二章10 子どもの理屈
九月六日 水曜日 朝
「おう、待ってたよ」
「ご、豪樹? どうしたの? 家の前で?」
玄関を出ると、豪樹くんは家の前の電柱にもたれかかるようにしゃがんでいた。腕を膝に乗せ、ぼんやりと道路を見つめていた顔が、僕に気づくと少しだけ緩む。
「どう……ってことはねーんだけど……なっ」
「いってらっしゃ〜い! ダーリン!」
二階の窓が勢いよく開き、イチゴさんが毛布で身体を隠したまま大きく手を振っていた。
僕は思わず顔をしかめ、慌てて二階を見上げる。口元へ人差し指を当て、小さく首を横へ振りながら、「静かに!」と小声で合図を送った。
しかし、イチゴさんは気づいているのかいないのか、満面の笑みでさらに大きく手を振っている。
「おわあ〜お前らホントに同棲してんだな……今多分裸だろ?あれ」
「同棲じゃないよ、勝手に居座ってんの!」
豪樹くんは、イチゴさんを見ながら苦笑していたが、その笑顔はどこか無理に作ったようにも見えた。目の下には薄く隈ができ、昨日よりも疲れた表情をしている。
学校へ豪樹くんと一緒に行くのは初めてだった。
わざわざ家まで来たのは、それだけ優希さんのことが頭から離れないのだろう。
「なにか、わかったことねえ? なんか、意味はわかんねーけど、心配なんだよなあ」
豪樹くんは、歩きながら真っ直ぐ僕を見ていた。
(伝えるべきなのか……でも、豪樹くん、少し疲れている顔をしてるしなぁ)
最近、まともに眠れていないのかもしれない。
「えっと……実は、校長先生の住所は分かったんだ」
僕はカバンから、メールの下書きを見て書き写したメモ紙を取り出し、豪樹くんへ差し出した。
「マジかよ? これ、どこで?」
メモを受け取った豪樹くんは、食い入るように住所を見つめる。
(言えるかー。イチゴさん、水樹さん、そして美月先生まで名前を出したら、何を言われるか分かったもんじゃないよ……)
「いや、本当にそこが校長先生の家かどうかも分かんないから、なんともだよ」
そう言って、ごまかすしかなかった。
「マジか! ありがとう! さすがだな。獅子丸」
さっきまで沈んでいた豪樹くんの表情が、一気に明るくなる。その目には、久しぶりに目的を見つけたような力が戻っていた。
「じゃあ早速、校長の家に行ってみるわ!」
「ええ? 学校は?」
僕が呼び止めるより早く、豪樹くんはメモを握りしめたまま駆け出した。
朝日に照らされた背中は、振り返ることなく角を曲がり、あっという間に見えなくなった。
九月九日 土曜日 夕方頃
「やめとけ、今回は優希のこともあるんだ、まず親御さんに——」
「言ったわっ!校長と優希がいなくなった後でな!」
豪樹は俺の言葉を遮って、珍しく怒りを顕にして言った。
(張り込みは尊に頼んでいたから、こっちも知っている。豪樹がウロウロしていたことも……)
尊にモニタリングさせていた俺は、土曜日なので尊から既に連絡もあり、その後のやり取りも知っている。玄関前で豪樹が『前回はコロナだと言ってた』とか『優希は、行きたくなさそうな目をしていた』などと食ってかかってしまっていたのだ。
(獅子丸への説明に不足があったか……)
こいつの言っていることが正しければ、四日の朝からほぼずっと、校長の家を張っていたら今日校長と優希が校長宅に朝戻ったがすぐに出てきた。その後遠くから単車でつけていくと優希の家に校長と優希は行ったが五分くらいですぐに二人は出てきた。
その後も豪樹はつけていくと、郊外の山奥に行き、お洒落な小屋のような所に入っていった。
その後、一度優希の家に戻り、尊のモニタリングを見ると優希の母親が、高校入学に有利になるために、一時預けていると豪樹へ言った。
「優希と優希の親が納得してんなら俺達は、なにもいえないぞ?」
「だから、俺が行くんじゃねーか!」
「なっ?」
豪樹は俺を真っ直ぐ見据えた。その目には迷いがなかった。
「獅子丸が言った、親は納得してるだろうよ? だが優希の気持ちを聞いているヤツはいねーってことよ」
「気持ちはわかるが……」
「……俺の知っている優希じゃなかった。その優希を見ても心配しない親など頼れるわけがねえ」
言葉を吐き捨てるように言うと、豪樹はバイクへ跨がった。
ドドドドドッ――。
低く太い排気音が住宅街へ響く。
豪樹は軽くアクセルをあおった。
ブォンッ――。
(——サイレンサーまで入れたのか)
以前より明らかに重くなった排気音に、思わずそんなことを考える。
豪樹はジャケットのポケットを探り、くしゃくしゃになった紙切れを取り出した。
「これ、校長のいる、もう一個の家だ」
俺は受け取って紙を開く。
殴り書きではあるが、住所と簡単な目印まで書かれていた。
「前にお前が校長の住所をくれた時もメモ紙だったろ? つまりスマホを使ったらダメだってことだよな」
「えっ……ああ」
(そりゃあ獅子丸と俺様のやり取りが特殊だからだ)
まさか「人格が一日交代だから」と説明するわけにもいかない。
俺は曖昧に頷くしかなかった。
「警察にもいわねえ。だけど俺からなにも連絡なかったら……その時は獅子丸! お前が優希の気持ちを聞いてあげてくれ」
そう言って豪樹はメットを被る。
バイザーが下りると、表情は見えなくなった。
もう俺の返事を待つつもりはないのだろう。
ブォンッ――。
バイクは勢いよく走り出し、夕暮れの住宅街を真っ直ぐ駆け抜けていった。
◇
九月十日 日曜日
「なんだってっ!」
「どうしたのぉ〜獅子丸く〜ん……」
ベッドの上で毛布にくるまったイチゴさんが、眠たそうに目をこすりながら声を掛けてきた。
そんなことを気にしている余裕はなかった。
僕はスマホを握り締めたまま、メールの下書きを食い入るように読み返す。
昨日、豪樹くんが家へ来たこと。
そして一人で校長の別荘らしき場所へ向かったこと。
豪樹くんはスマホを持たずに出発したこと。
さらに、僕へ教えられた校長の住所は、豪樹くんへ渡すためではなく、僕の日に何かあった時の保険として残していたこと。
他にも、龍馬さんの日に起きた出来事が時系列で細かく書き残されている。
中学生の僕でも理解できるよう、簡潔で分かりやすい文章だった。
画面をスクロールする指先に、じわりと汗が滲む。
そして、一番最後に書かれていた文章を見て、思わず息をのんだ。
【住所の意味を伝えなかったのは、俺のミスだ】
【午前○時になったら俺が豪樹を追う】




