二章 11いちご色のベスパ
「このあたりだよ—獅子丸くんの言ってた住所ぉ」
イチゴさんのスピードメーターのスマホは目的地にかなり近づいていた。
イチゴさんのベスパは一気に加速した。
身体が後ろへ持っていかれそうになりシートの端を握る手に力が入る。
エンジンの振動が足元から腹へ伝わり、風が容赦なく僕を叩いた。
住宅街を抜けると、景色は一変した。
左右に広がる森林が太陽に照らされ、黄金色の波のように揺れていた。
センターラインのない山道を、景色だけが後ろへ吸い込まれるような速さで駆け抜けていく。
今朝龍馬さんの下書きを読んだあと、イチゴさんに昨日の動きをこと細かく聞いていた。
本棚から本をいくつか出しては、しまっていたと聞き、調べた所、本のページの間から住所が書かれたメモ紙を見つけることができた。
(龍馬さん……子ども帰ってこないなんて、今の時代、事件なんですよ)
「獅子丸く〜ん、帰りはどうすんの〜」
「一応、お金は持ってるし、豪樹くんと優希さんに会ったら考えるよ」
「まあねえ、警察も親も使いたくない事情があるんだろうしね〜」
スマホの地図を見ると、目的地まではあと二キロほどだった。
「イチゴさん、この辺で止めて」
「えっ? まだあるよぉ?」
「うん。でも、ここから先は歩いて行く」
豪樹くんも龍馬さんも、スマホを持って行かなかった。
理由は分からない。
だけど、それだけ慎重になる必要がある場所なのだろう。
それに、ここまでバイクで乗りつければ、エンジン音で気付かれるかもしれない。
イチゴさんは少しだけ僕の顔を見つめ、小さく頷いた。
「りょ〜かい」
道の脇へベスパを寄せる。
僕はバイクから降り、メットを外してイチゴさんへ返した。
イチゴさんはそれを後席へ引っ掛ける。
「ありがとうイチゴさん。ここまで送ってもらって」
「優しい方の獅子丸くんよ」
「えっ……優しいほう……?」
「事情はわかんないけどぉ……」
イチゴさんはそこで言葉を切り、少しだけ笑みを消した。
「ちゃんと明日……帰ってこいよ」
「……うん」
僕が頷くと、イチゴさんは僕の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「無茶だけはすんな」
ベスパのエンジンが静かに唸る。
イチゴさんは一度だけ手を振ると、そのまま来た道を引き返していった。
遠ざかるエンジン音が山道に吸い込まれる。
その音が完全に聞こえなくなると、辺りは鳥の鳴き声と木々を揺らす風の音だけになった。
僕は一度だけ深呼吸をして、住所が示す山の奥へ歩き出した。
◇
山道を抜けると、木立が開けた。
そこには平屋の木造建築が建っていた。
ウチのの別荘ほど大きくはない。
けれど、手入れは行き届いていて、いかにも別荘という雰囲気だ。
(ここが……あの校長先生の?)
学校で見ていた、あの校長の顔が頭に浮かぶ。
スーツ姿で職員室を歩いていた人と、この山奥の別荘がどうにも結びつかない。
僕は息を潜め、木の陰から様子をうかがった。
「すいませ〜ん」
僕は入り口の前で、二度呼んでみたが、返事はなかった。
(おかしいな……車はあるのに……)
駐車場にある黒のワゴン車を見た……
(学校にこんな車あったっけ?)
玄関脇の窓はカーテンがかかっていたが、隙間から覗いても、豪樹くんと優希さんの姿は見えなかった。
しばらく待ってみたが、誰も出てこない。
玄関の前に立ったまま、もう一度、駐車場のワゴン車へ目を向けた。誰もいないなら、どうして車だけがあるのだろう。
「豪樹!優希さーん」
さっきより少し大きな声で呼んでみた。
返ってきたのは、木々の向こうから聞こえる鳥の声だけだった。
(裏にいるのかな……)
勝手に家の周りを歩くのはよくない気もしたが、このまま帰るわけにもいかない。
建物の横へ回ると、玄関前よりも草が伸びていた。壁際には薪が積まれ、長靴や汚れた道具がいくつか置かれている。ウチの別荘とは違って、遊びに来るためというより、山で何かする人が使っている家に見えた。
足元の小石を踏むたびに、じゃり、じゃり、と音がした。
静かなせいか、その音がやけに大きい。
窓があれば中を確認したが、どこもカーテンが閉まっていた。
(本当に誰もいないのか?)
家の角まで来て、少しだけ顔を出す。
裏側には、物置と狭い空き地があった。
そして、その奥。
通りからは見えないように、建物の陰へ寄せて一台のバイクが停められていた。
「……なに、あれ」
思わず声が漏れた。
普通のバイクとは違う。やたらと高いハンドルに、後ろへ長く伸びたシート。細かいことは分からないが、見るからにガラが悪い。
こんなのに乗っている人を、僕は一人しか知らなかった。
(豪樹くんの……?)
実際に豪樹くんが乗っているところを見たことはない。
でも、あの人なら乗っていてもおかしくない。
そう思った途端、さっきまで何も感じなかった家が、急に静かすぎるように思えた。
豪樹くんがここまで来ている。
それなのに、呼んでも返事がない。
僕はバイクから目を離し、閉まったままの窓を見上げた。
◇
何も起きないまま、日が暮れてしまった。
(……何時間いたんだろう)
一度、イチゴさんと別れた場所まで戻ってみた。
そこからさらに山道を先まで歩いてみた。
それでも、この別荘以外に人が住んでいそうな建物は見当たらない。
鳥の声も消え、聞こえるのは風が枝を揺らす音だけだった。
(腕時計くらい持ってくればよかった……)
スマホを置いてきたことを、何度後悔したか分からない。
今が夕方なのか、夜なのか、それさえ曖昧だった。
(でも……)
別荘の前には黒いワゴン車。
裏には、豪樹くんのものかもしれない、あのバイク。
誰かがここにいる。
そう思えるものだけが、僕を帰らせなかった。
木にもたれ、何度目かのため息をつく。
気付けば、瞼が重くなっていた。
◇
――ゴトン。
どこかで、何かが転がる音がした。
「……ん」
目を開けると冷えた空気が肌を撫でた。
どうやら僕は、バイクへ寄りかかったまま眠ってしまっていたらしい。
慌てて辺りを見回す。
真っ暗だった。
別荘にも明かりはない。
(今の音……)
立ち上がり、裏手の窓へ近付く。
窓の下に置かれた木箱へ静かに足を乗せた。
背伸びをして中を覗くが暗くて家具の輪郭すら見えない。
(誰も……)
ガサッ。
背後で枯れ葉を踏む音がした。
振り返ろうとした、その瞬間、銀色の光で視界が覆われた。
頭に鈍い衝撃が突き抜け、僕の身体が崩れ落ちていくのがわかる。
遠くで、誰かが静かに呟く。
「ハンターは確実に仕留められるまで動かんのだよ……」
その声を最後に、意識は闇へ沈んでいった。




