合格へのスタートライン
第51話「合格へのスタートライン」
高校最後のインターハイが終わった。
大石早苗。
女子100メートル、全国優勝。
川端莉央とのワンツーフィニッシュ。
田中直樹。
男子5000メートル、全国優勝。
森山海斗とのワンツーフィニッシュ。
高校生アスリートとして、二人は申し分のない結果を残した。
だが、鹿児島高校へ戻った翌日。
机の上に待っていたものは、金メダルでも表彰状でもなかった。
参考書。
問題集。
模擬試験。
そして。
大学入試。
世界一でも受験生
「大石」
「はい」
福留千鶴先生が進路資料を渡す。
「ここからは本当に受験モードだからね」
「はい」
「田中君も」
「はい」
「二人とも競技実績は十分。でも、それだけを頼りにしない進路を自分たちで選んだんだから」
二人は頷いた。
最初に決めた大学。
鹿児島にある大学。
早苗は保育・幼児教育。
直樹は交通・鉄道につながる分野。
競技も続けられる。
それぞれが将来やりたい仕事へ進める。
そして何より。
二人が育った鹿児島にある。
世界を見たからこそ。
二人は、自分たちの原点から未来へ進む道を選んだ。
元素記号、帰還
放課後。
図書館。
「直樹!」
「何?」
「元素記号、帰ってきた!」
「よかったじゃん」
「HもOもNaもClも帰還しました!」
「おめでとうございます」
「長い旅だった」
「どこ行ってたんだよ」
「分からん」
「家出設定なのにそこ考えてないんかい!」
早苗は化学の問題集を得意げに見せる。
「見て」
「お」
「前よりできた」
「ほんとじゃん」
「僕、成長しちょる」
「最初から普通に勉強してればな」
「それ言ったら物語が始まらん」
「何の物語だよ」
しかし。
早苗が次に日本史の問題集を開く。
「……」
「どうした?」
「直樹」
「何?」
「今度は日本史の年号が家出した」
「一教科帰ってくるたび一教科消えるのやめろ!」
「鎌倉時代付近で大量失踪」
「捜索範囲を時代で言うな!」
「室町方面にも行方不明者多数」
「歴史災害みたいに報告すんな!」
模擬試験
それでも。
笑ってばかりではなかった。
早苗は毎日机へ向かった。
英語は大きく伸びた。
アトランタで実際に英語を使った経験が大きかった。
文章を見ても、以前ほど身構えない。
英作文も強くなった。
ただし。
例文には相変わらず梅ジュースが頻繁に登場した。
数学。
少しずつ改善。
化学。
元素記号、ほぼ全員帰還。
日本史。
捜索活動継続中。
そして模試。
早苗は答案を受け取った。
「……」
直樹。
「どう?」
早苗が判定欄を見る。
「上がった」
「どこまで?」
「B」
「おお!」
「B!」
早苗が両手を上げる。
「直樹!」
「図書館!」
「ごめんなさい!」
小声になる。
「Bだよ!」
「見れば分かる」
「前までCだったのに!」
「頑張ったじゃん」
早苗は嬉しそうに答案を見る。
「世界一取った時くらい嬉しい」
「それは盛りすぎ」
「じゃあ梅ジュース一リットル見つけた時くらい」
「比較対象がおかしい!」
一方。
直樹も安定して合格圏へ近づいていた。
しかし。
二人ともまだ安心はしない。
本番で点を取らなければ意味がない。
出願
冬。
ついに。
願書を提出する日が来た。
早苗は封筒を何度も確認する。
「名前よし」
「うん」
「住所よし」
「うん」
「必要書類よし」
「うん」
「写真よし」
「うん」
「梅ジュース」
「いらん!」
「念のため」
「願書に添付すんな!」
「大学の人、喜ぶかも」
「受験書類に飲み物送りつけるな!」
福留先生。
「大石さん」
「はい」
「田中君に止めてもらってよかったですね」
「はい……」
「本当に入れようとしてたんかい!」
入試前夜
そして。
入試前夜。
早苗の部屋。
机には筆記用具。
受験票。
時計。
必要なものを全部並べてある。
母の美紀が確認する。
「忘れ物ない?」
「多分」
「受験票」
「ある」
「筆箱」
「ある」
「時計」
「ある」
「梅ジュース」
「ある!」
「それは忘れんのね」
「最重要」
兄の翔太が笑う。
「早苗、アトランタ行く時はスパイク忘れそうになったのに」
「昔の話!」
「梅ジュース6.5リットルは忘れなかった」
「家族まで蒸し返すな!」
それでも。
ベッドへ入ると。
眠れない。
天井を見る。
100メートル決勝。
アトランタ。
世界大会。
インターハイ。
どれも緊張した。
でも。
「……明日の方が怖いかも」
走るなら。
号砲が鳴れば身体が動く。
100メートル先には答えがある。
入試には。
問題用紙を開くまで、何が出るか分からない。
入試本番
翌朝。
大学。
早苗と直樹は校門前に立った。
「直樹」
「何?」
「僕、逃げたい」
「駄目」
「100メートルなら11秒台で逃げられる」
「その能力を今使うな!」
「じゃあ5000メートル走って時間潰す?」
「受験しろ!」
早苗が大きく息を吐く。
「よし」
「大丈夫?」
「分からん」
「俺も」
「直樹も緊張してる?」
「当たり前じゃん」
早苗は少し笑った。
「じゃあ行こう」
「うん」
二人はそれぞれの試験会場へ向かった。
問題用紙
開始。
早苗は問題用紙を開く。
国語。
英語。
数学。
必要な科目へ、一つずつ向き合う。
分からない問題もある。
でも。
以前とは違う。
分からないからといって、頭の中で全部を爆発させない。
「できるところから」
心の中で言う。
有馬監督から競技で教えられたこと。
直樹と勉強しながら覚えたこと。
一問。
次。
また一問。
数学。
三平方の定理。
早苗の目が止まる。
「……」
脳内。
三平方の定理が立っている。
阿波踊りはしない。
噴火もしない。
錦江湾にも飛び込まない。
桜島フェリーにも乗らない。
ただそこにいる。
早苗。
「よし」
解き始める。
ついに。
三平方の定理。
完全帰還。
試験終了
夕方。
大学の外。
直樹が出てくる。
少し遅れて早苗。
「直樹!」
「お疲れ」
「終わったぁ!」
「どうだった?」
「分からん!」
「即答」
「でも全部出した」
「俺も」
早苗。
「三平方の定理いたよ」
「いた?」
「ちゃんと僕の頭の中に」
「おお」
「阿波踊りしなかった」
「成長したな」
「噴火もしなかった」
「当たり前」
「フェリーにも乗らなかった」
「数学の公式を鹿児島観光させるな!」
二人は笑った。
もう。
できることはない。
待つ時間
ここからが。
早苗には一番つらかった。
合格発表まで。
数日。
「長い」
学校。
「まだ?」
翌日。
「まだ?」
その翌日。
「まだぁ?」
直樹。
「俺に聞いても早くならん!」
「100メートルなら11秒ちょっとで結果出るのに!」
「大学入試と比べるな!」
「5000メートルでも13分!」
「それでも出ない!」
「アトランタの写真判定より長い!」
「数日だからな!」
早苗は机へ突っ伏す。
「僕、告白する時より緊張しちょる」
直樹が固まる。
「……俺に?」
「うん」
「あの時より?」
「全然」
「なんか傷つくな」
「だって告白は、直樹が僕のこと好きなの何となく分かっちょったもん」
「え」
「分かりやすかった」
「マジ?」
「うん」
「……」
直樹が赤くなる。
「何赤くなってんの?」
「うるさい」
「かわいい」
「合格発表の話どこ行った!」
前夜
発表前夜。
二人はLINEで話していた。
「眠れそう?」
「無理」
「俺も」
「直樹」
「何?」
「もし僕だけ落ちたらどうしよう」
少し間。
「その時考えよう」
「直樹だけ落ちたら?」
「その時考える」
「二人とも落ちたら?」
「その時も考える」
「二人とも受かったら?」
直樹。
「梅ジュースで乾杯だろ」
早苗。
「正解!」
「もう何回聞いたと思ってるんだよ」
「じゃあ明日」
「うん」
「一緒に見よう」
「分かった」
合格発表
翌日。
二人は並んでいた。
スマートフォン。
大学の合格発表ページ。
早苗の手が震える。
「直樹」
「何?」
「押せない」
「俺も」
「世界大会の決勝より怖い」
「俺も5000の残り一周より緊張する」
「どうする?」
「見るしかない」
早苗。
「一緒に押す?」
「うん」
「せーので」
「分かった」
「せーの」
二人が画面を開く。
受験番号。
早苗は自分の番号を探す。
一段。
次。
その次。
「……」
止まった。
「あ」
「早苗?」
「……あった」
「え?」
「あった!」
早苗の番号。
合格。
「直樹!」
「待って、俺も……」
直樹が探す。
早苗まで横から覗く。
「近い近い!」
「早く!」
「俺が探してる!」
そして。
「あった」
「え?」
「俺もある」
沈黙。
二秒。
三秒。
二人。
「受かったぁぁぁぁぁ!」
早苗が直樹へ抱きついた。
「受かった! 直樹! 受かった!」
「うん!」
「一緒!」
「一緒!」
「大学生になれる!」
「まだ卒業しろ!」
「そこ今言う!?」
二人とも笑っている。
早苗の目には涙もあった。
「よかった……」
「うん」
「ほんとによかった……」
世界一になった時とは違う涙だった。
速さではなく。
自分たちが選んだ未来へ。
一歩進めた。
約束の乾杯
その日の夕方。
いつもの場所。
早苗が二本取り出した。
梅ジュース。
「直樹」
「はいはい」
「合格祝い」
「分かっとる」
一本渡す。
「僕たちの大学生活に」
「まだ高校卒業してない」
「細かい!」
二本を軽く合わせる。
「乾杯!」
ごくごく。
早苗。
「ぷっはぁぁぁ〜!」
直樹。
「長い!」
「うまい!」
「だから酒好きなオヤジみたいに飲むな!」
「今日はいいじゃん!」
「女子高生最後の受験が終わった感想がそれ!?」
「最高の一杯ですなぁ」
「完全にオヤジじゃん!」
「誰がオヤジじゃ!」
「おまえ!」
「彼女に向かっておまえとは何よ!」
「今さら!?」
「大学生になったらもう少し大切に扱ってもらいます!」
「合格した瞬間に要求増やすな!」
「じゃあ荷物持って」
「それくらい持つよ」
「梅ジュース6.5リットル」
「それは自分で持て!」
「彼氏ぃ!」
「アトランタで懲りろ!」
二人の笑い声が響いた。
高校一年生の春。
ただの幼なじみだった二人。
高校で走り。
世界へ行き。
恋人になり。
世界一になり。
後輩たちに追われ。
受験勉強に苦しみ。
そして。
同じ大学への切符をつかんだ。
早苗は保育・幼児教育へ。
直樹は交通・鉄道へ。
学ぶものは違う。
目指す仕事も違う。
それでも。
また同じ場所から走り始める。
そして二人のさらに先には。
2028年。
ロサンゼルス。
今度はユースではない。
本物のオリンピックが待っていた。
次回予告
第52話「卒業――そして大学へ」
合格。
残された高校生活は、あとわずか。
早苗と直樹。
卒業式。
川端莉央。
森山海斗。
後輩たちとの別れ。
莉央。
「先輩」
「ん?」
「卒業するまで一回も勝たせてもらえませんでした」
早苗。
「言ったじゃん。負ける気ないって」
「大学行っても勝負してください」
「もちろん」
海斗も直樹へ告げる。
「次に走る時は、もっと近づきます」
直樹。
「追いついてこい」
そして。
鹿児島高校の制服を着る最後の日。
早苗。
「直樹」
「何?」
「僕たち、高校生活終わるんだね」
「うん」
「いろいろあったね」
「ありすぎ」
「髪の毛スーパーサイヤ人から始まって」
「そこから振り返る!?」
卒業。
大学入学。
そして陸上競技では、2028年ロサンゼルスオリンピックを目指す戦いが始まる。
次回、第52話「卒業――そして大学へ」。
ひとつのゴールは。
次のスタートラインになる。




