたら、さすがに数の力で押し負けていたかもしれない。
でも――。
「それはあくまで、私たちの力関係が対等であったらの話です」
少女はにこやかに告げる。そう、力の差があまりに歴然だと、こういうことが起こり得るのだ。すでに成立している従属関係の改変――テイムの上書き。少女がやったのは、つまりそれだけのこと。普段は意識的に閉じている栓を、ほんの少しだけ緩めた。たった、それだけ。
でもそれで十分だ。この通り、形成はいとも容易く覆ったのだから。現にこの場にはもう、男に従属を強いられている魔獣は一体としていない。
「は……? テイムの上書き、だと……? 何言って……そんなバカな話――」
「では答え合わせといきましょう。魔獣使いにとって最大の天敵とはなにか。少し考えればわかります。とっても当たり前のことですよ?」
「……っ!?」
「答えは自分より高位の魔獣使いです。力の差があまりにあり過ぎると、たとえ相手が丸腰でも連れてきた自分の魔獣をテイムされて、奪い取られてしまいますからね。――ちょうどいま、私がやって見せているように」
それを答え合わせとし、言葉を失っているライツに少女は続けた。
「すぐに信じられないのも無理はありませんが……。でも、すみません。私、昔からこういう子たちにとても懐かれやすい体質みたいなんですよ。それにどんなに信じられなくても、現実はちゃんと見なくちゃダメですよ。ということで、もう一度尋ねましょうか」
動揺するライツの言葉を遮り、両手を広げるようにして少女はもう一度伺い立てる。
「どちらが多勢に無勢でしょうね?」
その答えは火を見るより明らかだった。
「ありえ、ねぇ……あってたまるか、こんなの!?」
「あってたまるからこうなっています。それに、あり得ないという決めつけも基本はやめておいた方がいいですよ? 視野はもっと広く持つべきです。いいお勉強になりましたね。もっとも――それを活かす機会があるかどうかは、これからの聴き取り次第ですが」
「聴き、取り……?」
「ええ」
短く答えると、少女は再び意識を魔獣たちに向けた。ここにいる彼らではイエスかノーくらいでしか答えられない。だから簡単な事実確認くらいしかできず、きっと細かい事情まではわからないが……。
それでも十分過ぎるほどの証言を得る。
「……そうですか。やっぱり、そうだったんですね」
ライツがここで待ち伏せし、シンヤを襲ったこと。そして自分の情報を吐かせるために、拷問しようとしていたことも。
ともすれば――。
「結審です。これで心置きなく、あなたに相応の処罰を下せます。私自身にも明確な害意を向けられたので正当防衛としてもいいですが、実際に被害が出たわけではないですし……。私刑もあまり好みではありませんから」
自らの規範、ポリシー的なものに照らして、実害を受けていない自分から直接この男に手を下すことはしない。この場にいる魔獣たちに命じて襲わせることもできるが、自分の都合で誰かの手を汚させるのもルール違反だ。こちらの流儀ではない。
だから少女がするのは、ひとつだけ。ほぼ自動で上書きされてしまった従属関係、それを解いて魔獣たちを自由にしてやること。
「もしあなたが普段からきちんと愛情をもってこの子たちと接していたなら、中にはもう一度あなたの側に戻ろうとする子もいたでしょう。でも――」
答えは明らかだ。魔獣たちは一歩も動かない。つい数分前までの主人を取り囲み、冷えた視線を向けるだけ。
「ひっ……!?」
男は逃げ場もなく、尻餅をつく。
「おい、来るな! 来るなって!?」
包囲網は徐々に狭まり、やがては恐怖に引きつった断末魔が満ちて。
そんな一部始終を見届けながら――。
(す、げぇ……)
内心でそう漏らしたのはシンヤだ。
もしかして自分は夢を見ているのだろうかと、そう思う。あるいはもう死んでいて、これは都合の良い走馬灯みたいなものなのかもしれない。
でも正直、何でも良かった。だってまたあの子に会えたから。
視界が暗く、徐々に閉ざされていく。気づいた少女がこちらに駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
必死なところ申し訳ないが、つい笑いかけてしまった。だってこれじゃあ丸っきり、最初のときと同じで……。
いや、そんなことより。せっかく会えたのだから、まずは謝らせてほしいのだ。たとえこれが現実でなくとも、せめて夢の中だけでも。
何とかそうさせてもらいたかったのだが……。ダメだ、声が出ない。出せない。伝えたかったことの切れ端すら残せないまま、やがて意識は遠のいていく。
「しっかり――!」
その懸命な声を最後に、シンヤの意識は再び闇に沈むのだった。




