二章 15 待たせたな!
九月十四日 木曜日 朝
まるで一か月くらい過ぎたような二日間だった。
昨日は龍馬さんが優希さんをなだめてくれたようなのはグルチャからわかった。ネットでは元校長先生がいまだ行方不明。朝から、逃亡だ薬物だと様々な憶測が飛び交っているが、僕たち未成年のことは一切報道されていなかった。
繁華街の中継でも
『結局、大人も同じってことっしょ?』と、よくわからないことを言っている人をすっぱ抜いて、あたかも繁華街にいる人が全員こんなバカばかりである風潮を演出していた。
そして龍馬さんが残した下書きメールは、たった一行。
『いつも通りに』
それだけだった。
僕はメールを消し、何気なく机の横に貼られた九月の予定表へ目を向けた。
「明々後日は体育祭か……」
今年も、あの季節がやってきた。
去年は散々だったなぁ……
(でも、今年はトレーニングもしたし、少しはマシになったか?)
そんなことを思いながら日付へ目を移し、思わず予定表へ顔を近づけた。
「ん……」
「奇数日だ——————っ!」
◇
九月十五日 金曜日 朝
「明後日、体育祭だと?」
「体育祭って、俺は何に出るんだ?」
(聞いてないぞ)
いつものメンバーが集まっている教室で俺が競技の話を振ると、豪樹は一瞬ぽかんとしたあと、呆れた顔で眉を寄せた。
「何って、お前……この前決めたろ」
豪樹がそう言うと、尊がスマホを取り出し、保存していた競技表を俺の前へ差し出してきた。
「リレー、百メートル、全校男子鉢巻争奪戦……って、何だこりゃ」
「うちのメイン種目じゃねーか」
「鉢巻争奪戦?」
「知ってんだろ? この競技のためだけに、不登校の男子が登校してくるって噂があるくらい有名だぞ」
豪樹は説明しながら、すでに当日の光景でも思い浮かべているのか、妙に目を輝かせていた。
「はあ?」
「そうそう。三位までに入ったら、どんな非モテでも童貞を捨てられるって都市伝説!」
水樹が笑いながら頷いた瞬間、教室の床へ鈍い音が響いた。
ズシンッ。
「……ん?」
振り向くと、尊が制服の袖をまくり、腕に巻いていた重りを外している。
ズシンッ、ズシンッ。
「た、尊?」
「ふん! そろそろ本気でいくか……!」
最後の重りを床へ置くと、尊は俺に親指を立て、いつもの無表情に近い顔でニコリと笑った。
「今日から本気出す」
「お前まで信じてんのか!」
豪樹たちが一斉に笑い出す中、尊だけは冗談を言ったつもりがなさそうだった。
「まあ、今年は俺が一位だとしてだな……」
「ほう? まだ捨てたい童貞があると?」
背後から伸びてきた腕が俺の首へ絡みつき、柔らかな感触が背中へ押しつけられる。
「美月先生……」
澪が目を丸くしながら、美月先生と俺を交互に見ていた。
「最近……寂しいぞ……ナイスガイ」
耳元で囁かれ、吐息が首筋へかかる。
(すいましぇーん……忙しかったもので……)
「それから尊さん? なにコロ様のつもりか知りませんけど、そんな物、教室の床に散らかさないでね」
美月先生が俺の首へ腕を回したまま尊へ指示すると、尊は何も言い返さず、黙々とリストバンドのような重りを拾い上げ、机の脇へ片づけに行った。
「それで……他にすげぇヤツはいねぇの? この競技」
「豪樹も結構すごいよ。去年は一年生で六位だったし、足だけなら学校でもトップクラス」
優希が豪樹の肩へ腕を回すと、さっきまで威勢よく喋っていた豪樹の顔が一気に赤くなった。肩を組まれたまま身体を固くし、どこへ視線を置けばいいのか分からないように宙を見ている。
(ほほう……童貞捨てたい奴がここにおるな)
「今年はダイジェスト撮って、YouTubeに上げちゃう?」
綺羅羅が勢いよく手を上げ、そのままスマホを構えて撮影する真似を始めた。
「全校男子が命懸けで鉢巻を奪い合う!欲望の体育祭! みたいな?」
「未成年ばっか映して、一発で垢バンだろ」
水樹のツッコミに、また笑いが起きる。
「顔にモザイク入れればいけるんじゃない?」
「全校男子モザイクだらけの動画、余計に怪しいだろ」
「去年の一位は三年生だったんだけどねぇ。二位は悠真くんだったの。ああ見えて、運動神経は本当に良かったんだよねぇ」
美月先生は悠真の姿を思い出したのか、少し寂しそうに笑っていた。
「女子の目玉はねーの?」
俺が聞くと、豪樹が俺の顔をまじまじと見た。
「お前、ボケ老人になったのか?」
「うるせぇ。いいから教えろ」
「そりゃあ、何と言っても借り人競争でしょ?」
水樹は椅子に片足を乗せ、拳を高く掲げながら力強く言った。
「そのどこが盛り上がんだよ」
「お題が毎回エグい!」
「お題?」
「そう! 好きな人、ほっとけない人、守ってほしい人、キスしたい人」
「はあ?」
「お父さん、お母さん、人によっては祖父母がいる中での究極のお題! 毎年! 熱い! 熱すぎる!」
水樹は説明するほど興奮していき、最後には椅子の上へ完全に立ち上がっていた。
「普通に走るより、お題を見た瞬間の顔の方が面白いからね」
綺羅羅もスマホを向けながら笑っている。
「毎年泣く子も出るよな」
豪樹がケタケタ笑いながら言うと、優希が肩へ回していた腕に力を込めた。
「豪樹は何を引いても、ちゃんと連れてきてくれそうだけどね」
「お、おう……まあな……」
(なんだ、その蚊の鳴くような声は)
「そして、そんな悪魔的な種目が終わると、公務員の日頃の怨みが爆発する、教師全員参加型、騎馬戦!」
水樹が両腕を大きく広げると、美月先生は俺から離れ、額へ手を当てながら首を横へ振った。
「あ〜、あれか……やりたくないなあ」
「去年は腕の骨を折りながらも用務員のおじさんが放った言葉」
豪樹が立ち上がり、拳を天井へ突き上げる。
「我が公務に一片の悔いなし……しびれたわー」
「そのまま救急車で運ばれてったけどね」
「退場の仕方まで伝説じゃん!」
綺羅羅が笑いながら拍手し、尊まで片づけの手を止めて静かに頷いていた。
「うちの学校、行事に対してちょっと変なところあるのよねえ」
美月先生がため息交じりに呟いたが、俺以外の全員は、それを今さら何を言っているんだという顔で聞いていた。




