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となりのスタートライン  作者: リンダ


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世界のライバルから届いた動画

 第27話 世界のライバルから届いた動画

 ユースオリンピックへ向けた日本代表の強化プログラムは、いよいよ国際交流の段階へ入った。


 この日の午後。


 日本陸連の研修室には、早苗、直樹、舞、聡子、三浦をはじめ、日本代表に選ばれたトラック、跳躍、投てきの選手たちが集まっていた。


 前方の大型モニターには、アトランタ大会へ出場予定の海外選手たちの映像が映し出されている。


 最初は女子百メートル。


 アメリカ代表。


 ジャマイカ代表。


 イギリス代表。


 オーストラリア代表。


 次々とレース映像が流れる。


 早苗は、さっきまで舞と梅ジュースの話をしていた表情から一変していた。


「……速か」


 スタート。


 十メートル。


 二十メートル。


 世界のトップユース選手たちは、早苗が全国合宿で経験したものより、さらに一段速い加速を見せていた。


 舞も真剣な表情で画面を見る。


「アメリカの子、最初の三歩めちゃくちゃ速いね」


「うん」


「ジャマイカの選手は後半が強い」


「僕とちょっと似ちょるかも」


「でも歩幅でかいっしょ」


「……羨ましか」


 早苗の視線が、また違うところへ行った。


 舞がすぐ気づく。


「そこ?」


「脚長い」


「競技分析しようよ!」


 聡子が後ろから笑う。


「早苗、世界まで行っても身長気にするんだべか」


「だってさぁ。みんな百六十後半とか百七十くらいあるじゃん」


 直樹が横から言う。


「身長は本大会までに急に増えん」


「十センチくらい何とかならん?」


「ならん」


「五センチ」


「値引き交渉すんな」


 日本代表選手たちから笑いが起こった。


 それでも、映像が再開すれば早苗は前へ視線を戻した。


 世界との差。


 スタート。


 加速。


 トップスピード。


 終盤のフォーム。


 一つずつ確認する。


 今まで「世界の選手」としか見えていなかった相手が、少しずつ具体的な存在になっていった。

 男子五千メートル

 次は直樹と三浦の番だった。


 ケニア。


 エチオピア。


 アメリカ。


 フランス。


 各国の代表候補選手の映像が映る。


 三千メートルを過ぎても、まったくペースが落ちない。


 残り一千メートルから、さらに速度が上がる。


 直樹は思わず前へ身を乗り出した。


「最後の千、えげつな……」


 三浦も腕を組む。


「国内でこの上げ方されたら、かなりきついな」


 直樹はケニアの選手のラップタイムを見る。


「三千まではつけると思います」


「そのあと?」


「分からんです」


「俺も」


 黒川コーチが二人へ言う。


「分からんでよか」


 直樹と三浦が振り返る。


「今の段階で全部できるなら、強化する意味がなか。どこまでつけるか。どこで離されるか。逆にどこなら勝負できるか。そいを探せ」


「はい」


 二人がうなずく。


 早苗は後ろから直樹を見る。


 少しだけ顔が硬い。


「直樹」


「何ね」


「僕、アトランタでも叫ぶから」


「今、真面目に映像見ちょったが」


「プレッシャー対策」


「おまえの声が一番プレッシャーになる時あるんじゃ!」


 また笑い。


 黒川も苦笑する。


「大石。声援はよかが、田中のレース中に笑わせんなよ」


「努力します」


「努力目標にすんな」


 直樹のツッコミがすぐ飛んだ。

 世界の選手たちとのオンライン交流

 映像分析のあと。


 会場のモニターが、今度はオンライン交流用の画面へ切り替わった。


 各国のユース選手が、それぞれの国から接続している。


 アメリカ。


 ジャマイカ。


 イギリス。


 オーストラリア。


 ケニア。


 エチオピア。


 フランス。


 さらにカナダ、ドイツ、ブラジルなどの選手たちも加わった。


 画面いっぱいに、十代の選手たちの顔が並ぶ。


 最初はやはり、少し固い。


 言葉も違う。


 初対面。


 しかも数か月後には、同じ舞台で競い合うライバルである。


 司会役のエミリーが英語で呼びかけた。


「Let's start with short introductions. Please tell us your name, country, event, and something you like.」

「まずは簡単な自己紹介から始めましょう。名前、国、種目、そして好きなものを一つ教えてください」


 日本代表側から何人かが順番に話す。


 舞。


「Hi, I'm Mai Hayashida from Japan. I run the 100 and 200 meters. I love snow, music, and good food.」

「こんにちは。日本代表の林田舞です。百メートルと二百メートルを走っています。雪と音楽とおいしい食べ物が大好きです」


 聡子。


「Hello, I'm Satoko Ono from Japan. I run the 800 and 1500 meters. I come from Yamagata. I love running and fruit.」

「こんにちは。日本代表の大野聡子です。八百メートルと千五百メートルを走っています。山形出身で、走ることと果物が大好きです」


 三浦も無難に終えた。


 そして。


「Next, Sanae.」

「次は早苗さんです」


「Yes!」


 早苗が前へ出る。


 直樹はすでに不安だった。


「頼むから普通にやってくれ……」


 早苗は笑顔でカメラを見る。


「Hi, everyone! I'm Sanae Oishi from Japan. Please call me Sanae.」

「皆さんこんにちは。日本代表の大石早苗です。早苗と呼んでください」


 海外の選手たちが笑顔で手を振る。


「I run the 100 meters.」

「百メートルを走っています」


「My dream is to become a nursery teacher.」

「将来の夢は保育士です」


「I love running, children, baseball, the Fukuoka SoftBank Hawks……」


 直樹が嫌な予感を覚える。


「……and ume juice!」

「走ること、子どもたち、野球、福岡ソフトバンクホークス、そして梅ジュースが大好きです!」


 海外選手たちが笑う。


 アメリカの女子選手が聞いた。


「Ume juice? What's that?」

「梅ジュース? それは何?」


 早苗は待ってましたと言わんばかりに答える。


「Japanese plum juice! Sweet and sour. Very good!」

「日本の梅を使ったジュースです! 甘酸っぱくて、とてもおいしいです!」


 オーストラリアの選手が笑う。


「You really like it!」

「本当に好きなんだね!」


「Yes! Very much!」

「はい! 大好きです!」


 早苗はさらに続けた。


「And……」


 直樹の顔が引きつる。


「まだあると?」


 早苗はカメラへ満面の笑み。


「I also love my boyfriend!」

「それから、彼氏も大好きです!」


「おい!」


 直樹のツッコミが、日本代表側のマイクへばっちり入った。


 一瞬。


 海外選手たちが静かになる。


 そして。


 画面の向こうで笑いが爆発した。


「Boyfriend?」


「Where is he?」


「Is he there?」


 早苗はすぐ隣を指さす。


「Yes! Here! Naoki!」

「はい! ここにいます! 直樹です!」


 直樹が固まった。


「世界中から見られちょるが……」


 三浦が背中を押す。


「行け、彼氏」


「何で!」


 直樹は渋々カメラ前へ出た。


 早苗が腕で紹介する。


「This is my boyfriend, Naoki Tanaka. He runs the 5,000 meters.」

「こちらが私の彼氏、田中直樹です。五千メートルを走っています」


 アメリカの男子選手が笑う。


「Lucky guy!」

「幸運な男だな!」


 直樹は顔を赤くしながら答える。


「Thank you……I think.」

「ありがとう……と言っていいのかな」


 海外側でさらに笑い。


 早苗がすぐ突っ込む。


「Why “I think”?」

「何で『かな』なの!」


 直樹。


「Because you make me tired every day!」

「毎日おまえに振り回されて疲れるからじゃ!」


 早苗。


「Running makes you tired, too!」

「走ったって疲れるじゃん!」


 直樹。


「That's different!」

「そいは別じゃ!」


 画面の向こう。


 アメリカ。


 ジャマイカ。


 イギリス。


 オーストラリア。


 次々と笑い出す。


 舞は頭を抱えた。


「始まった」


 聡子も笑う。


「世界配信漫才だべ」


 三浦はもう諦めていた。


「止めても無駄だな」

 アメリカ代表の質問

 アメリカの女子百メートル代表候補、エマ・ジョンソンが笑いながら手を上げた。


「Sanae, I have a question.」

「早苗、質問があります」


「Yes?」


「What's “Ryotonari-Omoi”?」

「“Ryotonari-Omoi”って何?」


 直樹が固まった。


「……へ?」


 早苗の顔がぱっと明るくなる。


「You know Ryotonari-Omoi?」

「両隣想いを知ってるの?」


 エマは笑う。


「Someone told us in the group chat.」

「グループチャットで誰かが教えてくれたの」


 直樹は舞を見る。


 舞は目をそらす。


 次に聡子。


 聡子も天井を見る。


「おまえらか!」


 二人が吹き出す。


 早苗は堂々と説明する。


「Ryotonari-Omoi means……I want to be next to Naoki, and Naoki wants to be next to me.」

「両隣想いというのは、僕が直樹の隣にいたくて、直樹も僕の隣にいたいという意味です」


 エマ。


「Oh! That's cute!」

「わあ! かわいい!」


 イギリスの選手も反応する。


「Is it a common Japanese word?」

「日本ではよく使う言葉なの?」


 直樹が慌てて前へ出る。


「No! No! It's not a common Japanese word! She made it up!」

「違います! 違います! 一般的な日本語じゃありません! 早苗が勝手に作りました!」


 海外側、大爆笑。


 早苗。


「But it's a good word!」

「でもいい言葉じゃん!」


 直樹。


「Don't export it!」

「世界へ輸出すんな!」


 エマが笑いすぎて机へ突っ伏している。


「Japanese comedy is amazing!」

「日本のコメディ、最高!」


 直樹が即座に返す。


「We are athletes!」

「僕らは陸上選手です!」


 オーストラリア代表の女子選手が言う。


「Free comedy and athletics? Great deal!」

「無料でコメディと陸上競技が両方見られるの? 最高じゃん!」


 早苗は親指を立てる。


「Japanese comedy, free of charge!」

「ジャパニーズコメディ、無料です!」


 直樹。


「勝手に無料公演すんな!」


 今度は通訳スタッフまで笑い出した。

 身長ネタ、世界進出

 ジャマイカの女子選手、ケイラ・ブラウンが早苗へ尋ねた。


「Sanae, how tall are you?」

「早苗、身長はどれくらい?」


 早苗の表情が曇る。


「About 150 centimeters.」

「だいたい百五十センチくらいです」


 ケイラは笑顔で答える。


「You're small, but very fast.」

「小柄だけど、とても速いね」


 早苗はすぐに言う。


「Thank you. But I want ten more centimeters.」

「ありがとう。でも、あと十センチ欲しいです」


 舞が笑い始める。


「また言った!」


 オーストラリアの長身選手が聞く。


「Why ten centimeters?」

「どうして十センチ?」


 早苗は直樹を指さす。


「Because my boyfriend is too tall.」

「彼氏が高すぎるからです」


 直樹がすぐ割り込む。


「It's not my fault!」

「俺のせいじゃなか!」


 ケイラ。


「Can Naoki give you ten centimeters?」

「直樹から十センチもらえないの?」


 早苗の目が輝く。


「Exactly!」

「それ!」


 直樹。


「No!」


 早苗。


「Five centimeters?」

「じゃあ五センチ?」


 直樹。


「No discount!」

「値引き交渉じゃなか!」


 世界中の画面で大爆笑。


 エマは涙を拭いている。


「I can't breathe!」

「笑いすぎて息できない!」


 直樹がカメラを見ながら言う。


「This is my life every day.」

「僕は毎日こんな感じです」


 早苗が即座に返す。


「You're welcome.」

「どういたしまして」


「感謝してない!」


 日本語のツッコミが飛び出したが、空気だけで意味は十分伝わった。


 また爆笑。

 梅ジュース・ワールドカップ

 今度はフランスの男子選手が手を上げた。


「Sanae, is ume juice really that good?」

「早苗、梅ジュースって本当にそんなにおいしいの?」


 早苗の顔が一気に真剣になる。


「Yes. Very important.」

「はい。とても大事です」


 直樹が小声で言う。


「質問された瞬間、競技のインタビューより真剣になった」


 早苗は続ける。


「When I'm tired, ume juice.」

「疲れた時は梅ジュース」


「When I'm sad, ume juice.」

「悲しい時も梅ジュース」


「When I win, ume juice.」

「勝った時も梅ジュース」


「When I lose……」


 少し間を置く。


「Ume juice.」

「負けた時も梅ジュース」


 海外選手たちが大爆笑。


 直樹が聞く。


「When you get married?」

「結婚した時は?」


 早苗は一瞬止まった。


 そして直樹を見る。


「Ume juice with Naoki.」

「直樹と一緒に梅ジュース」


 一斉に、


「Awwww!」


 海外女子選手たちから歓声。


 直樹は真っ赤になる。


「何で俺が自分で聞いて自爆しちょっとよ……」


 三浦が笑う。


「田中、自分から振ったんだから諦めろ」


 早苗は大満足。


「World ume juice party.」

「世界梅ジュースパーティー」


 直樹。


「大会の趣旨変わっとる!」

 一瞬でなくなった壁

 オンライン交流開始から、まだ三十分も経っていなかった。


 だが、最初にあった固い空気は完全になくなっていた。


 海外の選手たちは、


「Sanae!」


「Naoki!」


 と名前で呼び始める。


 早苗も、


「Emma!」


「Kayla!」


 と次々と名前を覚える。


 舞や聡子、三浦も自然に会話へ加わっていった。


 短距離。


 長距離。


 跳躍。


 投てき。


 国籍すら関係なく、笑いの輪が広がる。


 エミリーが少し離れたところで、高瀬慎一郎へ言った。


「Sanae has an interesting talent.」

「早苗には面白い才能がありますね」


「競技以外ですか?」


「Yes. She makes people relax very quickly.」

「はい。人をとても早くリラックスさせる力があります」


 高瀬も笑った。


「本人は狙っていないと思いますけどね」


「That's probably why it works.」

「たぶん、狙っていないからこそなんでしょうね」


 直樹もまた重要だった。


 早苗がどこまでも暴走すると、必ずツッコミを入れる。


 そのリズムがあるから、早苗の天然発言は会話になり、笑いになる。


 二人セットで、一つの空気を作っていた。


 ユースオリンピック開催前。


 日本代表の高校一年生カップル。


 世界の競技者たちの間で、すでに妙な人気コンビが誕生しつつあった。


 海外選手たちは二人を、


 “The Japanese Comedy Couple”

「日本のコメディカップル」


 と呼び始めた。


 直樹は当然、全力で抗議した。


「We're runners!」

「僕らは陸上選手です!」


 エマが笑う。


「You can be both!」

「両方でいいじゃん!」


「よくない!」


 また世界中で笑いが起きた。

 そして競技の話へ

 しかし。


 交流会の後半。


 司会が競技についての質問へ切り替えた瞬間、空気は変わった。


 エマが早苗を見る。


「Sanae, I watched your race video. Your second half is very strong.」

「早苗、あなたのレース映像を見たよ。後半がすごく強いね」


 早苗も笑いを消す。


「Thank you. Your start is amazing.」

「ありがとう。エマのスタート、本当にすごいよ」


「I want to beat you in Atlanta.」

「アトランタではあなたに勝ちたい」


 早苗は即答した。


「Me too. I want to beat you.」

「僕も。エマに勝ちたい」


 二人は笑った。


 もう笑わせるための笑顔ではない。


 競技者同士の笑顔だった。


 直樹もケニアの選手、ダニエル・キプトゥーと話していた。


「Your last 1,000 meters is very fast.」

「君の最後の千メートルは本当に速いね」


 ダニエルは答える。


「Your finishing speed is strong, too. I watched your Japanese record race.」

「君のラストスパートも強いよ。日本の高校記録を出したレースを見た」


 直樹が驚く。


「You watched it?」

「見たの?」


「Yes. I want to race you.」

「もちろん。君と走ってみたい」


 直樹は少し笑う。


「I want to race you, too.」

「俺も君と走りたい」


 数十分前まで、


「ジャパニーズコメディを無料で見られた」


 と笑い合っていた相手。


 しかし数か月後。


 スタートラインへ立てば、本気で勝ちに来る。


 早苗はその事実を、初めて実感した。


「直樹」


 交流会終了後。


 早苗が小さく言う。


「何ね」


「世界の選手って、もっと遠い人たちだと思ってた」


「俺も」


「でも、普通に笑うんだね」


「俺らと同じ高校生じゃっでな」


「その高校生が、めっちゃ速い」


「そいが問題じゃ」


 二人は顔を見合わせる。


 早苗が笑う。


「でも、勝ちたい」


「ああ」


「直樹も?」


「もちろん」


「じゃあアトランタで」


 早苗は拳を差し出した。


「本気で行こう」


 直樹も拳を合わせる。


「おう」


 その直後。


 早苗が思い出したように言った。


「あと、梅ジュースも買おう」


「最後に全部台無しにすんな!」


 研修室に、また笑い声が響いた。


 世界を相手にしても。


 言葉が違っても。


 早苗の爆笑火力は変わらなかった。


 むしろ、言葉の壁を越えるたびに火力は増している。


 そして直樹のツッコミも、完全に国際対応へ進化し始めていた。


 世界大会が始まる前から。


 日本代表の二人は、競技とはまったく別の意味でも世界へ名前を知られ始めていた。

 次回予告

 第28話「ジャパニーズ・コメディ・カップル」

 オンライン交流会をきっかけに、海外選手の間で一気に知られるようになった早苗と直樹。


 各国選手のグループチャットでは、


「Japanese Comedy Couple」


「Ryotonari-Omoi」


「Ume Juice Girl」


 という謎の単語が飛び交い始める。


「誰が梅ジュースガールよ!」


 一方、日本代表の強化練習では笑いなし。


 早苗は舞との百メートルで、ついに十一秒五〇の壁へ挑む。


 直樹は三浦とともに、アトランタを想定した高速五千メートルへ。


 そして練習後。


 海外選手から早苗へ一通の動画が届く。


 そこには、エマやケイラたちが梅ジュースを探してアメリカのスーパーを回る姿が。


「世界まで梅に巻き込まれちょる!」


 次回、第28話「ジャパニーズ・コメディ・カップル」。


 競技では本気。


 それ以外では、なぜか世界規模のギャグコントになる。








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