世界一になって、鹿児島へ
第40話「世界一になって、鹿児島へ」
アトランタで、二つ目の君が代が流れた夜。
鹿児島では、別の意味で大騒ぎになっていた。
場所は鹿児島高校の体育館。
大型スクリーンが設置され、学校の生徒、保護者、教職員、陸上部の仲間たちが集まってパブリックビューイングを行っていた。
前日の女子100メートル決勝では、早苗が11秒39で優勝。
この日は男子5000メートル決勝。
直樹が最後の100メートルで抜け出し、13分17秒62で世界一になった。
体育館は、直樹がフィニッシュラインを越えた瞬間、揺れた。
「よっしゃあああ!」
「田中ぁぁぁ!」
「世界一!」
クラスメートの前園健吾が飛び上がり、迫田悠人も両手を上げた。
上原美月は泣きながら拍手している。
担任の福留千鶴も、目元を押さえていた。
「ほんとに……二人とも世界一になったんだねぇ」
大石家。
父。
母、美紀。
翔太。
陽斗。
田中家。
父。
母。
裕美。
優樹菜。
両家族も、体育館の前方で一緒に応援していた。
美紀は泣きながら言う。
「直樹君もやったねぇ」
田中家の母も涙をぬぐう。
「早苗ちゃんに続いて……ほんとにすごいね」
ここまでは。
感動だった。
本当に。
ここまでは。
問題はそのあとだった
中継はそのまま直樹の優勝インタビューへ移った。
スクリーンにインタビュアーと直樹が映る。
「How did you feel in the final 100 meters?」
「最後の100メートル、どんな気持ちでしたか?」
直樹。
「I just wanted to get to the finish line before Sanae’s voice destroyed my ears.」
「早苗の声で耳を壊される前に、ゴールしたいと思ってました」
体育館。
一瞬。
沈黙。
次の瞬間。
「ぶはははははは!」
大爆笑。
前園。
「田中ぁぁぁ!」
迫田。
「世界一の理由それかよ!」
上原。
「早苗ちゃんの声、世界公認の音響兵器になっとる!」
福留先生まで口元を押さえる。
「もう……だめ……」
陸上部顧問の有馬剛志は、腹を抱えながら椅子へ座り込んだ。
「俺、あいつらを競技者として育てたはずなんだが……」
川原美咲先生。
「競技者兼芸人になってますね」
「兼業すんな!」
さらに追い打ち
インタビュアー。
「So Sanae helped you win?」
「つまり、早苗が勝利を助けた?」
直樹。
「Yes. In a very loud way.」
「はい。ものすごく大きな音で」
体育館。
第二波。
「うわははははは!」
陽斗。
「姉ちゃん、声で金メダル取らせた!」
翔太。
「新種のペースメーカーかよ!」
裕美。
「兄ちゃん完全に早苗ちゃんに支配されとる!」
優樹菜。
「もう二人で漫才大会出た方がいいんじゃない?」
田中家の父。
「陸上の大会だよ!」
笑いが止まらない。
だが。
まだ終わらない。
表彰式
直樹の首に金メダルがかけられる。
スタジアムに君が代。
体育館では全員が立ち上がる。
さっきまで笑い転げていた人たちも、今度は静かに国旗を見つめた。
大石家の父。
「直樹君、本当に頑張ったな」
田中家の父も、何も言わずスクリーンを見る。
早苗の100メートル。
直樹の5000メートル。
二人とも世界一。
家族にとって。
学校にとって。
鹿児島にとって。
忘れられない夜だった。
君が代が終わる。
拍手。
そして。
表彰式後のインタビュー。
また。
あのインタビュアー。
体育館のあちこちから声が上がる。
「またこの人だ!」
「逃げて!」
「腹筋守って!」
インタビュアー。
「I survived Sanae. Now I have to survive you.」
「早苗を生き延びたと思ったら、今度はあなたです」
体育館。
「ぶはっ!」
もう始まった。
直樹。
「I’m sorry in advance.」
「先に謝っておきます」
前園。
「謝るな!」
美月。
「何する気!?」
そして決定打
「Now you both have gold medals. What will you do first?」
「これで二人とも金メダルです。まず何をしますか?」
スクリーンの端。
金メダルを首から下げた早苗。
口だけ動かしている。
「う・め・じゅ・う・す」
体育館。
早苗を知る全員が同時に気づいた。
「やめろぉぉぉ!」
しかし遅い。
直樹。
「Sanae is telling me to say ume juice.」
「早苗が『梅ジュースって言え』って向こうから合図してます」
その瞬間。
体育館は崩壊した。
比喩ではない。
人間が。
床へ。
椅子へ。
壁へ。
次々に崩れた。
美紀。
「早苗ぁぁぁ!」
翔太。
「世界大会で何やっとんだあいつ!」
陽斗。
「腹痛い!」
裕美。
「兄ちゃんも言うな!」
優樹菜。
「二人とも金メダルより梅ジュースじゃん!」
福留先生はついに机へ伏せた。
「もう……授業できない……」
川原先生。
「明日は休校にします?」
福留。
「腹筋痛で?」
有馬監督。
「史上初だろ!」
前日の映像まで流れる
さらに番組側が気を利かせた。
というより。
完全に追撃した。
前日の早苗の優勝インタビューを、ダイジェストで再放送。
早苗。
「……Ume juice.」
インタビュアー。
「Ume juice?」
体育館。
「また来たぁぁぁ!」
決勝8人で梅ジュース乾杯。
ケイラ。
「I’m the ume juice champion!」
早苗。
「そこ誇るところ!?」
そして。
梅ジュース100ミリ競争。
ケイラ優勝。
早苗。
「負けた!」
直樹。
「100メートル世界一が梅ジュースで本気で悔しがるな!」
体育館。
第三次壊滅。
大石家の父はもう声が出ない。
口を開けて笑っているだけ。
田中家の父は涙を流している。
感動ではない。
笑いすぎである。
美紀。
「お腹痛い……」
田中家の母。
「明日仕事行けるかしら……」
翔太。
「俺大学休みたい」
陽斗。
「腹筋が筋肉痛になる」
裕美。
「もうなってる」
優樹菜。
「これ明日絶対ヤバいよ」
その予言は。
当たった。
翌朝
鹿児島市内。
朝。
複数の整骨院。
いつもより早い時間から、なぜか人が多かった。
ある整骨院。
受付。
「今日はどうされました?」
鹿児島高校の生徒。
「腹筋が痛いです」
「運動ですか?」
「パブリックビューイングです」
受付。
「……はい?」
別の保護者。
「笑いすぎまして」
「笑いすぎ?」
「大石早苗さんと田中直樹君です」
受付のスタッフ。
「ああ」
納得。
その瞬間。
待合室から声。
「梅ジュースガール!」
誰かが言った。
全員。
また笑う。
「痛い痛い痛い!」
「笑わせんな!」
「治療に来たのに悪化する!」
施術スタッフ。
「お願いですから院内でアトランタの話禁止!」
大石家
朝。
美紀は起き上がろうとして。
「いたたた……」
父。
「どうした?」
「腹筋」
「俺も」
翔太。
「俺も」
陽斗。
「僕も」
四人。
沈黙。
美紀。
「全滅じゃん」
父。
「早苗のせいだ」
テレビ。
朝のニュース。
「アトランタでは女子100メートル金メダリスト、大石早苗選手が――」
全員。
「消して!」
しかし。
映像。
早苗。
「ぷはぁ~!」
四人。
「ぶはっ!」
美紀。
「痛いぃぃ!」
田中家
こちらも似たような状態。
裕美。
「お腹筋肉痛なんだけど」
優樹菜。
「私も」
父。
「笑いで筋肉痛なんて初めてだ」
母。
「でも二人とも金メダルなのよね」
少し静かになる。
テレビに。
金メダル姿の直樹。
母が微笑む。
「すごいねぇ」
そして映像が切り替わる。
直樹。
「早苗が梅ジュースって言えって――」
裕美。
「ぶっ!」
優樹菜。
「だめだって!」
父。
「朝からやめろ!」
そしてアトランタ
本人たちは。
そんな鹿児島の惨状をまだ知らなかった。
早苗は選手村の部屋で荷造り。
「梅ジュース、残り何本だっけ」
舞。
「まだ持って帰るの?」
「お土産も買った」
「何買ったの?」
「梅ジュース」
舞。
「アメリカまで来て?」
「アメリカで買った梅ジュースはアメリカ土産じゃん」
「理屈が強引!」
一方。
直樹。
スーツケースの中。
アトランタの交通路線図。
駅案内。
バスマップ。
鉄道パンフレット。
三浦。
「増えてない?」
「増えました」
「何枚?」
「数えてません」
「早苗の梅ジュースと同じじゃん」
直樹。
「一緒にせんでください!」
帰国へ
ユースオリンピック終了。
日本代表選手団は帰国の準備へ入った。
大石早苗。
女子100メートル金メダル。
田中直樹。
男子5000メートル金メダル。
林田舞。
女子100メートル銅メダル。
三浦拓海。
男子5000メートル銅メダル。
アトランタで戦った日々が終わる。
出発前。
早苗と直樹は競技場を少し遠くから見た。
早苗。
「終わったね」
「終わったな」
「ほんとに僕ら世界一になったんだね」
「そうらしい」
「まだ実感ない?」
「少し」
早苗。
「僕も」
直樹。
「金メダル持ってるのに?」
「うん」
「じゃあ何したら実感する?」
早苗。
「鹿児島帰って、お母さんのご飯食べた時」
直樹が笑う。
「それはありそう」
早苗。
「あと」
「何?」
「いつもの道、一緒に学校行った時」
「それもあるな」
「あと」
直樹。
「まだある?」
早苗。
「梅ジュース飲んだ時」
「それはアトランタでもやっとる!」
いつものツッコミ。
早苗は笑う。
世界一になっても。
この二人は。
何も変わっていなかった。
次回予告
第41話「ただいま、鹿児島」
日本へ帰国。
空港には報道陣。
カメラ。
ファン。
そして帰国会見。
記者。
「世界一になって何か変わりましたか?」
早苗。
「荷物が増えました」
記者。
「金メダルですか?」
早苗。
「梅ジュースのお土産です」
直樹。
「そっち!?」
さらに鹿児島中央駅。
ホーム。
巨大横断幕。
「早苗! 直樹! 世界一おめでとう!」
家族。
クラスメート。
先生。
陸上部。
そして。
なぜか数人、腹を押さえている。
早苗。
「みんなどうしたの?」
陽斗。
「姉ちゃんのせい!」
早苗。
「僕!?」
裕美。
「昨日みんな整骨院送り!」
直樹。
「何したんだよおまえ!」
早苗。
「アトランタにいたじゃん!」
次回、第41話「ただいま、鹿児島」。
金メダル二つを持って帰る二人を待っていたのは。
歓声と涙と。
まさかの腹筋被害報告だった。




