十六話 なんだっていい! 奴を殺すチャンスだ!
四章これまでのあらすじ
「あの世で俺にわび続けろゼルクラッドーーーーッ!」
試合が始まってすぐ、ゼルクラッドはそれが試合ではなく死合いである事に気付いた。レインの攻撃一つ一つに、驚くほど研ぎ澄まされた殺意が乗っている。
片手剣は容赦なく首を刈る軌道を描き、盾は頭蓋骨を潰す力強さで叩き付けられる。寸止めの意思は感じられず、寸止めできる攻撃でもなかった。
困惑する。ゼルクラッドがレインに殺す気で攻撃されたのはこれが始めての事。並の兵士なら初撃で昏倒し追撃で絶命するであろう連撃を確実に捌きながら、なぜ今レインが殺意を乗せてきたのか、その意図を推し量る。
ゼルクラッドは人の気持ちを察するのが得意な方だ。それが日常的なさりげない気遣いに現れているし、信頼の獲得に繋がっている。
ただ、レインの本心を察するのは難し過ぎた。
レインはこれまで自分の淀んだ部分を非常に巧く隠していた。ゼルクラッドの前では特に注意して隠していたため、事前に秘めた感情に気付けなかった事を責めるのは酷だろう。疑ってかかっていても気付けたかは怪しい。それに、身近だからこそ分からない事もあるもので、レインが隠していたのは正にそれだった。
更にレインは心の均衡が崩れても、変わらなかった。表裏一体の感情の裏側が出てきただけで、レインは未だゼルクラッドを尊敬していて、親友だと思っていて、憎んでもいなかった。憎んでいるとしたら自分自身に対してだろう。
全ていつも通りに、しかし殺しに来ている。そんな奇妙な状態が、ゼルクラッドの洞察を妨げた。
結果「殺す気で攻撃してもゼルクラッドなら死なないと信じている」と誤解した。レインの武術大会に賭ける情熱の表れだと思ったのだ。実際、殺す気でもなければレインがゼルクラッドに勝つ見込みはない。ルール違反でも無いのだから、咎められるいわれもない。
考えをまとめたゼルクラッドは攻めに転じ、レインを殺さない範囲で反撃に出た。殺意に殺意で返す理由はない。少なくとも、ゼルクラッドにとっては。
レインが殺しも辞さないほど勝利に価値を感じているなら、ゼルクラッドは負けても構わないほど不殺に価値を感じている。価値観、信念の差だった。
ゼルクラッドが反撃に出た途端、レインは防戦一方になった。盾越しの蹴りの衝撃がレインの体を痺れさせ、鍔ぜり合いから滑り込むように放たれた突きが肩を刺す。無理に反撃すれば堅実に受け流され、できた隙に反撃をもらった。時間をかけて確実に、じりじりと崩されていく。
いつもの訓練と同じ流れだった。レインの心構えの変化の影響か、戦闘時間が長引いてはいたが、二人の実力差は心境の変化ですぐに埋まるほどのものでもなかった。
しかし長引いても決して退屈さを感じさせない戦いに観客は湧いている。一方的な戦いではあったが、レインが決して諦めず勝ちを狙っている事が傍目にもはっきりと分かった。
盾を失い、全身傷だらけで、レインは肩で息をしている。敗北の時が近づいていた。レインの意思に関係なく、疲労と負傷で体が物理的に動かなくなる、その時が。
自分の体の事は自分が一番よく分かる。レインは負けを悟った。まさか体力を削り切られるほど長引く――――長引かされるとは思ってもみなかった。負けると思った瞬間、レインは激昂した。
殺す気でいけば勝てると甘く見た楽観への怒り。この期に及んで「ここで殺気を収めて潔く降参すれば、まだ有耶無耶にして日常に戻れる」と考えてしまった打算への怒り。死力を尽くして挑んでも涼しい顔をしているゼルクラッドへの怒り。自分の弱さへの怒り。血を吐く努力と決意を嘲笑うが如き不条理な世界への怒り。
それまでの冷静さが吹き飛び、頭が沸騰したかと思った。
その瞬間、レインの壊力嵐迅が発動した。
ここで発動したのは奇跡でも偶然でもない。レインにとって、ここでの敗北は命を失うよりも恐ろしかった。極度の危機感と激情は脳内で様々な物質を分泌させ、俗にいう走馬燈現象と火事場の馬鹿力を引き起こす。もちろん、全ての人間が土壇場で覚醒するほど世の中は都合よくできていない。レインが瀬戸際で力を発揮できたのは、間違いなく苦しく辛い修行の日々があったからだ。
しかし、本来ゆっくり習得し、体を慣らして使いこなすものを急に発動させたツケはやってくる。
限界を超えたため全身の血管が浮き上って脈打ち、目は血走り、鼻血がだらだらと出ていた。呼吸は激しく、いくら息を吸っても酸素が足りない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
獣の断末魔のような身の毛もよだつ叫び声を上げながら、無我夢中で剣を振るった。急に力を盛り返したレインにゼルクラッドは不意を突かれ、体勢を崩し、そのまま滅多打ちにされる。
発揮する力に比例して体力の消耗も大きくなる。ただでさえ体力を削られていたのだから、ここでしのぎ切られれば、ゼルクラッドの反撃を待つまでもなく力尽きる。それが分かっているからこそ、後先考えない怒涛の攻めに出た。この一瞬を切り取れば、レインの力はサフカナに匹敵した。
無茶苦茶に打ち付けた剣は刃が欠け、折れ曲がり、もはや鈍器といっていい。殴る殴る殴る。攻撃できればなんでも良かった。
体に染み込んだ訓練が勝手に手足を動かす。何をどうやっているのか自分でも分からない。分からない。
魂を絞り出したような猛攻も長くは続かず、やがて無慈悲に限界が訪れた。
壊力嵐迅が切れ、体が一気に重くなる。耳に音が戻り、視界に色が戻る。手に力が入らなくなり、剣を握れなくなり、引っ掛けてぶら下げているような状態になる。
ゼルクラッドは倒れていたが、立ち上がろうとしていた。
レインは立っているが、今にも倒れそうだった。
体の感覚が無かった。視界が小刻みにゆれ、間接的に全身が痙攣している事を知る。ガクガクと壊れた操り人形のようなぎこちない動きで、ゼルクラッドに近付く。トドメを刺すためだ。人間を殺すのに大きな力は要らない。相手が抵抗しなければ、首に刃物を当て、押すだけでいい。まだそれができるだけの力は辛うじて残っていた。
ゼルクラッドが立ち上がる前に、早く、早く、と焦る。しかしそのゼルクラッドは、なぜか何度も立ち上がろうとして転んでいた。
よく分からないが、チャンスだ。レインはゼルクラッドの前までやってきた。その時、信じられない言葉を耳にした。
「まいった」
「……え?」
「まいった。俺の負けだ。立てない」
ゼルクラッドは脳震盪を起こしていた。地面に這いつくばり、うつ伏せに横たわり、武器を投げ出していた。
遠巻きに見ていた審判がレインの勝利を宣言した。
まさかの逆転劇に観客が爆発するように歓声を上げた。花やら硬貨やら酒瓶やらが闘技場にあちらこちらから投げ込まれ、降り注ぐ。会場の誰もがレインの勝利を祝福していた。
レインの心にじわじわと自分が成し遂げた事が染み渡る。
涙が滲んだ。凍り付いていた胸に火が灯ったようだった。全てが報われた、今はただ喜ぼう、勝ち取った、とうとうゼルクラッドに勝利したのだ――――ー
「強くなったな、レイン」
「 」
そしてレインは言葉と表情を失った。
ゼルクラッドのそれは、まさに余計な一言の手本だった。
最善は蔑み罵る事だった。そこまでしなくても、せめて悔しがってさえいれば良かった。そうすればレインは人生最大の喜びの後に自分の悪を懺悔するか、開き直って悪人になる事ができただろう。
ゼルクラッドが万感の想いで贈った最高にして最悪の褒め言葉は、最凶のタイミングでレインに届いてしまった。今のレインにとって裏表のない賞賛ほど残酷なものはない。
何年もかけてフラストレーションを限界まで溜め、一気に解放され幸福の絶頂を感じたその瞬間、地の底まで叩き落とす。わざとやっているなら悪魔の所業だ。
呆然自失。
もう何も考えられない。
もう何も感じられない。
レインは気を失った。駆け付けた衛生兵がレインをタンカに乗せ、熱狂と祝福の明るいムードの中で退場していく。ゼルクラッドもレインが気を失う直前に見せた不可思議な反応に違和感を感じながらも、衛生兵に肩を貸されてその場を後にする。
悲劇的な実情とは裏腹に最高潮の盛り上がりを見せる闘技場が、レインの歩んできた道と末路を象徴的に表していた。
この日の夜を境にして、レインは行方不明になった。
何かの試合や勝負で、イカサマをして勝った。
イカサマがバレないかドキドキしながら勝利宣言をした。
すると、負けた相手が「君、凄いね! きっと真面目にたくさん練習したんだね! 尊敬するよ!」と無邪気に褒めてきた。
結果、良心の呵責で死ぬ。
そんな話。
さて、今回のあとがきはちょっと長いです。暇な人は流し読みしてください。
前書きネタ満載のあらすじがありましたが、あれはふざけているようで割と本気です。ええ、そうです。ライブ・ア・ライブです。プレイした事はないんですけど、あの世で俺に詫び続けるRPGってフレーズがもう大好きで。オルステッドを語感の近いゼルクラッドにして、アリシアをアリアーニャ、ストレイボウをレインに。四章のここまでは七割あの名シーンをクロル流にアレンジして再現するためにあったと言って過言ではありません。ここまで読んでから四章を読み返すと「あ、ここでやばいレインのフラストレーション溜まってる、ここでも溜まってる、お願い気付いてあげてぇぇ!」と悶えるように、伏線を張りまくっています。
特に魔王城から生還するゼルクラッドとレインが対面するシーンには力を入れました。なるべく読者を初見で誤解させ、かつ読み返した時に別の意味が読み取れるように、ギリギリの描写を。感想欄で誰も気付いていないのを確認して一人ニヤニヤしていました。
この小説最大の鬱シーンが終わり、あと大きなイベント3つで四章は終了。ノーライフ・ライフも終わりが近づいてきました。最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。