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白い。
どっちを向いても白い空間。
「セルゲイ」
母さんが呼んでいる。
早く行かなくては。
逃げなくちゃいけないから。
どこへ? どうして?――わからない……。
小さな手も足も冷え切り、足を前に出すのはとてもつらかった。
ボウメイってなに?
もうボウメイしたくないよ。
車は途中で止まってしまったのに、それでも降りて先へ先へと進む母の手を強く握る。
それはこの先で父さんが待っているから。
どうして迎えにきてくれないのかな?
「もう少しよ。もう少しで父さんに会えるわ。そしたら温かいココアをもらいましょう」
母さんの優しい笑顔と温かいココアを励みに一生懸命歩く。
――なのに、気がついたとき、白い雪は鮮やかなまでの赤い血に染まっていた。
目の前に立っていたはずの父さんも、笑顔を見せてくれた母さんも、その赤の中に倒れていた。
去っていくアマカーテアの制服たちを見たのを最後に、自分自身を手放した。
気がついたとき、彼は違う名前で呼ばれていた。
アランて誰?
それが自分のことだと理解するのにしばらくかかった。
僕はどうしてここにいるんだろう?
そう思う自分をよそに、僕じゃない僕が動く。
血なんて恐くない。
俺は俺であるだけだ。
走れ。こんなところにはいられない。俺は探さなきゃならないんだ。何かを。
「アラン!」
上総の悲鳴。
僕は今何をした?
雪に染まる赤。
僕は僕じゃない。
走れ。白い雪の中をどこまでも。
交わっていく僕と俺……。
誰にも邪魔なんかさせない。
俺の邪魔をするものはゆるさない。
★
「上総……? ああ、かずさとよむのね」
そう言っておばさんは僕を抱きしめた。
ここはどこ?
寒いよ、ママ。
ママ、ママ、ごめんなさい。もうおいたしないよ。
おうちに帰りたい。
ママ、ママ。
思いはむなしく、いつしか慣れる生活。
戦災孤児だと後で聞かされた。
何か違う……そうは思いながらも、何が違うのかわからないまま時は過ぎ行く。
「銃を教えてやるよ」
アラン……信じてた……。
本当のお兄ちゃんみたいだって思ってた。
「上総、逃げよう、僕と。ここは僕達のいるところじゃないよ」
走った。
なのにどうして……。
冷たいのに、腹に当てた手のひらに妙にヌメヌメとした暖かさを感じながら、初めて死を間近に感じた。
★
彼女に初めて会ったのは十一歳の夏。
「は? アナサニイ? 変な名前」
「ちがう。アンナ・ヒサニシよ! どう聞けばそうなるのよ」
「いいじゃないか。似たようなもんだよ」
「どこが?!」
アンナはきれいで、僕はいつも自分の気持ちと反対のことを言っては彼女を怒らせていた。
アナサニイ。僕だけが呼べる特別な名前……。
「アンナ、僕父さんのところへ行くんだ!」
あれは十九歳の夏。
「待ってて、アンナ。これは父さんに認めてもらうチャンスなんだ」
「――どれくらい行ってしまうの?」
「一年か二年。平和の像を作るんだよ」
「そう。……がんばってね! あなたならできるわ」
「デザインは決めてあるんだ。女神だよ。平和の女神。名前はアンナと付けるんだ」
「マコト……」
「……愛してるよ、アンナ。僕のアナサニイ。帰ってきたら結婚しよう」
夢のように幸せな日々。
しかし、女神の完成を彼女に知らせることはできなかった。
事故によって永遠に消えてしまった、僕のアナサニイ。
そして、自らを蝕む病。
いっそ彼女を追いかけたかった。それでも、やっと父親に認められたことが歯止めをかけ、父の勧めるまま長い睡眠治療を受けることにした。確率の低い治療。だが、そのまま死が訪れてもかまわなかった。
「君の名前はアンナだよ」
女神に意思をプログラムした。
いつか、もしも目覚めることができたら言ってほしかったのかもしれない。
『おはよう、マコト』
あの輝くような笑顔で……もう一度。
★
おじいちゃんの願いで、あたしとパパは地球に行った。
本当はあたし一人で行く予定だったのに、地球でお仕事が入ったとかでパパも一緒にくることになってしまったのだ。せっかくの一人旅! 大人みたい! って思ってたのに。
でも、ちょっとした好奇心から始まるトラブル……。
「ここはどこ?」
困惑して泣きそうになる十一歳のあたしに、彼は困ったように『地球』と言った。
そんなはずはないと首を振る。
――でも地球だった。ただ遠い昔だっただけ。
極秘の時間管理。時間と次元を研究する秘密の組織。
タイムとラベルは可能なの。
ただ正確に時間を設定できない。
あちこちにある時間の「ひずみ」に限っては、いつどこに飛んじゃうのかもわからない。
「パセウなんとかサルーダの名前ってそんなに大事なの? リオン」
ずっと昔から時と次元の「ひずみ」を管理するという一族の長をあらわす名前。
難しくてわからない。
時間を操るなんてことができるの?
どこに飛んでいくかもわからないのに?
「どこがどこに繋がってるか……。それを調べて管理するのも仕事なんだって」
それをしていたのが彼のお友達。
といっても年のうんとはなれたおじいちゃんで、彼はリオンを後継者に選んだ。
でも、それをいやだと思う人たちの罠にかけられて、リオンはあたしたちと変な時代に来ちゃったんだ……。
きれいで強いリオン。
でも一人じゃムリだよ、死んじゃうよ。
初めて見た時からそばにいたい、この人を守りたい、助けたいと思った。
――それなのにあたしのせいで。
いやっ!
一人にしないって約束してくれたでしょう? 一人で行かないって言ったくせに!
ぐったり倒れこむリオンに夢中で駆け寄って、あたしの中の何かが音をたてて切れた。
バカバカバカ!
哀しくて、怒りで気が狂いそうで……
『リオン、聞こえますか?』
遠く響く声。
帰れるんだよ、リオン。……でもあたし、疲れた。……痛みももう感じない。ああ、なんだか目の前がぼんやりする。
彼の手を握り締め、どうしても言いたかったことを言った。
「約束だよ。一人で行ってしまわないで……。大好き……リオン……」
でもそれは、声にはならなかったのかもしれない……。
★
胸が苦しい。痛い。
あたしと、あたし以外の記憶が渦を巻いている。
雪……血……寒い……哀しい……痛い……
どれが自分のものかわからない。
大好き――誰を?
ごめんなさい――誰に?
助けて――誰が?
わからない、わからない、わからない。
一方的にした指きり。
『待ってるから』
天使のような巻き毛の少女。
『一緒にいきます』
凛としたエメラルドの瞳をした少女。
『頑張ってね』
ちょっと気の強そうな、それでいてきれいな少女。
渦巻く少女達。
思い……想い……。
胸が苦しい。痛い。
あたしは誰? 壊れてしまいそう。
助けて。
助けて……。
伸ばした手を誰か……。
★
「マリノ」
ひんやりした手の感触。
ぼんやりしながら、ただその手を握り返す。
深い安心感。
涙でぐしゃぐしゃになってる……。
「マリノ」
なつかしさに夢中で抱きつく。
「リオン、会いたかった」
これは夢?
あたしは死んだのかな?




