013.「こう見えて……」
あのときライツがいきなりシンヤに浴びせかけてきた液体。
あれがなんだったのか、今となっては明らかだ。おそらくは特定の魔獣だけを引き寄せるフェロモン剤か何かだったのだろう。
作戦が思い通りに運ばず、追い込まれた途端――ライツは何のためらいもなくシンヤを囮に差し出した。トカゲの尻尾のようにあっさりと切り捨て、真っ先に逃げ出したのだ。シンヤを置いて、自分ひとりだけ。
――それが、あの日の真実。
だから本当は最初から知っていた。
『突然、魔獣たちが言うことを聞かなくなってしまったんです』
シンヤが最後まで打ち明けられず、黙秘し続けてしまった事の真相を。本当はもっと、ずっと早くに言わなくてはならなかった。正直に話すべきだったのに。
我が身可愛さに逃げ、後になってからは少女を裏切ることへの恐怖が先に出て、ついに言えないまま……。
(よくも……!)
怒りがこみ上げる。
「まさか、まだ本当に生きてたとはな。あの状況からよく助かったもんだ。どうやったんだ?」
あまりにも軽い調子で放たれたその言葉に、シンヤは奥歯をきつく噛み締めた。
そうだ。本当に死んでいてもおかしくなかった。むしろ、生きていることのほうが不思議なくらい。
今でも夢に見るほどの恐怖を味わわされたというのに……。
それでいて、よくも。どの面を下げて現れた。殴り飛ばしてやりたい衝動が、すぐそこまで込み上げ、拳を固く握りしめる。
でも、それはできなかった。わかりきっているからだ。今ここでやり合ったところで、自分ではこの男に歯が立たない。太刀打ちすらできないだろうと。
だからもう、この男には。
(これ以上、関わらないのが最善だ……)
そう言い聞かせ、込み上げる衝動を押し殺す。拳は固く結ばれたまま、黙って過ぎ去ろうとしたのだが。
「待てって。まだ話は終わってねぇだろ。それに別件だが、おまえさんにはちょいと用があってな」
通り過ぎようとしたシンヤの肩を掴み、行く手を遮ったのがライツだった。
「用……?」
「まぁとりあえず聞きたいんだが、おまえさんあの状況からどうやって生き残った?」
その問いをシンヤは内心で嘲った。どうやって生き残ったかだって?もちろん答えるつもりはない。
そもそもシンヤにその気が毛頭ないのもそうだが、それ以前に術式による制約があるからだ。つまり、今この場でどれだけ迫られても無駄なのである。いくら詰め寄ったところで、シンヤがそれを口外することはない。できない。
少なくともシンヤ経由で、この先誰かが真相に辿り着くことはないだろう。故に。
「さぁな。ご想像にお任せするよ」
シンヤは肩をすくめ、精一杯の憎まれ口でそう応じる。そのまま立ち去ろうとしたのだが。
「はぁ、まぁいいや。そこは追々確認するとして、じゃあもういっこの用事の方も聞いてくれ」
ライツはまたしても、シンヤの進路を塞いでくるではないか。
シンヤもそろそろ我慢の限界だった。もう関わりたくない。これ以上は一言だって言葉を交わしたくないから、早く立ち去りたいのに。
「なんなんだ、いったい!? いい加減にしろよ! 用事だかなんだか知らないが、さっさと済ませろ!」
怒気をあらわに叫び、掴まれた肩から手を鬱陶しげに振り払ったのだが。
「そうデカい声出すなよ」
ほどなく、シンヤの思考は凍りつくのだ。
「できれば取り乱さずに聞いてほしいんだけどな……」
告げられた用事の内容が、あまりにも身勝手なものだったから。
「は……?」
その真意を図れないまま、ゆっくりと彼を見上げて。
◆
理解が及ばず立ち尽くすシンヤへ、ライツの口調は実に淡々としたものだった。あれから何をしていたのか。なぜ今も森に残っているのか。それを悪びれもせず語り始める。
実を言うと、あのあとライツは一度現場へと引き返しているのだ。シンヤの死をこの目で確かめるために。
「まぁ仕事柄な、どうしようもねぇ場面ってのはある。みんなで仲良く共倒れするくらいなら、見捨てて一人でも生き残ったほうがマシだろってな。そりゃそうなんだが……」
いきなりなんの話を始めたのか。まだよくわかっていないらしいシンヤに向けて、まるで他人事のように。
「まぁ、ぶっちゃけ今回のは別だろ」
肩をすくめてからフッとほくそ笑んだ。
「俺がやったのは完全にアウトだ。なんつーか、あんま何も考えてなかったからな、あんときは。なんかもう、めんどくせーって。一番手っ取り早い手で片付けちまったんだよ。そう睨むなって、悪かったとは思ってるさ」
ガリガリと後ろ髪を掻きながら、どこかバツの悪そうにそんなことを。この期に及んで逆撫でされ、シンヤは腹が立って仕方なさそうだったが。でも本題はここからなもので、話を戻す。
「でもな、おまえがこのまま街に戻って、このことをギルドに報告でもしてみろ。俺の積み上げてきたなけなしの評価や信用も、まとめて吹き飛んじまう」
そう、だから確実に死体を見ておきたかったのだ。
でも戻った現場にそれはなかった。
引きずられたような血の痕はある。だが、喰われたにしては量がどうにも中途半端だ。丸呑みにでもされていない限り、絶対何かは残るはずなのに。
(……どういうことだ?)
その痕跡がまったく見当たらない現状に違和感を拭えなかった。だからライツは森に留まり、確かな証拠を探り続けたのである。
とりあえずは近辺にいた魔獣を狩り、腹を裂いて確かめた。2~3日ほどそうやって過ごしたが何も見つからず、イヤで仕方なかったが鼻を摘まみ、魔獣の糞まで枝で突いて漁った。
それでも亡骸はおろか、遺留品ひとつ見つからない。
(本当にどうなってる……? それとも単に俺が考えすぎなだけなのか……?)
やっぱり八つ裂きにされ、食いつくされてしまったのかと、そう思う。でも踏ん切りがつかなかった。長くても一週間くらいで切り上げるつもりだった期限を十日に伸ばし、念には念をと痕跡を探し続けて。
それでも何も見つからない。いくら何でも、もう大丈夫か。さすがに帰ろう。取り越し苦労だったと思いかけた、その矢先だったのだ。山道を下りてくるシンヤを見つけたのは。
その瞬間、ライツの胸に湧いたのは――驚きでも安堵でもない。苛立ちだ。
なにせ切り上げようと思ったタイミングはそれまでにいくつもあったのだ。もしそのどれかで退いていれば、シンヤの生存をミスミス見逃していたことになる。
ダメなのだ、そういうのは。性格的に。ほんのわずかでも詰めが甘ければと思うと、背筋が冷える。精神衛生的に良くない。
舌打ちをした。ただでさえ石橋を叩き過ぎていつまでたっても渡れない性格なのに、こういうことがあるからさらに拍車がかかってしまうではないかと。やめてほしい。
おまけに聞き出そうとしたことにも満足に答えないではないか。もともと燻っていた苛立ちが、さらに膨れ上がる。
だがまぁ、仏の心で大目に見てやることにした。だってもう、どうせコイツはここで終わりなのだから。そのあたりを説明してから、ライツは淡々と続ける。
「まぁ、なんにしても良かったよ。おまえがちゃんと見つかってくれて。これで枕を高くして寝られるってもんさ」
軽く肩をすくめ、平然と言い放つ。ようやく自分の置かれた状況を理解したか。
「おい、待てよ。さっきから何言ってんだ、おまえ……。冗談、だろ……?」
声を上擦らせ後退りを始めたシンヤに向けて。だが残念、冗談でも何でもない。いい加減にしろとかさっき言われた気がするが、それはこちらのセリフだ。
「冗談でこんなとこに一週間以上も張り付くかよ。ったく、相変わらずめでたい奴だよなぁ、おまえ。言ってあったはずだぜ?」
口の端を吊り上げるように、ニタリと。ライツは歪んだ笑みを浮かべ、これからシンヤの辿る結末に否やがないことを突き付けた。
「――こう見えて俺は慎重なんだ」




