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となりのスタートライン  作者: リンダ


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世界へ行くための英語

 第25話 世界へ行くための英語


 日本陸連による語学・国際マナー研修。


 東京へ再び集まったユースオリンピック日本代表の選手たちは、朝から実践的な英会話に挑んでいた。


 空港での入国審査。


 ホテルのチェックイン。


 競技場での案内確認。


 選手村での食事。


 体調不良時の伝え方。


 他国の選手やスタッフとの基本的な挨拶。


 どれも、アトランタへ行けば実際に使う可能性が高いものばかりだった。


 早苗も、最初のうちはかなり順調だった。


「Could I have some water, please?」


 英語講師がうなずく。


「Very good, Sanae.」


「Thank you!」


 早苗は得意そうに直樹を見る。


「どうじゃ」


「ちゃんと言えちょるじゃん」


「僕もやればできるの」


「梅ジュース以外の英語も覚えたな」


「最初から覚えちょる!」


 その数分後。


 飲み物を注文するロールプレイが始まった。


 講師役のスタッフがカウンターの向こうへ立つ。


「Welcome. What would you like to drink?」


 早苗は迷いなく答えた。


「Do you have ume juice?」


 一瞬。


 講師が止まる。


 舞も止まる。


 聡子も止まる。


 直樹は額に手を当てた。


「やっぱり言った」


 舞が最初に吹き出す。


「アメリカまで行っても梅ジュース!」


 早苗は真剣だった。


「だって実際に使うかもしれんじゃん」


「水とかスポーツドリンクを聞く練習だったっしょ」


「梅ジュースも飲み物だよ」


 英語講師も笑いながら説明する。


「“Ume juice”でもある程度は伝わると思います。ただ、相手が梅を知らない場合は、“Japanese plum juice”と言ったほうが分かりやすいかもしれません」


 早苗の目が輝く。


「Japanese plum juice」


「そうです」


 早苗はすぐメモを取る。


 直樹が横からのぞく。


「そこの単語だけ字がでかくない?」


「最重要英語」


「絶対違う」


 早苗はノートへ大きく書いた。


 Japanese plum juice


 その下。


 Do you have Japanese plum juice?


 さらに。


 Where can I buy Japanese plum juice?


 直樹が止める。


「そこまでいる?」


「現地調達」


「競技より準備よくない?」


「世界大会だからこそ」


「何の世界大会ね」


 周囲から笑いが起こる。


 研修後の自由時間


 午後の研修を終えると、選手たちには一時間ほど自由時間が与えられた。


 宿泊施設の共有スペース。


 早苗はソファに座り、スマートフォンを操作していた。


 隣には舞。


 反対側には聡子。


 少し離れた場所で、直樹と三浦がアトランタの交通情報を調べている。


 舞が早苗の画面を見る。


「何調べてるん?」


「アトランタ」


「観光?」


「違う」


「競技場?」


「違う」


「選手村?」


「違う」


 舞は嫌な予感がした。


「……梅?」


「正解」


「やっぱり!」


 聡子が笑う。


「まだ諦めてなかったんだべか」


「だって現地で買えたら、持っていく本数減らせるじゃん」


「荷物軽量化という意味では理にかなってるけど」


「じゃろ?」


 早苗は妙に得意そうだった。


 彼女が見ていたのは、アトランタ近郊に店舗を持つスーパーやコンビニエンスストアのオンライン商品ページだった。


「Atlanta grocery Japanese plum juice……」


 英語で検索する。


 最初はなかなか目的の商品が出てこなかった。


 プラムジュース。


 プルーンジュース。


 梅風味の炭酸飲料。


 日本食コーナーの梅干し。


「違うんよなあ」


 早苗が画面をスクロールする。


「僕が欲しいのは梅干しじゃなくてジュース」


 舞が笑う。


「もう完全に買い物モードじゃん」


「大事な補給調査」


「陸連に報告する?」


「必要なら」


「絶対いらんと思う」


 さらに検索。


 すると。


「……ん?」


 早苗の指が止まった。


「舞ちゃん」


「何?」


「聡子ちゃん」


「どうしたべ」


「これ」


 二人が画面をのぞき込む。


 そこには、アトランタ郊外の大型スーパーマーケットのオンライン商品ページが表示されていた。


 英語表記の商品名。


 Japanese Ume Juice – Nanko Plum


 商品説明には、日本産の南高梅を使用した甘酸っぱいノンアルコール飲料であることが書かれている。


 早苗の目が大きくなる。


「……」


 舞が先に気づく。


「あるじゃん」


 早苗はまだ固まっている。


「……ある」


「梅ジュース」


「ある!」


 突然立ち上がった。


「アトランタに梅ジュースあるー!」


 共有スペース中へ声が響いた。


 直樹が驚いて振り返る。


「何事!」


 早苗はスマートフォンを持って走ってくる。


「直樹!」


「何ね」


「見て!」


「何を」


「アトランタ!」


「アトランタの何?」


「梅!」


 直樹は数秒黙った。


「……とうとう見つけた?」


「見つけた!」


 早苗は画面を見せる。


「南高梅じゃっど!」


 直樹が商品ページを見る。


「ほんとじゃな」


「しかも英語でJapanese Ume Juice!」


「研修で習ったまんまじゃん」


「僕の英語、間違ってなかった!」


「そいを証明するために商品探しちょったん?」


「違うよ。飲むため!」


「もっと強かった」


 三浦まで近づいてきた。


「何でそんな盛り上がってんだ?」


 直樹が答える。


「アトランタで梅ジュース売っちょるらしいです」


 三浦は早苗を見る。


「……よかったな」


「はい!」


「日本代表選出された時より嬉しそうじゃない?」


「そげなことないよ!」


 舞がすぐ横から言う。


「いや、今かなりいい顔してる」


 聡子もうなずく。


「代表ジャージ受け取った時と同じくらいだべ」


「さすがにそこまでは」


 早苗は否定しながら、商品ページをもう一度見る。


「でも南高梅なんだよ」


「そこ重要?」


「重要!」


 他の代表選手まで集まる


 早苗の大声を聞きつけ、ほかの種目の選手たちまで集まってきた。


 女子走幅跳の水野琴葉。


 女子砲丸投の土屋千夏。


 男子走高跳の真田悠真。


 男子砲丸投の大原雄大。


「何見つけたの?」


 琴葉が尋ねる。


 舞が答える。


「早苗がアトランタで梅ジュース見つけた」


 千夏が吹き出した。


「まだ探してたの?」


「まだって何!」


「代表決まった時からずっと言ってたじゃん」


 大原が画面をのぞき込む。


「南高梅って書いてあるな」


「じゃろ!」


「これ、日本の商品じゃない?」


「たぶん輸入品」


 直樹が説明する。


 早苗はさらに商品ページを開く。


「店舗在庫も見られるみたい」


「もう買う気満々じゃん!」


 真田が笑う。


 早苗は現在地をアトランタ中心部に設定し、周辺店舗を検索する。


「ここ」


 画面に複数の店舗が表示される。


「選手村から近いかな」


 今度は直樹の目が変わった。


「ちょっと貸して」


「何?」


「公共交通で行けるか見る」


 舞が止まる。


「始まった」


 直樹は地図を拡大する。


「アトランタの鉄道とバスを組み合わせれば、この店舗なら比較的行きやすそうじゃな」


 早苗の目が輝く。


「ほんと?」


「ああ。ただし自由時間があるかは分からんぞ」


「もしあったら?」


「チーム行動のルール確認してからじゃ」


「一緒に行ってくれる?」


 直樹は自然に答える。


「まあ、時間あればな」


 琴葉がすぐ反応した。


「デートじゃん」


「違う!」


 二人の声がそろう。


 千夏が笑う。


「もう付き合ってるんだから、違わないでしょ」


 早苗と直樹が止まった。


「……」


「……」


 舞が腹を抱える。


「まだ付き合う前の癖で否定してる!」


 直樹が頭をかく。


「そういや、もう彼氏彼女じゃった」


「忘れんな!」


 早苗のツッコミ。


 直樹も笑う。


「じゃあ梅ジュース買い出しデート」


「それは嫌」


「何で!」


「初海外デートがスーパーは地味すぎる!」


「プラネタリウムで開始三分で寝た彼氏が贅沢言うな」


「そいを一生言う気?」


「もちろん」


 周囲は大爆笑だった。


 さらに調べる早苗


 早苗の調査は止まらない。


 別の店舗。


 別のネットスーパー。


 日本食品を扱うアジア系スーパーマーケット。


 その中にも、梅を使った飲料がいくつか見つかった。


「これもある」


 聡子が画面を見る。


「炭酸入り?」


「Ume Sparkling」


 早苗の表情が変わる。


「直樹」


「何」


「梅サイダーまである」


 直樹が即座に答える。


「走る前は飲むな」


 早苗。


「まだアトランタにも行ってないよ!」


「今のうちに言っとく」


「げっぷの話する気?」


「世界大会の百メートル決勝で『げふっ』ってなったら困るじゃろ」


 早苗の顔が引きつる。


 周囲が想像する。


 ユースオリンピック。


 女子百メートル決勝。


 世界中の観客。


 スタート。


 早苗が加速。


 そして。


「げふっ」


 舞が最初に崩れた。


「だめ!」


 千夏も腹を抱える。


「世界配信される!」


 大原まで笑う。


「実況どうすんだよ!」


 早苗が慌てる。


「絶対走る前は飲まん!」


「そいでよか」


 直樹は満足そうにうなずく。


「彼氏の忠告は聞くんだ?」


 琴葉が聞く。


 早苗は少し考える。


「競技関係はね」


「恋愛関係は?」


「半分」


「半分しか聞かんのか!」


 直樹が即座にツッコむ。


 また爆笑。


 日本陸連スタッフにも見つかる


 その騒ぎを聞きつけ、育成部長の高瀬慎一郎が共有スペースへやってきた。


「何をそんなに盛り上がっているんですか」


 代表選手たちが一瞬静かになる。


 早苗だけがスマートフォンを持って立っていた。


「あの、高瀬さん」


「はい」


「アトランタに梅ジュースありました」


「……」


 高瀬は数秒、早苗を見る。


「そうですか」


「南高梅です」


「そこまで調べたんですね」


「はい」


 直樹が横から言う。


「スーパーの在庫まで確認しちょります」


「田中君は交通経路まで調べてました」


 舞が追加。


 高瀬は二人を見る。


「皆さん」


「はい」


「現地での自由行動には当然ルールがあります」


「はい」


「勝手に買い物へ出ないでください」


「はい……」


 二人が同時に小さくなる。


 周囲から笑いが起きる。


 高瀬も少し笑った。


「ただし、選手村や宿泊場所の近くで入手できるものについては、栄養スタッフと確認します」


 早苗が顔を上げる。


「じゃあ飲める可能性ある?」


「競技に影響しない範囲でなら」


「やった!」


「ただし」


「はい」


「炭酸入りをレース前に飲むのは避けましょう」


 全員が直樹を見る。


 直樹が胸を張る。


「俺、正しかった」


 早苗が眉を寄せる。


「高瀬さんまでげっぷの心配してるみたいじゃん」


「誰もげっぷとは言ってません」


 高瀬の冷静な返答で、再び大爆笑。


 英語研修、まさかの実戦成果


 その日の最後。


 講師がもう一度、飲み物を注文する英会話を確認した。


「Sanae, let's try again.」


「Yes!」


「What would you like?」


 早苗は今度こそ堂々と答える。


「I'd like some Japanese plum juice, please.」


 講師が笑顔になる。


「Excellent.」


 早苗は直樹を見る。


「どうよ」


「完璧じゃな」


「現地で使える」


「ほんとに使いそうで怖か」


 早苗は続ける。


「And where is the nearest supermarket?」


 教室がどっと笑った。


 講師も笑う。


「You are very well prepared.」


 直樹が小声で言う。


「梅ジュースだけはな」


「世界大会への準備は抜かりなく」


「競技の準備も同じ熱量で頼む」


「やっちょる!」


 早苗は笑った。


 言葉は違う。


 国も違う。


 文化も違う。


 世界大会には、知らないことがいくらでもある。


 けれど、自分の好きなものを英語で伝える。


 欲しいものを尋ねる。


 分からなければ聞く。


 相手が笑えば、自分も笑う。


 それもまた、世界へ出るための大切な力だった。


 そして早苗の場合。


 その最初の一歩は、どうやら梅ジュースから始まるらしかった。


 次回予告


 第26話「日本代表、英語で自己紹介」


 語学研修はいよいよ実践編へ。


 早苗、直樹、舞、聡子、三浦たちは、外国人講師を相手にユースオリンピック選手村を想定した交流練習へ挑む。


 早苗は、


「I'm Sanae. I run the 100 meters. I love ume juice!」


 と絶好調。


 一方、直樹は鉄道好きが暴走し、アトランタの公共交通について質問しすぎて講師から、


「Are you an athlete or a railway researcher?」


 と聞かれてしまう。


 さらに、恋人について紹介する課題が出され――。


 早苗。


「This is my boyfriend, Naoki.」


 直樹。


「……ほんとに英語で言うん?」


 早苗。


「事実じゃん」


 全国合宿で散々否定していた二人が、今度は世界へ向けて堂々の恋人宣言。


 しかし、その直後。


「We are “Ryotonari-Omoi”!」


「そいは英訳せんでよか!」


 次回、第26話「日本代表、英語で自己紹介」。


 世界へ通じる英語より先に、二人の関係が世界へ配信されそうになる。

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