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となりのスタートライン  作者: リンダ


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本当にラブコール?

 第16話 本当にラブコール?


 全国強化合宿三日目。


 朝六時半。


 宿泊施設の食堂には、まだ眠そうな表情をした選手たちが次々と集まっていた。


 昨日までの緊張感はかなり薄れている。


 全国各地から集められたトップ選手たちは、種目や学校の垣根を越えて少しずつ会話するようになっていた。


 その中でも、妙に注目を集めている二人がいた。


 鹿児島高校一年。


 大石早苗と田中直樹。


 早苗が食堂へ入ると、すでに直樹は男子長距離ブロックの選手たちと朝食を取っていた。


 三浦拓海もいる。


 早苗は直樹を見つけた瞬間、昨夜のメッセージを思い出した。


『明日もラブコール必要?』


 それに対する直樹の返信。


『まあ、聞こえたら少しくらいは気合い入るかもな』


 早苗はにやりと笑った。


「舞ちゃん」


「何?」


「ちょっと行ってくる」


 林田舞は、早苗の表情を見ただけですべてを察した。


「まさか、今聞くん?」


「今しかないじゃん」


「朝飯中だよ」


「朝は頭が一番正直じゃっど」


「何その理論」


 大野聡子もトレーを持ちながらついてくる。


「面白そうだから、うちも見に行ぐべ」


「聡子ちゃんまで?」


「昨日の続き、気になるもの」


 三人は男子選手たちのテーブルへ近づいた。


 直樹が早苗に気づく。


「おはよう」


「おはよう、直樹」


「何ね、その顔」


「何が?」


「朝から悪いこと考えちょる顔じゃ」


「失礼な」


 早苗は直樹の隣へ立った。


 そして。


「直樹」


「何ね」


「僕のラブコール、ほんとは嬉しかった?」


 直樹の箸が止まった。


 三浦拓海も止まった。


 周囲の男子選手たちまで動きを止めた。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


「朝一番で聞くことか!」


 直樹のツッコミが食堂へ響いた。


 舞が後ろで吹き出す。


「始まった!」


 聡子も笑っている。


 早苗は直樹の正面へ回り込んだ。


「昨日メッセージで、気合い入るって言ったじゃん」


「少しくらいって言ったじゃろ!」


「でも嬉しかった?」


「そいとこれとは話が違う」


「何が違うの?」


「違うもんは違う!」


 三浦が逃がす気はなかった。


「田中。昨日は『明日も聞こえたらいいな』みたいな顔してたぞ」


「してません!」


「してた」


 別の長距離選手もうなずく。


「早苗のメッセージ来た時も、急にニヤけてた」


「ニヤけてない!」


 舞が腕を組む。


「証人が多いねえ」


「何で全国強化合宿で裁判されんといかんのですか!」


 早苗は直樹の顔を下からのぞき込む。


「じゃあ、嫌だった?」


 直樹が止まった。


「……」


「嫌だったら、もう応援せんよ」


「そいは……」


 直樹の目が泳ぐ。


 三浦が小声で言う。


「ここ重要だぞ、田中」


「黙ってください!」


 早苗はじっと待っていた。


 直樹は観念したように息を吐いた。


「……嫌じゃなかった」


 早苗の顔が明るくなる。


「じゃあ嬉しかった?」


「少し!」


「少し?」


「……かなり」


 一瞬の静寂。


 直後。


「おおおー!」


 男子女子関係なく、周囲から声が上がった。


 舞は手を叩く。


「言った!」


 三浦も笑う。


「やっと認めたな」


「何を大騒ぎしちょっとですか!」


 直樹は顔を真っ赤にしていた。


 早苗は満足そうにうなずく。


「そっかぁ。僕のラブコール、かなり嬉しかったんだ」


「その呼び方だけはやめろ!」


「じゃあ愛情応援」


「悪化しちょる!」


「幼なじみパワー」


「まあ、それなら……」


 直樹は途中で止まった。


 早苗の目が光る。


「それなら?」


「何でもなか!」


 また笑いが起こった。


 今度は早苗への尋問


 しかし。


 直樹だけを追及して終わるほど、全国のトップ選手たちは甘くなかった。


 三浦が早苗を見る。


「じゃあ今度は大石」


「僕?」


「田中が応援を喜んでることは分かった」


「うん」


「おまえは何で、そんなに田中を応援したいんだ?」


 早苗の表情が止まった。


「え?」


 舞がにやりと笑う。


「そうそう。昨日から田中君ばっかり追及されてるけど、早苗も結構すごいっしょ」


 聡子もうなずく。


「トライアルの時、誰より声でかかったべ」


「幼なじみだから」


 早苗は即答した。


 舞は首を横に振る。


「それは禁止」


「何で?」


「全部それで逃げるから」


「逃げてないよ」


「じゃあ質問変える」


 舞は早苗の正面へ立った。


「直樹が鹿児島にいなくなったら、寂しい?」


「寂しかよ」


 早苗は即答した。


 周囲が少しざわつく。


「じゃあ、直樹が別の学校に転校したら?」


「嫌」


「直樹が陸上辞めたら?」


「それは直樹が決めることだけど……一緒のグラウンドにおらんくなったら、寂しかね」


「直樹に彼女ができたら?」


「……」


 早苗が止まった。


 舞が指をさす。


「また止まった!」


「考えちょるだけ!」


 聡子が柔らかく尋ねる。


「その彼女さんが毎朝直樹君と学校行って、部活終わったあと一緒に帰ったら?」


 早苗は露骨に眉を寄せた。


「……それ、僕の場所じゃん」


 全員が静かになった。


 早苗自身も、自分が何を言ったのか気づいた。


「今、何て?」


 舞が確認する。


「いや」


「『僕の場所』って言ったよね?」


「言葉のあや」


「そげな言葉のあやある?」


 今度は直樹が早苗を見つめていた。


 早苗はその視線に気づき、急に恥ずかしくなる。


「だって……」


 声が少し小さくなった。


「幼稚園からずっと一緒だったんだもん」


 誰も茶化さなかった。


 早苗は自分の指先を見つめる。


「朝、僕が迎えに行ったら直樹が出てきて」


「学校まで一緒に歩いて」


「部活したら、直樹が五千走ってるの見て」


「終わったらホークスの中継聞いて」


「帰ったら、また次の日の朝に会って」


 早苗は一つずつ、自分たちの日常を思い出すように話した。


「直樹に彼女ができたら、別に僕が文句言うことじゃなかと思う」


 直樹は黙っている。


「でも」


 早苗は少しだけ唇を結んだ。


「僕がずっとおった場所に、別の人がおるようになるんじゃろ?」


 舞が静かに聞く。


「それは嫌?」


 早苗はすぐには答えなかった。


 昨日の夜よりも、ずっと真剣に考えた。


 平川動物公園。


 雨の日の相合い傘。


 県記録を出した日のゴール。


 直樹の国内高校新記録。


 鹿児島中央駅。


 新幹線。


 全国合宿。


 梅ジュース。


 いつも笑っていた。


 何かあれば、最初に話した。


 負けた時には慰めてもらった。


 直樹が走れば、自然と声が出た。


 早苗はゆっくり顔を上げた。


「僕さ」


 全員が早苗を見る。


「まだ、恋人とか彼氏とか、そげんのはよう分からん」


 直樹も動かなかった。


「でも」


 早苗は直樹を見る。


「僕は、直樹の隣にいたい」


 食堂が静まり返った。


 これまでの早苗なら、直後に何か天然な言葉を足して笑いに変えていただろう。


 だが今回は違った。


 早苗自身も、その言葉を冗談にしなかった。


「今までずっとそうだったし」


「これからも、できたらそうしたい」


 直樹の顔が、ゆっくり赤くなっていく。


 舞は早苗を見ていた。


 聡子も。


 三浦も。


 誰もすぐには声を出さなかった。


 やがて直樹が、少し震えた声で聞く。


「それ……俺に言っちょっと?」


 早苗は首をかしげた。


「直樹以外に誰がおっとよ」


 その一言で。


「うわあああ!」


 食堂が爆発した。


「告白じゃん!」


「早苗、それほぼ告白!」


「田中、返事!」


「何か言え!」


 直樹は完全にパニックになった。


「ちょ、待て! 何で俺が今返事すっとよ!」


「本人に言ったんだから当然っしょ!」


 舞が笑う。


 早苗は慌てる。


「告白じゃなかよ!」


「じゃあ何なの?」


「希望!」


「もっと強い!」


「何でよ!」


 三浦が直樹の肩をたたく。


「田中」


「何ですか」


「おまえ今、国内高校新記録出した時より嬉しそうだぞ」


「そんなこと……」


 直樹は否定しようとした。


 しかし。


 口元がどうしても緩む。


 早苗がすぐに気づく。


「直樹、ニヤけちょっど」


「ニヤけちょらん!」


「嬉しいんじゃん」


「……」


「どうなの?」


 直樹は逃げられなくなった。


 周囲から何十もの視線が集まる。


 それでも最後には、早苗だけを見た。


「俺も」


 早苗が目を開く。


「何?」


「早苗が隣におらん生活は、あんまり想像できん」


 今度は早苗が固まる。


「……そっか」


「ああ」


 一瞬。


 妙に静かな空気になった。


 舞が小声でつぶやく。


「これ、もう付き合えばいいんじゃない?」


「それな」


 三浦が即答した。


「まだそこまでは!」


 二人の声がまた重なった。


 食堂は再び大爆笑になった。


「そこだけ息ぴったり!」


「何で一番大事なところで否定すんの!」


 早苗は顔を真っ赤にしながら、自分の席へ戻ろうとする。


「もう朝ご飯食べる!」


 直樹が言う。


「まだ食べてなかったんか!」


「恋愛尋問されちょったからじゃ!」


「朝飯前にあんなこと言うから!」


「聞いたのはみんなでしょ!」


 舞たちは腹を抱えて笑った。


 いつもの漫才が戻った。


 けれど。


 その朝を境に、誰も二人の「ただの幼なじみ」という説明を、そのまま受け取らなくなった。


 トラックではライバル


 午前の女子百メートルトライアル。


 早苗と舞は、再び同じ組に入った。


 今度は六十メートルではない。


 本来の百メートル。


 早苗が県高校一年記録を持つ距離だった。


「舞ちゃん」


「何?」


「朝の話は忘れて」


「無理」


「走る時だけ!」


「それならいいよ」


 舞は笑う。


「トラックではライバルだから」


「うん」


 二人の表情が変わった。


 スタート。


 舞が前半でわずかに先行。


 早苗が三十メートルから追い上げる。


 五十メートル。


 ほぼ並ぶ。


 七十メートル。


 早苗がわずかに前。


 舞も粘る。


 最後の二十メートル。


 二人が競り合った。


 早苗が胸一つ分先にゴール。


 十一秒五九。


 舞、十一秒六一。


 大きな差ではない。


 だが、早苗は昨日負けた舞に初めて百メートルで勝った。


 ゴール後。


 二人は顔を見合わせた。


「やった」


 早苗が笑う。


 舞も悔しそうに笑った。


「百では早苗かぁ」


「六十は舞ちゃん」


「次は両方勝つ」


「僕も」


 二人は拳を合わせる。


 篠原美和は記録表へ数字を書き込みながら、その姿を見ていた。


 単純な速さだけではない。


 昨日負けた相手と自然に話し、その相手から学び、翌日には修正する。


 そして勝った時にも相手を見下さない。


 早苗が周囲へ与える影響は、合宿スタッフの間でも話題になり始めていた。


 五千メートル実戦形式


 男子長距離ブロックでは、直樹と三浦が五千メートルの実戦形式へ入った。


 序盤はゆっくり。


 三千メートルから徐々にペースアップ。


 最後の一千メートルで勝負。


 直樹は国内高校記録保持者であることを忘れるように、自分の走りへ集中した。


 しかし。


 四千メートルを通過した直後。


「直樹ー!」


 競技場に、聞き慣れた声が響いた。


 早苗だった。


「行けー!」


 直樹の口元がわずかに緩む。


 三浦は横から気づいた。


「来たぞ、ラブコール」


「走ってる時に言わんでください!」


 残り八百メートル。


 直樹がペースを上げる。


「直樹ー! ラストー!」


 さらに声が飛ぶ。


 直樹は苦しい。


 それでも、脚が動く。


 残り四百メートル。


 三浦と並ぶ。


 最後の直線。


 二人が全力で競り合う。


 直樹が半歩前へ出てゴール。


 再びトップだった。


 直樹は膝へ手をつき、大きく呼吸した。


 少し離れたところで、早苗が拳を上げている。


「よっしゃー!」


 直樹は苦しい息の中で笑った。


「ほんと……声でか……」


 三浦が隣で聞く。


「嬉しかった?」


「……はい」


 今度は素直に答えた。


 選考担当者たちが見ていたもの


 トラック脇。


 日本陸連育成部長の高瀬慎一郎と、短距離コーチの篠原美和、長距離コーチの黒川昌彦が記録表を見ていた。


「大石は百で十一秒五九」


「昨日の修正を再現できています」


 篠原が答える。


「林田も十一秒六一。二人とも高い水準です」


 高瀬は次に男子の結果を見る。


「田中も最後の千がいい」


「国内高校新記録が偶然ではないことは、かなり確認できました」


 黒川が言う。


 しかし、高瀬が見ていたのはタイムだけではなかった。


「面白いのは、あの二人ですね」


 有馬が少し離れた場所から尋ねる。


「早苗と直樹ですか」


「ええ」


 高瀬は競技場を見る。


 早苗は舞と笑いながら整理運動をしている。


 直樹は三浦と今日のラップについて話している。


「二人がいると、周囲の選手がよく話す」


 篠原もうなずいた。


「大石は昨日から、女子選手同士の壁をかなり壊しています」


「梅ジュースで?」


 有馬が聞く。


「梅ジュースで」


 篠原は真顔で答えた。


 黒川も少し笑った。


「田中は逆ですね。目立とうとはしない。でも、自分の設定を守って走るから、周囲が落ち着く」


 高瀬は資料へ一つメモを書いた。


 競技力。


 修正能力。


 自己管理。


 協調性。


 周囲への影響。


 ユースオリンピックで日本代表となれば、必要なのは速さだけではない。


 海外遠征。


 異なる環境。


 チームとしての行動。


 自分が結果を出せない時でも、他者を尊重する力。


 そして、プレッシャーの中でも自分らしさを失わないこと。


 鹿児島から来た二人は、その点でも強い印象を残し始めていた。


 練習後


 夕方。


 早苗と直樹は競技場の外にあるベンチへ並んで座っていた。


 早苗は梅ジュース。


 直樹はスポーツドリンク。


「直樹」


「何ね」


「今日もトップじゃったね」


「早苗も舞に勝ったじゃろ」


「百ではね」


「よかったな」


「うん」


 しばらく静かな時間が流れた。


 そして。


 直樹が小さく言う。


「朝の話」


「ん?」


「隣にいたいってやつ」


 早苗の手が止まる。


「うん」


「あれ、本気?」


「本気だよ」


「そっか」


 直樹は前を向いた。


 早苗も同じ方向を見る。


「直樹は?」


「俺も言ったじゃろ」


「もう一回聞きたい」


「何で」


「確認」


「恥ずかしか」


「僕は言ったよ」


「……」


 直樹は観念した。


「俺も、早苗には隣におってほしい」


 早苗は笑った。


「よし」


「何がよしじゃ」


「両想い」


 直樹がむせた。


「まだそげな話じゃなか!」


「隣にいたい同士だから、両隣想い」


「何ね、両隣想いって!」


 早苗は自分で言って笑い出した。


「新しい言葉!」


「勝手に作んな!」


 そこへ舞と聡子が通りかかる。


「何笑ってんの?」


 早苗が答える。


「僕ら、両隣想いなんだって」


 舞が固まる。


「何それ」


「お互い隣にいたい」


「それ、普通に両想いじゃない?」


「違う!」


 直樹の声が競技場へ響いた。


 また笑いが起こる。


 走ればライバル。


 離れれば気になる。


 近づけば、だいたい漫才になる。


 そして今。


 二人は初めて、「これからも隣にいたい」という気持ちだけは、同じなのだと知った。


 次回予告


 第17話「両隣想い」


 早苗が生み出した謎の言葉、「両隣想い」。


 翌朝には合宿参加者の間へ広まり、


「田中と大石、両隣想いなんだって」


「普通に両想いじゃないの?」


 と早くも新たな爆笑ワードになる。


 一方、ユースオリンピック代表選考は佳境へ。


 短距離では早苗、舞を含む候補選手たちによる最終トライアル。


 長距離でも直樹、三浦らが代表枠を懸けた最後の五千メートルへ挑む。


 しかし、直樹のレース直前。


 早苗が突然、声を出せなくなる。


「昨日まで叫びすぎた……」


「一番大事な日に何しちょっとよ!」


 ラブコール封印の危機。


 それでも早苗は、声ではない方法で直樹を応援しようとする。


 次回、第17話「両隣想い」。


 声が届かなくても、隣にいる気持ちは伝わる。

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