二章 16 父ちゃん頑張る
九月十七日 日曜日 午前八時
校門を抜けた瞬間、いつもの学校とは思えないほどの人の多さに足が止まった。
校庭を囲むように紅白の幕が張られ、トラックの外側には学年ごとのテントが並んでいる。そのさらに後ろは保護者や卒業生らしき連中で埋め尽くされ、レジャーシートだけでは収まらず、脚立や望遠レンズまで持ち込んでいるヤツもいた。
「なんだこりゃ……」
体育祭というより、祭りか何かの見世物だ。
校舎には各クラスが作った横断幕が垂れ下がり、放送席では綺羅羅が朝からスマホを片手に騒いでいる。
「体育祭、間もなく開幕でーす! 今年はどんな伝説が生まれるのでしょうか!」
「生配信はするなって言われただろ!」
「まだ撮ってるだけですぅ〜」
水樹に怒られながらも、綺羅羅はレンズをこちらへ向けてきた。
その後ろには尊一家が勢揃いしており、火星でも撮るのかと思えるほどデカいカメラや機材が並べられている。
赤白に分かれていても、競技前はいつものメンバーで集まっていた。
そこへ尊も寄ってきたが、腕や足に巻いてきた重りを美月先生に没収されている。
「先生、これは、あとで外さないと意味がない」
「それを誰が片付けんのよ!」
尊は黙って片付けに行った。
「獅子丸、今日は俺が勝つからな」
豪樹が自信満々に拳を突き出してくる。
「拳を出すな! ダサい……これだから童貞は」
俺は思わず両手で顔を覆った。
「童貞じゃねー」
「そうなの?」
「兄貴に連れてってもらって……一回だけ……店で……」
「ギャッハッハッハッハッ!」
「みんな、コイツの初めてよお? ソー――モゴモゴ」
「こら、バカ! 言うな!」
豪樹に口を塞がれたが、近くの女子がクスクス笑い始めた。
その中で、優希は友達と話しながら髪を結び直していた。いつもの化粧に赤い鉢巻を巻き、こちらの騒ぎへ気づくと、豪樹へ小さく手を上げる。
豪樹は照れくさそうに手を振り返した。
その向こうでは、澪が白組の列に並んでいる。白い鉢巻から長い髪を引き出し、隣にいる女子と笑っており、俺が見ていることには気づいていないらしい。
前世では見ることのできなかった娘の体育祭。
まさか同じ校庭に立ち、敵同士の鉢巻を巻くことになるとは思わなかった。
「獅子丸く〜ん!」
校庭の外から、聞き覚えのある声が飛んできた。
保護者席へ目を向けると、コイツの両親とイチゴが最前列に陣取り、三人そろって大きく手を振っている。イチゴは、なぜか赤組の応援団より目立つ真っ赤な服を着ていた。
「ナイスガイ〜! 全部一位取ったらエッチしてあげるからね〜!」
「座れ! お前は何しに来たのだ!」
「ダーリンの晴れ姿を見に来たの〜!」
美月と水樹の視線が痛い。澪だけが、俺とイチゴを交互に見ていた。
『これより、第七十八回、体育祭を開催いたしま〜す』
「あっ、綺羅羅の声だ」
スピーカーから綺羅羅の声が響く。当然、その横ではカメラが回っていた。
『なお、本年度も競技中の骨折、脱臼、流血等につきましては、保健室および待機中の救急隊が対応いたします』
『そして、毎年大人気の三種目につきまして、運営より注意点だけ説明致しま〜す』
「待て待て待て」
俺以外、誰も驚いていないぞ。
『全校男子鉢巻争奪戦では、殴る、蹴る、投げるなどの暴力行為を禁止します。抱きつき、進路妨害、円陣による防御は認められますが、故意に衣服、特に下半身を脱がせた場合は失格となります』
「なんで最後だけ具体的なんだよ」
「去年いたんだよ。ププッ、丸出し先輩がよ」
豪樹は腹を押さえて笑っている。
『借り人競走のお題に関する抗議、辞退、泣き落としは一切認めません。あと男子は、去年の凄惨な先輩を思い出してね。照れだとは思いますが、「なんで俺なんだよ! ブス」などと言ってしまった先輩は、残り約半年、地獄のような学校生活を送りました。時代を考えましょう』
『なお、毎年恒例の教師騎馬戦ですが、昨年度の反省を踏まえ、今年度より安全性を考慮して教師棒倒しへ変更となりました』
「悪化してるでしょ!」
美月の怒鳴り声が放送を遮り、生徒席から笑いと拍手が巻き起こった。
◇
女子限定♡ドキドキ借り人競走!
『さあ、毎年恒例の借り人競走がやってまいりました! 今年はどんなカップルが生まれるのでしょうか!』
綺羅羅の声が校庭中へ響くと、男子席から歓声と口笛が上がった。
『おっとー! 第一走者は、まさかのB組の澪と水樹が被ったか!? 狙いが分かりやすすぎて笑けてしまうぞー!』
「獅子丸ー! 死ねー!」
「つまんねーぞー!」
「独り占めすんなー!」
「うるせぇ! 知るかー!」
パンッ!
「「「「おおおおおおおお!!」」」」
スタートの合図と同時に、全校男子が奇声を上げた。
「澪ちゃーん! 俺だー!」
「水樹ー! こっち見ろー!」
「一回だけ夢見させてくれー!」
男子たちは一斉に髪を直し、胸を張り、なぜか腹へ力を入れ始める。
『まずは水樹さんがカードをめくったー!』
水樹は箱から引いたカードを開き、書かれている文字を見るなり吹き出した。
「なによ、これ……」
『お題は――メガネを外すと意外にいい男な人!』
「「おおおーっ!」」
メガネ男子が一斉に姿勢を正した。
「来た! 俺の時代だ!」
「今日コンタクトにしなくてよかったー!」
「水樹ー! こっちだー!」
そんな声には目もくれず、水樹は辺りを見渡すと、すぐに一人へ狙いを定めた。
『続いて澪ちゃん!』
澪もカードを開く。
文字を読んだ瞬間、動きが止まった。
『お題は――今、一番付き合いたい人ぉー!』
「「「「うおおおおおおお!!」」」」
さっき以上の歓声が校庭を揺らした。
「公開告白じゃねーか!」
「これ考えたヤツ、天才!」
「終わったー! 俺の青春終わったー!」
澪は頬を赤くしたまま、カードと男子席を何度も見比べている。
それでも覚悟を決めたのか、カードを握りしめて走り出した。
『ちょーっと待てー! 異例の事態だぁ!』
水樹も、澪も、同じ方向へ走っている。
『二人とも獅子丸へ向かっているぞー!』
「獅子丸、メガネかけてねぇぞー!」
「お題無視してんじゃねー!」
「ふざけんなー!」
全校生徒の視線が一斉に俺へ突き刺さった。
「なんでだよ……」
俺が呟いた時には、二人とも目の前まで迫っていた。
俺は隣にいた尊の腕を掴み、軽くひねり上げた。
「痛っ!」
たまらず尊が立ち上がったところで、その手を水樹へ握らせる。
「「えっ?」」
水樹も尊も、目を丸くしたまま互いの顔を見ていた。
パシンッ!
尊の尻を叩き、ゴールを指差す。
「ほら、走った走った!」
「ちょっ、なんで尊なのよ!」
「お題どおりだろ。メガネ外せば、意外といい男だぞ」
「勝手に決めるなよぉ!」
文句を言いながらも、尊は水樹に引っ張られて走り出した。
「獅子丸くん……」
「あいよ」
「アタシ……獅子丸くんしか……」
「ほいきた!」
差し出された澪の手を掴み、応援席との間に張られたロープを飛び越える。
そのまま走り出そうとしたが、澪の足が追いつかない。
「きゃっ!」
「しょうがねぇな!」
身体を屈め、澪を両腕で抱き上げた瞬間、校庭中から地鳴りのような歓声が上がった。
「「「「うおおおおおおおっ!」」」」
『出たぁー! 獅子丸くん、まさかのお姫様抱っこだぁー!』
「ちょっ、獅子丸くん!」
「落とされたくなかったら掴まってろ!」
前を走る水樹と尊の背中が、すぐそこまで迫っていた。
「おらおらおら〜! 俺様が追い抜いちゃうぞ〜!」
「なっ! ほら、あんたも走りなさいよ!」
「んなこと言ってもぉ〜!」
「ギャハハハハ! 一位は俺様がいただきま〜す!」
二人の横を抜き去り、澪を抱えたままゴールテープを切った。
(元A級暗殺者だった父親として当然の結果だ)
「獅子丸くん……ありがと……」
「ん……ああ、一等賞取れたな!澪」
澪を地面へ下ろすと、次の組がスタート地点へ並び始めた。
「次、優希さんだね」
「おお。少しは元気になってるといいんだがな」
パンッ!
優希は少し出遅れながらも、カードの置かれた机まで走り、勢いよく一枚をめくった。
『おっと、優希ちゃんのお題は――ゴールした時に、胸キュンする台詞を言ってくれそうな男子!』
「ギャハハ! そりゃ豪樹には無理だ!」
「そんなことない……でしょ」
「嘘つけ! 澪も不安そうじゃねーか」
「いやいや、大……丈夫よ……たぶん」
「選ばねーかもしれね〜ぞ〜」
優希はカードを握ったまま、男子たちの前をゆっくり見渡していた。
「優希ちゃーん! 俺なら毎朝言えるぞー!」
「胸キュンなら任せろー!」
「まず顔で選べー!」
あちこちから声が飛んでいるのに、豪樹だけは立ち上がろうともせず、膝へ肘を置いたまま俯いている。
「はっ! あのバカ、最初から諦めてやがる」
「……ほら!」
澪が指差した。
「ん?」
「優希さん、こっち来る!」
「はっ!? まさか!」
優希は俺たちの前まで一直線に走ってくると、俯いていた豪樹の手首を掴んだ。
「行くよ!」
「えっ……俺?」
「早く!」
『優希ちゃんが選んだのは豪樹くんだぁー!』
「「「「おおおおおおおっ!」」」」
男子席から歓声と悲鳴が入り混じり、豪樹は何が起きたのか分からない顔のまま引きずられていった。
「走れって!」
「お、おう!」
出遅れた二人は並んで三人を抜いたが、先頭には届かず四位でゴールへ飛び込んだ。
『四着、優希ちゃんと豪樹くん! では最後に、胸キュンする台詞をお願いしまーす!』
「はあ!?」
ゴールテープを切った豪樹が、その場で固まった。
「そういうお題だから」
「聞いてねぇよ!」
「さっき放送してたじゃん」
「走るので精いっぱいだったんだよ!」
『それでは豪樹くん、どうぞ!』
綺羅羅がマイクを向けると、全校生徒から手拍子が始まった。
「ご・う・き! ご・う・き!」
「やめろ! マジで何も浮かばねぇ!」
「ギャハハハ! やっぱり無理じゃねーか!」
俺が腹を抱えて笑うと、豪樹は真っ赤な顔でこちらを睨んだ。
優希は隣で笑っていたが、少しして豪樹の手を離し、先に戻ろうと背を向けた。
「……もう一人でいなくなんじゃねぇぞ」
豪樹の声で、優希の足が止まった。
「次は……もっと早く見つけるから」
さっきまで騒いでいた校庭が、一瞬だけ静かになる。
優希は振り返らず、赤い鉢巻の端を触りながら、小さく答えた。
「……うん」
「「「「うおおおおおおおおっ!」」」」
『出ましたぁー! これは胸キュン認定でーす!』
綺羅羅の絶叫と同時に、豪樹は両手で顔を覆ってその場へしゃがみ込んだ。
「おい豪樹! 店より先に青春卒業したじゃねーか!」
「うるせぇぇぇ!」




