鹿児島へ帰ろう
第19話 鹿児島へ帰ろう
全国強化合宿を終えた早苗と直樹を乗せた新幹線が、鹿児島中央駅へ滑り込んだ。
ホームへ降りた瞬間、早苗は思わず立ち止まった。
「帰ってきたぁ」
東京や千葉で過ごした数日間は、あまりにも濃かった。
全国から集まった選手たち。
林田舞との勝負。
大野聡子との出会い。
三浦拓海と直樹の競り合い。
日本代表選考。
そして初めて袖を通した、日の丸入りのジャージ。
早苗は自分の胸元を見た。
そこには、まだ見慣れない日の丸がある。
「直樹」
「何ね」
「やっぱり変な感じする」
「何が?」
「僕がこれ着ちょっと」
「俺もじゃ」
直樹も自分の胸元を見る。
「鹿児島出る時は、全国合宿に呼ばれただけじゃったもんな」
「帰ってきたら日本代表」
「数日で肩書が増えすぎじゃ」
「あと両隣想いも増えた」
「そいは肩書じゃなか!」
いつもの声が戻った。
それを聞いただけで、二人とも少し安心した。
改札へ向かう。
ところが、コンコースへ出た瞬間。
「早苗ー!」
「直樹ー!」
大きな声が飛んできた。
大石家と田中家の家族。
福留千鶴。
陸上部顧問の有馬剛志。
さらに前園健吾、迫田悠人、西郷蓮太、上原美月、川畑莉奈たち一年三組のクラスメイトまで集まっている。
「うわっ」
早苗が目を丸くする。
「こんなに来ちょったの?」
健吾が真っ先に前へ出た。
「新記録夫婦が日本代表になって帰ってきたどー!」
「夫婦じゃなか!」
「誰が夫婦じゃ!」
早苗と直樹の声が完全に重なった。
鹿児島中央駅のコンコースに笑いが広がる。
美月は拍手しながら言う。
「全国行っても全然変わってない!」
「そいで安心した」
莉奈も笑う。
「でも代表ジャージ、似合っちょるね」
早苗は少し照れながら日の丸を指で触った。
「ほんと?」
「ほんと。早苗、ちゃんと日本代表に見えるよ」
「身長ちっちゃくても?」
「まだそこ気にしちょっと?」
美月に笑われ、早苗は頬を膨らませた。
一方、直樹は父母や妹たちに囲まれていた。
裕美が兄のジャージを見る。
「お兄ちゃん、本当にJAPANって書いちょる」
優樹菜も触りたそうに近づく。
「すご。テレビに出る?」
「大会行けば、映るかもしれんな」
「早苗ちゃんも?」
「ああ」
優樹菜はすぐ早苗を見る。
「じゃあ全国放送で、二人の夫婦漫才見られるかもしれんね」
「競技中に漫才せんわ!」
直樹のツッコミに、また笑いが起こった。
しかし。
両家の母親が、日の丸入りのジャージを着た二人を改めて見た時だけは、少し空気が変わった。
美紀が早苗の肩へ手を置く。
「ほんとに日本代表になったんやね」
「うん」
「今度は、ただ『行ってきます』じゃないんやね」
早苗は母を見る。
「日本代表として、世界へ行くんやね」
その言葉で、早苗の表情から笑いが少し消えた。
隣では真由美も直樹へ同じような話をしている。
「直樹も、世界に行くんやね」
「ああ」
「まだ高校一年になったばっかりやのに」
直樹も少し照れながら、でも真剣にうなずいた。
世界。
アトランタ。
ユースオリンピック。
強化合宿では何度も耳にした。
だが、鹿児島へ帰って家族の顔を見ると、初めてその重さが現実として胸に入ってくる。
早苗は母へ小さく言った。
「頑張ってくる」
「うん。でも、無理しすぎたらいかんよ」
「分かっちょる」
美紀は娘の頭をそっと撫でた。
「記録より、元気で帰ってきてくれたら、それが一番やから」
早苗は少しだけ目を潤ませた。
「うん」
直樹も、家族の前で静かに頭を下げた。
その数分後には。
「じゃあ帰る前に写真撮ろう!」
美月の一声で、空気は再び一気に明るくなる。
「早苗、直樹の隣!」
「何で指定されるの」
「両隣想いなんでしょ?」
「もう鹿児島まで広まっちょる!」
早苗が驚く。
舞たちとのメッセージで、どうやらクラスメイトにも話が伝わっていたらしい。
直樹は額へ手を当てた。
「全国から帰ってきたら、全国より情報回るの早かが」
全員が笑いながら写真に収まった。
まずは田中家へ
鹿児島中央駅から帰宅する途中、早苗は直樹と一緒に田中家へ立ち寄った。
合宿中、真由美や裕美、優樹菜から何度もメッセージが届いていたこともあり、早苗自身も直接報告したかった。
「おじゃましまーす」
「何言ってんの。早苗ちゃんが今さらお客さんみたいに」
真由美が笑う。
「ただいまでもいいくらいじゃが」
裕美もそう言いながらリビングへ招いた。
早苗と直樹はソファへ並んで座る。
テーブルにはコーヒー、麦茶、それから早苗用に梅サイダーまで用意されていた。
「梅!」
早苗の顔が一瞬で明るくなる。
「やっぱり帰ってきたらこれじゃっど」
「代表ジャージより嬉しそうな顔すんな」
直樹が突っ込む。
「別腹ならぬ別感動」
「意味分からん」
直樹は自分のコーヒーを一口飲んだ。
その時。
裕美が妙に楽しそうな顔で二人を見る。
「で?」
「何ね」
直樹が警戒する。
「合宿、どうじゃった?」
「きつかったけど勉強になった」
「そっちじゃなか」
優樹菜もすぐ横に座る。
「早苗ちゃんと」
直樹の眉が動く。
「何の話ね」
裕美がにやりと笑う。
「合宿で、ラブラブやったんやろ?」
「ぶっ!」
直樹の口の中のコーヒーが危うく飛び出す。
必死にこらえた。
しかし。
「んぐっ!」
一部が鼻へ回った。
「っっっ!」
直樹は鼻を押さえて前のめりになる。
「鼻っ! 鼻が痛い!」
優樹菜が大笑いする。
「お兄ちゃん、鼻からコーヒー!」
「笑うな!」
早苗も我慢できなかった。
「あはははは!」
「直樹、何しちょっとよ!」
「誰のせいじゃ!」
裕美は笑いながらティッシュを渡す。
「だって図星みたいな反応するから」
「急にラブラブとか言うからじゃろ!」
直樹は涙目になりながら鼻を拭く。
早苗は腹を抱えたまま笑っていた。
「鼻からドビューンって!」
「早苗まで実況すんな!」
真由美も台所から笑いながら出てくる。
「で、早苗ちゃん。ほんとのところどうやったと?」
早苗は梅サイダーを一口飲む。
少し考える。
「まあ」
「うん?」
早苗は妙に堂々と答えた。
「ラブラブやったです」
今度は田中家全員が止まった。
直樹が振り向く。
「早苗!」
「何?」
「何を認めちょっとよ!」
「だって、直樹、僕のラブコール嬉しかったって認めたじゃん」
「全国合宿の話を全部まとめてラブラブにすんな!」
裕美と優樹菜が同時に歓声を上げる。
「認めた!」
「早苗ちゃん認めた!」
「違う! そげな意味じゃなか!」
「でも両隣想い」
「早苗!」
完全に逃げ場がなかった。
田中家は大爆笑。
父も笑いながら言う。
「直樹、世界大会行く前に競技より大変そうやな」
「何がですか!」
「早苗ちゃん対応」
「幼稚園からやっちょります!」
「そこだけ経験年数長いね」
優樹菜の追撃に、また笑いが起こった。
「ちゃんと送っていけ」
しばらくして、早苗が立ち上がった。
「じゃあ、僕そろそろ帰るね」
外はすでに暗くなり始めていた。
真由美が時計を見る。
「直樹」
「何?」
「早苗ちゃん送っていきなさい」
「すぐ近くじゃっど」
「女の子一人で返すには、もう暗かよ」
「僕、一人でも大丈夫だよ」
早苗が言う。
「だめ」
今度は裕美まで真面目な顔になった。
「近くても夜道は夜道じゃっど」
優樹菜も続く。
「彼氏が送っていけばよか」
「彼氏じゃなか!」
直樹の声が響く。
真由美がさらっと言う。
「彼氏じゃなくても幼なじみなら送れるやろ」
「……まあ、そいはそうじゃけど」
「行ってきなさい」
「はい」
直樹は観念して立ち上がった。
早苗は嬉しそうに笑う。
「直樹、エスコートよろしく」
「近所まで歩くだけじゃろ」
「日本代表によるVIP送迎」
「大げさじゃ!」
二人は田中家を出た。
外には鹿児島の夜風が流れていた。
「直樹」
「何ね」
「鼻、大丈夫?」
「まだちょっと痛か」
早苗は思い出して、また笑い始める。
「思い出すな!」
「だって、ドビューンって」
「言うな!」
笑いながら歩いているうちに、大石家へ到着した。
今度は大石家
「ただいまー!」
玄関を開ける。
「おかえり」
美紀、恒一、翔太、陽斗がリビングから顔を出した。
そして直樹を見る。
「直樹君もおかえり」
「ただいま……じゃなくて、おじゃまします」
翔太が笑う。
「もう半分家族みたいなもんやろ」
「兄ちゃん!」
早苗がすぐに反応する。
直樹も顔を赤くする。
「今日は早苗を送ってきただけです」
恒一がうなずく。
「ありがとな。暗くなってきたから助かる」
「いえ」
美紀は早苗の代表ジャージを改めて見る。
「やっぱり似合っちょる」
「ほんと?」
「うん」
早苗は嬉しそうに梅サイダーを持ち直した。
どうやら田中家から、残りを持ってきたらしい。
全員がリビングへ入り、また合宿の話になる。
すると。
今度は翔太が直樹へ聞いた。
「で、全国合宿では二人、どげんやったと?」
「普通ですよ」
直樹が警戒しながら答える。
陽斗がにやにやする。
「ほんとに?」
「何ね」
「早苗、ラブコールしたって聞いたけど」
早苗が目を丸くする。
「なんで知っちょっと!」
「クラスメイト経由」
「情報網怖っ!」
翔太が楽しそうに続ける。
「で、ラブラブやったんやろ?」
「ぶふっ!」
今度は早苗だった。
口に入っていた梅サイダーが気管に入りかける。
「んぐっ!」
そして。
「ぶっ!」
炭酸の勢いも加わり、早苗は慌てて鼻を押さえた。
「いったぁぁぁ!」
直樹が固まる。
次の瞬間。
「あははははは!」
田中家で自分がやったことを、そのまま早苗が再現している。
「早苗!」
直樹は腹を抱える。
「今度はおまえか!」
「鼻っ! 梅サイダーが鼻に!」
「ドビューン!」
「直樹、実況すんな!」
大石家全員が大爆笑。
翔太はソファを叩いている。
「何で二人そろって同じことするん!」
陽斗も笑いすぎて涙を拭く。
「やっぱり両隣想いだ!」
「関係なか!」
早苗は鼻を押さえながら直樹をにらむ。
「直樹、さっき僕が笑った仕返しじゃろ!」
「偶然じゃが!」
「めっちゃ笑っちょる!」
「だって、俺とまったく同じことしちょる!」
美紀がティッシュを娘へ渡す。
「ほら。鼻から炭酸飲料出す日本代表がおるか」
「わざとじゃないもん!」
「世界大会ではせんようにね」
「競技中には飲まん!」
直樹が即座に言う。
「そいは俺がずっと言いよる!」
「走ってる時にげっぷ出たらしゃれにならんもんね」
「そい!」
翔太が不思議そうな顔をする。
「何の話?」
「全国合宿で直樹が言った」
「またラブラブ話か?」
「違う!」
再び二人の声がそろう。
結局、直樹も送られる側になる
時計を見ると、今度は直樹が帰る時間になっていた。
「じゃあ俺、帰ります」
「直樹君」
今度は美紀が呼び止める。
「はい?」
「早苗、直樹君送っていきなさい」
二人とも固まった。
「え?」
早苗が聞き返す。
「さっき直樹君が送ってきてくれたんやろ」
「うん」
「今度は直樹君が一人で帰るやろ」
「男じゃっど!」
直樹が思わず言う。
恒一が笑う。
「そいなら早苗が途中まで送ればよか」
翔太がさらに楽しそうに言う。
「で、直樹がまた早苗を送って戻ってくる」
陽斗も乗る。
「そしたら早苗がまた直樹を送る」
「終わらんじゃん!」
早苗のツッコミが響いた。
直樹は笑いながら頭を振る。
「永久送迎ループになるが」
「両隣想い送迎編」
「新しい編を作んな!」
結局、早苗は玄関先まで直樹を見送ることになった。
「直樹」
「何ね」
「今日はありがと」
「何が?」
「送ってくれて」
「近所じゃろ」
「でも、ありがと」
「……おう」
少しだけ静かな時間が流れた。
「明日、学校でね」
「ああ」
「朝迎えに行く」
「いつもどおりじゃな」
「うん。いつもどおり」
早苗は笑った。
直樹も笑った。
日本代表になっても。
全国から注目されても。
世界大会へ行くことが決まっても。
翌朝になれば、早苗が田中家へ迎えに行き、直樹が玄関から出てくる。
いつもの道を並んで歩く。
その日常だけは、何も変わらなかった。
そしてホークス戦
その夜。
午後九時を回っても、ホークス戦は続いていた。
九回裏。
二死満塁。
同点。
大石家では、早苗がスマートフォンのラジコへ耳を傾ける。
田中家では、直樹も同じ中継を聞いていた。
『ホークス、一打サヨナラの場面です』
早苗が身を乗り出す。
直樹も身を乗り出す。
『ピッチャー、第5球を投げました!』
二つの家で。
同時に。
「打てぇぇぇぇ!」
家族全員がびくっとする。
『打った! センター前へ!』
「行けぇぇぇ!」
『二塁ランナー、三塁を回った!』
「帰れぇぇぇ!」
『ホームイン! サヨナラ! ホークス勝ちました!』
次の瞬間。
「よっしゃぁぁぁぁ!」
大石家。
「よっしゃぁぁぁぁ!」
田中家。
まったく同じタイミングで声が響いた。
大石家では翔太が頭を抱える。
「日本代表になって帰ってきても、ここは何も変わらんな」
田中家では裕美がため息交じりに笑う。
「アトランタでもこれやるんかな」
優樹菜が即答する。
「絶対やる」
真由美も苦笑する。
「時差があるから、日本の試合中継聞けんかもしれんけどね」
一方。
早苗のスマートフォンへメッセージが届いた。
直樹から。
『勝ったど!』
早苗はすぐ返信する。
『聞いちょった! 最高!』
続いて。
『鼻は大丈夫か』
早苗は眉をつり上げる。
『直樹もコーヒー鼻から出したやろ』
『そっちが先に笑った』
『お互い様』
『両鼻想い』
早苗は数秒止まった。
そして。
「あはははは!」
大石家のリビングに再び笑い声が響いた。
「何ね今度は」
美紀が聞く。
早苗は笑いながら答える。
「直樹が『両鼻想い』って!」
翔太も陽斗も再び吹き出した。
数分後、田中家でも直樹のスマートフォンに返信が届く。
『両隣想いから両鼻想いに進化したね』
直樹は画面を見て笑った。
「何が進化じゃ」
世界へ進んでも。
日の丸を背負っても。
早苗と直樹は、たぶん変わらない。
いい時はいい。
悪い時は悪い。
笑える時には、とことん笑う。
鹿児島には、そんな二人が戻ってこられる場所があった。
次回予告
第20話「日本代表になっても学校は学校」
全国強化合宿から戻った翌朝。
いつものように田中家へ直樹を迎えに来る早苗。
しかし、鹿児島高校へ到着すると、正門には「ユースオリンピック日本代表選出」の横断幕が掲げられていた。
「恥ずかしかぁ!」
「昨日まで代表ジャージ見て喜んじょったじゃろ」
教室では前園健吾たちが二人を盛大に迎え、福留千鶴先生も祝福。
ところが一時間目。
全国合宿で授業を休んでいた二人の机へ、大量の補習プリントが置かれる。
「日本代表特別免除は?」
「あるわけなかでしょう」
福留先生の一言で撃沈。
一方、陸上部ではアトランタへ向けた新たな練習が始まる。
世界の相手を意識し始める早苗と直樹。
それでも放課後には、いつもの梅ジュースとホークス中継。
次回、第20話「日本代表になっても学校は学校」。
日の丸を背負っても、宿題からは逃げられない。




