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となりのスタートライン  作者: リンダ


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いよいよ出発

第32話 いよいよ出発


 出発の朝。


 鹿児島中央駅の新幹線改札前には、朝早くからかなりの人数が集まっていた。


 大石家。


 父、母、大学生の兄・翔太、中学二年生の弟・陽斗。


 田中家。


 両親、中学二年生の裕美、小学六年生の優樹菜。


 さらに鹿児島高校一年三組のクラスメイト。


 前園健吾。


 上原美月。


 迫田悠人。


 そして陸上部の仲間たち。


「多くない?」


 代表ジャージ姿の早苗が、思わず足を止めた。


 隣の直樹も苦笑する。


「見送りっていうより壮行会じゃな」


「僕ら新幹線乗るだけなんだけど」


 前園健吾が大きな声を上げる。


「アトランタまで行く人間が何言うちょっとよ!」


「まだ福岡までじゃん!」


「最終目的地はアメリカじゃろ!」


 美月が笑う。


「早苗、梅ジュース忘れてない?」


「もちろん!」


 直樹が横を見る。


「そこだけは絶対忘れんな」


「僕を何だと思っちょるの」


「スパイク忘れる可能性はあっても梅ジュースだけは忘れん人」


「否定できん!」


 早苗の母・美紀が娘のスーツケースを見る。


「早苗」


「何?」


「昨日確認した時より、なんかパンパンじゃない?」


「気のせい」


「ほんと?」


「気のせい気のせい」


 早苗は明らかに目をそらした。


 直樹はその様子に気づいた。


「……?」


 しかし出発時刻が近い。


「そろそろ行かんと」


 直樹の父が言う。


 早苗と直樹は家族へ向き直った。


 さっきまで笑っていた空気が、少しだけ変わる。


 美紀が早苗の肩へ手を置く。


「頑張りすぎんでね」


「うん」


「ちゃんと食べて」


「うん」


「ちゃんと寝て」


「うん」


「梅ジュースばっかり飲まんで」


「何で最後それなん!」


 一同が笑った。


 田中家でも、直樹の父が息子を見る。


「記録は気にせんでよか」


「うん」


「世界の選手と走れることを楽しんでこい」


「分かった」


 裕美が言う。


「お兄ちゃん」


「何?」


「早苗ちゃんのことよろしくね」


「俺は保護者じゃなか!」


 優樹菜も続く。


「でも彼氏でしょ?」


「まあ……」


「ちゃんと隣におってあげてね」


 直樹は少し照れながら答えた。


「分かっちょる」


 早苗が横から直樹を見る。


「よろしくね、彼氏」


「おまえは今言わんでよか!」


 また笑いが起きる。


 発車案内。


 博多方面へ向かう九州新幹線の時刻が近づいていた。


 早苗と直樹は改札へ向かう。


「行ってきます!」


「行ってきます!」


 家族。


 友達。


 先生。


 陸上部。


 みんなが手を振る。


「行ってこい!」


「楽しんで!」


「早苗、世界でもボケ倒してこい!」


「目的変わっちょる!」


 最後までツッコミを入れながら、早苗は改札を通った。


新幹線の中


 鹿児島中央を発車。


 早苗は窓の外を見る。


 鹿児島の街が少しずつ後ろへ流れていく。


「行っちゃったね」


「ああ」


「次に帰ってくる時は大会終わっちょる」


「そうじゃな」


「なんか緊張してきた」


 直樹が横を見る。


「梅ジュース飲む?」


「飲む」


「即答」


 早苗はリュックから一本取り出した。


 直樹が目を細める。


「それ、スーツケースの七本とは別?」


「移動用」


「別枠が存在するん?」


「当然」


「俺、だんだん怖くなってきた」


「何が?」


「早苗の梅への執念」


 早苗はキャップを開ける。


「アトランタで最高の走りをするためのコンディショニング」


「日本陸連の栄養士に怒られん程度にな」


「分かっちょる」


 しばらくして。


 博多到着が近づく。


 早苗が立ち上がった。


「直樹、ちょっと荷物お願い」


「トイレ?」


「うん」


「分かった」


 直樹は自分と早苗、二つのスーツケースを通路側へ出した。


「……ん?」


 早苗のスーツケースを持ち上げる。


「重っ」


 昨日までにも何度か持ったことがある。


 しかし。


「こんな重かったっけ?」


 もう一度持ち上げる。


「……絶対重くなっちょる」


 戻ってきた早苗が聞く。


「どうした?」


「早苗」


「何?」


「この荷物、鹿児島出る時より重くなってない?」


「気のせいじゃない?」


「またそれ?」


「旅への期待が詰まっちょるから」


「期待に質量はなか!」


 早苗は笑ってごまかした。


 直樹は首をかしげた。


 この時。


 直樹はまだ知らなかった。


 その「質量」の正体を。


福岡空港、日本代表集合


 福岡空港。


 日本代表指定の集合場所。


「早苗!」


 聞き覚えのある声。


「舞ちゃん!」


 林田舞。


 北海道から到着したばかりだった。


 その横には山形から来た大野聡子。


「久しぶりだべ」


「聡子ちゃん!」


 男子側では三浦拓海も手を上げる。


「田中」


「三浦先輩!」


 さらに代表選手たちが次々と集まっていた。


 短距離。


 中距離。


 長距離。


 ハードル。


 跳躍。


 投てき。


 日の丸入りのジャージを着た高校生たち。


 高瀬慎一郎が全体へ声をかける。


「全員そろったら、まず荷物と書類を確認します。そのあと出国手続きへ進みます」


 早苗が小さく息を吐く。


「いよいよじゃね」


 直樹もうなずく。


「ああ」


 舞が早苗を見る。


「梅ジュース持ってきた?」


「もちろん」


「何本?」


 早苗。


「……」


「何で黙るの?」


「企業秘密」


「梅ジュースの本数に企業秘密ある?」


出国手続き


 荷物を預ける前。


 航空会社側の重量確認と必要なチェックが進む。


 代表選手たちは順番にスーツケースを載せていく。


 早苗の番。


「大石さん、お願いします」


「はい」


 スーツケースを載せる。


 担当スタッフが重量を見る。


 少し眉を動かした。


「少々重めですね」


 直樹が横から言う。


「やっぱり」


 早苗。


「許容範囲ですよね?」


「重量そのものは確認しますが……中身について少し伺ってもいいですか?」


「はい」


 液体類について確認するため、申告内容と荷物を照合する。


 そして。


 一本。


 二本。


 三本。


 四本。


 梅ジュース。


 五本。


 六本。


 七本。


 舞が笑い始める。


「本当に七本持ってきたんだ」


 直樹は腕を組む。


「昨日聞いた通りじゃな」


 ところが。


 八本目。


 直樹。


「……へ?」


 九本目。


 三浦。


「まだあるぞ」


 十本目。


 沈黙。


 担当スタッフが早苗を見る。


「梅ジュースが……十本ですか?」


「はい」


 直樹が勢いよく早苗を見る。


「十本!?」


 舞が吹き出す。


「増えてる!」


 聡子も笑う。


「七本じゃなかったんか?」


 早苗は目を泳がせる。


「えーっと」


 直樹が詰め寄る。


「なんで鹿児島出る時より増えてんねん!」


 完全に勢いで鹿児島弁から別方向へ飛んだ。


 早苗。


「いや、その」


「俺、さっき新幹線で荷物持った時、なんか重くなってると思ったんじゃ!」


「気のせいじゃなかったね」


「これやったんかい!」


 周囲の代表選手が大爆笑。


「田中、ツッコミが鹿児島越えた!」


「全国仕様になってる!」


 直樹はそんな声も無視。


「どこで三本増えた!」


 早苗は観念した。


「鹿児島中央駅」


「は?」


「売店」


「いつ!」


「直樹がクラスメイトと話しちょる間」


 直樹の口が開く。


「おまえ……」


「だって」


「だって何!」


「七本じゃ足りん気がして」


「一週間前から七本で計算しちょったやろ!」


「アトランタ行きが現実になったら急に不安になって」


「梅ジュースにホームシック起こすな!」


 舞がしゃがみ込む。


「だめ……お腹痛い……」


 聡子も顔を押さえている。


 三浦は直樹の肩をたたいた。


「田中」


「何ですか」


「世界大会前から大変だな」


「競技以外の負荷がでかすぎます!」


 早苗が一本持ち上げる。


「でも一本ずつはそんな重くないよ?」


「十本集まったら重いわ!」


「塵も積もれば」


「梅となる、じゃなか!」


 周囲から再び大爆笑。


高瀬、やってくる


 騒ぎを聞きつけた高瀬慎一郎が来た。


「何の騒ぎですか」


 全員が一瞬静かになる。


 直樹が指さす。


「これです」


 十本の梅ジュース。


 高瀬。


「……」


 早苗。


「……」


 高瀬は眼鏡を少し上げた。


「大石さん」


「はい」


「アトランタへ何をしに行きますか?」


「百メートル走です」


「梅ジュースの国際見本市ではありませんね?」


「はい」


 舞が後ろで吹き出す。


 高瀬も笑いをこらえている。


「現地の飲料、栄養補給についてはスタッフ側でも準備しています」


「はい」


「日本から持ち込む食品・飲料類は、航空会社や渡航先の規則に従って扱います。必要なら現地調達も考えます」


「はい」


「つまり」


「はい」


「十本全部が命綱ではありません」


 早苗は少し考える。


「精神的には結構……」


「大石」


「はい!」


 代表選手たちがとうとう爆発した。


「あはははは!」


 直樹は頭を抱える。


「アトランタ着く前からこれか……」


今度は直樹


 そして。


「次、田中さん」


「はい」


 直樹のスーツケース。


 確認。


 衣類。


 シューズ。


 代表用品。


 問題なし。


 ところが。


「こちらの紙類は?」


 直樹が答える。


「アトランタ都市圏の鉄道路線図です」


 早苗の目が光る。


「来た」


「黙っとれ」


「こちらは?」


「公共交通ガイド」


「こちらは?」


「駅周辺図」


「こちらは?」


「バス路線図」


「こちらは?」


「空港アクセスの資料」


 早苗が腕を組む。


「直樹」


「何」


「アトランタへ何しに行くの?」


 さっきの高瀬の口調を完全再現。


 直樹。


「五千メートル走です」


「鉄道研究発表会ではありませんね?」


「……」


 舞が爆笑。


 三浦まで崩れる。


 早苗が勝ち誇る。


「人のこと言えんじゃん!」


「俺のは液体じゃなか!」


「紙も十数枚あったじゃん!」


「軽い!」


「愛は重い!」


「鉄道愛を物理重量に変換すんな!」


 高瀬はとうとう額を押さえた。


「……この二人、本当に世界トップクラスの選手なんですよね?」


 三浦が答える。


「走ってる時だけは」


 舞。


「走ってない時はJapanese Comedy Coupleです」


 早苗。


「世界公認」


 直樹。


「公認すんな!」


搭乗口


 すべての手続きを終えた日本代表は、搭乗口へ移動した。


 窓の向こうには航空機。


 ここから先。


 日本を離れる。


 さすがの早苗も少し静かになった。


 スマートフォンを取り出す。


 大石家の家族グループ。


 文章を打つ。


早苗:


「今から行ってきます。ちょっと怖いけど、楽しんできます。ちゃんと走って、ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと帰ってくるから」


 少し考える。


 もう一文。


「梅ジュースは十本になりました」


 送信。


 三秒後。


 母・美紀。


「はぁ!?」


 兄・翔太。


「増えとるやないか!」


 弟・陽斗。


「現地で店開くん?」


 早苗。


「……」


 直樹が画面をのぞく。


「家族の反応が正常」


「うるさい」


 直樹も田中家へ送る。


直樹:


「今から出発します。無事に帰ってきます」


 裕美からすぐ返信。


「早苗ちゃんのことよろしく」


 優樹菜。


「ラブラブして競技忘れないように」


 直樹。


「……」


 早苗がのぞき込む。


「あははは!」


「笑うな!」


「妹ちゃんたち最高」


「帰ったら覚えとけよ……」


 やがて搭乗案内が始まった。


 早苗はスマートフォンをしまう。


「直樹」


「何」


「行く?」


「ああ」


「アトランタ」


「行こう」


 早苗は右手を出す。


 直樹も軽く拳を合わせる。


「ちゃんと帰ってくる」


「二人でな」


「うん」


 歩き始める。


 すると早苗が振り返った。


「ところで直樹」


「何?」


「梅ジュース、機内で一本飲んでいいかな」


「預けた荷物の中じゃろ!」


「あ」


「いきなり飲めんが!」


「手荷物用忘れた!」


「そこは忘れるんかーい!」


 舞。


「最後まで梅!」


 三浦。


「まだ日本出てないぞ!」


 聡子。


「アトランタまで腹筋もつんだべか」


 日本代表の笑い声が、搭乗口へ響いた。


 こうして。


 鹿児島の小柄なスプリンター、大石早苗。


 鹿児島の長身長距離ランナー、田中直樹。


 そして日本全国から集まった若き代表選手たちは、ついに世界へ向けて飛び立つ。


 次に地面を踏む時。


 そこはもう、日本ではない。


 アトランタ。


 世界のスタートラインが待っている。


次回予告


第33話「アメリカ上陸、最初の敵は時差」


 長いフライトを経て、ついにアメリカへ到着する日本代表。


 早苗は窓から広がる景色に大興奮。


 直樹は空港の案内表示や交通アクセスに目を奪われる。


「直樹、鉄道見に来たんじゃないよ!」


「分かっちょる!」


 しかし選手村へ到着すると、二人を待っていたのは世界のライバルより先に「時差」。


 眠い。


 でも現地時間では昼。


 寝てはいけない。


 早苗はソファへ座った瞬間、舟をこぎ始める。


「早苗、寝るな!」


「僕、寝てない……」


「目閉じちょるが!」


 さらに荷物を開封した早苗は、十本の梅ジュースを確認して安堵する。


「全員無事!」


「選手団みたいに数えるな!」


 そして選手村では、ケイラ、エマ、キプトゥーら海外選手たちとの初めての対面が待っていた。


 オンラインでは何度も笑い合った相手。


 今度は同じ場所に立つ、本物のライバル。


 ケイラが早苗を見つけて最初に叫ぶ。


「Ume Juice Girl!」


 早苗。


「世界第一声がそれ!?」


 次回、第33話「アメリカ上陸、最初の敵は時差」。


 海を越えても、どうやら二人の漫才に国境はない。

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