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となりのスタートライン  作者: リンダ


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最後の鹿児島

第31話 最後の鹿児島


 アトランタへの出発まで、あと一週間。


 早苗と直樹にとって、この日は直前合宿へ入る前、鹿児島高校へ普通に登校する最後の日だった。


 朝。


 いつものように早苗が田中家まで迎えに来る。


「直樹ー、行くよー」


 玄関が開く。


「おはよう」


「おはよ」


 二人は並んで歩き始めた。


 付き合い始めてからも、朝の風景そのものはほとんど変わっていない。


 早苗がしゃべる。


 直樹が突っ込む。


 早苗がまた何か言う。


 直樹がさらに突っ込む。


 ただ今日は、二人とも少しだけ静かな時間が多かった。


「直樹」


「何ね」


「次にこの道歩く時、アトランタ終わっちょるんだよね」


「ああ」


「何か変な感じ」


「俺も」


 早苗は歩きながら自分の足元を見る。


「メダル持って帰ってくるかもしれん」


「手ぶらかもしれん」


「直樹、現実的」


「そいが普通じゃろ」


「でもさ」


「うん」


「手ぶらでも、ちゃんと帰ってくればよかよね」


 直樹は少しだけ早苗を見る。


「ああ」


「一緒に?」


「一緒に」


 早苗は笑った。


「よし」


「何がよしじゃ」


「確認」


「毎回確認すんな」


 そこから少し歩くと、鹿児島高校の正門が見えてきた。


 そして。


「……直樹」


「何ね」


「横断幕、増えちょる」


 以前から掲げられていた日本代表選出を祝う横断幕。


 その隣に、新しいものが追加されていた。


大石早苗さん・田中直樹君

アトランタ・ユースオリンピック

世界へ挑戦!


 早苗は両手で顔を覆った。


「また増えたぁ!」


「もう慣れろ」


「毎朝自分の名前でかでか見る身にもなってよ!」


「俺もじゃ」


「直樹は平気そうじゃん」


「平気なふり」


「ほんとは?」


「めっちゃ恥ずかしか」


「一緒じゃん!」


 二人で笑いながら校門をくぐる。


教室に入ると


 一年三組の扉を開けた瞬間。


「おおおー!」


 拍手。


「日本代表!」


「アトランタ!」


「梅ジュースガール!」


「誰が梅ジュースガールよ!」


 早苗のツッコミが即座に飛ぶ。


 前園健吾が机の上へ立とうとして、福留千鶴にすぐ止められた。


「前園、机に乗るな」


「すみません」


 上原美月が早苗へ紙袋を渡す。


「これ、みんなから」


「何?」


「寄せ書き」


 早苗が開く。


 大きな色紙。


 中心には、


自分の走りをしてこい!


 その周りに、クラスメイト全員の言葉が並んでいた。


「勝ってこい」ではない。


「金メダル取れ」でもない。


 早苗は少し目を細めた。


「これ、誰が決めたの?」


 美月が笑う。


「みんなで」


 健吾が続ける。


「だって、もう十分速いやん」


 迫田悠人も言う。


「世界一位とか国内最速とか言われても、結局走るのは早苗と田中じゃろ」


 直樹も色紙を受け取る。


 そこには、


記録じゃなく、田中直樹として走ってこい


 と書かれていた。


 直樹はしばらく黙って見ていた。


「……ありがとな」


「おお、田中が素直」


「今くらい素直でもよかじゃろ!」


 教室が笑う。


 福留千鶴は教卓の前から二人を見る。


「大石、田中」


「はい」


「学校としても、応援しちょる」


「ありがとうございます」


「でも」


 二人が少し緊張する。


「補習プリントは帰ってきたら続きがあります」


「そこは残るんですか!」


 早苗の叫び。


 教室、大爆笑。


「世界大会行っても授業は進みます」


「せめて帰国三日は休ませて!」


「相談します」


「即答で却下じゃないだけ優しか!」


 川原美咲も後ろから笑っていた。


「大石さん、アトランタで寝不足にならんようにね」


「先生、もう授業中寝ません!」


「ほんと?」


「多分」


「多分を付けない」


「はい!」


最後の授業


 この日は特別扱いされることなく、普通に授業が続いた。


 国語。


 数学。


 社会。


 英語。


 早苗は英語の授業で、アトランタで使いそうな表現をノートへ書く。


Where is the athletes’ village?

「選手村はどこですか?」


Where is the stadium?

「競技場はどこですか?」


Could you tell me the way?

「道を教えていただけますか?」


 そして。


Where can I buy Japanese plum juice?

「梅ジュースはどこで買えますか?」


 直樹が横から見る。


「やっぱり入れた」


「必須英語」


「最後だけ使用頻度高そうじゃな」


「直樹も書いといたら?」


「俺はいい」


「現地で僕に聞かれたら困るよ」


「俺まで巻き込まれる前提?」


「彼氏じゃん」


「便利屋じゃなか!」


 美咲が前から言う。


「二人とも、授業中ですよ」


「はい!」


放課後、陸上部


 最後の通常練習。


 有馬剛志は二人へ無理をさせなかった。


「今日は軽く流して終わりじゃ」


 早苗が聞き返す。


「ほんとに?」


「ほんとに」


「百メートル一本だけ全力」


「だめ」


「六十」


「だめ」


「三十」


「だめ」


「十」


「大石」


「はい」


「休め」


「はい……」


 陸上部員たちが笑う。


 直樹も軽いジョグと流しだけ。


「田中も走りすぎんなよ」


「はい」


「おまえは大石より聞き分けよかから安心しちょる」


 早苗がすぐ反応する。


「僕も聞き分けいいですよ!」


「昨日勝手に追加で走ろうとしたの誰じゃ」


「……僕です」


「素直でよろしい」


 練習後。


 陸上部員たちが二人を囲む。


「先輩、頑張ってください!」


「テレビ見るから!」


「緊張したら鹿児島思い出してください!」


 早苗は笑いながら頭を下げる。


「ありがと」


 直樹も言う。


「行ってくる」


 有馬は最後に二人へ言った。


「勝とうとするな、とは言わん」


 二人が見る。


「勝ちに行け」


「はい」


「じゃっど、勝つことだけに飲み込まれるな」


「はい」


「自分の走りをして、最後まで帰ってこい」


「はい!」


大石家・荷造り


 その夜。


 大石家のリビング。


 早苗のスーツケースは完全に開かれていた。


 美紀がチェックリストを読み上げる。


「代表ジャージ」


「入れた」


「スパイク」


「入れた」


「ユニフォーム」


「入れた」


「パスポート」


「手荷物」


「充電器」


「入れた」


 翔太がスーツケースの奥を見る。


「……早苗」


「何?」


「これ何?」


 一本取り出す。


 梅ジュース。


「非常用」


 もう一本。


「これも?」


「非常用」


 三本目。


「これも?」


「非常用」


 四本目。


「まだあるぞ」


「非常用」


 五本目。


「何本非常事態来る予定なん!」


 陽斗が爆笑する。


 美紀は頭を抱えた。


「早苗」


「はい」


「何本入れちょるの」


「七」


「七!」


「一週間分」


「現地にもあるって調べたんやろ?」


「売り切れ対策」


「アトランタの梅ジュース市場を信用せんか!」


 翔太が笑う。


「日本代表スプリンター、荷物の三割が梅」


「三割もない!」


「二割?」


「もっとない!」


「重量測ろう」


「やめて!」


田中家も似たようなもの


 一方。


 田中家。


 真由美が直樹の荷造りを確認していた。


「直樹、これは?」


「アトランタの鉄道路線図」


「これは?」


「公共交通ガイド」


「これは?」


「駅周辺図」


「これは?」


「バス路線図」


 裕美が笑う。


「お兄ちゃん、陸上しに行くんよね?」


「移動も大事じゃろ」


 優樹菜が紙の束を持ち上げる。


「これ全部持っていくの?」


「必要」


「スマホで見ればよくない?」


「紙には紙の良さがある」


「鉄道オタクの言い分」


「オタク言うな」


 父が笑いながら言う。


「早苗ちゃんの梅ジュースといい勝負じゃな」


 直樹が止まる。


「……早苗、何本持っていくんじゃろ」


 裕美が即答する。


「絶対五本以上」


「ありえる」


翌日、答え合わせ


 学校帰り。


 早苗と直樹がいつもの道を歩く。


「直樹」


「何ね」


「荷造り終わった?」


「ほぼ」


「何入れた?」


「普通のもの」


「ほんと?」


「早苗は?」


「普通」


「梅ジュース何本?」


 早苗が止まる。


「……七」


 直樹も止まる。


「七!」


「多い?」


「多い!」


「直樹は路線図何枚?」


「……」


「何枚?」


「十数枚」


 早苗。


「人のこと言えんじゃん!」


「紙は軽い!」


「梅ジュースは飲める!」


「用途が違う!」


「どっちも大事!」


「そいは認める!」


 二人は顔を見合わせる。


 そして。


 同時に笑った。


「僕ら似たもん同士じゃん」


「認めたくないけどな」


「彼氏彼女だから」


「そこ関係ある?」


「ある」


「ない」


「ある」


「ない」


 またいつもの言い合い。


 でも今日は、その声が少しだけ大切に感じられた。


出発前夜


 夜。


 二人は少しだけ外へ出た。


 いつもの帰り道。


 学校。


 住宅街。


 田中家。


 大石家。


 何度も歩いた道。


 早苗が立ち止まる。


「直樹」


「うん」


「次にここ歩く時、僕らどうなっちょるかな」


「分からん」


「メダル持っちょるかも」


「手ぶらかもしれん」


「そっか」


「じゃっど」


 直樹は少し笑う。


「一緒に帰ってくればよか」


 早苗も笑った。


「うん」


「俺が負けても?」


「もちろん」


「早苗が負けても?」


「もちろん」


「じゃあ決まり」


「何が?」


「アトランタ行って」


「うん」


「走って」


「うん」


「ちゃんと二人で鹿児島へ帰ってくる」


 早苗は少しだけ直樹へ近づいた。


「その前に」


「何?」


「梅ジュース買う」


 直樹は数秒黙った。


「……今いい話しちょったが!」


 早苗が吹き出す。


「あははは!」


「最後まで梅か!」


「緊張ほぐれたでしょ?」


「わざと?」


「半分」


「残り半分は?」


「本気」


「やっぱり!」


 二人の笑い声が、鹿児島の夜道へ広がった。


 明日。


 この道から、世界へ向かう。


 でも帰ってくる場所は、もう決まっている。


 だから。


 少しくらい怖くても、前へ進める。


次回予告


第32話「いよいよ出発」


 アトランタへ向かう朝。


 鹿児島中央駅には、大石家、田中家、クラスメイト、陸上部の仲間たちが集まる。


 早苗と直樹は新幹線で福岡空港へ向かい、日本代表チームと合流。


 舞。


 聡子。


 三浦。


 そして各種目の代表選手たち。


 いよいよ日本を離れる。


 ところが空港の手荷物確認で、早苗のスーツケースから梅ジュースが次々と出てくる。


「七本?」


「非常用です!」


 一方の直樹は、鉄道路線図を大量に持ち込み、


「アトランタで乗る時間あるの?」


「見るだけでも価値があります!」


 スタッフ、頭を抱える。


 そして搭乗直前。


 早苗は鹿児島の家族へ最後のメッセージを送る。


「行ってきます。ちゃんと帰ってくるから」


 次回、第32話「いよいよ出発」。


 鹿児島から世界へ。


 二人の本当の遠征が始まる。

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