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となりのスタートライン  作者: リンダ


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走る未来、学ぶ未来

 第43話「走る未来、学ぶ未来」


 アトランタから帰国して、しばらくが過ぎた。


 世界一。


 金メダリスト。


 日本代表。


 そんな肩書きは増えた。


 けれど、高校一年生としての毎日は何も止まってくれない。


 授業。


 課題。


 陸上部。


 進路。


 そして。


 放課後の図書館。


 早苗は机に突っ伏していた。


「直樹」


「何?」


「五分休憩」


「さっき休んだ」


「脳が梅ジュースを要求しちょる」


「そんな脳ない!」


 早苗がゆっくり顔を上げる。


「あるよ」


「ない」


「僕の脳内、たぶん半分くらい梅でできちょる」


「残り半分何なん?」


「ホークスと陸上と直樹」


「俺まで混ぜるな!」


 周囲の生徒が肩を震わせる。


 図書館なので、大声で笑うわけにはいかない。


 それでも、静かな空間のあちこちから小さな笑いが漏れていた。


 早苗は口元に人差し指を立てる。


「しーっ」


 直樹。


「原因おまえじゃ!」


「声でかい」


「誰のせいだよ!」


 司書がこちらを見る。


 二人同時に。


「すみません」


 頭を下げた。


 進路資料


 机の上には、何冊もの大学案内が並んでいた。


 早苗の前には。


 保育学科。


 幼児教育学科。


 児童教育学科。


 子ども学科。


 保育士資格。


 幼稚園教諭免許。


 実習施設。


 附属幼稚園。


 さらに。


 陸上競技部の活動実績。


 競技場へのアクセス。


 練習環境。


 奨学金。


 スポーツ推薦制度。


 早苗は、今までになく真剣に資料へ目を通していた。


「これ、大学によって結構違うんだね」


「何が?」


「取れる資格とか」


「そりゃ違うじゃろ」


「保育士だけ取れるところもあるし、幼稚園の先生の免許も一緒に取れるところもある」


「おまえはどっちがいいの?」


 早苗は迷わなかった。


「両方取りたい」


「即答じゃな」


「だって、まだ僕が将来どんなところで働きたいか、完全には決めきれちょらんもん」


「幼稚園じゃないの?」


「幼稚園の先生になりたい気持ちは強いよ。でも保育園とか、認定こども園とか、いろんなところあるじゃん」


 直樹が少し驚く。


「ちゃんと調べてるな」


 早苗。


「失礼じゃな」


「いや、褒めたんだけど」


「絶対ちょっと意外そうだった」


「ちょっとは」


「そこ認めるな!」


 また司書が見る。


 二人。


「すみません」


 直樹の資料


 一方。


 直樹の前にある資料は、早苗とは全く違っていた。


 交通工学。


 鉄道システム。


 都市交通。


 機械工学。


 電気電子工学。


 情報システム。


 交通政策。


 鉄道車両。


 運行管理。


 直樹はページをめくりながら、かなり真剣な顔をしている。


 早苗が覗き込む。


「難しそう」


「まあな」


「これ何?」


「鉄道の運行システム」


「これは?」


「交通工学」


「これは?」


「車両工学」


「これは?」


「信号保安」


 早苗。


「直樹、生き生きしちょる」


「そう?」


「目が違う」


「おまえが梅ジュース売り場見つけた時と同じ顔してる」


「比較対象!」


 直樹。


「でも俺、鉄道会社に入るなら、乗務だけじゃなくて鉄道そのものをちゃんと知りたいんだよな」


 早苗が静かになる。


「うん」


「運転士とか車掌の仕事もしたい。でもダイヤがどう作られるかとか、信号とか、安全の仕組みとかも知りたい」


「直樹らしい」


「そうか?」


「うん」


「何が?」


「好きだから乗りたい、だけじゃないじゃん」


 直樹は資料を見る。


 早苗。


「ちゃんと仕事として知りたいんでしょ」


「まあな」


「僕の梅ジュースとは違う」


「自分で言うんかい」


「僕は飲めればいい」


「潔いな!」


 二人、それぞれ探す


 それから一週間。


 二人はそれぞれ、自分の条件に合う大学を探し始めた。


 早苗は、自宅の机に大学案内を広げる。


 父の恒一が横から見る。


「ずいぶん増えたな」


「うん」


「どこまで絞った?」


「まだ」


 母の美紀も覗く。


「保育学科があるところ?」


「そう」


「陸上も続けるんでしょ?」


「もちろん」


 翔太。


「条件多いな」


「だって全部大事だもん」


 陽斗。


「梅ジュース売ってる大学も条件?」


 早苗。


「それは自分で持っていく」


 恒一。


「そこだけ迷わんのだな」


 家族が笑う。


 早苗は大学案内へ戻る。


 保育。


 幼児教育。


 実習。


 そして陸上部。


 どれか一つだけでは嫌だった。


 自分の夢。


 自分の競技。


 どちらも大事だった。


 田中家


 一方。


 直樹も大学資料を広げていた。


 父の克也が、仕事から帰ってきてそれを見る。


「交通系か」


「うん」


「鉄道会社一本?」


「今のところは」


 母の真由美。


「乗務員になりたいって昔から言ってたもんね」


「うん。でも大学で交通とか鉄道システムも勉強したい」


 克也が椅子へ座る。


「仕事として交通に関わるなら、いいことだと思うぞ」


「父さんもバスだもんな」


「バスでも鉄道でも、人を運ぶ仕事は好きだけじゃできんからな」


 直樹は父を見る。


「安全?」


「それが一番」


 克也は短く答えた。


「一人で乗っとるわけじゃない。後ろに何十人、何百人おる仕事だからな」


 直樹。


「うん」


「そこ忘れんなら、好きな道へ行けばいい」


 直樹は頷いた。


 そして。


 また資料をめくる。


 二人が見つけた大学


 数日後。


 放課後。


 図書館。


 早苗は一冊の大学案内に付箋を何枚も貼っていた。


 直樹が気づく。


「だいぶ絞った?」


「うん」


「どこ?」


 早苗は少しだけ資料を伏せた。


「まだ秘密」


「なんで?」


「直樹は?」


「俺も一つ候補ある」


「どこ?」


「まだ秘密」


 早苗。


「真似した!」


「おまえが先じゃ!」


 二人はしばらく睨み合う。


 早苗。


「じゃあ、せーので見せる?」


「小学生か」


「いいじゃん」


「まあいいけど」


 二人はそれぞれ、一番気になっている大学案内を手に取った。


 早苗。


「いくよ」


「うん」


「せーの!」


 二冊のパンフレットが机の上へ出る。


 そして。


 二人。


「……え?」


 同じ大学だった。


 早苗が自分のパンフレットを見る。


 直樹のものを見る。


 もう一度、自分を見る。


「え?」


「同じじゃん」


「ほんとに?」


「大学名見ろよ」


「同じだ」


 二人の間に数秒の沈黙。


 早苗。


「直樹、僕に合わせた?」


「合わせてない」


「ほんと?」


「ほんと。おまえこそ俺に合わせた?」


「合わせてないよ!」


「じゃあ……」


 二人は大学案内を並べた。


 早苗が選んだ理由。


 幼児教育系の学科がある。


 保育士資格と幼稚園教諭免許の両方を目指せる。


 附属施設で実習経験を積める。


 そして陸上部の競技環境が整っている。


 一方。


 直樹が選んだ理由。


 交通工学や鉄道システムを学べる学科がある。


 運輸や都市交通について専門的に学べる。


 そして長距離を続けられる陸上競技部もある。


 全く違う学科。


 全く違う夢。


 なのに。


 行き着いた大学は同じだった。


 早苗の顔


 早苗の頬が、少しずつ緩んでいく。


「……同じ大学」


「みたいじゃな」


「直樹」


「何?」


「同じ大学だよ」


「さっきからそう言っとる」


「同じキャンパス?」


「学部によるんじゃない?」


 早苗。


「そこは今言わなくていい!」


「大事じゃろ!」


「今は夢見させて!」


 早苗はパンフレットを胸へ抱く。


「すごい」


「何が?」


「僕、直樹に合わせて選んでないよ」


「俺も」


「なのに一緒」


「そうじゃな」


 早苗が直樹を見る。


「これって……」


 嫌な予感。


 直樹。


「何?」


 早苗は満面の笑み。


「スーパー両隣想い?」


「勝手に進化させんな!」


 図書館。


 周囲から小さな笑い。


 司書。


「田中さん、大石さん」


 二人。


「すみません!」


 偶然ではなく


 しばらくして。


 早苗は少し真面目になった。


「でもさ」


「うん」


「同じ大学だから行く、じゃないよね」


「当たり前」


「僕は保育の勉強がしたい」


「俺は交通の勉強したい」


「陸上も続けたい」


「俺も」


 早苗。


「それで、たまたま同じだった」


「そういうこと」


「なんか嬉しいね」


「まあな」


 早苗。


「直樹も嬉しい?」


「そりゃ」


「どれくらい?」


「普通に」


「もっと」


「何が?」


「もっと喜んで」


「注文するな!」


 早苗。


「僕こんなに喜んでるのに」


「顔見れば分かる」


「直樹も笑ってよ」


「笑っとる」


「口角あと五ミリ」


「面倒くさい彼女だな!」


 早苗。


「世界一かわいい彼女」


「自分で言うな!」


 早苗。


「100メートルは世界一だから半分合ってる」


「何の半分!?」


 帰り道


 夕暮れ。


 二人はいつもの道を歩いていた。


 高校一年生。


 世界一。


 恋人。


 そして。


 大学受験を考え始めた二人。


 早苗がぽつりと言う。


「直樹」


「ん?」


「僕さ」


「うん」


「同じ大学じゃなくても、直樹とはずっと両隣想いでおりたいって思ってた」


「うん」


「でも同じ大学の可能性があるって分かったら」


「分かったら?」


「やっぱり嬉しい」


 直樹は前を向いたまま答える。


「俺も」


 早苗。


「今の録音したかった」


「なんで!」


「直樹、素直なことあんまり言わんから」


「言っとるわ」


「もう一回」


「嫌じゃ」


「直樹ぃ」


「嫌じゃって」


 早苗は笑った。


「じゃあ僕が言う」


「何を?」


「一緒に合格しようね」


 直樹は今度はすぐ答えた。


「うん」


「絶対?」


「絶対って約束はできん」


「えぇ」


「受験なんだから」


 早苗が少し不満そうな顔をする。


 直樹は続けた。


「でも、一緒に合格できるように一緒に勉強する」


 早苗は立ち止まった。


 そして笑う。


「それでいい」


 新しい目標


 世界一になる。


 それは。


 去年までの二人には遠い夢だった。


 けれど。


 二人はそこまで走った。


 今度の目標は。


 大学合格。


 早苗は子どもたちの未来に関わるため。


 直樹は人を運ぶ仕事に就くため。


 同じスタートラインではない。


 目指す学問も違う。


 将来の仕事も違う。


 それでも。


 二人が選んだ大学は、偶然同じだった。


 早苗は大学案内を鞄へしまう。


「帰ったら勉強する」


 直樹。


「お、偉い」


「英語」


「うん」


「三十分」


「短いな」


「そのあと梅ジュース」


「やっぱりそれか!」


 早苗。


「大学受験は長距離戦だよ」


「100メートル選手が急に長距離理論使うな!」


「ペース配分が大事」


「その休憩配分絶対多い!」


 夕暮れの鹿児島。


 二人の笑い声が、いつもの道に響いていた。


 世界一になった二人は。


 今度は、一枚の合格通知を目指して走り始める。


 次回予告


 第44話「世界一の受験生」


 競技。


 授業。


 受験勉強。


 三つを同時にこなす生活が始まった。


 早苗は保育・幼児教育。


 直樹は交通・鉄道。


 同じ大学を志望することになった二人。


 だが。


 模擬試験。


 答案返却。


 早苗。


「……直樹」


「何」


「僕の数学が事故ってる」


「運行再開の見込みは?」


「未定」


「数学を鉄道運行情報みたいに言うな!」


 一方、英語はアトランタ遠征の経験もあって早苗が伸び始める。


 川原先生。


「大石さん、海外遠征で英語への抵抗が減ったみたいね」


 早苗。


「はい!」


「じゃあ現在完了を使って例文を」


 早苗。


「I have loved ume juice since I was a child.」


 直樹。


「また梅ジュース!」


 そして。


 有馬監督から告げられる。


「競技を続けながら受験するなら、今まで以上に時間の使い方を考えろ」


 世界一になったからこそ。


 陸上だけには逃げられない。


 勉強だけにも逃げられない。


 次回、第44話「世界一の受験生」。


 二人にとって新しい勝負。


 今度のライバルは、問題用紙だった。

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