二章 13 もやっと
九月十一日 月曜日 夜中 一時半
山から降りると、なぜか駅前でハンドルに突っ伏して待っていたイチゴのベスパの後ろに乗って地元方面に向かって走っている。
「このまま、海沿いを走ってくれ!」
「ええ?どうやって?」
「三百メートル先、斜め右に入れ!」
ベスパは右に傾け民家の細い道を抜け、堤防と民家の間の道に抜けた。
漁船が沢山止まっていて、奥では漁師たちがこれから漁に出る支度をしている。
「イチゴ、その辺で止めてくれ」
「ええ?ここお?」
校長のナイフを沖へ向かって思い切り投げた。 黒い影は街灯の光を一瞬だけ横切り、音もなく海へ消えた。
——山の方にはサイレンを鳴らした緊急車両がひっきりなしに走っていっている。
「煙草ある?」
「ああ、あるよ」
「この騒ぎ……獅子丸くんが呼んだの?」
「いや……」
(豪樹の目は覚ましておいた……アイツが警察を呼んだんだろう……)
「ふ〜ん」
イチゴが意味深な顔でこちらを見ていると、顔をこちらに近づけてきた。
「お、おい、今はそんな気分じゃ——」
俺の左の目の下をぺろりと、舐め上げた。
「!?」
「さっ!そろそろ戻ろっか!」
(やっぱり……苦手だなぁ……)
九月十二日 火曜日
「そうすると、君は豪樹くんと優希さんが心配で校長先生の別荘へ行った。そこで後ろから何かに殴られて……次に気づいた時には、自宅へ戻っていた。間違いないかな?」
若い警察の人は、確認するようにメモへ視線を落としてから、僕の顔を見た。
「はい……」
そう答えるしかなかった。
窓を覗こうとして、背後から音がしたところまでは覚えている。その後、自分がどうやって山を下り、家まで帰ったのかは、何も残っていない。
「……今日はやけに素直だな?」
「えっ? どういうことですか?」
思わず聞き返すと、警察の人は少し困ったように頭を掻いた。
「あっ、いや……ごめんね。前は、たまに中学生とは思えない話し方をする時があったなあ、なんて思ってね」
そう言って苦笑すると、机の上の資料を一枚めくった。
「話を戻すけど、この写真を見てくれるかい?」
机の上へ、数枚の写真が並べられた。
長さも形も少しずつ違う銃ばかりだった。
「校長先生が持っていた物が、この中にあるか分かるかな?」
僕は一枚ずつ写真へ目を移したが、どれを見ても、あの瞬間とは結びつかなかった。
「……すみません。後ろに何かいると思って振り返ろうとしたら、銀色の物が見えて……それしか覚えてません」
「長さは?」
「多分、普通の棒よりは長かったと思います。でも、本当に一瞬だったので……」
「そうか」
警察の人は、何かを書き加えながら小さく頷いた。
「頭の傷から見ると、硬くて重い物で殴られた可能性が高いんだ。無理に思い出さなくていいからね」
「校長先生は……あの、テレビでやっているみたいに、銃を持って逃走中なんですか?」
警察の人はすぐには答えず、一度だけ視線を横へ流した。
「まだ、なんとも言えないけどね」
小さく息を吐いてから続ける。
「車が一台見当たらない。それに、保管されていた猟銃と実包も、いくつかなくなっているようなんだ」
◇
「獅子丸」
警察署を出ると、豪樹くんが入口の脇に立っていた。
「ずいぶん早いね。もう終わったの?」
「ムカついたから出てきたよ」
「ははっ、豪樹らしいね」
笑ってみたが、豪樹くんは笑い返さなかった。
僕たちは向かいのコンビニまで歩き、壁際へ並んで座った。豪樹くんは両腕を膝へ乗せたまま、ずっと駐車場の白線を見ている。
「……優希、児相に保護されちゃったみたいなんだ」
「えっ?」
「助けたかったが……俺じゃ……駄目だった」
途切れた声と一緒に、豪樹くんの拳が強く握られた。
(泣いてる?)
俯いた顔は見えなかったが、肩がわずかに震えていた。
優希さんを見つけ、警察を呼んだのは豪樹くんなのに、その優希さんは、また僕たちの手が届かない場所へ連れていかれてしまった。
何を言えばいいのか分からず、僕は隣で黙っていた。
「ここにいたのか」
警察署の方から声がした。
顔を上げると、優希さんのお父さんが横断歩道を渡り、こちらへ駆け寄ってきた。
「君が豪樹くんかな。うちの子を助けてくれてありがとう」
息を整えながら頭を下げたが、豪樹くんは顔を上げなかった。
「でも、警察の話を途中でやめちゃ駄目だよ。うちの子も一時保護されちゃっているからね。それを出すためにも、きちんと話してもらわないと」
「おま……」
豪樹くんが低い声で何かを呟いた。
「えっ?」
優希さんのお父さんが聞き返す。
豪樹くんは膝の上で拳を握ったまま、何も言わなかった。
「とにかく、君の証言も必要なんだから。一度戻ってもらえる?」
優希さんのお父さんは、豪樹くんを立たせようと腕を掴んだ。
助けてくれたことへの礼を言いに来たはずなのに、この人は豪樹くんの顔を一度も見ていない。
優希さんがどうしてあんな場所にいたのかも、豪樹くんがどんな思いで助けたのかも聞かず、口にするのは、一時保護から出すために必要な話ばかりだった。
――全部、お前らの都合だろ?
なぜか、あの言葉が頭に浮かんだ。
バギッ。
「うっ!」
気がつくと、僕の拳が優希さんのお父さんの顔に入っていた。
「獅子丸、ちょっと待て! なんでお前が! やめろ!」
豪樹くんの声が遠くに聞こえた。
倒れた優希さんのお父さんへ馬乗りになり、何度も拳を振り下ろす。顔を庇う腕へ当たっても止まれなかった。
豪樹くんのためなのか。
優希さんのためなのか。
それとも、さっき頭へ浮かんだ言葉に、自分でも分からない何かを重ねたのか。
「やめなさい!」
後ろから腕を掴まれ、何人もの警察官に引き剥がされた。それでも僕は足をばたつかせ、自分でも何を言っているのか分からないまま叫び続けていた。
取り調べ室へ戻されてからも、身体の奥に残ったものは消えなかった。
「なぜ殴ったの?」
何度聞かれても、答えられない。
僕自身にも、その理由を説明できなかった。
その日、僕は何を聞かれても口を開かなかった。
【いい知れぬなにか】
その衝動はその日、僕を黙秘させることの十分な動機になった。




