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となりのスタートライン  作者: リンダ


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今度は直樹の番

第38話「今度は直樹の番」


 早苗が女子100メートルで世界一になった翌日。


 選手村の日本代表フロアには、まだ前日の余韻が残っていた。


 11秒39。


 金メダル。


 高校生女子世界最速。


 そして、なぜか世界中へ広がり始めた梅ジュース。


 朝食会場へ入ってきた早苗を見つけると、海外選手の何人かが笑いながら声をかけてくる。


「Ume Juice Champion!」


 早苗はすぐに手を振る。


「違う違う! 梅ジュースの優勝はケイラだから!」


 少し離れたところからケイラが親指を立てた。


「That’s right! I’m the ume juice champion!」

「その通り! 梅ジュース王者は私!」


 早苗。


「そこ誇るところ!?」


 周囲がまた笑う。


 そんな中。


 直樹だけは少し違う空気をまとっていた。


 朝食を取りながら、静かに水を飲む。


 早苗が隣へ座った。


「緊張しちょる?」


「まあな」


「昨日の僕より?」


「昨日のおまえ見てた時の方が緊張した」


 早苗が笑う。


「じゃあ今日は大丈夫じゃん」


「それとこれとは別」


 早苗は首から下げた金メダルを、わざと直樹の前へ少し持ち上げる。


「先越したよ」


「見れば分かる」


「待ってるよ」


「何を?」


「金メダル二個並べるの」


 直樹は苦笑する。


「簡単に言うなぁ」


「じゃあ頑張ったら梅ジュース」


「それは俺へのご褒美なん?」


「僕とおそろい」


「金メダルより先に梅ジュース並べる気か!」


 早苗は楽しそうに笑った。


 だが。


 直樹も分かっている。


 今日からは、自分の番。


 5000メートル。


 100メートルとはまるで違う世界。


 十三分あまり。


 位置取り。


 呼吸。


 ラップ。


 仕掛け。


 相手を見る。


 自分を見る。


 そして最後に残っている力を、全部出す。


男子5000メートル準決勝


 予選を終えた選手たちは、二組の準決勝へ分かれた。


 各組上位六名が決勝へ。


 さらにタイム上位四名を加え、決勝は十六名で争われる。


 直樹は準決勝第一組。


 キプトゥーと三浦は第二組。


 第一組のスタートリストが掲示される。


1 田中直樹 日本

2 サミュエル・オチエン ウガンダ

3 エリアス・ベケレ エチオピア

4 イーサン・クラーク アメリカ

5 ルーカス・マイヤー ドイツ

6 アダム・ウィルソン イギリス

7 ジョナサン・ムテサ ケニア

8 ダニエル・ロペス スペイン

9 マルク・デュボワ フランス

10 トーマス・ベネット カナダ

11 イブラヒム・アデバヨ ナイジェリア

12 ルカ・ビアンキ イタリア

13 ヤコブ・ニールセン デンマーク

14 ハッサン・ムラド モロッコ

15 ミハイル・ペトロフ ブルガリア

16 アンドレ・コスタ ポルトガル


 実況。


「男子5000メートル準決勝第一組です。日本の田中直樹、予選では13分42秒18、余裕を残しながら一着。今季13分18秒台を記録しており、この世代の世界トップクラスです」


 解説。


「ただし今日は準決勝。先着六名が自動的に決勝進出です。順位取りが重要になります」


「前へ出すぎても消耗しますし、後ろすぎれば接触や仕掛けへの対応が難しくなります」


「田中がどこへ位置取るか注目です」


スタンド


 早苗は日本代表席の前方。


 舞。


 聡子。


 篠原。


 高瀬。


 そしてほかの日本代表選手と一緒に座っていた。


 早苗は落ち着かない。


「ねぇ、まだ?」


 舞。


「まだスタート二分前」


「長い」


「自分の100メートル決勝の時よりそわそわしてない?」


「だって直樹だもん」


 聡子が笑う。


「もう完全に彼女の顔だべ」


 早苗。


「うるさい」


 そのくせ。


 直樹がトラックへ出てきた瞬間。


「直樹ー!」


 競技場へ響く。


 直樹が一瞬だけ顔を上げた。


 舞。


「声でかっ!」


 早苗。


「応援だから!」


 篠原。


「大石、5000メートルずっとその声量で応援する気?」


「はい」


「田中より先に喉が終わるよ」


「大丈夫です!」


スタート


 選手たちがスタートラインへ。


 直樹は外寄り。


 肩の力を抜く。


 深呼吸。


 号砲。


「スタートしました!」


 第一コーナー。


 集団が一気に内側へ寄る。


「まずはウガンダのオチエン、アメリカのクラークあたりが前へ。田中は五番手付近です」


 200メートル。


 直樹は外へ出ない。


 無理に先頭へも行かない。


 400メートル。


 65秒8。


「少し速めの入りです」


 800メートル。


 2分11秒。


 前はオチエン。


 クラーク。


 ベケレ。


 田中。


 ムテサ。


 1000メートル。


 2分44秒。


 解説。


「田中、非常にいい位置ですね」


「前を見ながら、後ろからも囲まれにくい位置です」


 早苗。


「直樹、いいぞー!」


 直樹。


 聞こえている。


 かなり聞こえている。


2000メートル


 ペースは落ちない。


 2000メートル通過。


 5分28秒。


 実況。


「かなり締まったペースです!」


「これは準決勝としては速い」


 ここでドイツのマイヤーが前へ。


 オチエンが下がる。


 直樹は三番手。


 直樹は時計を見ない。


 前の背中。


 足音。


 呼吸。


 周囲の位置。


 それだけ。


 2400メートル。


 ベケレが少し外へ。


 仕掛けるか。


 直樹も一瞬反応する。


 しかし。


 上げない。


 三浦がスタンドから見ていた。


「行かないな」


 黒川がうなずく。


「まだ早い」


 早苗。


「直樹、我慢ー!」


 黒川が横を見る。


「大石、おまえまで分かってきたな」


「毎日見ちょるから」


3000メートル


 3000メートル。


 8分12秒。


「まだ速い!」


 集団は十人程度まで絞られた。


 先頭。


 マイヤー。


 二番手ベケレ。


 三番手田中。


 その後ろにオチエン。


 ムテサ。


 クラーク。


 残り2000。


 ここから。


 誰もが少しずつ前へ出たくなる。


 だが。


 出た者が最後まで持つとは限らない。


 3400メートル。


 ケニアのムテサが一気に前へ。


「ムテサが仕掛けた!」


 ラップが一段上がる。


 直樹も反応。


 置いていかれない。


 早苗。


「直樹、ついてけー!」


 舞。


「まだ声量変わらないのすごいね」


 聡子。


「喉も持久力あるべ」


4000メートル


 4000メートル。


 10分55秒。


 残り1000。


 先頭集団は七人。


 ムテサ。


 ベケレ。


 直樹。


 オチエン。


 マイヤー。


 クラーク。


 ウィルソン。


 決勝自動進出は六人。


 一人落ちる。


 実況。


「ここから熾烈な六位争い!」


 解説。


「田中はまだ余裕ありそうですね」


 直樹は三番手。


 残り800。


 ベケレが前へ。


 ムテサがつく。


 直樹もつく。


 残り600。


 オチエンが外から。


「ウガンダのオチエンも来た!」


 早苗が立ち上がる。


「直樹ー!」


 残り400。


 鐘。


 場内が一気に沸く。


「ラスト一周!」


 直樹はまだ三番手。


 残り300。


 ベケレ。


 ムテサ。


 直樹。


 三人ほぼ並ぶ。


 実況。


「田中、外へ出た!」


 早苗。


「行けぇぇぇ! 直樹ー!」


 直樹が加速。


 200メートル。


 ムテサをかわす。


 ベケレに並ぶ。


「田中が来る!」


 100メートル。


 直樹が前。


「日本の田中、先頭!」


 ベケレが追う。


 オチエンも伸びる。


 だが。


 直樹は落ちない。


 そのまま。


 フィニッシュ。


「田中直樹、一着!」


準決勝第一組結果


1位 田中直樹 日本 13分31秒42

2位 エリアス・ベケレ エチオピア 13分31秒86

3位 サミュエル・オチエン ウガンダ 13分32秒15

4位 ジョナサン・ムテサ ケニア 13分32秒44

5位 イーサン・クラーク アメリカ 13分33秒02

6位 ルーカス・マイヤー ドイツ 13分33秒37

7位 アダム・ウィルソン イギリス 13分33秒62

8位 ダニエル・ロペス スペイン 13分34秒18

9位 トーマス・ベネット カナダ 13分35秒04

10位 マルク・デュボワ フランス 13分36秒11

11位 イブラヒム・アデバヨ ナイジェリア 13分38秒54

12位 ルカ・ビアンキ イタリア 13分40秒02

13位 ハッサン・ムラド モロッコ 13分41秒87

14位 ヤコブ・ニールセン デンマーク 13分44秒61

15位 アンドレ・コスタ ポルトガル 13分47秒08

16位 ミハイル・ペトロフ ブルガリア 13分52秒36


 実況。


「田中直樹、準決勝も一着!」


「13分31秒42。最後の一周でしっかり勝ち切りました!」


 解説。


「かなり余力を残していますね。最後も完全な全力ではないように見えました」


「決勝へ向けていい形です」


早苗、爆発


 早苗は両手を上げる。


「よっしゃぁぁぁぁ!」


 その声。


 日本代表席どころか。


 近くの外国人観客まで振り返る。


 舞。


「早苗!」


「何!」


「声!」


「嬉しいんだもん!」


 聡子。


「昨日の金メダルの時より喜んでない?」


「だって直樹が一着じゃん!」


 篠原が笑う。


「分かったから座りなさい」


 早苗。


「はい」


 座る。


 三秒後。


「直樹ー!」


 篠原。


「まだ走ってない!」


ゴール後


 直樹が戻ってくる。


 早苗が駆け寄る。


「一着!」


「うん」


「一着!」


「二回言った」


「だって一着!」


「分かったって」


 早苗がにやにやする。


「僕の応援聞こえた?」


「めちゃくちゃ」


「効いた?」


「ある意味な」


「どういう意味?」


「残り300で、おまえの声から逃げるために加速した」


「愛から逃げるな!」


 直樹。


「声圧から逃げただけ!」


 三浦が笑う。


「田中、いいペースメーカーだったな」


 早苗。


「僕?」


 三浦。


「声の」


 直樹。


「音響兵器ですよ」


 早苗。


「誰が兵器じゃ!」


準決勝第二組


 午後。


 第二組。


 キプトゥー。


 三浦。


 ヨハネス・テスファイ。


 ジェイコブ・ミラー。


 ハッサン・アリ。


 ほか世界の強豪が集まった。


 実況。


「こちらはダニエル・キプトゥー、三浦拓海が中心です」


 レースは前半からスロー。


 1000メートル。


 2分51秒。


 2000メートル。


 5分42秒。


 キプトゥーは後方。


 三浦は五番手。


 3000メートル。


 8分31秒。


 ここから。


 キプトゥーが前へ。


 ラップが急激に上がる。


 4000メートル。


 11分15秒。


 残り1000。


 三浦も食らいつく。


 残り400。


 キプトゥーがスパート。


「キプトゥーが行った!」


 三浦も追う。


 だが。


 最後の200メートル。


 キプトゥーがさらに一段上げる。


 フィニッシュ。


準決勝第二組結果


1位 ダニエル・キプトゥー ケニア 13分29秒88

2位 三浦拓海 日本 13分30秒74

3位 ヨハネス・テスファイ エチオピア 13分31秒19

4位 ジェイコブ・ミラー アメリカ 13分32秒03

5位 ハッサン・アリ モロッコ 13分32秒60

6位 ピーター・ムワンギ ケニア 13分33秒11


 キプトゥー。


 直樹。


 三浦。


 すべて順調。


 決勝。


 さらに二日後。


鹿児島では


 一方。


 鹿児島。


 大石家。


 テレビの前。


 父。


 母の美紀。


 兄の翔太。


 弟の陽斗。


 全員が並んでいた。


 直樹の準決勝一着が決まった瞬間。


「よっしゃぁ!」


 大石家も爆発。


 美紀。


「直樹君、すごいねぇ!」


 翔太。


「あいつほんとに世界で勝ちよる」


 陽斗。


「姉ちゃんと直樹兄ちゃん、どうなっちょっとよ」


 ところが。


 その直後。


 前日の女子100メートル決勝の特集映像が始まる。


 早苗の11秒39。


 金メダル。


 ここまでは。


 家族全員。


 涙。


 父。


「ほんとに世界一になったんじゃな……」


 美紀も目元を拭う。


「頑張ったねぇ……」


 そして。


 映像はレース後へ。


 早苗。


「ぷはぁ~! 走った後のこの一杯、たまらんねぇ」


 直樹。


「酔っぱらったオヤジかよ!」


 沈黙。


 翔太。


「……」


 陽斗。


「……」


 父。


「……」


 次の瞬間。


「ぶははははは!」


 全員崩壊。


 美紀。


「ちょっと早苗!」


 翔太。


「世界一なった直後に何やっとんの!」


 陽斗。


「姉ちゃん、金メダルより梅ジュースやん!」


 さらに。


 決勝8人で梅ジュース乾杯。


 ケイラ。


「I’m the ume juice champion!」


 早苗。


「そこ誇るところ!?」


 家族。


 再び腹筋ドカン。


 父はソファを叩く。


「もう無理!」


 美紀。


「お腹痛い!」


 翔太。


「世界大会で何布教しよっとよ!」


 そして。


 優勝インタビュー。


「優勝が分かった時、最初に何を思いましたか?」


 早苗。


「……Ume juice.」


 翔太。


「そこぉぉぉ!?」


 陽斗は床へ倒れた。


「姉ちゃん最高すぎる!」


田中家も同じ


 田中家。


 父。


 母。


 裕美。


 優樹菜。


 こちらも直樹の一着に大喜び。


 裕美。


「兄ちゃん一着!」


 優樹菜。


「やったぁ!」


 母。


「決勝行けるね」


 父もうなずく。


「いい走りやった」


 しかし。


 その後に流れた早苗のインタビュー。


「And Naoki.」

「それと、直樹です」


 家族が少し静かになる。


 母。


「まあ」


 裕美。


「来た」


 早苗。


「He’s been next to me since we were little.」

「小さい頃から、ずっと僕の隣にいてくれたから」


 優樹菜。


「いい話じゃん」


 ところが。


 続く。


「And he carries my ume juice when my bag is too heavy.」

「荷物が重い時、僕の梅ジュースを持ってくれます」


 直樹。


「そこ付け足すなぁぁぁ!」


 田中家。


 爆発。


 父。


「ぶはははは!」


 母。


「直樹!」


 裕美。


「世界に荷物持ち認定されちょる!」


 優樹菜。


「兄ちゃん、彼氏兼梅ジュース運搬係!」


 テレビの前。


 腹筋崩壊。


 直樹本人は世界の舞台で準決勝を戦っている。


 早苗は世界一。


 なのに。


 鹿児島の両家では。


 感動。


 涙。


 歓喜。


 そして。


 最後は全部、爆笑に変わっていた。


夜


 選手村。


 直樹は部屋へ戻る途中、早苗と合流した。


「家からメッセージ来た?」


「来た」


「何て?」


「お父さんから、一着おめでとうって」


「うん」


「あと裕美から」


「何?」


「“早苗ちゃんのインタビューで家族全員腹筋壊れた”って」


 早苗。


「なんで!?」


「梅ジュースじゃろ」


「いいインタビューだったじゃん」


「どこが!」


「感謝も言ったもん」


「最後に全部梅でぶち壊した!」


 早苗は笑いながら言う。


「でも楽しかったでしょ」


「否定できんのが悔しい」


 少し沈黙。


 直樹が前を見る。


「決勝、二日後」


「うん」


「キプトゥー、やっぱ速い」


「うん」


「三浦先輩も強い」


「うん」


「怖い」


 早苗は直樹を見る。


「僕も決勝前、怖かったよ」


「そうじゃったな」


「でも」


 早苗は笑う。


「怖いってことは、それだけ本気ってことじゃない?」


 直樹も少し笑った。


「たまにいいこと言うな」


「たまには余計」


「じゃあ毎日」


「それも嘘っぽい」


「面倒くさ!」


 早苗。


「直樹」


「何?」


「二日後」


「うん」


「全力で応援するから」


 直樹の顔が引きつる。


「……声量は八割で頼む」


「無理」


「即答!?」


「決勝だもん」


「俺より先に喉壊すぞ」


「愛でカバーする」


「喉に愛は効かん!」


 アトランタの夜。


 女子100メートル世界一の早苗。


 男子5000メートル決勝へ進んだ直樹。


 鹿児島から始まった二人の道は。


 いよいよ、もう一つの世界一へ近づいていた。


次回予告


第39話「十三分の世界一」


 男子5000メートル決勝。


 十六人。


 キプトゥー。


 三浦。


 ベケレ。


 オチエン。


 ムテサ。


 そして田中直樹。


 序盤。


 誰も動かない。


 中盤。


 仕掛け合いが始まる。


 残り1000メートル。


 キプトゥーが前へ出る。


 残り400。


 世界最強クラスのラストスパート。


 だが。


 直樹も離れない。


 スタンドでは早苗。


「直樹ぃぃぃ! 行けぇぇぇ!」


 三浦。


「声、競技場揺れとるぞ!」


 最後の200メートル。


 直樹とキプトゥー。


 高校生男子5000メートル世界最速を懸けた一騎打ち。


 次回、第39話「十三分の世界一」。


 十一秒の金メダルの隣へ、もう一つの金メダルを並べられるか。

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