二章 12 歪んだ天秤
「畜生っ! 畜生めぇっ! 重いんだよ! この疫病神がっ!」
(……誰だ)
身体が大きく上下に揺れている。
誰かの肩に担がれているらしい。腹へ食い込む骨の硬さと、歩くたびに頭へ響く振動だけが、ぼやけた意識の中でもはっきり伝わってきた。
「コイツだ! コイツが全部の元凶なんだ! このクソガキが!」
ドサッ――。
「ぐっ……」
背中から地面へ叩きつけられ、肺の空気が一気に押し出された。
息を吸おうとしても喉が引きつる。土と湿った枯れ葉の匂いが、鼻の奥へまとわりついた。
「ああ、くそ……まだ先かよ」
髪の毛を掴まれる。
力の入らない身体が引きずり起こされ、再び肩へ担ぎ上げられた。
(頭が……割れそうだ)
目を開けても焦点が合わない。
木々の影と夜空が、黒い染みのように混ざり合っている。頭の奥で脈が打つたび、殴られた場所から鈍い痛みが広がった。
「この辺でいいか……もういいだろ」
ドサッ。
今度は横向きに投げ出された。
頬へ土が触れ、小石が脇腹へ食い込む。
「お前が芝岡や三日月と関わんなきゃ今まで通り平和に生きていけたんだ!」
カチャカチャ……
(ベルトの……音……ズボンを下ろした?)
荒い息遣いが近くを行き来する。
怒鳴っているのに、声の端が震えていた。
「芝岡を切れば、それで終わるはずだった! 今までだってそうだったんだ! 問題を起こしたヤツを一人追い出せば、学校は元に戻った!」
カチャカチャ カチャカチャ カチャカチャ
薄っすらと光が見える……スマホか……?
その手前に男が暗闇にしゃがみ小刻みに右側が動いている。
「それなのに三日月が記者会見なんかに出やがって……マスコミまで押しかけてきて……!」
「俺は何もしてない! 何も知らなかった! そういうことにすれば、全部終わるはずだったんだ!」
「おかげで俺は職を失った!今まで築いてきたものを全部失ったんだぞ!」
(校長か……)
声が分かった。
薄く目を開ける。
暗闇の中に、小さな四角い光が浮かんでいた。スマホの画面だ。
校長は、その明かりの前にしゃがみ込んでいる。
画面を何度も左指でなぞっては止め、右肩が小刻みに動いている。
「俺はな……澪さえ学校から消せれば、それで終わりにしてやるつもりだったんだ」
(……澪?)
「養護施設へ直接手を出せば、さすがに俺だと疑われる。だから優希を使った。あの娘なら、澪も警戒しないからな」
霞んでいた意識が、少しずつ輪郭を取り戻していく。
夏休みに一度だけ、優希から澪へ届いた連絡。
あの時は、ただの誘いだと思っていた。
「せっかく薬も渡して、言う通りにさせたのに……あのバカ、澪を連れて来ることもできねぇクズだっ!」
校長はスマホへ顔を近づけた。
「お前たちの仲間だと分かった時は、運が向いてきたと思ったよ。優希を使えば澪を呼び出せる。澪が消えれば、お前も苦しむ」
画面の光が、男の頬を青白く照らしている。
「俺は職を失った。だからお前も友達を失えばいい。公平だろうが!」
校長は突然立ち上がり、俺の前まで駆け寄ってきた。
「それなのに、あのヤンキーまで来やがった! お前までここへ来て死にやがった! 何もかも、何もかも予定どおりにいかない!」
荒い呼吸が顔へかかる。
校長は俺を死体だと思っている?
自分が人を殺したと信じ込んでいるのに、怯えるどころか、異様な興奮に突き動かされていた。
「だが、これで終わりだ……」
声だけが急に静かになった。
「お前らは……バカなガキ女どもは……」
「ガキ女も復讐も……お前と……あの……ヤンキーが……うっ……こなければっ!」
息が荒くなった校長が俺の前に駆け寄ってきて立つと、俺の頬に生暖かい液体が流れ落ちる感覚が伝わった。
「ハァ……ハァ……」
「……」
「まあ……芝岡がやっていた澪……それを俺の玩具にしたら復讐は終えてやる……ハァハァ」
(なるほどね……)
澪の名を聞いた瞬間から、痛みの向こう側で頭が冷えていく。
こいつは失敗を悔いているんじゃない。
まだ続ける気だ……
「お前のような死体は、冬眠前で腹を空かせた熊がきれ〜に片付けてくれるっ」
校長はしばらく肩で呼吸をしていたが、やがて俺から離れた。
地面に置いていたスマホを拾い上げ、もう片方の手で長い物を持ち上げる。
木の部分と金属部分が、月明かりを受けて一瞬だけ鈍く光った。
(……猟銃)
校長はずれたベルトを締め直した。
――シュッ。
「……うっ」
(背後からナイフを奪い、流れるような軌道で男の喉元を撫で上げる!)
(血飛沫が舞う頃には、その影はすでに数歩先へと歩みを進めている……)
(今回は上出来だ……)
校長は何が起きたのか分からない顔で立ち尽くし、それから両手で喉元を押さえた。
「いいこと聞いたぜ、ジジイ」
俺は立ち上がり、校長を見下ろした。
「ここら辺は、クマさんが片付けてくれるんだろ?」
声にならない息だけを漏らしながら、校長顔は地面へ崩れ落ちた。
「こ……こんな……こと……」
校長の手から滑り落ちたスマホが、枯れ葉の上で光っている。
そこには学生くらいの歳の少女が、悲しそうな目をして小さな声をあげている動画が流れていた……
◇
「なんで……お前が?」
「お前じゃないでしょ〜? なんて呼ぶの〜?」




