彼氏候補、第一次審査
第22話 彼氏候補、第一次審査
英語の授業で、直樹が勢い余って口にした一言。
「I plan to become Sanae’s boyfriend someday.」
翌朝には、当然のように一年三組全体へ知れ渡っていた。
いや、一年三組だけではない。
陸上部にも。
隣のクラスにも。
どういう経路を通ったのか分からないが、昼休みには二年生まで知っていた。
「田中、彼氏候補なんじゃろ?」
「まだ候補ですらなか!」
「でも本人が将来なる予定って言ったんじゃろ?」
「英語の自己紹介で言っただけじゃ!」
「そいを世間では宣言って言うんじゃ」
「違う!」
放課後のグラウンドでも、直樹は先輩たちから散々からかわれていた。
一方。
一年三組では、さらにひどいことになっていた。
上原美月と川畑莉奈が、早苗の机の上へ一枚の紙を置いた。
上部には大きな文字で書かれている。
田中直樹・彼氏適性チェック
早苗は紙を見つめた。
「何これ」
「審査表」
「何の?」
「直樹君の」
莉奈が当然のように答えた。
「僕が審査するの?」
「本人が『将来彼氏になる予定』って言ったんだから、適性確認せんと」
「就職面接じゃないんだから」
そう言いながらも、早苗は面白くなってきたらしい。
「じゃあ一項目目」
美月が読み上げる。
「梅ジュースを買ってくれる」
早苗は即答した。
「合格」
「即答!」
「何回も買ってくれちょるもん」
「二項目目。ホークスを一緒に応援できる」
「合格」
「これも速い!」
「僕より叫ぶ時あるし」
「三項目目」
美月が少し笑う。
「寝ぐせを見ても笑わない」
早苗の表情が変わった。
「不合格」
教室が爆笑した。
少し離れた席の直樹が振り向く。
「何で!」
「笑ったじゃん!」
「あれは笑うじゃろ!」
「僕、乙女なの!」
「乙女でもあの髪は笑う!」
「はい失格!」
「基準が厳しすぎる!」
美月は紙へ大きく×を書く。
「現在二勝一敗」
「勝敗制なん?」
前園健吾が後ろからのぞき込む。
「次、雨の日に上着貸してくれる」
早苗は少しだけ表情を柔らかくした。
「合格」
莉奈がにやりとする。
「今ちょっと嬉しそうな顔した」
「してない」
「した」
「してないって」
「じゃあ次。落ち込んだ時に慰めてくれる」
早苗は全国強化合宿での梅サイダーを思い出した。
「……合格」
「また即答」
「梅ジュース炭酸割り奢ってくれたし」
美月と莉奈が顔を見合わせる。
「直樹君、かなり優秀じゃない?」
「寝ぐせ以外ほぼ合格じゃん」
早苗は紙を見つめた。
冗談半分で始めたはずだった。
なのに。
項目を一つずつ考えていくうち、早苗の中で別の気持ちが少しずつ大きくなっていった。
直樹はいつも隣にいる。
困った時には助けてくれる。
負けた時には慰めてくれる。
走れば応援してくれる。
自分が大声で応援すれば、嬉しかったと認めてくれた。
そして。
将来、彼氏になる予定だとまで言った。
早苗は、ふと考えた。
もし。
直樹が誰か別の女子を好きになったら。
その子と一緒に登校するようになったら。
帰り道も一緒に歩いたら。
ホークス戦もその子と聞いたら。
平川動物公園にも二人で行ったら。
嫌だった。
はっきり嫌だった。
胸の奥が、少しざわついた。
「早苗?」
美月の声で我に返る。
「何?」
「急に静かになった」
「考え事」
「直樹君の?」
「……まあ」
莉奈が優しく笑う。
「好きなんじゃない?」
早苗はすぐには否定しなかった。
以前なら、
「幼なじみだから」
と即答していた。
でも今日は違った。
「僕さ」
「うん」
「直樹が他の誰かと付き合うの、嫌かもしれん」
美月と莉奈は一瞬だけ顔を見合わせた。
今度はからかわなかった。
早苗自身が、本気で自分の気持ちを確かめようとしているのが分かったからだ。
「じゃあ」
莉奈が静かに聞く。
「好きって言ったほうがいいと思う?」
早苗が先に聞いた。
美月は少し考える。
「言いたいなら、言ったほうがいいんじゃない?」
「でも、今までずっと幼なじみだったし」
「だからこそじゃない?」
「今の関係が変わるの、怖くない?」
早苗は机へ頬杖をついた。
「ちょっと怖か」
「でも」
莉奈が続ける。
「直樹君、英語で世界に向けて彼氏予定宣言したんでしょ」
「世界に向けてじゃないよ。教室だけ」
「そのうちアトランタでも言いそう」
「ありそうで怖い」
三人は少し笑った。
早苗はもう一度紙を見る。
寝ぐせ項目だけ大きな×。
それ以外はほぼ○。
「……今日言ってみようかな」
美月の目が輝く。
「好きって?」
「うん」
「帰り道?」
「うん」
「頑張って」
「緊張する」
「県記録出した時より?」
「全然こっちのほうが緊張する!」
帰り道、第一の妨害
放課後。
陸上部の練習を終えた早苗と直樹は、いつもの道を並んで歩いていた。
早苗は朝から決めていた。
今日こそ言う。
直樹に好きだと。
ただし。
言葉が出ない。
「早苗」
「何?」
「さっきから静かじゃない?」
「そう?」
「珍しか」
「僕だって静かな時あるよ」
「寝てる時?」
「起きてる!」
いつものツッコミ。
早苗は笑いながら、もう一度心の中で準備する。
よし。
今。
「直樹」
「何ね」
「僕さ」
その瞬間。
後ろから自転車のベル。
「早苗ー!」
振り返る。
前園健吾だった。
「おまえら今帰り?」
「見れば分かるじゃん」
「ホークス今日ナイターじゃっど!」
「知っちょる!」
「じゃあな!」
健吾はそのまま自転車で走り去った。
早苗は無言。
直樹が言う。
「何言おうとした?」
「忘れた」
「今?」
「うん」
「早すぎるやろ」
第二の妨害
少し歩く。
また機会を探す。
横断歩道の前で信号が赤になった。
今度こそ。
「直樹」
「うん」
「僕、直樹のこと」
信号機から電子音が鳴る。
その直後。
「大石さん!」
向かい側から陸上部の後輩が手を振っていた。
「日本代表頑張ってください!」
「ありがとう!」
早苗も反射的に手を振る。
後輩は去っていく。
直樹が聞く。
「俺のこと何?」
「……何でもない」
「途中まで言ったじゃん」
「後で」
「何か怪しかね」
「怪しくない!」
第三の妨害
住宅街へ入る。
田中家までは、あと十分ほど。
早苗の焦りが増してきた。
「今日言わんかったら、また言えん」
小声でつぶやく。
「何?」
「何でもない!」
もう一度。
「直樹」
「はい」
「僕、実は」
その時。
上空から。
ぽとっ。
直樹の肩に何か落ちた。
「……」
早苗が見る。
鳥の落とし物。
一秒。
直樹。
「最悪じゃ……」
早苗。
「ぶはっ!」
言おうとしていた告白が完全に吹き飛んだ。
「あはははは!」
「笑うな!」
「直樹、運ついた!」
「いらん運じゃ!」
「日本代表にウンがついた!」
「漢字変えんな!」
早苗は腹を抱えて笑ってしまった。
直樹はティッシュで肩を拭きながらぼやく。
「何か今日、早苗変じゃな」
「直樹の肩より?」
「そいは今関係なか!」
ついに田中家
結局。
早苗は何も言えないまま、田中家まで着いてしまった。
玄関前。
「じゃあ、また明日」
直樹が言う。
早苗の胸が苦しくなる。
今日言うって決めたのに。
「直樹」
「何?」
「僕……」
玄関が開いた。
「お兄ちゃん、おかえりー!」
優樹菜だった。
その後ろから裕美も顔を出す。
「あれ、早苗ちゃんも一緒?」
「うん」
早苗は固まった。
優樹菜が二人を見る。
「何か早苗ちゃん、顔赤くない?」
「暑いだけ!」
「今日そんな暑くないよ」
裕美が早苗の表情をじっと見る。
「何か言いたそうじゃない?」
「何も!」
「お兄ちゃんに?」
「違う!」
直樹が首をかしげる。
「俺に何かあるん?」
早苗はますます言えなくなる。
そこへ真由美も出てきた。
「早苗ちゃん、せっかくやから上がっていかんね」
「え」
「梅サイダーあるよ」
「……上がります」
直樹が笑う。
「梅で釣られた」
「うるさい!」
田中家・公開告白会場
リビング。
早苗は梅サイダー。
直樹はコーヒー。
裕美と優樹菜は向かい側。
真由美は台所。
父もテレビを見ていた。
早苗は緊張していた。
ここで言うつもりはなかった。
本当は帰り道。
二人きりで。
静かに。
その予定だった。
ところが。
優樹菜が口を開く。
「で?」
「何が?」
「早苗ちゃん、お兄ちゃんに何言おうとしてたん?」
早苗が梅サイダーを飲む手を止める。
「別に」
「玄関で『僕……』まで言ったじゃん」
裕美も思い出す。
「あ、ほんとや。顔も赤かった」
「何でもないって!」
「怪しか」
直樹まで早苗を見る。
「俺も今日、帰り道で何回も途中まで言われた」
「直樹!」
「だって事実じゃん」
優樹菜の目が輝く。
「告白?」
「ぶっ!」
今度は早苗が危うく梅サイダーを噴きそうになる。
「何でそうなるの!」
「図星だから」
「違っ……」
早苗は言葉を止めた。
違う。
違わない。
本当はそうなのだ。
裕美が早苗の顔を見る。
「早苗ちゃん」
今度は少し優しい声だった。
「もし言いたいことあるなら、言ったほうがよくない?」
リビングが少し静かになった。
直樹も茶化さなかった。
早苗は梅サイダーのグラスを見る。
もう逃げられない。
いや。
逃げたくない。
早苗はゆっくり顔を上げた。
「直樹」
「うん」
声が少し震える。
「僕さ」
優樹菜と裕美が完全に静かになる。
真由美も台所から見守っていた。
早苗は一度深く息を吸った。
「今まで、直樹のこと、ずっと幼なじみって思っちょった」
直樹は何も言わない。
「毎朝一緒に学校行って」
「部活して」
「ホークス見て」
「バカみたいなことで笑って」
「直樹が隣におるの、普通だと思っちょった」
早苗は一度目を伏せる。
「でも」
声が少し小さくなる。
「直樹が他の女の子と付き合うの想像したら、嫌だった」
直樹の表情が変わる。
「僕がずっとおった場所に、別の子がおるの、嫌」
早苗は直樹を見る。
目を逸らさなかった。
「だから」
少し間が空く。
「僕、直樹のこと好きなんだと思う」
誰も声を出さない。
早苗はさらに続けた。
「いや」
小さく首を振る。
「思うじゃない」
そして。
「僕、直樹が好き」
田中家のリビングが完全に止まった。
早苗の顔は真っ赤だった。
「だから……」
そこまで言って。
優樹菜が突然両手を上げた。
「きたー!」
裕美も立ち上がる。
「早苗ちゃん言った!」
「うわああああ!」
田中家が一気に爆発した。
「ちょっと待って! 静かにして!」
早苗は両手で顔を覆う。
「公開告白になっちゃったじゃん!」
優樹菜は大喜び。
「だって家族全員おる時に言うから!」
「僕だってこんな予定じゃなかった!」
真由美は笑いながら早苗を見る。
「早苗ちゃん、よく言えたね」
「恥ずかしかぁ……」
早苗は完全に縮こまっていた。
そして。
全員の視線が直樹へ向く。
直樹は固まっている。
裕美。
「お兄ちゃん」
優樹菜。
「返事」
父。
「男なら答えんか」
真由美。
「直樹」
直樹は顔を真っ赤にする。
「何で家族全員の前で返事せんといかんの……」
早苗が顔を上げる。
「直樹」
「何」
「嫌だった?」
「そげなわけなか」
即答だった。
早苗の目が少し大きくなる。
直樹は大きく息を吐いた。
「俺も」
少し笑う。
「早苗が好き」
今度は早苗が固まった。
「ほんと?」
「ほんと」
「幼なじみとしてじゃなく?」
「そいもあるけど」
直樹は続ける。
「女の子として」
早苗の顔がさらに赤くなった。
優樹菜。
「うわあああ!」
裕美。
「成立!」
父。
「やっとか」
真由美。
「長かったねえ」
「家族全員で実況せんで!」
直樹と早苗の声がまた重なった。
そして。
数秒後。
二人とも笑った。
じゃあ、今日から?
優樹菜がすぐに聞く。
「じゃあ今日から付き合うん?」
二人はまた固まった。
早苗が直樹を見る。
直樹も早苗を見る。
「どうする?」
早苗が聞く。
「どうするって」
「僕、好きって言った」
「俺も言った」
「じゃあ……」
早苗は少しだけ笑った。
「彼氏になる予定じゃなくて、今日から彼氏?」
直樹は耳まで赤くなる。
「……いいん?」
「僕が言ってるんだよ」
「じゃあ」
直樹も笑った。
「今日から」
早苗はうなずいた。
「うん」
優樹菜が再び拍手。
「正式カップル誕生!」
裕美も笑う。
「両隣想い、卒業!」
早苗はすぐに反論する。
「卒業じゃないよ」
「え?」
「付き合っても両隣想い」
直樹が吹き出す。
「まだ使うと?」
「だって隣にいたいもん」
直樹は少し照れながら答える。
「俺も」
その瞬間。
田中家にまた歓声が上がった。
「ラブラブ!」
「うるさーい!」
早苗は顔を真っ赤にしながら梅サイダーを飲む。
今度は鼻から出さないように、慎重に。
直樹はコーヒーを持ったまま笑っていた。
幼稚園からずっと一緒だった。
高校生になっても一緒だった。
県記録。
国内高校新記録。
全国強化合宿。
日本代表。
アトランタ。
そのすべてより前から、互いの隣にいた。
そして今日。
早苗と直樹はようやく、その関係へ一つの名前をつけた。
恋人。
ただし。
二人にとって一番しっくりくるのは、たぶんこれからも。
両隣想い。
だった。
次回予告
第23話「彼氏と登校する朝」
公開告白から一夜。
正式に恋人同士となった早苗と直樹。
ところが翌朝、早苗はいつものように田中家へ迎えに来たものの、インターホンを押す直前で急に緊張する。
「昨日まで幼なじみだったのに、今日から彼氏なんだよね……」
玄関から出てきた直樹も妙にぎこちない。
「お、おはよう」
「お、おはよう」
付き合った途端、なぜか普通に会話できなくなる二人。
それを窓から見ていた裕美と優樹菜は大爆笑。
「昨日まであんなに喋ってたのに!」
さらに鹿児島高校へ到着すると、前園健吾たちが待ち構えている。
「田中、彼氏候補の審査結果どうじゃった?」
早苗は真っ赤になりながら答える。
「採用しました」
教室、大爆発。
次回、第23話「彼氏と登校する朝」。
距離は昨日までと同じ。
でも、その隣の意味だけが少し変わった。




