二章 19 嬉し恥ずかしフォークダンス
◇
日が少し傾き、昼間あれだけ騒がしかった校庭にも、ようやく柔らかい風が戻ってきていた。
走り回っていた生徒たちはそれぞれの場所へ戻り、赤白の旗も少しだけ元気を失っている。救急車まで出た体育祭とは思えないほど、今は妙に穏やかだった。
スピーカーから、聞き慣れた綺羅羅の声が流れる。
『さあ、時代錯誤もいいところ! フォークダンスの時間がやってまいりました!』
校庭のあちこちから笑いが起こった。
『笑いあり、涙あり、怪我人ありの体育祭も、いよいよフィナーレを迎えることとなりました!』
「怪我人を思い出みたいに言うな!」
誰かのツッコミが飛び、また笑いが広がる。
『ここからは少しだけゆっくりとお楽しみください。それでは本日の運営、司会は――伝説のユーチューバー、綺羅羅がお送りいたしましたー! チャンネル登録よろしくお願い致しまーす!』
「もうしてるって!」
「意外に司会よかったぞー!」
「意外ってなによー!」
放送席から綺羅羅の声が返ってくると、校庭の空気がまた少し和らいだ。
やがてスピーカーから、ゆっくりと音楽が流れ始める。
校庭の中央では、男女がぞろぞろと集まり、大きな輪を作り始めていた。
「さてと……」
俺は立ち上がり、白い鉢巻を外している澪のところへ歩いていった。
「澪」
「ん?」
振り返った澪へ、何も言わず右手を差し出す。
「……なに?」
「何って、踊るんだろ?」
「獅子丸くん、フォークダンスなんて踊れるの?」
「知らん」
「えっ?」
「お前が教えろ」
澪は少し呆れた顔をしたあと、笑って俺の手を取った。
「まず右足からね」
「おう」
「そっち左!」
「知らねぇよ!」
「もう、アタシに合わせてよ」
「お前が俺様に合わせろ」
「なんでよ!」
周りを見よう見まねで踊っていると、澪がクスクス笑い出した。
「なに笑ってんだ?」
「だって獅子丸くん、今日ずっとすごかったのに、フォークダンスだけ下手なんだもん」
「必要なかったからな」
「今まで一回も?」
「ねぇよ」
「じゃあ、アタシが初めて?」
「……まあ、そうなるな」
「ふふっ。そっか」
澪は少し嬉しそうに笑い、俺の手を引いた。
「獅子丸くん」
「ん?」
「今日、楽しかったね」
「おう」
「借り人競走も、一位にしてくれてありがと」
「あれくらい朝飯前だ」
「またそれ」
「ギャハハ!」
音楽に合わせて、もう一度澪と手を取り合う。
昔の運動会は知らない。
でも、今日の澪の笑った顔だけは――たぶん一生忘れねぇな。
「獅子丸……たまにお父さんみたいだね……」
「なっ……」
「なんか……落ち着くというか……」
「おっさんってことか!」
「そうそう」
澪は笑ってそう答えたが、その目にはどこか戸惑ったようなものが残っていた。
やがて音楽が終わり、澪は俺へ小さくお辞儀をすると、女子たちの集まる方へ戻っていった。
(俺が澪にできること……)
今までは、たまたま事件が起きたから、それを解決してきただけだ。
でも――本当に父親としてしてやらなきゃならないことは、他にあるんじゃねぇか。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
◇
九月十七日 日曜日 午後十一時 白浦学園
『そう……おっさんの時もある』
私はベッドに寝転がったまま、一枚の写真を眺めていた。
「獅子丸くんの時もある」
写真の中では、獅子丸くんが薄っすら笑っている。
同じ顔なのに。
おっさんの時は、なんか安心する。
怖いことがあっても大丈夫って思えるし、近くにいるとほっとする。
お父さんがいたら、こんな感じなのかな。
「でも……獅子丸くんは……」
写真を顔の前まで持ってくる。
すぐ困るし、怖がるし、おっさんみたいに強くない。
「なのに……なんでだろ」
あの時もそうだった。
怖いはずなのに。
自分じゃどうにもできないかもしれないのに。
それでも一生懸命、何とかしようとしてた。
そういう獅子丸くんを見ると、胸のところが変になる。
「……なんで獅子丸くんなの?」
写真に聞いてみる。
もちろん、答えてくれない。
「同じ顔じゃん……」
なのに、おっさんにはならない。
獅子丸くんが頑張ってると、見ていたくなる。
無理してると心配になる。
私を見て笑ってくれると――ちょっと嬉しい。
「……あー、もう」
恥ずかしくなって、写真を胸に伏せた。
そのまま天井を見る。
「意味わかんない……」
弱いのに。
全然頼りにならない時だってあるのに。
それでも――獅子丸くんがいい。
「……ほんと、意味わかんない」
もう一度だけ写真を持ち上げる。
獅子丸くんの顔を見た瞬間、また胸がきゅっとした。
「……どうしよう」
◇
眠れない。
ベッドに入ってから何度目か分からない寝返りを打って、私はスマホを手に取った。
〇時四十分。
「…………」
カーテンを少し開ける。
外はもう真っ暗だった。
今日の体育祭のことを思い出す。
獅子丸くん、すごかったな。
リレーもそうだし、他にもいろいろ。
みんな騒いでた。 私も嬉しかった。
嬉しかったんだけど――。
「……なんか違うんだよなぁ」
何が違うのかは、自分でもよく分からない。
私はもう一度スマホを見て、それからベッドを降りた。
本当に少しだけ、外の空気を吸いたくなった。
◇
「……何してるんだろ、私」
気づけば獅子丸くんの家の近くまで来ていた。
別に会いに来たわけじゃない。
昔から何度も通った道だし、なんとなく歩いていたらここまで来ただけ。
「……うん」
自分に言い聞かせていると、庭のほうから小さな音が聞こえた。
トッ。
少し間が空いて、また。
トッ。
「?」
家の横から庭を覗く。
いた。
獅子丸くんだ。
少し離れた木の板へ向かって、何かを投げている。
今度は板の横を抜けて、後ろの地面へ落ちた。
「あっ……くそ」
獅子丸くんが拾いに行く。
ナイフ?
夏にやっていたナイフ投げを、こんな時間にまたやっていた。
カンッ。
今度は柄の部分が当たって、ナイフが地面へ転がった。
「……下手くそ」
「うわぁっ!?」
獅子丸くんが飛び上がった。
「み、澪!?」
「こんばんは」
「こんばんはじゃないよ! 何してんの、こんな時間に!」
「獅子丸くんもでしょ」
「今日あんなにすごかったのに」
「…………」
「まだ練習するの?」
獅子丸くんの顔が少しだけ変わった?
子どもみたい。
今日、校庭でみんなに囲まれていた時とは全然違う。
「ねえ」
「ん?」
「ちょっと歩かない?」
「今から?」
「コンビニまで」
私が先に歩き出すと、後ろからため息が聞こえた。
「わかったよ……」
すぐに足音が追いついてくる。
◇
夜の住宅街にはほとんど人がいない。
昼間は何度も通っている道なのに、二人で歩いているだけで全然違って見える。
「今日、すごかったね」
もう一度言ってみた。
「……そうだね」
やっぱり嬉しそうじゃない。
「嬉しくないの?」
「何が?」
「みんな昨日の獅子丸くんのこと、すごいって言ってたじゃん」
「——別に」
「私……」
「何?」
「……今の獅子丸くんも、すごかったよ」
「今?」
「今のほうが好き」
「…………え?」
(ヤバい……よくわからないことを言ってしまったよぉ)
私はそのまま逃げ出すように、学園に向かって帰っていった。




