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となりのスタートライン  作者: リンダ


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日本代表、英語で自己紹介

第26話 日本代表、英語で自己紹介


 日本陸連の語学研修は、いよいよ実践編へ入った。


 この日の研修室には、机が教室のように並べられていなかった。


 中央には丸テーブル。


 壁際には、空港の入国審査、ホテルのフロント、選手村の食堂、競技場の受付を模した簡易ブース。


 そして前方には、大きく英語で書かれている。


LET’S COMMUNICATE!


 早苗はその文字を見上げた。


「コミュニケート」


 直樹が隣で言う。


「コミュニケーションじゃろ」


「分かっちょるよ」


「今ちょっと怪しかったぞ」


「英語だから舌がまだ起きてないの」


「朝から梅ジュース飲んどったやろ」


「舌と梅は別問題」


「そいはそうじゃろな」


 二人のやり取りを聞いていた林田舞が、すでに笑っている。


「始まる前から鹿児島コンビ動いてるっしょ」


 大野聡子も笑った。


「今日、腹筋使う研修になりそうだべ」


 三浦拓海は直樹の肩を軽くたたく。


「今日はちゃんと英語で彼氏宣言するんだろ」


「何でそれ前提なんですか」


「学校でもうしたんじゃろ?」


「そいは事故です!」


「事故で『将来早苗の彼氏になる予定』は出てこんって」


「三浦先輩まで!」


 そこへ、この日の外国人講師が入ってきた。


 アメリカ出身の男性講師、マイケル・ロバーツ。


 三十代後半。


 スポーツイベントの国際交流研修を数多く担当しており、日本語もかなり理解できる。


 その隣には、女性講師のエミリー・カーター。


 二十代後半。


 アトランタ出身で、ユース世代の選手交流プログラムにも携わっている。


「Good morning, everyone!」


「Good morning!」


 代表選手たちの声がそろう。


 マイケルは笑顔で言った。


「Today, we’re going to practice introducing ourselves naturally. Not like reading from a textbook.」


 早苗は直樹へ小声で聞く。


「自然にしゃべるって」


「台本読まずにってことじゃろ」


「僕、そっちのほうが得意」


「そいが怖か」


「何で!」


 エミリーが続ける。


「Talk about yourself. Your event, your dream, your hobbies, your hometown, your friends, anything you want.」


 早苗の手が上がる。


「Can I talk about ume juice?」


 マイケルが止まった。


 舞が即座に顔を伏せる。


 直樹は額を押さえる。


 エミリーは笑いながら答えた。


「Of course. If ume juice is important to you, talk about it.」


 早苗は胸を張る。


「Very important.」


「そこだけ発音よかね」


 直樹のツッコミに、周囲から笑いが起こった。


まずは直樹


 最初に数人の選手が自己紹介を終えた。


 舞は北海道から来たこと、百メートルと二百メートルを走ること、雪の多い土地で育ったことを話した。


 聡子は山形について、八百メートルと千五百メートルについて、地元の果物が好きなことを紹介した。


 三浦は宮城出身で、駅伝と五千メートルが好きだと話した。


 そして。


「Next, Naoki Tanaka.」


「はい」


 直樹が立ち上がった。


 早苗が小声で言う。


「頑張れ、彼氏」


「英語研修中に日本語でプレッシャーかけんな」


 直樹は前へ出る。


 マイクはない。


 十数人の代表選手と二人の講師が見ているだけ。


 記録会なら何万人いても走れる。


 全国強化合宿でも堂々と五千メートルを走れた。


 ところが。


「Hello. My name is Naoki Tanaka.」


 ここまでは問題なかった。


「I am a first-year student at Kagoshima High School.」


 これも言えた。


 直樹は少し安心した。


「My main event is the five thou……」


 止まる。


「Five thau……」


 早苗が首をかしげる。


 直樹は言い直す。


「Five thousand meters.」


 ようやく出た。


「I like trains. And I want to become a train……」


 また止まる。


「Train……cru……」


 マイケルが助け舟を出す。


「Crew member?」


「Yes! Train crew member!」


 直樹の顔が赤くなる。


 舞が口元を押さえている。


 三浦も肩を震わせていた。


 直樹は続ける。


「And I like baseball. I support the Fukuoka SoftBank Hawks.」


 ここは完璧。


 早苗が小さく拍手する。


「そこだけめっちゃ滑らかじゃん」


「ホークスは言い慣れちょる!」


「自己紹介続けて!」


 マイケルが笑う。


「You’re doing fine, Naoki. Take your time.」


「Thank you.」


 直樹は深呼吸した。


 今度は普通に話そう。


 ところが。


「I came here with……」


 早苗を見る。


「My……my……」


 早苗がにやにやし始める。


「何ね、その顔」


「何でもない」


「集中させんか!」


 マイケルが笑う。


「English, please.」


「Sorry!」


 直樹はさらに混乱する。


「I came here with my girl……」


 止まった。


 舞の目が輝く。


 三浦が身を乗り出す。


 早苗も止まる。


「Girl……」


 直樹の顔が真っ赤になる。


「Girlfriend. Sanae.」


 研修室が一気にざわついた。


「おおー!」


 舞が拍手。


 三浦も笑う。


「ついに普通に言った!」


「英語だと逃げ道ないな!」


 直樹は耳まで赤くなる。


「いや、事実を説明しただけです!」


 エミリーが興味深そうに聞く。


「Sanae is your girlfriend?」


「Yes.」


 直樹は今度は噛まなかった。


 早苗が少し嬉しそうに笑う。


「そこだけスムーズなんやね」


「早苗!」


 また笑いが起こる。


 直樹はどうにか自己紹介を終えた。


「Thank you.」


 拍手。


 席へ戻る。


 早苗がにやにやしている。


「直樹」


「何ね」


「Five thousand metersは噛むのに、girlfriendは噛まんかったね」


「黙れ!」


「練習した?」


「してない!」


「家で?」


「してない!」


「鏡の前で?」


「してなかって!」


 舞が吹き出す。


「怪しいっしょ!」


早苗の番


「Next, Sanae Oishi.」


「Yes!」


 早苗は立ち上がった。


 直樹とは対照的だった。


 ほとんど緊張していない。


 前へ出る。


「Hello, everyone. My name is Sanae Oishi. Please call me Sanae.」


 マイケルがうなずく。


「Very natural.」


 早苗は続ける。


「I am fifteen years old. I am a first-year student at Kagoshima High School. I run the 100 meters. I am small, but very fast.」


 舞が笑う。


「自分で小さいって言った」


 早苗はそのまま続ける。


「I want to be taller. Ten more centimeters, please.」


 研修室が笑いに包まれた。


 エミリーも笑う。


「Who are you asking?」


 早苗は天井を見る。


「God?」


 さらに爆笑。


 直樹は顔を伏せた。


「英語でも天然そのままじゃが……」


 早苗は勢いに乗る。


「My dream is to become a nursery teacher. I love children. And I love baseball. I am a Hawks fan.」


 健全な自己紹介。


 そして。


「And, of course, I love ume juice.」


 代表選手たちから拍手まで起きた。


「出た!」


「待ってました!」


 早苗は笑いながら続ける。


「When I am tired, I drink ume juice. When I am sad, I drink ume juice. When I am happy……」


 少し考える。


「I also drink ume juice.」


 研修室が大爆笑。


 エミリーは笑いながら聞く。


「So, you always drink ume juice?」


「Almost always.」


「Almost!」


 舞が腹を抱える。


「もう完全にキャラクターできあがってる!」


そして直樹との関係


 早苗は一度、直樹を見る。


 直樹が嫌な予感を覚える。


「何ね」


 早苗は英語で続ける。


「And this is Naoki.」


 直樹が目を閉じた。


「来た……」


「He is my childhood friend.」


 ここまでは普通。


「We have known each other since kindergarten.」


 マイケルが感心する。


「That’s a long time.」


「Yes. Very long.」


 早苗は直樹を見る。


 少しだけ笑う。


「And now, he is my boyfriend.」


 代表選手たちから拍手と歓声。


「うおー!」


「言った!」


「今度は早苗から!」


 直樹は顔を赤くする。


「……ほんとに英語で言うん?」


 早苗は日本語で答える。


「事実じゃん」


 エミリーが尋ねる。


「How long have you been dating?」


 早苗は指を折る。


「Very short.」


「How short?」


「A few days.」


 また笑いが起こる。


「でも幼稚園から一緒なんだよね?」


 舞が日本語で突っ込む。


 早苗は英語へ戻る。


「We were childhood friends for many years. We were very slow in love.」


 マイケルが吹き出した。


「Very slow in love! That’s a good phrase.」


 直樹が反論する。


「早苗も遅かったじゃろ!」


「直樹も!」


「どっちもじゃ!」


 エミリーが楽しそうに聞く。


「Who confessed first?」


 早苗。


「Me.」


 直樹が横から言う。


「田中家のリビングでな」


 早苗が英語で説明を始める。


「I wanted to confess on the way home. But many things happened.」


「What happened?」


 早苗は指を折り始めた。


「A friend came. A traffic light changed. A bird……」


 止まる。


 直樹が嫌な顔をする。


「そこまで言うな」


 早苗はニヤッとする。


「A bird gave Naoki a little present on his shoulder.」


 一瞬。


 英語講師たちが意味を理解する。


 エミリーが爆笑。


 マイケルも肩を震わせる。


 直樹は顔を覆う。


「世界へ俺の鳥フン事件を輸出すんな!」


 早苗はさらに続ける。


「So, I couldn’t confess outside. Finally, I confessed in Naoki’s house, in front of his family.」


 舞が笑う。


「公開告白まで説明した!」


 早苗は胸を張る。


「Very romantic.」


 直樹が即座にツッコむ。


「どこが!」


 研修室、大爆笑。


英語ギャグコント開始


 マイケルは笑いながら言った。


「Sanae, you’re very good at making people laugh. Can you do a short comedy in English?」


 早苗の目が輝いた。


「Comedy?」


「Yes. Maybe with Naoki?」


 直樹が即座に首を横に振る。


「No, no, no.」


 早苗は直樹を見る。


「Come on, Naoki.」


「何で英語だと強制力増すん!」


「International comedy.」


「そげな種目で代表になったんじゃなか!」


 周囲から拍手。


「やれー!」


「鹿児島コンビ!」


 三浦まで手を叩いている。


「田中、諦めろ」


「三浦先輩……」


 結局、直樹も前へ出た。


 早苗は少し考える。


「Okay. Title is……」


 そして。


「Short Girlfriend and Tall Boyfriend.」


 直樹が天井を見る。


「もうタイトルから嫌な予感しかせん」


 早苗が英語で始める。


「Naoki, I want to be taller.」


 直樹も英語で返す。


「How tall do you want to be?」


「Ten centimeters taller.」


「Why?」


「Because you are too tall.」


 直樹。


「That’s not my problem.」


 笑いが起こる。


 早苗。


「Give me ten centimeters.」


 直樹。


「How?」


 早苗は直樹の頭を指さす。


「Cut here.」


 研修室、爆笑。


「怖っ!」


 直樹は英語で続ける。


「No! I need my head!」


 早苗。


「Okay. Five centimeters.」


「No discount!」


 マイケルが腹を抱えて笑う。


 舞も聡子も完全に崩れている。


 早苗はまだ続ける。


「Then, I give you my muscles.」


 直樹は早苗の細い腕を見る。


「Where are your muscles?」


 一拍。


 早苗は自分の腕を見る。


「……Coming soon.」


 研修室、大爆発。


 直樹まで耐えられず笑った。


「英語で逃げた!」


 早苗も笑う。


「Future muscles.」


「予約販売か!」


 エミリーは涙を拭いている。


「This is actually really funny.」


 早苗は調子に乗る。


「Next joke.」


「まだやると!?」


梅ジュース編


 早苗は直樹に向かって言う。


「Naoki, I am tired.」


「Drink water.」


「No.」


「Sports drink?」


「No.」


「Milk?」


「No.」


「What do you want?」


 早苗は大きく胸を張る。


「Ume juice!」


 周囲から拍手。


 もう代表選手全員がオチを理解していた。


 直樹。


「You always want ume juice.」


「Yes. Ume juice is my second most important thing.」


 舞が叫ぶ。


「来た!」


 聡子も笑う。


「一番聞く流れだべ!」


 直樹は英語で聞く。


「What is number one?」


 早苗は一瞬黙る。


 そして。


 直樹をちらちら見る。


 研修室がざわつく。


 直樹の顔が赤くなる。


「早苗、やめろ」


 早苗は英語で答える。


「My boyfriend.」


 研修室が爆発した。


「うわあああ!」


「言った!」


「今度は正式回答!」


 直樹は完全に真っ赤。


「そい、全国合宿の時はスパイクって言ったじゃろ!」


 早苗は日本語で笑う。


「順位変動しました」


「ランキング更新すんな!」


 エミリーが聞く。


「So Naoki is number one, and ume juice is number two?」


「Yes.」


 早苗は即答した。


 直樹が止まる。


 冗談の流れではあった。


 でも、早苗は笑いながらも、きちんと直樹を見ていた。


 直樹は少し照れながら言う。


「……Thank you.」


 早苗も笑う。


「You’re welcome.」


 三浦が小声で舞に言う。


「漫才の途中で普通にラブラブになるな」


「それがこの二人っしょ」


両隣想い、ついに英語圏へ


 マイケルが二人へ尋ねる。


「You two seem very close. Is there a special word for your relationship?」


 直樹。


「No.」


 早苗。


「Yes!」


 直樹が振り返る。


「おい!」


 早苗は黒板へ向かい、アルファベットで書く。


RYOTONARI-OMOI


 講師二人が首をかしげる。


「What does that mean?」


 早苗は英語で説明しようとする。


「It means……」


 考える。


「I want to be next to Naoki. And Naoki wants to be next to me.」


 エミリーが笑顔になる。


「That’s sweet.」


「So, we are Ryotonari-Omoi.」


 直樹が頭を抱える。


「そい、正式な日本語みたいに教えるな!」


 マイケルが黒板の文字を読む。


「Ryo-to-na-ri-o-mo-i.」


 早苗が拍手する。


「Perfect!」


 直樹が止める。


「覚えんでよかです!」


「But I like it.」


 エミリーまで言った。


「It’s cute.」


 舞が笑いながら言う。


「世界進出したね、両隣想い」


「やめてくれ……」


 直樹は完全に諦めた。


研修終了後


 休憩時間。


 直樹は自動販売機の前で水を買っていた。


 早苗が隣へ来る。


「直樹」


「何ね」


「今日、噛みすぎ」


「言うな」


「Five thousand meters」


「言えるわ!」


「Train crew member」


「今なら言える!」


「Girlfriend」


 直樹が止まる。


 早苗がにやりとする。


「ほら」


「何がほらじゃ」


「そこだけ噛まん」


「……そいは」


「そいは?」


 直樹は少し恥ずかしそうに答えた。


「言いたかったからじゃろ」


 早苗の表情が少し柔らかくなる。


「そっか」


「何、その顔」


「嬉しかった」


 直樹は水を一口飲む。


「早苗も、俺が一番って言ったじゃろ」


「うん」


「梅ジュースより?」


「うん」


「ほんとに?」


「ほんと」


 直樹は少し笑った。


「そいはかなり嬉しか」


「でも」


「何?」


「寝ぐせ笑ったら二位に落ちるかも」


「順位変動激しすぎるやろ!」


 早苗は大笑いした。


 直樹もつられて笑う。


 英語はまだ完璧ではない。


 直樹は噛む。


 早苗は梅ジュースの話ばかりする。


 意味の分からない「両隣想い」まで国際用語にしようとする。


 それでも二人は、少しずつ世界へ話しかける準備を始めていた。


 うまく話せなくてもいい。


 間違えてもいい。


 大切なのは、伝えようとすること。


 そして早苗の場合。


 そこへ一つ笑いを足せば、言葉の壁は意外なほど低くなるのかもしれなかった。


次回予告


第27話「世界のライバルから届いた動画」


 語学研修を終えた日本代表チームへ、アトランタ大会の出場予定選手を紹介する映像が届く。


 早苗の百メートルには、アメリカ、ジャマイカ、イギリス、オーストラリアの強豪スプリンター。


 直樹の五千メートルには、ケニア、エチオピア、アメリカ、フランスなどのトップランナー。


 さらにオンライン交流会が行われ、早苗はついに海外選手へ英語で自己紹介する。


「I’m Sanae. I love running, children, the Hawks, ume juice, and my boyfriend!」


「最後まで全部言うんか!」


 ところがアメリカの女子スプリンターが、


「What’s Ryotonari-Omoi?」


 と質問。


 直樹。


「もう伝わっちょる!」


 そして競技の話へ入れば、空気は一変する。


 世界のライバルたちは本気で速い。


 早苗と直樹は初めて、画面の向こうにいる相手を「世界の選手」ではなく、自分たちが直接戦うライバルとして見る。


 次回、第27話「世界のライバルから届いた動画」。


 笑って話せる相手だからこそ、スタートラインでは本気で勝ちにいける。

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