↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
となりのスタートライン  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/37

日本代表になっても学校は学校

 第20話 日本代表になっても学校は学校


 全国強化合宿から戻った翌朝。


 早苗はいつものように田中家の前まで直樹を迎えに来た。


「おはよー、直樹」


 玄関から出てきた直樹は、早苗の顔を見るなり眉を上げた。


「おまえ、目の下ちょっと黒くなっちょらん?」


「昨日あんまり寝られんかった〜」


「何しちょったとよ」


「日本代表になったこと考えたり、アトランタのこと調べたり、梅ジュース持っていけるか考えたり」


「最後だけ昨日からずっと変わらんな」


「あと、舞ちゃんと聡子ちゃんとメッセージしちょった」


「何時まで?」


「一時くらい」


「寝ろ!」


 朝から直樹のツッコミが響いた。


 早苗は大きなあくびをする。


「だって舞ちゃんが、アトランタで食べたいもの調べようって言うから」


「観光旅行じゃなかど」


「分かっちょるよ」


「本当に?」


「七割くらい」


「残り三割は何ね」


「観光」


「正直すぎる!」


 そう言い合いながら二人は鹿児島高校へ向かった。


 校門へ近づいたところで、早苗が急に足を止める。


「……直樹」


「何ね」


「見て」


 正門脇。


 そこには巨大な横断幕が掲げられていた。


 祝 ユースオリンピック日本代表選出

 大石早苗さん・田中直樹さん


 しかも二人の名前はかなり大きい。


 早苗は両手で顔を覆った。


「恥ずかしかぁ!」


「昨日まで代表ジャージ見て喜んじょったじゃろ」


「そいとこれは別!」


「何が違うとよ」


「毎朝ここ通るんだよ!」


 登校してきた生徒たちが二人へ声をかける。


「大石、おめでとう!」


「田中、頑張れよ!」


「日本代表コンビ!」


 早苗は何度も頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 直樹も少し照れながら応じる。


 そこへ前園健吾が走ってきた。


「おはよう、新記録夫婦!」


「夫婦じゃなか!」


 二人の声が朝から完璧に重なる。


 健吾は腹を抱える。


「日本代表になってもそこは変わらんな」


「変わる必要なかじゃん」


 早苗が言う。


「そこは同意」


 直樹も答えた。


「ほら、夫婦」


「違う!」


 また重なった。


 校門前からすでに笑いが起きていた。


 教室でも大歓迎


 一年三組へ入ると、今度はクラスメイトたちが拍手で迎えた。


「おかえり!」


「代表選出おめでとう!」


 上原美月が早苗へ駆け寄る。


「日の丸ジャージ持ってきた?」


「今日は持ってきてないよ」


「見たかったのに」


「写真ならある」


「あとで見せて!」


 川畑莉奈は直樹を見る。


「田中君、合宿どうやった?」


「楽しかったけど、きつかった」


「早苗とのラブコール騒動も?」


「誰から聞いたん!」


 教室が一斉に笑う。


 早苗は自分の席へ鞄を置きながら言った。


「舞ちゃんが教えたんじゃない?」


「情報源そこか!」


「全国に広めたの舞ちゃんやもん」


「止めろ!」


 そこへ担任の福留千鶴が入ってきた。


「ほら、席につきなさい」


 生徒たちが戻る。


 千鶴は教卓へ大量のプリントを置いた。


 早苗はそれを見て嫌な予感を覚えた。


「先生」


「何ね」


「その紙の山、何ですか」


「大石と田中が全国合宿で休んだ分の補習課題」


「……」


 直樹も固まる。


「こんなに?」


「授業は待ってくれんからね」


 早苗が小さく手を上げる。


「日本代表特別免除は?」


「あるわけなかでしょう」


 即答だった。


 教室が大爆笑。


「ですよねぇ……」


 早苗は机へ突っ伏した。


 健吾が後ろから言う。


「世界には行けても宿題からは逃げられん!」


「名言みたいに言わんで!」


 直樹はプリントの厚みを確認する。


「今日から少しずつやるしかなか」


 早苗が横を見る。


「直樹、僕のも手伝って」


「答えは教えん」


「ヒント」


「そいならよか」


 美月が聞き逃さなかった。


「結局一緒に勉強するんじゃん」


「幼なじみだから!」


 早苗と直樹がまた同時に答える。


「はいはい、両隣想い」


「それまで広まっちょる!」


 笑い声の中で朝のホームルームが始まった。


 一時間目から危機


 一時間目は社会。


 教室へ入ってきたのは、社会科担当の**川原美咲(かわはら・みさき)**だった。


 二十八歳。


 日本史を担当する若手女性教師で、明るくテンポのよい授業が人気だった。


 普段は優しいが、授業中の居眠りは見逃さない。


「おはようございます」


「おはようございます」


 美咲は教卓へ教材を置き、早苗と直樹を見た。


「まずは大石さん、田中君。ユースオリンピック日本代表、おめでとう」


「ありがとうございます」


 二人がそろって頭を下げる。


「世界で走る人でも、日本史はちゃんと勉強してください」


「はい」


 早苗は元気に返事をした。


 その時点では。


 授業が始まって十五分。


 黒板には江戸時代の政治改革について板書が並んでいた。


 美咲が説明する。


「この政策の目的は、幕府財政の立て直しと――」


 早苗はノートを書いていた。


 最初のうちは。


 やがて。


 まぶたが重くなる。


「……」


 一度閉じる。


 慌てて開く。


「危な……」


 シャープペンを握り直す。


 五分後。


 また閉じる。


 頭が少し前へ傾く。


 隣の直樹が気づいた。


 小声で言う。


「早苗」


 反応なし。


「おい」


 反応なし。


 完全に眠りへ入りかけていた。


 直樹は黒板を見る。


 先生はまだ説明中。


 そして早苗を見る。


「しょうがなか」


 自分のシャープペンを持ち、先端を引っ込める。


 その状態で早苗の脇腹へ。


 つん。


「……」


 反応なし。


 もう一度。


 つんつん。


 早苗の体がびくっと跳ねた。


「うぎゃぁぁぁ!」


 教室中が凍りついた。


 美咲の説明も止まる。


 クラスメイト全員が早苗を見る。


 早苗自身も何が起きたか分かっていない。


「え?」


 直樹がシャープペンを持ったまま固まっている。


 美咲はゆっくり二人を見る。


「……田中君」


「はい」


「今、何したの?」


「早苗が寝そうだったので」


「シャープペンで脇腹つんつんした?」


「芯は引っ込めてました」


「そういう問題じゃないでしょう」


 教室から笑いが漏れ始める。


 早苗はようやく状況を理解した。


「直樹!」


「何ね」


「何するん!」


「起こしただけじゃ!」


「普通に声かければよかじゃん!」


「二回呼んでも起きんかったが!」


「だからって脇腹つつく?」


「早苗、くすぐったがりじゃろ」


「知っとるから余計悪か!」


 美咲は腰へ手を当てた。


「はい、二人ともそこまで」


 教室が静まる。


 美咲は直樹を指さす。


「田中君。授業中に人の脇腹をシャープペンでつつかない」


「はい」


 今度は早苗。


「大石さん」


「はい」


「授業中に寝ない」


「はい……」


「日本代表だからって、寝ていい理由にはなりません」


「昨日あんまり寝られんかったんです」


「何時まで起きてたの?」


「一時くらい」


「何してたの?」


 早苗は素直に答えた。


「アトランタのこと調べたり、舞ちゃんと聡子ちゃんと話したり、梅ジュースの――」


「最後はいらないです」


 美咲の即答。


 教室がどっと笑った。


「先生まで!」


 美咲も笑いをこらえながら続ける。


「代表選手なら睡眠管理も大事ですよ」


「はい」


「分かったら、顔洗ってきてもいいです」


「行ってきます」


 早苗が立ち上がる。


 しかし教室を出る直前、直樹を振り返る。


「直樹」


「何ね」


「あとで覚えといて」


「何を!」


「脇腹つんつんの恨み」


「寝るほうが悪か!」


「乙女の脇腹は繊細なの!」


 教室がまた爆笑。


 美咲はとうとう笑いながら黒板へ向き直った。


「大石さん、早く顔洗ってきなさい!」


「はい!」


 廊下でもまだ続く


 顔を洗って戻ってきた早苗は、かなり目が覚めていた。


 席へ座る前に、直樹の机へ少し顔を近づける。


「次やったら、梅サイダー鼻から入れるからね」


「どうやってやるとよ!」


「知らん」


「知らんのか!」


 美咲が黒板の前から声を飛ばす。


「二人とも、授業再開しますよ」


「はい!」


 今度こそ早苗は最後まで寝なかった。


 もっとも、授業終了直前。


 美咲が小テストをすると告げた瞬間。


「えぇぇぇ!」


 早苗の声が教室で一番大きかった。


「世界大会より小テストのほうが怖いん?」


 健吾が笑う。


「世界大会は走れば終わるけど、日本史は覚えんといかんじゃん!」


「全国の高校生みんなそうじゃ!」


 直樹のツッコミが飛んだ。


 昼休み


 昼休み。


 早苗と直樹は窓際の席で弁当を食べていた。


 早苗は朝とは打って変わって元気だった。


「直樹」


「何ね」


「さっきのつんつん、びっくりした」


「俺もあんな声出るとは思わんかった」


「僕、自分でもびっくりした」


「教室全員びっくりしちょったが」


 早苗は卵焼きを食べる。


「でも、起こしてくれたんだよね」


「まあな」


「ありがと」


 直樹が少し驚く。


「急に素直じゃな」


「でも次は普通に起こして」


「はいはい」


「優しく」


「早苗、起きろって?」


「もっと優しく」


 早苗はわざと声を甘くする。


「早苗ちゃん、起きてぇ、授業中だよぉって」


 直樹が顔をしかめる。


「絶対嫌じゃ」


 美月が横から割り込む。


「田中君ならできるんじゃない?」


「できん!」


 莉奈も笑う。


「ラブコールのお返し」


「授業中にラブコールすんな!」


 また笑いが起こった。


 放課後は、また走る


 授業が終われば、二人は陸上部へ向かった。


 全国強化合宿を経験したからといって、鹿児島高校での練習が特別なものへ変わるわけではない。


 早苗はスタート練習。


 直樹はペース走。


 有馬剛志が二人へ声をかける。


「全国で学んだことを、一気に全部変えようとすんなよ」


「はい」


「早苗は右足の押し出しだけ意識。田中は前半のペースを守る」


「はい!」


 早苗はスタートラインへ入る。


 全国合宿で篠原美和から教わった感覚を思い出す。


 前へ出ようとしない。


 後ろへ押す。


 合図。


 早苗は鋭く飛び出した。


「よし!」


 有馬が声を上げる。


「今のよかった!」


 早苗は笑顔で戻ってくる。


 一方の直樹も設定されたペースを守りながら周回を重ねていた。


 早苗がトラック脇から見ている。


 直樹が近づく。


「直樹ー!」


 直樹の表情が一瞬固まる。


「ラブコールじゃなかよ!」


「まだ何も言っとらんが!」


「先に言っとこうと思って!」


「集中させんか!」


 有馬は遠くから頭を抱える。


「全国帰りでも全然変わらんな、あいつら」


 そして梅ジュースとホークス


 練習後。


 二人はいつものベンチへ座った。


 早苗は購買で買った梅ジュース。


 直樹はスポーツドリンク。


 スマートフォンからラジコのホークス戦中継が流れている。


『七回表、ホークス。ワンアウト一塁、二塁』


 早苗の目が輝く。


「チャンスじゃ」


「ここ大事じゃな」


『打者、初球――』


 二人が同時に前のめりになる。


「打てー!」


 声が重なる。


 近くにいた陸上部員たちが笑う。


「日本代表になっても、結局これか」


「世界行っても変わらんじゃろ」


 その通りだった。


 日の丸を背負っても。


 県記録保持者でも。


 国内高校記録保持者でも。


 宿題はある。


 授業中に寝れば注意される。


 シャープペンでつつけば先生に怒られる。


 ホークスがチャンスなら叫ぶ。


 梅ジュースはやっぱりおいしい。


 早苗と直樹は、まだ高校一年生だった。


 そして二人にとって、それでよかった。


 新登場人物


 川原美咲(かわはら・みさき)

 28歳。鹿児島高校社会科教員。主に日本史を担当する。一年三組の授業も受け持っており、テンポのよい授業と明るい性格で生徒から人気がある。優しいが授業中の居眠りには厳しく、日本代表になった早苗と直樹にも特別扱いはしない。早苗と直樹の漫才にはしばしば巻き込まれることになる。


 次回予告


 第21話「世界を知る授業」


 ユースオリンピックへ向け、日本陸連から早苗と直樹へ海外選手の映像資料が届く。


 女子百メートルには、スタートから圧倒的な加速を見せるアメリカ、ジャマイカ、イギリスの強豪選手。


 男子五千メートルには、ケニア、エチオピア、アメリカなど世界トップクラスのユース選手が並ぶ。


「世界、速すぎん?」


 初めて具体的に見る世界との差。


 早苗も直樹も、さすがに言葉を失う。


 しかし翌日の学校では、英語の授業でアトランタを想定した自己紹介に挑戦。


 早苗が、


「My favorite drink is ume juice!」


 と元気いっぱいに宣言し、教室は再び爆笑へ。


 次回、第21話「世界を知る授業」。


 世界との差を知ることは、怖さを知ることではない。


 そこまで走っていくための距離を知ることだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。