014.「名家に生まれた不良品」
ここで改めて、シンヤ・レメンディスという少年についての話をしよう。
シンヤは街でしがない調教師として、細々と食い繋いでいる黒髪の少年である。身寄りがなく、頼れる親や兄弟もいない――傍目には、孤児も同然の不幸な子どもに映るだろう。
だがそれは彼の真実ではない。そう見えるのはシンヤ自身が過去にフタをし、意図的に見えなくしているからでもあった。
レメンディス家といえば本来、由緒ある魔獣使いの名門だ。その血筋の子どもは皆、生まれながらにして魔眼を宿し、幼い身で数多の魔獣を従えるという。
英才教育を施され、将来を嘱望される――そうあるべき高貴な血筋に他ならない。シンヤもその一員となるはずだった。
だが、ここで運命は無情にも牙を剥く。
シンヤの生まれ持った魔眼は、本来あるべき性能にまったく届かない『不良品』だったのだ。レメンディスの魔眼と言えば、ひと睨みでいくつもの魔獣を同時に従えてしまうほどに強力と恐れられる。
父や兄もその力を当然のように振るっていた。ところが、シンヤのそれはどうだ。
発動してもわずか一瞬、相手の動きを鈍らせるだけ。魔獣を従えることはおろか、足止めすらできない。中型までの魔獣なら辛うじて扱えなくもないが、持続時間は短く、ほどなく解除されてしまう。
同じレメンディスの魔眼と評するには、その性能はあまりに貧弱。出来損ないもいいところだった。とりわけ三つ年上の兄との差は歴然だ。比べられるたび、劣等感ばかりが積み重なっていく。否応なく刻み込まれる。
そんな日々の過酷さを、シンヤはもう思い返したくもない。自分なんていっそ、このまま――。
「消えちゃえばいいのにな……」
そんな宛てのない願いを何度口にしたことだろう。もはや居場所なんてない家の片隅にひとり座り込み、ポツリと呟く。自由も愛情と呼べるものも与えられることはないまま、シンヤの幼い日々はただ過ぎ去っていった。
それでも追い出されずに済んでいたのは、まだ成長の芽が完全には潰えていなかったからだろう。だがその猶予もついに終わる。一般的に魔力の伸びが頭打ちになるといわれる十四の誕生日を迎えたとき、ついに見限られたのだ。追放同然に、家を追い出されて。
それでもまだ寛大な処置だったのかもしれない。いくら壊れ物とはいえ、シンヤの持つそれも一応はレメンディスの魔眼だ。
他家に流れる可能性を考えれば処分されるか、あるいは自由を与えられたとしても両目とも潰されていて何ら不思議はなかった。それが地下に閉じ込められることもなく、五体満足で外に出られたのだから、随分マシだったと言える。
あるいは壊れた魔眼なら、たとえ外へ流れても問題はない――そう判断されたのか。まさか親として、仮にも我が子に残された最後のお情けだったのかは定かでないが。
いずれにせよ学費も満足に工面できないのでは学校にも残れない。
ほかに行く宛てもない。
だから、この街へやってきた。
祖父がシンヤのために遺してくれた古い屋敷だけはあったから、そこを拠点に細々と暮らし始める。どうにか職にもありつき、その日その日を食い繋いで。
そんな生い立ちだから、もう慣れっこだった。誰からも期待されないことも。虐げられることも。
それでも、たぶん心のどこかで信じていた。生きていれば、生きてさえいれば、いつか――。そうしてきてよかったと思える日が来るのではないかと。
でも、どうだ。その結果がこれだ。笑えてくる。
――ゴッ。次の瞬間、横合いから見舞われた叩きつけるような衝撃。それが全身を貫き、呼吸ごと潰された。
ミシリと骨の奥まで響く鈍痛とともに、面白いくらい大きく自分の体が弾け飛ぶ。そのままゴロゴロと地を転がって。
「……っ」
逃げなくてはならないのに、もはや立ち上がることもできないまま。近づいてきたのはズシズシと重たい足音。
そして無造作に掴み上げられる。気付けば左右から抱え込まれるように、全身に植物を繁らせたようなゴーレム型の魔獣に持ち上げられていた。
朦朧とする意識のなか、薄く目を開ければ。
「うーん?」
何か考え込むようにしげしげとこちらを見上げ、覗き込む男がそこに。ライツだ。
しばらく観察するようにシンヤを見上げていたが。やがて何を思ったか、破れた衣服の隙間から、ふいにその体へ手を差し入れる。
そして――。掴み取り、ビリと乱暴に引き剥がしたのはシンヤの体に巻かれていた包帯だった。手に取るなり、クンと鼻を鳴らして。
「薬草の匂いがするな……」
また悩ましそうな顔になってから、頭の後ろをガリガリ。
「やっぱこれ、誰かに手当てされてた感じだよなー」
再びシンヤを見上げてから言った。
「でもあんな場所にそう都合よく誰かいるか? まして、あの数の魔獣に追われてるなかで……」
ブツブツと独り言を溢すように。
「なぁ、ひょっとしてなんだが……。おまえさん、あのあとハーメルンに会ったのか?」
それからライツが立てた憶測。それはシンヤがあのあとハーメルンと出会い、よっぽどの幸運や気まぐれに恵まれたか、命乞いをしたうえで何かしら対価を寄こして見逃してもらったという内容。
だが――違う。シンヤは内心で強く否定した。そんなのはまったくの見当違い、的外れもいいところだと。
だってあの少女は、シンヤに何ひとつ求めなかった。ただこのバカのしでかした大バカを、自分の落ち度によるものと思い込んで。その真相を知っている自分が何も言わずに黙っていたから、命を拾って帰れた。ただ、それだけのこと。
自分はあの子を騙して、その善意に付け込んで生き延びたのだ。
「違うか?」
全然違う。答えられず、答えるつもりもない。
「はぁ、だんまりか」
一貫して黙秘を続けるシンヤに、ライツは小さく息を吐いた。
「とっとと吐いちまった方が身のためだと思うんだけどなー。かと言ってこれ以上やったら死んじまうし……いや、どうせやっちまうからそこは一緒なんだけどよ。さて、どうしたもんか」
軽く辺りを一瞥し、ライツはコキと首をゆるく鳴らすようにしてから続ける。
「なぁ俺さ、口先だけの脅しって嫌いなんだよ。ほら言うだろ、やらない脅しに意味はないって。なのにいるんだよなぁ、会ったばかりだってのにどうせハッタリだとか抜かすバカが。そういうのが腹立ってしょうがねぇから決めてんだ、やるって言ったことは必ずやるって。そのうえでよーく聞いてもらいたいんだが」
また何の話を始めたのかと思えば。
「俺はおまえさんをここで始末する。もう決めちまったし、そうしねぇと俺が不安で夜も眠れなくなっちまうから、そこは変わらねぇし変えてやれねぇ。でもまぁあれだ、一応まだ選べるところは残ってる。選択肢で言えば二択だな。楽に死ぬか、苦しんで死ぬか」
そんなことを言いながら、ライツは2本の指を順番に立てる。シンヤの目のまえでプラプラと揺らすようにしながら。
「もし俺の知りたいことを素直に教えてくれるんなら、聞き終わったあとでひと想いにさくっとやってやるよ。だがもしおまえさんがこのままだんまりを貫くつもりなら、俺も心を鬼にしなくちゃならねぇ。つっても、ここじゃあまり道具も揃ってねぇのが惜しいが……」
ひとしきり自分の流儀を語り終えると、ライツは自身の腰のポーチへスッと手を伸ばした。そこから取り出したのはペンチらしき工具で。
「コイツを使って、おまえさんを地道に壊してかなくちゃならねぇ。話す気になるまでな」
それからライツが並べたのは、これから施すらしい拷問のメニューについてだ。
「とりあえず歯とか舌は最後まで取っといてやるよ。そこを先に潰しちまうと、あとで喋る気になってもホガホガ何言ってるのかわからねぇからな。実はそれで、前に1回失敗したことがあんだ。その頃には指も全部落としちまってたから、筆談もできなくて大変だったよ。……ま、同じ轍は踏まねぇってことで、今回はちゃんと順番も考えてやってこうと思う。そうだな、まずは定番の爪から始めるとして……」
それからライツはシンヤの手指や顔のパーツをひとつずつ、ペンチで指し示していく。それが「目玉」と呟いたところで止まって。
「あーでも目玉はまずは片方だけだな。両方とも潰したら何も見えなくなっちまう。こういうのはちゃんと見えてるってのも大事だからよ。あと言っとくが目ぇ閉じたら瞼も削ぐからな、気に留めといてくれ。しっかし、こういうとき二つあるって便利だよな。つくづくよくできてるし、気が利いてるよ、人の体って」
あっはっはと笑い声が響き、そこでライツは思い出したように。
「っと、二つあるっていやそうだ。まだ他にもあったよなぁ、こういうのに欠かせない王道が」
シンヤの顔先に突きつけられていたペンチが、ゆっくりと下ろされていく。やがてその先端は、狙いを定めるように下方へと移り――。
「健全な男の子にしかできない大事な勲章がよ」
狙い澄ましたように、下腹部でピタリと止まった。そこでライツは肩から力を抜くようにブランとペンチを下ろして。
「まぁそんなとこか、メニューでいったら。細かい順番は俺の気分次第で多少入れ替わるかもだが……どうする? このままダンマリを決め込むなら俺はそれでも構わねぇ。それも含めて、俺は俺の気の済むようにやってくだけだからな。さっきも言った通り、俺はやるって言ったらやる男だからよーく考えてくれ。時間も腐るほどあるんだ、まぁ好きな方を……」
そのとき、ライツの言葉が不意に途切れたのは――ぺちゃり、とシンヤが血の混ざったツバを吐き捨て、それが彼の顔にかかったからだ。
聞いてもない蘊蓄を長々と垂れられて、心の底からウンザリしていたことも当然あるが……仕方ないだろう。どの道、言えないのだから。
ライツは選択肢のつもりで提示したみたいだが、シンヤに選び取れるのは実質片方だけだった。
コイツの頭がおかしいのは、もう十分すぎるくらいわかった。いま並べられた拷問メニューが脅しでもなんでもなく、彼にとっては既定路線のひとつに過ぎないことも。
でもだからこそ、やってやった。悩む余地がなく、聞かれるまえから迎える結末が同じとわかっているなら。楽な死に方ができないとわかったなら、油断してヘラヘラしている今のうちに少しでも報復してやった方がトータルでわずかにお得だ。
ザマァみろとできるし、何より気が晴れる。
「……やっぱ頭悪ぃな、おまえ」
呆れたように笑い、ヌッとその手が伸びてくる。
「じゃあさっそく……いや――」
手を取られたので宣言通り爪から始められるのかと思ったが、言った傍からもう気が変わったみたいだ。
「一番イキがいい今のうちに、一番いいとこいっとくか?」
ガチんと打ち鳴らされたペンチが、シンヤの下腹部へと近づいていって。カチャカチャとまさぐられる感触にとても不快なものを覚えながら、シンヤは思う。
そんなもの必要ないなんて、一丁前なことは言ったけれど。本当に術式を刻んでもらっておいてよかったと。その制約があるおかげで、この先どんなに痛くても、苦しくても、自分は絶対に彼女を裏切らなくて済むから。
ただひとつだけ心残りがあるとすれば……。言えなかったことだ。
本当に申し訳ない。せっかくあんなに手を尽くしてくれて、見送りまでしてくれたのに。またこんなすぐにボロボロになってしまって。
(こんなことなら……)
ちゃんと勇気を出して、あの子に本当のことを打ち明けていればよかった。それで魔獣のエサにされたとしても、何倍もマシで納得のいく終わりだったろうに。
「いくぞー? 心の準備はいいかー?」
せめて一言、謝りたかった。叶うことなら、ほんの少しだけ時間を戻して。あの子に……。
「まずは片方っと」
ごめん、と。胸の内で呟いた、その瞬間だった。
ズブンと体が、押し寄せた何かにさらわれる。何が起きたのかは分からないけれど、引き寄せられ、掬い上げられるような浮遊感があって。
気付けば誰かに触れられている。庇うように、大事に抱え込まれている感触がある。
「――ちょっと待ってください、なんで……」
震えた声がすぐ近くで漏れ、かすかに瞼を持ち上げれば――。
「これはいったい、どういう状況ですか……!?」
もう会うことはないと思っていた少女が、そこにいたのだ。




