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となりのスタートライン  作者: リンダ


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高校二年生、世界一の春

第46話「高校二年生、世界一の春」


 春。


 鹿児島高校の校門を、新しい制服姿の生徒たちが次々とくぐっていく。


 早苗と直樹も高校二年生になった。


 一年前。


 二人はまだ、全国どころか世界へ飛び出すことになるとは思っていなかった。


 高校へ入り。


 陸上部へ入り。


 記録を伸ばし。


 日本代表になり。


 アトランタへ行き。


 早苗は女子100メートルを11秒39で制した。


 直樹は男子5000メートルを13分17秒62で制した。


 二人そろってユースオリンピック金メダリスト。


 高校二年生の春。


 当然。


 新入生から見れば、とんでもない先輩だった。


 少なくとも。


 陸上競技についてだけ言えば。


新入部員


 放課後。


 陸上競技部の体験入部。


 グラウンドには、新入生が集まっていた。


 有馬監督が部員を紹介する。


「二年生から」


 新入生たちの空気が変わった。


 すでに知っている。


 早苗と直樹がいるからだ。


「大石」


「はい」


 早苗が前へ出る。


「二年の大石早苗です。100メートルやってます。よろしくお願いします」


 新入生たち。


「よろしくお願いします!」


 声が大きい。


 早苗が少し後ずさる。


「そんなにかしこまらんでいいよ」


 男子新入生が目を輝かせる。


「ユースオリンピック金メダリストですよね!」


「う、うん」


「11秒39ですよね!」


「はい」


 女子新入生。


「決勝、見ました!」


「ありがとう」


「表彰式も見ました!」


「ありがとう」


 別の新入生。


「梅ジュースも見ました!」


「……ん?」


 早苗の表情が止まった。


 直樹はすでに嫌な予感がしている。


「ちょっと待って」


 女子新入生。


「アトランタに梅ジュース6.5リットル持っていったんですよね?」


 早苗。


「なんで知っちょるの!?」


「有名ですよ!」


「何が!?」


「6.5リットルです!」


「記録みたいに言わんで!」


 直樹が吹き出す。


「もう諦めろ」


「なんで新入生まで知っちょるの!」


 男子新入生。


「動画残ってますよ」


「動画!?」


「日本から何リットル持ってきたのか聞かれて、『6.5リットル』って答えてるやつです」


「消してぇ!」


 直樹。


「世界配信されたものを俺に頼むな!」


伝説は正確に受け継がれていた


 しかも。


 後輩たちの知識は、早苗が思っていた以上に正確だった。


「最初は500ミリのボトル七本だったんですよね?」


「なんでそこまで知ってんの!?」


「それで鹿児島中央駅で三本追加した」


「はい……」


「その三本が実は一リットルだった」


「はい……」


「だから3.5リットル足す3リットルで」


 後輩たち。


「6.5リットル!」


 早苗。


「計算問題にすんなぁ!」


 グラウンドに爆笑が広がった。


 直樹。


「数学の勉強になるじゃん」


「直樹!」


「大石早苗さんは500ミリリットルの梅ジュースを七本、一リットルの梅ジュースを三本持っています。合計何リットルでしょう」


「問題文に僕を出すな!」


「答え、6.5リットル」


「知っとるわ!」


 新入生たちが笑う。


 早苗は頭を抱えた。


「僕、11秒39で世界一になったんだけど」


 女子新入生。


「それも知ってます!」


「『それも』!?」


「梅ジュースの印象が強くて」


「世界一が副情報になっとる!」


梅ジュース先輩


 さらに。


 練習前。


 早苗が鞄から水分補給用のボトルを取り出した。


 透明なボトル。


 中身は。


 薄い琥珀色。


 新入生の一人が気づいた。


「あ!」


 早苗。


「何?」


「梅ジュース!」


「……」


「本当に飲んでる!」


「そりゃ飲むよ!」


 別の後輩。


「本物だ……」


「珍獣を見るみたいに言わんで!」


 早苗はキャップを開ける。


「飲む?」


「いいんですか?」


「いいよ」


 直樹。


「初対面の後輩を梅ジュース教へ勧誘すんな!」


 早苗。


「何よ、梅ジュース教って!」


「教祖・大石早苗」


「誰が教祖じゃ!」


 後輩が一口飲む。


「あ、おいしい」


 早苗の顔が輝く。


「でしょ!?」


 直樹。


「勧誘成功した顔すんな!」


 後輩。


「ありがとうございます、梅ジュース先輩!」


 早苗。


「待って」


 全員が止まる。


「今、何て?」


「梅ジュース先輩」


「僕、大石先輩」


「はい、梅ジュース先輩」


「直ってない!」


 別の新入生。


「梅先輩?」


「短縮すんな!」


「6.5リットル先輩?」


「もっと嫌!」


 直樹は腹を抱えて笑い始めた。


「直樹、笑いすぎ!」


「世界一になって後輩から最初についたあだ名が、梅ジュース先輩……!」


「誰のせいよ!」


「自分で6.5リットル持っていったんじゃん!」


「必要だと思ったんだもん!」


「現地で売ってたじゃん!」


「それは行ってから分かったの!」


「しかも現地でも買ったじゃん!」


「お土産!」


「アメリカまで行って日本の梅ジュース買って鹿児島に持って帰る意味が分からん!」


「アメリカで買ったからアメリカ土産!」


「産地じゃなくて購入場所基準かよ!」


 新入生たちは笑いっぱなしだった。


 緊張など、とうに消えていた。


直樹先輩


 続いて直樹。


「二年、田中直樹。5000メートルです。よろしく」


「よろしくお願いします!」


 男子新入生が聞く。


「田中先輩!」


「何?」


「アトランタの決勝、最後すごかったです!」


「ありがとう」


「13分17秒62!」


「うん」


「最後のスパート、どういう気持ちだったんですか?」


 直樹は少し考える。


「まあ、前だけ見て――」


 後ろから早苗。


「僕の声から逃げたかったんでしょ?」


「おまえ黙っとけ!」


 新入生。


「あ!」


「インタビューの!」


 別の後輩。


「『早苗の声で耳を壊される前にゴールしたかった』!」


 直樹。


「おまえら、そっちも覚えとるんか!」


 早苗。


「世界的名言だよ」


「迷言じゃ!」


「僕、直樹の金メダルに貢献した」


「鼓膜を犠牲にしてな!」


「愛の声援」


「音量が愛の範囲超えとった!」


 後輩。


「やっぱり夫婦漫才だ……」


 二人。


「まだ夫婦じゃない!」


 声が完全に重なった。


 沈黙。


 後輩たち。


「息ぴったり……」


 早苗。


「違う!」


 直樹。


「違わん気がしてきた……」


「直樹!」


先輩として


 笑いが落ち着いたところで、有馬監督が手を叩いた。


「そろそろ練習始めるぞ」


「はい!」


 空気が変わる。


 ここからは陸上だった。


 早苗は短距離の新入生たちとウォーミングアップへ向かう。


「最初から飛ばしすぎんでね。今日は体験だから」


「はい」


「速い人についていこうとせんでいいよ。自分の動き確認して」


 さっきまで「梅ジュース先輩」と呼ばれていた人物とは思えない。


 スタート練習。


 早苗は一人ずつ姿勢を見る。


「もうちょっと肩の力抜いて」


「はい」


「スタートで全部出そうとせんでいいよ。最初の数歩を丁寧に」


「はい!」


 一方。


 直樹も長距離組を連れてジョグへ出る。


「最初から速くしない。今日は会話できるくらいでいいから」


「田中先輩、もっと速くなくていいんですか?」


「速く走る練習だけが練習じゃないよ」


 有馬監督は少し離れたところから二人を見ていた。


 世界一。


 その肩書きより。


 後輩に何を伝えられるか。


 高校二年生になった二人には、新しい役割が始まっていた。


新年度実力測定


 数日後。


 新年度最初の実力測定。


 早苗は100メートル。


 直樹は5000メートル。


 アトランタから帰国後、身体を休め、基礎を作り直してきた。


 早苗がスタートブロックへ入る。


 後輩たちが見つめる。


「大石先輩、本当に速いんだ……」


 別の後輩。


「梅ジュースの人なのに」


 早苗。


「聞こえちょるよ!」


 有馬監督。


「大石、集中!」


「はい!」


 スタート。


 乾いた音。


 早苗が飛び出す。


 10メートル。


 20メートル。


 身体が自然に起きていく。


 50メートル。


 加速。


 後半。


 フォームを崩さない。


 ゴール。


 時計が止まる。


11秒36。


 一瞬。


 静かになった。


「……え?」


 早苗自身が時計を見る。


 有馬監督も確認する。


 追い風は規定内。


 新年度最初の測定。


 自己ベスト。


 アトランタの11秒39を、0秒03更新。


 後輩。


「速っ……」


 もう一人。


「梅ジュース先輩、めちゃくちゃ速い……」


 早苗。


「そこ大石先輩でいいでしょ!」


 全員が笑った。


直樹も


 5000メートル。


 直樹も順調だった。


 序盤は抑える。


 1000メートル。


 2000メートル。


 3000メートル。


 大きく乱れない。


 4000メートルを越えて、ペースを上げる。


 残り一周。


 早苗の声が飛ぶ。


「直樹ー!」


 直樹。


「聞こえとる!」


「頑張れー!」


「分かっとる!」


「好きー!」


「今言うなぁ!」


 後輩たち、大爆笑。


 それでも直樹は加速する。


 ゴール。


13分15秒94。


 こちらも自己ベスト。


 有馬監督が時計を見る。


「二人とも、冬を無駄にしなかったな」


 直樹は膝へ手をつきながら息を整える。


 早苗が駆け寄る。


「直樹!」


「何?」


「僕ら二人とも自己ベスト!」


「うん」


「じゃあ」


 早苗が鞄を見る。


 直樹。


「まさか」


「梅ジュースで乾杯!」


「水飲んでからにしろ!」


数学


 翌日。


 教室。


 一年生の後輩が早苗を訪ねてきた。


「大石先輩」


「何?」


「ちょっと勉強教えてもらっていいですか?」


 早苗の表情が明るくなる。


「もちろん!」


「数学なんですけど」


 早苗の表情が止まった。


「……」


 後輩。


「先輩?」


 早苗は直樹を見る。


「直樹、大変」


「何?」


「僕、後輩に勉強教えてって言われた」


「教えれば?」


「数学」


「断れ」


「即答!?」


 後輩が笑う。


 早苗。


「僕だって数学できるよ!」


 直樹。


「二次関数、運行再開した?」


「現在、一部区間で徐行運転中です」


「まだ復旧してないじゃん!」


 後輩。


「じゃあ田中先輩、お願いします」


「なんで俺に来るの!?」


 早苗。


「僕も一緒に教えてもらう」


「先輩が便乗すんな!」


春は始まったばかり


 高校二年生。


 世界一の二人。


 後輩から見れば、憧れの存在。


 しかし実態は。


「梅ジュース先輩!」


「大石先輩って呼んで!」


「6.5リットル先輩!」


「もっと悪化しちょる!」


 隣では直樹が笑っている。


「笑うな!」


「いや、6.5リットル先輩は強すぎる」


「直樹!」


「何ですか、梅ジュース先輩」


「彼氏まで言うなぁ!」


 世界一になっても。


 学年が一つ上がっても。


 二人は、だいたいいつも通りだった。


 ただ。


 走りは確実に進化していた。


 早苗、11秒36。


 直樹、13分15秒94。


 そして二人の視線の先には。


 大学。


 そのさらに先には。


 もっと大きな世界が待っていた。


次回予告


第47話「世界一を追いかけて」


 高校二年生最初の実力測定。


 早苗、100メートル11秒36。


 直樹、5000メートル13分15秒94。


 二人そろって自己ベスト。


 だが、その記録は全国へ瞬く間に広がる。


 そして。


 同世代のライバルたちも、止まってはいなかった。


 林田舞。


 三浦拓海。


 そしてアトランタで戦ったエマ、ケイラ、キプトゥー。


 海の向こうから届く、新たな記録。


 早苗。


「みんな速くなっちょる……」


 直樹。


「俺らだけが成長するわけじゃないからな」


 世界一になった瞬間から。


 二人は「追う側」ではなく、「追われる側」になった。


 そんな中。


 後輩。


「大石先輩!」


 早苗。


「何?」


「差し入れです!」


「ありがとう!」


 紙袋を開ける。


 中には。


 大量の梅ジュース。


 早苗。


「なんでぇ!?」


 直樹。


「完全に定着したな、梅ジュース先輩」


「僕の競技人生、どこで道間違えたの!?」


 次回、第47話「世界一を追いかけて」。


 世界一は、ゴールではない。


 追われる場所から始まる、二年目の勝負。

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