↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
となりのスタートライン  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/35

世界を知る授業

第21話 世界を知る授業


 ユースオリンピック日本代表に選ばれてから数日。


 鹿児島高校の放課後。


 陸上部のミーティング室には、早苗と直樹、有馬剛志の三人が集まっていた。


 机の上には、日本陸上競技連盟から送られてきたタブレット端末と資料が置かれている。


「今日は海外選手の映像分析をする」


 有馬が資料を開いた。


「世界へ行く前に、自分が戦う相手がどんな走りをするか、しっかり見ちょけ」


「はい」


 二人が同時に返事をする。


 最初は女子百メートルだった。


 画面には、アメリカのユース大会。


 スタートラインに並ぶ女子選手たち。


 号砲。


 その瞬間。


「速っ!」


 早苗が思わず声を上げた。


 スタートから十メートル。


 すでに一人の選手が半歩前へ出ている。


 二十メートル。


 さらに差が広がる。


 三十メートル。


 トップスピードへ入るまでが、とにかく速い。


「これ、舞ちゃんよりスタート速くない?」


「可能性はあるな」


 有馬が答える。


 次はジャマイカ。


 長い脚を生かしたストライドで、後半に伸びるタイプ。


 イギリスの選手は、前半と後半のバランスがよく、フォームがほとんど崩れない。


 早苗はしばらく黙って見ていた。


「世界、速すぎん?」


「だから世界じゃ」


 直樹が答える。


「僕、県記録出した時、ちょっと速くなった気がしちょった」


「実際速くなっちょる」


「でも、上がおりすぎ」


「そいが分かっただけでも収穫じゃろ」


 有馬が早苗を見る。


「怖かか?」


 早苗は少し考える。


「ちょっと」


「なら正常じゃ」


「でも」


 早苗はもう一度画面を見る。


「走ってみたか」


 有馬は小さくうなずいた。


「そいでよか」


 次は男子五千メートル。


 ケニア。


 エチオピア。


 アメリカ。


 映像が始まる。


 最初の一千メートルから速い。


 それでも、先頭の選手たちは表情をほとんど変えない。


 二千。


 三千。


 まだペースが落ちない。


 四千メートルを過ぎてから、さらに加速する。


 直樹の表情が変わった。


「これ……最後まで上げるんですか」


「そうじゃ」


 有馬が言う。


「海外の長距離は、日本の高校レースとは展開が全然違う場合がある。最初から高速になることもあるし、逆に遅いペースから最後の一千だけ一気に上がることもある」


 直樹は画面を見つめた。


「国内高校記録を出したくらいで安心しちょったら、全然だめですね」


「安心しちょったと?」


「ちょっとだけ」


「正直じゃな」


「でも、今なくなりました」


 早苗が横から言う。


「直樹、世界でも僕が叫ぶから」


「そいで速くなるなら苦労せん」


「ラブコール強化版」


「世界大会でやめんか!」


 有馬が頭を抱えた。


「おまえら、映像分析まで漫才にすんな」


「でも緊張ほぐれますよ」


 早苗は真顔だった。


「そこは否定できん」


 有馬も苦笑した。


 世界との差。


 それは、想像していた以上に大きかった。


 けれど、その差は絶望ではない。


 そこまで走るための距離が、初めて具体的に見えたということだった。


翌日・英語の授業


 翌朝。


 一年三組。


 英語担当の教師が教室へ入ってきた。


 今日はユースオリンピック代表に選ばれた早苗と直樹のため、少し特別な授業が用意されていた。


「今日は、海外で自己紹介する練習をします」


 クラスがざわつく。


 健吾がすぐ早苗を見る。


「大石、梅ジュース英語で言えると?」


「言えるよ」


「そこだけ準備万端じゃな」


「重要単語」


「違うと思う」


 美月が笑う。


 黒板には、


Introduce yourself in English.


 と書かれた。


「名前、学校、好きなこと、将来の夢などを英語で話してください」


 先生が言う。


「まず、大石さん」


「はい!」


 早苗は勢いよく立ち上がった。


 クラス中が期待の目で見る。


 早苗は胸を張る。


「Hello. My name is Sanae Oishi. I am a first-year student at Kagoshima High School. I am a sprinter. I run the 100 meters.」


 ここまでは完璧だった。


 直樹も少し感心する。


「ちゃんと練習しちょる」


 早苗は続ける。


「I want to be a nursery teacher in the future.」


 先生がうなずく。


 そして。


 早苗の声が一段大きくなった。


「My favorite drink is ume juice!」


 教室がどっと笑った。


「やっぱり!」


「絶対言うと思った!」


「世界へ梅ジュースを広める気じゃ!」


 早苗は不思議そうに見る。


「何で笑うの。合ってるじゃん」


「文法は合っちょる」


 直樹が答える。


「問題はそこじゃなか」


「好きなもの言えって先生言ったじゃん」


「確かに」


 先生も笑いながらうなずく。


「英文としては問題ありません」


「ほら!」


 早苗は勝ち誇る。


「でも、大石さん」


「はい」


「アメリカで自己紹介するたびに梅ジュースを説明することになるかもしれませんよ」


「広めます」


「使命感持たなくていいです」


 また教室が笑いに包まれた。


 早苗は満足そうに座る。


「次、田中君」


「はい」


 直樹が立つ。


 早苗が横から小声で言う。


「鉄道言うんでしょ」


「まあな」


「ホークスも?」


「それも考えちょる」


 直樹は前を向いた。


「Hello. My name is Naoki Tanaka. I am a first-year student at Kagoshima High School. I am a long-distance runner, and my main event is the 5,000 meters.」


 教室は静かに聞いている。


「I like trains and baseball. I am a big fan of the Fukuoka SoftBank Hawks.」


 健吾が後ろから小さく拍手する。


「よし!」


 直樹は少し笑った。


「In the future, I want to work as a train crew member.」


 英語教師がうなずく。


 ここで終わる。


 はずだった。


 直樹は一瞬だけ早苗を見た。


 早苗は何も疑わず、直樹を見上げている。


 昨日から、クラスメイトたちに散々からかわれていた。


 両隣想い。


 ラブコール。


 未来の子ども二人。


 付き合っていないと言いながら、隣にいたいとは互いに認めている。


 直樹は少しだけ口元を上げた。


「And…」


 早苗が首をかしげる。


「My future plan is…」


 一度息を吸う。


 そして。


「I am Naoki Tanaka, and I plan to become Sanae’s boyfriend someday.」


 教室が完全に静止した。


 早苗。


「……へ?」


 健吾。


「……今、何て?」


 美月は口を押さえている。


 莉奈の目は完全に輝いていた。


 英語教師も数秒、意味を確認するように黙った。


 直樹は自分で言っておきながら、耳まで真っ赤になっている。


 早苗が恐る恐る尋ねた。


「直樹」


「何ね」


「今、英語で何て言った?」


「……」


「僕、途中までしか分からんかった」


 健吾が勢いよく立ち上がる。


「俺、分かったど!」


「言うな!」


 しかし遅かった。


 美月が笑いながら訳す。


「『僕は田中直樹です。そして将来、早苗の彼氏になる予定です』だって!」


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 早苗の顔が一気に真っ赤になった。


「なっ……!」


 教室が爆発した。


「うおおおお!」


「田中ついに言った!」


「未来予告!」


「英語で告白した!」


「世界対応型告白!」


 直樹は慌てる。


「告白じゃなか!」


「じゃあ何なの!」


 美月が聞く。


「自己紹介です!」


「自己紹介で彼氏になる予定まで言う人おらん!」


 健吾が机を叩いて笑う。


 早苗はまだ固まっていた。


「直樹」


「何ね」


「僕に相談なく予定立てんでよ!」


 直樹が即座に返す。


「嫌なん?」


 早苗が止まる。


「え」


 クラスも再び静まる。


「早苗が嫌なら訂正する」


 直樹は少し照れながら言った。


 早苗は顔を赤くしたまま視線をそらす。


「……嫌とは言ってない」


 教室が再び爆発した。


「認めたー!」


「両想いじゃん!」


「両隣想い卒業!」


「まだ卒業してない!」


 早苗が叫ぶ。


 直樹は口元を押さえている。


 明らかに嬉しそうだった。


 早苗がそれに気づく。


「直樹、ニヤニヤすんな!」


「してなか」


「しちょる!」


「早苗も顔真っ赤じゃろ」


「これは暑いから!」


「冷房ついちょるが」


「鹿児島の血が熱いの!」


 舞に言った時と同じ言い訳だった。


 クラスメイトたちはさらに笑う。


 英語教師もとうとう笑いながら言った。


「田中君」


「はい」


「英文としては意味は通じます」


「ありがとうございます」


「ただし」


 一拍置く。


「国際大会の公式自己紹介では、もう少し競技の話を中心にしましょう」


「はい……」


 クラスがまた笑う。


「大石さんも」


「はい」


「梅ジュースだけで終わらないように」


「はい……」


 早苗と直樹は同時に小さくなった。


休み時間


 チャイムが鳴った瞬間。


 二人の机はクラスメイトに包囲された。


 健吾が直樹の肩をつかむ。


「田中、やったな!」


「何が」


「将来の彼氏宣言!」


「英語の練習じゃ!」


「何で教材に早苗との恋愛使うん!」


 美月たちは早苗を囲む。


「で、早苗」


「何」


「どうなん?」


「何が」


「直樹が将来彼氏になるって」


「勝手に言っただけじゃん」


「嫌?」


「……」


「また止まった!」


「考えちょる!」


 莉奈が聞く。


「もし本当に告白されたら?」


 早苗は少し考えた。


「まあ……」


「まあ?」


「直樹なら」


 全員が身を乗り出す。


「前向きに検討する」


 教室中が爆笑した。


「企業の採用か!」


「彼氏候補を面接すんな!」


 直樹も向こうから叫ぶ。


「俺、面接されるんか!」


 早苗は腕を組む。


「条件あるよ」


「何ね」


「僕の梅ジュース勝手に飲まんこと」


「飲まん」


「ホークス戦一緒に応援すること」


「今もやっちょる」


「僕が寝坊したら待ってて」


「今も待っちょる」


「僕がサイヤ人になっても笑いすぎんこと」


「そいは無理」


「不採用!」


「そこだけ厳しすぎる!」


 教室が揺れるほどの大爆笑。


 福留千鶴が廊下から入ってきた。


「何をそげん騒いじょっとね」


 健吾が即座に説明する。


「先生、田中が英語の自己紹介で、将来早苗の彼氏になる予定って宣言しました!」


 千鶴の動きが止まる。


 直樹が頭を抱える。


「前園!」


 千鶴は二人を交互に見る。


「そうね」


「先生、何か言ってください!」


 直樹が助けを求める。


 千鶴は少し考えた。


「英語力は上がっちょるみたいじゃな」


 教室がまた爆笑した。


「そこですか!」


 早苗まで突っ込む。


 千鶴は笑いながら出席簿を机へ置いた。


「恋愛の予定より、まず次の英単語テストの予定を気にしなさい」


 二人の表情が同時に固まる。


「英単語テスト?」


「明日」


 早苗が机へ突っ伏した。


「世界より英単語が怖かぁ……」


 直樹が隣から言う。


「将来の彼氏が教えてやろうか」


 早苗が顔を上げる。


「調子乗んな!」


 しかし、少しだけ笑っていた。


 世界には、速い選手がいる。


 自分たちより強い選手もいる。


 英語も必要になる。


 知らない文化の中へ飛び込むことになる。


 それでも。


 鹿児島高校一年三組では、そんな世界への挑戦すら最後には笑いへ変わる。


 そしてこの日。


 田中直樹は、冗談半分とはいえ初めて公の場で、


「将来、早苗の彼氏になる」


 と口にした。


 大石早苗も、


「嫌とは言ってない」


 と返した。


 両隣想い。


 その不思議な関係は、ほんの少しずつ、本当の両想いへ近づいていた。


次回予告


第22話「彼氏候補、第一次審査」


 英語の自己紹介で、


「将来は早苗の彼氏になる予定」


と宣言してしまった直樹。


 翌日には、その話が一年三組どころか陸上部にまで広がる。


「田中、彼氏候補なんじゃろ?」


「まだ候補ですらなか!」


 一方、早苗は美月と莉奈にそそのかされ、冗談半分で「直樹・彼氏適性チェック」を始める。


 第一項目。


「梅ジュースを買ってくれる」


 合格。


 第二項目。


「ホークスを一緒に応援できる」


 合格。


 第三項目。


「寝ぐせを見ても笑わない」


 直樹、即失格。


「そこだけ何で満点取れんの!」


 そして放課後。


 笑いながら帰る二人へ、日本陸連からアトランタへ向けた最初の語学・国際マナー研修の日程が届く。


 次回、第22話「彼氏候補、第一次審査」。


 世界大会より先に、直樹には突破すべき選考がもう一つ増えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。