二章 20 厨二病の夏
◇
九月十八日 月曜日 運動会振替休日
『今の……獅子丸くん』
この言葉を何度も反復して、結局寝られなかった。
なによりも情けないと感じているのは、僕は澪を好きだったのだろう。それを澪の口から言わせ、逃げて行かせてしまったことが辛い。
一晩考えて僕が出した答えが、これであった。
「……情けない」
ベッドに座って項垂れると、寝不足のせいか頭が重い。開けた窓から朝の風が入ってきて、カーテンが小さく揺れていた。
ムニュン
「どうした! 少年! 元気ないな!」
「うわっ……」
後ろから抱きしめられ、頬にイチゴさんの髪が触れた。風呂上がりなのか、シャンプーの甘い匂いがする。
イチゴさんがまた抱きしめてきた。
慣れすぎて今は全くなにも感じなくなっている僕もどうかと思う日常。
でも、ちょうどいい。
イチゴさんの件もこの際ハッキリするべきだ。
「イチゴさん」
「イチゴちゃんね」
「ああ、ごめん……」
「でね、僕はこれから澪に告白をしようと思うんだけど」
「あらっ素敵! じゃあ、おめかし、しないとね」
「ん?」
「えっ?」
ぎゅうぎゅう締め付けていた腕が緩み、僕は振り返った。
「あのお―― 意味わかってます?」
「もち! あのちっちゃい、可愛い子にコクりに行くんでしょ?」
「だからさ、イチゴちゃんね? そしたら……」
「応援するっしょ?」
「その後をねかんがえると――」
イチゴさんはベッドの端へ腰を下ろし、不思議そうに首を傾げた。
「獅子丸くんね?」
「はい」
「誰が、一対一じゃないと、好きになっちゃダメって決めたの?」
「誰?……だれ……でしょう……か?」
「恋愛なんて本人が好きって思ったらそれで成立しょ! 逆に私だけの物! 私の男に触んないでー なんて思っている奴の方がキモいわ!」
「えええええ」
(朝から聞くには相当重い恋愛観だぞ?)
「獅子丸くん!」
「あっ、はい」
両肩を掴まれ、ぐっと顔を近づけられる。
近い。さっきよりシャンプーの匂いが強くなった。
咄嗟に視線を逸らすが、また顔を真っ直ぐに戻されてしまう。
(ハズいですよ……流石に)
イチゴさんの唇や目に意識が向いてしまう自分に困惑していることに気づいてしまう。
「あなたも澪ちゃんの幸せを考えるなら、澪ちゃんの幸せだけを考えな! ねっ?」
「う、うん」
「じゃっ! わかったところで。おめかし♪ おめかし♪ 髪の毛は私がやってあげるぅ♪」
肩をクルリと回され、そのままベッドへ座らされた。 イチゴちゃんはどこから持ってきたのか、櫛やらワックスやらを机の上へ並べると、鼻歌交じりに僕の髪をいじり始めた。
「前髪はあんまり上げないで」
「キャハッ! 注文あるんだ?」
「目立つの嫌だから」
「告白しに行く男が目立つの嫌とか言わない!」
「別に人前でするわけじゃないし」
「少年、初々しいねぇ。あの時は獣のようだったのに」
耳元でそう呟かれ、無理に閉じ込めていた罪悪にも似た感情の蓋をこじ開けられた。
「うるさい……」
誤魔化すようにスマホを開き、澪に『今日、会える?』と送る。
少しして返ってきたのは、『うん。いいよ』の一言だった。
「じゃあ行こっか!」
「はっ?なんでイチゴちゃんも行くの?」
「送ってあげるよん」
「いや、歩いて――」
「いいから♪いいから♪」
と、なぜか言いくるめられる形で髪の毛をセットしてもらい、さらに待ち合わせ場所までバイクで送ってもらうことになった。
(なに考えているのかわかんないよぉ……)
「ほら、いたよ、澪って子、あれでしょ」
「……うん」
(手を振るな振るな)
言わんこっちゃない。
澪がイチゴさんを見て口を開けてビックリしているではないか。
(そう、なるよねえ――)
「ありがとう、イチゴちゃん」
バイクから降りたところで、後ろから服を引っ張られた。
「ええ、なに?」
「獅子丸くん」
振り返ると、イチゴちゃんはさっきまでと変わらない笑顔で僕を見ていた。
「ちゃんと獅子丸の責任で言うんだよー」
「……分かってるよ」
「ならよし! 行ってこーい!」
バンッと背中を叩かれ、その勢いで数歩前へ出た。
外は思ったより暑かった。
遠くから蝉の声がまだ聞こえてくる。
「あれ……イチゴさん?」
「ん、まあ、それは追々……」
昨日は何も言えなかった。
今日は僕から言うんだ。
◇
待ち合わせ場所から一本右に曲がると海沿いがあってそこを歩いた。
海から吹いてくる風は心地よいが、夏休みの頃のような賑やかさはなく、聞こえてくるのは波の音ばかりだった。
「澪、夜のことだけど」
「なんだっけ……」
「いや……」
澪は何事もなかったように、ゆっくりと歩いていく。その少し後ろをついて歩いている自分が、また情けなくなってきた。
(だから、僕はダメなんだ)
昨日だってそうだった。 澪があんなことを言ってくれたのに、僕は何も言えず、逃げていく背中を見ているだけだった。
(また同じことをしている)
『誰が、一対一じゃないと、好きになっちゃダメって決めたの?』
『恋愛なんて本人が好きって思ったらそれで成立しょ』
『獅子丸の責任で言うんだよー』
(――なぜ、イチゴさんの言った言葉が今よみがえる)
「なに?」
潮風に髪を揺らしながら、少し困った顔をして僕の顔を真っ直ぐに見ていた。
「僕が好きなんだ、澪を。僕がだ」
澪は驚いたように目を見開き、少しして、口元を押さえ笑った。
「ふふっ……」
「おかしかったかな」
「ちょっとね……」
僕は澪へ一歩近づき、その身体を抱きしめた。
「うっ、うわぁ……」
自分でも驚くほど、澪の身体は小さかった。
腕の中で固まったまま動かない。
潮の匂いに混じって、澪の髪からほのかに甘い匂いがした。
(照れ隠し?違う。覚悟。僕は、これで合っている)
しばらくすると、背中に何かが触れた。
澪の指が、僕の服を少しだけ掴んだ。
充分だった。
――――――
――――
――
その後なにも話さぬまま澪の学園まで二人で帰り、入口で別れた。
澪と別れ、一人で来た道を歩いて帰った。
さっき抱きしめた時の感触が、まだ腕に残っているような気がする。
思い出すだけで恥ずかしくなって、誰もいないのに俯いた。
「僕がだ……って、なんだよ」
今になって考えると、とんでもなく恥ずかしい。
それでも後悔はしていなかった。
昨日までの僕なら、澪に笑われた時点で、きっと下を向いていたと思う。抱きしめるなんて絶対にできなかったし、その前に告白だってできたか分からない。
なんで今日はできたんだろう。
歩きながら考えていると、夏休みに入ってから出会った人たちの顔が浮かんできた。
最初は、みんな苦手だった。
身勝手極まりない澪のお父さんの龍馬さん。自由奔放で何を考えているのか分からないイチゴさん。それに、龍馬さんを慕って集まってくる人たち。
僕の周りにはいなかった人ばかりだった。
勝手なことをして、人の話なんて聞かなくて、僕まで巻き込んでくる。
なのに、僕が困った時には誰かがいた。
龍馬さんが僕の身体で滅茶苦茶なことをするたびに嫌だったけど、そのおかげで助かったこともたくさんあった。
イチゴさんの言っていることなんて、今でも半分くらい分からない。
「いや、九割わからないや……」
それでも今日、僕の背中を押してくれた。
「……そっか」
僕一人だったら、たぶん何も変わっていなかったんだ。
そう思うと、今まで散々振り回されたことまで、少しだけ違って思えてきた。
「ありがとう……なのかな」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
龍馬さんみたいに強くなれるとは思わない。
イチゴさんみたいに自分の気持ちに正直に生きるのも、僕にはまだ無理だ。
(暗殺者教室なんてないもんな)
スマホを開いて調べてみた。
『現代忍者』
(あるんかい!?)
でも、いつまでも誰かに決めてもらって、失敗するのが怖くて何もしないままなのは、もう嫌だった。
澪のことだってそうだ。
好きだと言ったのは僕だ。
これから先、澪が困っていたら助けたいし、泣いていたら側にいたい。
できるかどうかは分からない。
それでも、自分が行動する側の男でいたい。
顔を上げると、海の向こうまで青い空が続いていた。
もう夏休みは終わっているのに、蝉はまだ鳴いている。
僕は少しだけ歩く速度を上げ、そのうち走り出した。
「ただいまーー!俺様が帰ったぞー」
「あらあら、今日は俺様の獅子丸ちゃんなのね?なにか食べる?」
「じゃあ今日はビールじゃなくてイチゴ味のプロテインでもいただこうかな?ガッハッハ」
「テンションたっか……バカ弟」
中二、夏の終わり。
僕はまだ、大人がどんなものなのかもよく分からない。
だけどいつか、好きな人の前くらいでは胸を張れる男になりたいと思った日できっと人生で一番、厨二病に侵された日でもあるはずだ。
二章 おしまい




