一章 24 みなさま ごきげんよう
六月七日 水曜日 視聴者邸
『ちょっ、今日、なんか、はいっちゃって……』
『なので、今日はね……この辺で失礼しまーす』
「ふ〜ん。なんか頑張ってるJCもいるんだなぁ」
ソファへ寝転がったまま、スマホの画面を眺めていた。
『ご視聴ありがとうございましたー』
配信が終わると思い、画面を閉じようとした時だった。
『おおいっ! もう終わりかぁ!? ヤラセ女ぁ!』
「えっ!? なにこれ」
指が止まった。
配信はまだ切れていない。画面の奥で、綺羅羅ちゃんが声のした方へ振り返った。
『すいません、撮影中なんで!』
『おめぇみてぇな偽善じみたガキが、一番ムカつくんだよぉ。あ〜ん?』
「うわっ、このおっさん酒持ってんじゃん」
画面の端に、缶を片手にした男が映り込んだ。足元がおぼつかず、顔まで赤い。
『やめろ、やめろ! こんな配信』
「やばっ。綺羅羅ちゃんヤバい。えっ、通報した方がいい?」
うわっ、変なやつ寄ってきてんじゃん。
「あっ危ないっ!」
男が身体を起こした瞬間、画面を人影が横切った。
「えっ? 誰? 今、一瞬映ったよな……子ども?」
映像が激しく揺れた。
「えっ、なに?また一瞬映った?」
『てめっ、うっ、うっ、放せ、クソガキが!』
『はなっグギャァ、やめろ!離せ、離してくれ』
画面が大きく揺れ声だけが聴こえる。
綺羅羅ちゃんが慌てて後ろへ下がる。
「見えない、見えない!」
誰かが揉み合っているのだけは分かる。
声も少し遠くなった。
『ぎゃあああああああっ!』
「うわっ!」
スマホのスピーカーから、男の絶叫だけが響いた。
『痛えぇ、助けてくれっ、誰かー』
何かが地面へ落ちる音に続き、男の苦しそうな声が聞こえる。
『カメラ止めろ! 綺羅羅!』
◇
「また、お前とはね」
若い刑事は背もたれに身体を預けながら、呆れたように息を吐いた。
「左股関節脱臼 診断書はまだだが、医者の話では全治半年だとよ」
「ふ〜ん」
「今日はお父さん、いらなそうだな」
「あっそ」
「相手は処罰を求めてない。詳しい経緯も話す気はないそうだ」
「……」
「自分で暴れて、勝手に外れた。お前には何もされてない――だとよ」
「……」
「じゃあ保護者もいらない。帰って良いかな?」
「どうぞ おぼっちゃま」
若い刑事は、舌打ちをして取り調べ室のドアを指した。
◇
午後十時過ぎ。
カーテンの隙間から入る街灯の光が、ベッドを照らしている。
背中に人がいる。
首筋に金属の冷たさが走る。
(動けば……死)
意図せず俺の身体が震えだした。
「……誰……だ」
「起きたかい」
声……子ども?
「なぜ?ここに……」
「お前とお喋りしに来たわけではない」
固定具に包まれた脚が大きく震え止まらない。
「警察には、何もされてないって話した」
「知ってるよ」
「じゃ、じゃあもういいだろ」
「酒は過去の記憶を微睡ませる」
(コイツ……なにを)
「俺はな」
「同じことを二回説明するのが嫌いなんだ」
冷たい金属がさらに首に圧がかけられる。
(死ぬ?)
「……わかった」
「なにが?」
「出す! 謝罪の動画を発信するよ、顔出しで」
汗が止まらない。
「そのままの姿勢を維持しろ」
「……わかった」
数分だろうか。数十分だろうか。
意を決し、後ろを勢いよく振り返り確認した。
「ハァハァ……ハァハァ、いない?」
ドアの音は、一度も聞こえなかった。
それなのに、ソイツは消えていた。
◇
「おぉ! 獅子丸、あんたどこ行ってたんだよ?」
(お〜いシカトか——い)
俯いたまま、肩だけがゆっくり上下している?
(えぇー無視か〜い!)
「警察に連れて行かれちゃって、待ってれば、いつの間にかいないし。入り口で待ってたのに」
「それでここ来たら獅子丸のお父さんに待ってればーて言われて、ここまで上げてもらったけど」
「……」
「あ……あんたの部屋、意外に綺麗なんだね」
返事しない?
呼吸だけが妙に耳につく。
(本当に獅子丸……?)
「どしたの? さすがに疲れた?」
獅子丸の指先が、小さく震えた。
まるで何かを必死に抑えているように。
(なんか……怖い?違うかも……)
「いや、私もさ? 今日は流石にビビったよ」
一歩近づく。
「助けてくれて――」
その瞬間だった。
獅子丸がゆっくり顔を上げる。
(……っ)
学校で見る獅子丸の目じゃない?
獲物を見失った獣みたいな――。
「獅子……」
言い終わる前に腕を引かれた。
(えっ!?)
気づけば目の前に顔がある。
呼吸が熱い。
心臓が痛いくらい鳴る。
(まさか……)
唇が重なっている?
慌てて胸を押した。
押しても、押しても動かない。
(なに、この力……)
「ど、どうしたの?獅子丸」
返事がない。
彼の、呼吸だけが乱れている。
公園で、自分の前に飛び出した背中が浮かんだ。
あの時から、胸の奥はずっと静かになっていない。
(獅子丸も……同じなの?)
彼も今——
(私も……今は止まれない)
◇
六月八日 木曜日
「あらあらあら、珍しいわね?お寝坊するなんて……」
薄っすらとドアの向こうでママの声が聞こえる。
(お寝坊……?)
ガチャ
「獅子丸ちゃん、今日も学校でしょ?……アラ♡」
「ん?」
「お楽しみ中だったのね?でも朝ごはんできているから、良かったらその娘もね」
ママはベッドを指した。
「その子?」
僕は布団の横を見た。
布団の中で、綺羅羅さんが僕の制服のシャツを抱き枕みたいに抱えて寝息を立てていた。
「!?」
「うわぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙——」
多分僕の声はお隣さんまで聞こえたであろう。
◇
「えーと……今ですね、ハテナしかないのですが……」
「どぉしたの?獅子丸ちゃん?」
ママは満面の笑みで僕を見ている。
(うっぜー……思わず龍馬さんのような口調を思い出してしまった)
「えっとですね……ご飯……赤いのですが……」
「それは昨日、お父さんが『明日の朝ごはんは赤飯がいいなー!ハッハッハー』って言ってたから——」
絶対わざとだ……
(おい!パパ?今ウインクしたよな……)
綺羅羅さんは黙って味噌汁を飲んでいる。
(うぅぅ……)
◇
「今日はありがとうございました」
綺羅羅さんは僕の両親に頭を下げ、一緒に登校することになった。
(気まずい……僕は知らないのに何故か気まずい)
しかし、その気まずさも束の間。
『 昨日なにが起こったのか 』
それは登校中に、おおよその事情はわかった。
『昨日のあれ、お前だろ?』
『あの酔っぱらいどうなったの?』
こんな事を、登校中、多分百回くらい聞かれた。
そして朝、登校すると教頭先生にも早速呼ばれた。
「お父さんから事情は聞いてますが、あまり無茶はしないようにして下さいね」
そんなような事を始めに注意喚起を含めて言われ、教室へ戻された。
◇
「獅子丸ー!」
綺羅羅さんが僕の席に来るといつものようにスマホを見せてきた。
(今朝のこと、気まずくなくなった?)
「七百五十万再生! 過去最高記録でたよ〜!」
そう言うと飛び跳ねながら、綺羅羅さんは嬉しそうに僕へ抱きついてきた。
「ねーなんか朝来るとき、アタシらにも取材来たんだけどー」
「うん、顔は撮らないから美月先生のこと聞かせてほしいって」
水樹と澪もそう言いながら席にきた。
「むしろ顔を、撮れって話だよね?タダで、話聞くならな」
「私は、顔やだなぁ……」
クラスメイトの話題も、そのような内容ばかりであ盛り上がっているようだった。
「はいはい、席について——」
ホームルームが始まると副担任が余計なことを話さないようにと、注意喚起していたが、何人かは「大人の都合じゃね?」などの文句を言っていた。
(なにかが変わり、動き始めている)




