011.「帰路」
体のどこかに術式を書き込み、その術式をもってシンヤの行動を縛る。制限する。
それが少女の示した調教のやり方だ。
手法としてはごく一般的なもので、ちなみにシンヤも一応は底辺テイマーの端くれ。だから術式のことはよく知っているし、わかってしまうのだが――。
実を言うと少女がシンヤの利き腕に刻んだそれは、お世辞にも出来栄えのいいものとは言えなかった。
まず形が整っていない。本来なら均整の取れた幾何学模様になるはずだが、どう見ても左右非対称。全体的にガタガタで角度もあちこちずれている。重ねるべき線がずれて交差し、余計な隙間が生まれているし、筆圧もかなり不安定だ。
一定の太さを保てておらず、ところどころで細くなったり、逆に滲んだように太く膨らんでいたり。円を描くはずの部分も微妙に歪み、閉じきれていない箇所すらあって。
書いてもらっているときも正直、思ってしまったことだが。
「こうして改めて確認すると、なかなか……」
腕前としては、ほぼアマチュア。
お世辞にも上手とは言えない仕上がりになっていた。
といっても、仕方ないこととは思う。
少女が普段、魔獣を言い聞かせている方法では加減が利かず、シンヤにかかる負荷がどうしても大きくなってしまう。たぶん象に蟻を愛でる力加減が難しいのと同じようなものだ。
だからこそ術式という形を取ったわけだが、そもそも彼女は、生まれ持った才覚だけで大型魔獣すら従えられるほどの天賦の才の持ち主。なればこそ、そうした補助手段に頼る機会など、これまで一度もなかったのだろう。
『あ、あれ……? おかしいですね、ここ綺麗に繋がるはずだったんですけど……。ちょっと待ってくださいね……。ええっと……?』
『ん……? なんでこことココが繋がって……? だってここはこっちと繋がるはずで……ちょ、ちょっとやり直し――いや、やっぱりこのままでも……?』
『これで完成……のはずなんですけど……なんでここ閉じてないんでしょう……? こっちにも不可解な隙間が……? だってここは繋がる位置で、こっちは独立してるはず……さっきはちゃんとできてたのに……。え、またやり直し……?』
ちょっと目も当てられないことになっていた。
『み、見なかったことにしましょうか……』
『ダメだろ』
もはや少女の心は折れかけていたし、シンヤも見かねてしまう。そこで少しばかり指南というか、手ほどきをしたというわけ。
『……こうですか、先生?』
『先生じゃないけど』
『お師匠さん』
『余計違うって』
『引き続き、ご指南ご鞭撻のほどよろしくお願いします!』
そうしてどうにか完成までこぎつけたのが、この術式だった。
まぁ正直なところ、完成度はまだまだ低い。仕上がりの粗さも気になるが、それ以上に、目的に照らせば見過ごせない問題を二つほど抱えている。
ひとつはその内容だ。
『魔獣使いハーメルンについて、見聞きしたすべての情報を第三者と共有する行為の一切を禁ずる』――ザックリそんな形に落ち着いてはいるが、実のところまだ甘い。
共有という枠に収まらない行為、たとえば日記のように個人的な記録として書き残すことまでは、縛れていないからだ。本来ならばそこも詰めるべきなのだろうが、その頃には少女の気力はとっくに限界を迎え、ショートしていた。
もう少しだから頑張れなどとシンヤも応援していたもので、今さら口を挟むのも気が引けてしまう。
(ま、いいか。細かいことだし。いいよな……?)
どうせ日記なんて書いてないし、大きな問題にはならないだろう。そう思い、看過することにした。あくまで親切だ。
そしてもうひとつは、術式を刻む位置だ。手首では最悪、切り落とせばそれで効力を断ててしまう。だから本来、テイムの刻印は体から切り離せない部位――首や胴に施すのが基本とされている。
もっとも、それについては、もっと早い段階で指摘することもできた。でもあえて言わなかったのは――シンヤのとても個人的な都合、気持ち的なところが大きい。すぐ目に入る場所に残しておきたかったのである。今日までのことが嘘でも幻でもなかったのだと、その証を。
もう二度と会えなかったとしても、ふと視線を落とすだけで思い返せるように。この日々の思い出に浸れるように。お腹では服に隠れてしまうし、首元では鏡が必要になる。
だから――。
『手首とかでいいですか?』
たぶんそういうセオリーを何も知らなかった少女からの提案を、そのまま受け入れて。でもやっぱりそうしておいて良かった。正解だったと思う。これでいつでも目に入る。さっそく確かめられたし、どこかお守りのようにも見えたから。
たしかに腕を切り落とされたら、の話はあるかもしれないが。それも問題にはならない。
なにせシンヤは決めているからだ。仮にこの腕をどこかで失う日が来たとしても、その誓約だけは必ず守り抜くと。
生涯にわたって他言無用。この日々は自分だけの胸の内に秘めておく大事な思い出だ。誰にも話さないし、武勇伝にすることもあり得ない。
悲しいことに、そもそも話せるような相手もほとんど思い当たらないのだ。だから実質的にはノーリスクということで、気づいていながら指摘しなかった後ろめたさとも、そうやって折り合いを付けた。
「本当にいいものをもらったな」
何のご利益もない、お守りのような記念品。きっとこの先一生残るだろう思い出の品を陽の光に透かすように見上げながら、シンヤは思う。
またいつか、彼女と会えるだろうか。
何なら会いに行ってはダメだろうかと。
でも実を言うと、その試みはさっきあっさりと頓挫しているのだ。別れ際、先に口を開いたのは少女の方だ。
『さあ、もう安心です。ここまで来れば魔獣に襲われる心配もないですから。あとは――ひとりで帰れますよね?』
そう言って立ち止まり、ゆっくりとシンヤの方を向く。
『できればちゃんと完治するまでお世話させてもらいたかったのですが、あまり長く引き止めてしまってもご迷惑でしょうし……。とにかく今日まで私の我儘に付き合っていただいて、本当にありがとうございました。そして何より、ごめんなさい』
改まってそんなことを言われて、シンヤとしても気の利いたセリフのひとつも言いたかったのだが。うまく言葉が出てこない。
『いや、礼を言うのはこっちだよ』
とりあえずそうと切り出してみて、途中で何を言いたいのかもよくわからなくなってしまった。そして――。
『なんていうか、その……』
『……?』
散々ゴニョゴニョした挙句、シンヤの言わんとしていたことを察したように先に言われてしまったのである。
『もう二度とここに来てはいけませんよ。また同じことになっても、今度は助けてあげませんからね』
――と。言い出すよりも早く、にこやかな笑顔で先を塞がれてしまって。
そのときになって、シンヤはようやく気づいた。自分は今、少女にとってとんでもなくハタ迷惑な我儘を通そうとしていたのだと。
(そっか……そりゃそうだよな……)
胸の内でストンと納得が落ちる。それと同時に、張り詰めていたものがふっとほどけた。これだけは言おうと決めていた言葉が、すんなりと出てきて。
『こっちこそ本当に世話になった。ありがとな、ゴンさん』
『いえ、お粗末さまでした。お元気でいてくださいね』
最後に握手を交わして、別れたのだ。
そんなわけで、シンヤはもう完全にタイミングを逃してしまっている。
けれど――それでよかったのかもしれない。少女が自分を助けたのは、あくまで責任を取るためだ。
その役目をしっかり果たして、ようやく解放されたところに、またこちらから押しかけたいなんてハタ迷惑以外の何物でもないだろう。
口に出すまえに少女の方からキッパリ断ってもらって良かった。そう、これで良かったのだ。
頭では分かっている。それでもまだ、やっぱりまたどこかでバッタリ再会できたらなんて、そんなことを考えてしまうけれど。
「…………」
結局のところ、あの少女のことはほとんど何もわからない。なぜあの森にいたのか。ハーメルンと呼ばれる魔獣使いとして、そこに在り続けていた理由も。聞く機会はなかったし、聞くべきでないとも思っていたから。
でももしこの先、何かしらのご縁で、どこかで偶然にも再会できたなら――そのときは、きちんとお礼を言いたいのだ。ありそうもないそんな展開をぼんやりと思い描いてみつつ、希望はかなり薄くて。
「……もう会えないのかな」
これも一期一会かと諦め、ポツリと呟いたときだった。
「おいおい、ちょっと待て。冗談だろ……?」
耳覚えのあるなんてものではないその声は、行手より唐突に。
「何でおまえさんが生きてる?」




